◆39.Let’s Go、遊園地!
「遊園地に行かない?」
下校途中の車の中で知玲が突然そんな事を言い出したのは、妃沙が中等部に通うようになって一ヶ月が経った頃だ。
明日から連休、という少しだけ浮き足立った雰囲気の、ある日の事である。
「それは行けたら素敵ですけれど……知玲様、部活があるのでは? わたくしも連休中の何日かは練習に充てたいと思っていますし、知玲様はもうすぐ大会ではないですか」
妃沙の言葉に、知玲は珍しく言葉を詰まらせながら、まぁ、そうなんだけどね……と頬杖を付いて窓の外を眺めている。
知玲がそんな風に何かに悩んでいる素振りを見せるのは珍しいので、妃沙は少しだけ心配になった。
前世からコイツは素振りは見せてもその悩みを口にする事はねぇよな、と、相変わらずの幼馴染にフゥ、と溜息を吐く。
何かがあっても自分の中で消化したり解決してから「ちょっと聞いてよ龍之介!」と捲くし立てて来る事は大いにあったけれど……それすら、『知玲』になってからは少ないのではないだろうか。
だから時々、妃沙がガス抜きをしてやらないと知玲の中に何かドロドロした淀みのようなものが貯まっていく気がして、ああ、そう言えば最近ガス抜きしてねーな、そんな時期か、と思い至る。
「……まったく。何かあるなら相談して下さればよろしいのに……。良いですわ、知玲様。行きましょう、遊園地。ずっと鍛錬に励んでいるのですもの、一日くらいお休みしてもバチは当たりませんわ!」
そうと決まれば何処に行くか検討が必要ですわねーと、妃沙が無理なく行ける遊園地を思い浮かべ、うーん、と悩んでいる。
そんな様子を何処か安心した表情で優しく微笑んで見つめる知玲。
「どうせなら、葵や充様や大輔様、銀平様もお呼びして……ああ、美陽様もお連れしないと後々面倒臭い事になりますわねぇ。結構な大所帯になりそうですけれど、それもまた遠足のようで楽しそうですわ!」
ね、知玲様、と楽しそうな表情で首を傾げる妃沙に、知玲は言った。
「……二人が、良いな。ちょっと妃沙成分が不足気味だからさ……補充させてよ、妃沙」
「……わたくしは栄養ドリンクか何かですか……」
思わずジト目になる妃沙。
だが、まぁ確かにな、と考え直す。知玲が何かに悩んでいるのなら大勢でワイワイというよりは二人の方が良いかもしれない。
これは今世も前世も変わっていないのだけれど、この幼馴染はなかなかどうして、自分以外の人間に甘えるのが下手くそなのである。まったく不器用なヤツだと妃沙は思っている。
もっとも、夕季に対してすら甘えることをしなかった龍之介だ、知玲からしてみれはそれは実に盛大なブーメランなのだけれど。
「……駄目?」
眉を顰め、捨てられた子猫のような表情で自分を見つめる幼馴染に妃沙が否などと言えるはずもない。
仕方ありませんわね、と、片眉をピクリと器用に上げて微笑んだ。
「美陽様のフォローはお願いしますわよ。わたくしと二人で出掛けるなんて、後でどうなるか解ったものではありませんもの」
超が付く程のブラコンである知玲の妹の美陽。知玲とは三つ年が離れているので、今年小学校を卒業する予定の、なかなかの美少女だ。
知玲も妹の事はとても可愛がっているのだが、何しろ妃沙とは向ける感情が違うので、何かと特別扱いされる妃沙を敵視しているフシがある。だがそれは妃沙にとっては「可愛らしい」程度のものだ。
だが、それを爆発させると、たまに東條家の中が壊滅的に散らかる──早い話が癇癪を起こして大暴れする事があるので、妃沙も知玲も気を付けているのだ。
そして彼女のそんな所も、妃沙は可愛いなと思っている。前世でも今世でも兄弟には恵まれなかった自分だ、そんな妹がいる知玲を少し羨ましくも思っているのである。
「それと……もう一つ条件がありますわ」
真面目な表情でじっと知玲を見つめる妃沙。
何を言われるのかと知玲は思わず身構えてしまう。
妃沙が突拍子もない事を言い出すはずがない事は知玲もとっくに理解していたのだが、その時の妃沙はひどく真剣な表情で、まるで剣道の試合で相手と対峙している時のような緊張感が二人の間に走る。
そして妃沙は、その白くて細い指でちょん、と知玲の眉間を突いて言った。
「折角遊びに行くのですから眉間に皺はやめて下さいましね? わたくしと一緒に思いっ切り楽しんで下さること! この条件が飲めなければ、何があろうとわたくしは参りませんからね!」
何を言われたのか、瞬時に理解が出来ずに知玲がキョトン、と妃沙を見つめている。
だが、当の本人はいたって真面目な表情で頬を膨らましているだけだ。
そして……ようやく妃沙の言葉を理解した知玲は、破裂したかのように笑い出した。
「アハハハッ! 了解! まったく、何を言い出すかと思えば……ホント、君っていつまで経っても突拍子がないよね」
「何を言うのです! 知玲様こそ前世から理解不能ですわよ!」
涙を流して笑いながら、あーもうホント、妃沙には敵う気がしないなーと心の中で白旗を上げる知玲。
本当は……少し、悩んでいたのだ。
中等部に入ってから、妃沙の人気は留まる所を知らないし、知玲という婚約者がいると知っても尚、恋する瞳を向ける者は引きも切らない。
自分にもそんな感情が向けられているのも知っているし、けれど自分の心にはもうずっと前世から妃沙が棲み付いていて、そんな感情を有り難くは思うものの応えることは出来ない。
中等部に入り、勉強の質も上がってきた。剣道の対戦相手だってどんどん強くなる。
妃沙の言う「ヒーローはいつも余裕しゃくしゃく」を彼女に見せ続けるには益々努力が必要になり……果たして自分は、いつまで妃沙にこんな自分を見せ続けることが出来るだろうという不安に駆られてしまっているのだ。
だが、彼女の側にいれば、いつだってこんな風にその闇を払ってくれる。
きっと、ピンチでカツカツだって妃沙は笑って受け入れてくれるのだろうけれど。
(──もう少し、格好良い『知玲』でいさせてよ、妃沙。君にとって特別で一番なのは……僕じゃなきゃ嫌なんだ)
そう、もうずっと前世から、その特別になりたかった相手。
『龍之介』が本気で笑う姿なんて、もうずっと見ていないような気がするけれど……でも彼は今、『妃沙』の中にいて、怒ったり拗ねたり、そして本気で笑っている。
感情が動く時にピクリと眉毛を上げるクセ。真っ直ぐな心根。何だかんだ言いながら自分の気持ちを優先させてくれる優しさ。何も変わってなんかいない。
そして、いつだって自分をこうして真っ先に救ってくれる……知玲だけのヒーローだ。
そして自分も、彼女にとってそんな存在でありたいのだと、改めて強く思う。
「そうだよね、折角行くなら楽しまなくちゃ……ねぇ、君と二人で遊園地に行くなんて生まれて初めてじゃない?」
知玲のその言葉に、それはそうですわよ、と呆れたように妃沙が溜息を吐く。
「わたくしが人出の多い場所なんかに行ったら大騒ぎになりますわよ……とくに前世は。それこそ着ぐるみでも着て行かないと大惨事になりますわ」
まぁね、と知玲も苦笑する。
そこにいるだけで何故か恐れられ、子どもは泣き出し大人は逃げ出す形相だった龍之介だ、遊園地なんて行こうものなら騒ぎの種にしかならなかっただろう。
『夕季』にとってはとても優しく思えたその瞳も、何故だか他人には酷く恐ろしいものに見えてしまっていたらしい。
自分だけの特別な龍之介、という感じがして、そのことについては誇らしくすら思っていたのだけれど、そのせいで龍之介の行動が大幅に制限されることになってしまっていたのは残念だな、と思っていたのだ。
「……けれど、そうですわね。今世なら堂々と遊園地にも行けるのですわ。ねぇ知玲様、これってすごい事ですわね! わたくし、本当は行ってみたかったんですのよ、遊園地!」
大発見をしたかのように、妃沙がきゃあと声を上げて手を叩く。
この世界に転生して、妃沙だって遊園地くらい行ったことはあるのだけれど、それは周囲に友人や家族がいての事だったからそんな事は考えもしなかったのだ。
だが今、二人で行こうとする遊園地。相手に迷惑を掛けるんじゃないかなんて心配をせずに済むのだと思い至り、転生も悪くねぇか、と思う。
その笑顔を守りたいと思っていた相手は、今もこうして隣で時々拗ねたり悩んだりしながらも楽しそうに笑っていてくれていて、遊園地なんて心ときめく場所に二人で行こうとすることが出来るのだから。
「僕も楽しみだなぁ……妃沙と二人で行く初めての遊園地かぁ……」
「何に乗りましょうねぇ?」
ポヤン、と二人で虚空を見つめ、遊園地に想いを馳せる妃沙と知玲。
その姿は、とても『年相応』な中学生であった。
実際には彼らの『精神』はすでに良い大人ではあるのだけれど、未だ子どもらしい感情を忘れないでいられるのは、きっと隣にいる相手のお陰だな、とお互いに実感していたのである。
───◇──◆──◆──◇───
そして迎えた約束の日。
二人は今、早朝の人の少ない電車に並んで座っていた。
休日の、始発から数本後の電車に揺られる二人の表情は楽しみを抑えきれないと言った様子で、何処かソワソワしていた。
「着いたらまず、このアトラクションに参りましょうよ!」
「先にこっちを回ってからにしようよ。ここのエリアは最近出来たばかりですっごく混むんだって。別に並ぶのは嫌じゃないけどさ、そんな事で時間を潰すのは勿体ないじゃない」
「それはそうですわね……。けれど知玲様、わたくし、ここだけは絶対に行きたいと思っているのですわ!」
「もちろん。僕だってそこは行きたいと思ってたし、絶対に行こうね。そしたらさぁ、まずここに行って……」
顔を寄せ合ってガイドブックを覗きこみ、楽しそうに相談をする妃沙と知玲。その姿はまるで初々しい中学生カップルのようだ。
いつものように車を出して貰っても良かったのだけれど、時間通りに移動するには電車の方が適していると思ったし、特に知玲は、今日は運転手といえども他人に介入されたくなかったのである。
そしてその服装は、普段の彼らを知っている人間が見たらおや、と思うものであった。
「お昼ご飯はここなどいかがですか? どのエリアからも程近く、メニューも豊富でお値段も手ごろですわ!」
そう言いながらガイドブックの一部を指し示す妃沙はピンクのシャツにグレーのノーリーブパーカー、デニムのショートパンツ。ボーダーのニーソックスに足元は可愛らしい飾りの付いたショートブーツという出で立ち。
白いベレー帽子を被り、顔には大きなブラックフレームの伊達眼鏡をかけていた。
非日常という事もあり、一応変装のつもりであるようだが、ベレー帽も眼鏡もその小顔を惹き立ててしまっているし、健康的な身体にその服装はとても似合っていて、逆に目立ってしまっている。
もっとも、妃沙がどんな服装をしたところで目立ってしまうのは今に始まった事ではない。
「そうしようか。それと、僕が気になっているのはここなんだけど……ここのショーは必見らしいんだよね。けど、公演時間が決まっているから時間も考えて行動しないとね」
そう言って別のページを指し示す知玲は、ボーダーのシャツの上にデニムのジャケット、ベージュのチノパンはエンジニアブーツの中にインされており、脚の長さを際立たせている。
そして頭は野球帽に覆われていた。
普段の彼はかっちりとしたシャツにズボンといったスタイルが多いので、やや崩した感じの服装は今までのイメージとは異なるものだ。
こちらも一応は変装のつもりであるようだけれど、野球帽程度でその美形っぷりを隠すなど全く無理な事であると言って良かった。
「葵達や美陽様へのお土産を選ぶ時間も必要ですしねぇ……。時間はいくらあっても足りませんわね」
「そうだね。けどまぁ……今日、全部を回る事は出来ないしさ、何度でも行こうよ、妃沙。僕たちはまだ中学生、なんだからさ」
ニコリと微笑んで、隣に座る妃沙の手をキュッと握る知玲。
その表情はとても晴れやかで、つい先日、あんなにドロドロした淀みを抱えていたようには見えない。
対する妃沙も、子どものように瞳をキラキラさせてクイ、と首を傾げ、斜め下から知玲の顔を見上げている。
その凶悪なまでの可愛らしさに、知玲はウッ、と一瞬息を飲んだのだが、もちろん妃沙は何も意図している訳ではない。
「フフ、素敵ですわね、知玲様! これから何度でも行けるのだと思うとわたくし、嬉し過ぎてどうにかなってしまいそうですわ!」
テンションが上がっているのか、握られた手をキュッと握り返す妃沙。
珍しく返された温もりに、知玲のテンションもまた一段上がる。
だって、これは紛れもなくデートだ。前世でもした事のなかった、二人っきりのデート。テンションを上げるなというのは恋する少年には少々酷なことである。
「……ん。遊園地だけじゃなくてさ……色々な所に一緒に行こうよ、妃沙。僕たちはまだこの世界の事を良く知らないしさ、どうせ知るなら……君と一緒が良い」
思わず口をついて出てしまった告白めいた言葉に、知玲は一瞬、しまった、と口を押さえる。
今までも散々甘い台詞を言ってしまった自覚はあるけれど、デートの最中に言ってしまうと、それは何だかとてつもない気恥ずかしさを生む。
だが、言われた相手である妃沙は、眼鏡の奥の大きな瞳を一瞬だけ見開き、キョトン、と首を傾げ……ややあって、ああ、と納得したように頷きながら言った。
「何事にも練習は必要ですわよね。イザ、という時には格好良くエスコートしなければなりませんしね」
何処をどのように聞いたらその解釈に辿り着くのか、その道筋を教えて欲しい、とガクリ、と肩を落とす知玲。
けれども、今日は楽しいデートだ。コイツの鈍感は今に始まった事じゃないんだから焦るな、焦るなと自分に言い聞かせ、超回復でテンションを元に戻す事に成功した。
こんな所ばかりが器用になるのは絶対に妃沙のせいだと、半ば胡乱気な表情になってしまうのはさすがに止められはしなかったけれど。
「ねー知玲様! 遊園地に着いたらお揃いの耳の付いたカチューシャを買いましょうよ! そんな事が出来るのは今だけではないですか!」
「それじゃ帽子を被って来た意味がないだろう!?」
それもそうですわね、と楽しそうに笑う妃沙。
繋いだ手は未だそのままで、朝の優しい光が差し込む電車内で笑顔を弾けさせるその姿を見る人が少なくて本当に良かったな、と知玲は安心せざるを得なかった。
目的の場所に着いてしまえば益々テンションが上がるだろう自分達だけれど……あの場所なら他の人もきっと、自分達が楽しむ事に夢中になるだろう、と言い聞かせる。
そして、そんな事を気にするのではなく、妃沙との初めての遊園地を楽しもうと気持ちを切り替えた。
「妃沙ってこのキャラクターに似てない? この吊り上がった目とか、素直じゃない感じとかさ」
「吊り目は前世のことでしょう!? それに、わたくしの何処が素直じゃないと仰るのですか! それを言うならこのキャラクターのヘタレっぷりは知玲様そっくりではないですか!」
「ふーん? ヘタレねぇ? ……ま、自覚あるし別に良いけど。それより、自分に似てるって言われたキャラクターの恋人が僕に似てるって言うってことはつまりさ……」
「ふ、深い意味などありませんからね!?」
電車内で突然に喧嘩を始めるバカップルほど迷惑なものはない。
これが満員の通勤電車だったなら、周囲の乗客から迷惑だという視線をビシビシ浴びせられ、摘み出されても可笑しくない程のバカップルぶりだけれど、当の本人達の……その片方には、まるでそのつもりがないので、目撃しても許してあげて欲しいと願うばかりである。
こうして知玲と妃沙の初めてのデートは早朝から甘い雰囲気を漂わせながら始まったのであった。
◆今朝のバカップル◆
妃「おはようございます、知玲さま!」
知「…………!? 妃沙、その鼻眼鏡はどういうこと!?」
妃「どうって……非日常を楽しみたいから少々変装を……」
知「逆に目立つからァァーー!! どうしてもしたいなら眼鏡だけにして!」
妃「ヒゲ……(´・ω・`)」