◆37.第一印象は大事だぜッ!
「水無瀬 妃沙と申します! このテニス部で研鑽を積み、自らを成長させたいと思っております。ご指導・ご鞭撻の程、宜しくお願い致します!」
用意したばかりのラケットを握りしめ、ペコリと挨拶をした妃沙に、在校生から盛大な拍手が沸き起こる。
男女比が少しだけ偏りつつあるこの世界。それでなくても少ない女生徒の人気は文化部──特に料理部や華道部といったおしとやかな部活に集中しており、運動部が女子の新入部員を獲得するのは困難な状況の中で、妃沙という目立つ存在に釣られた女子が多数入部しており、更に隣のコートで練習し、男女ペアのダブルスも組む機会もある男子テニス部にも例年以上の新入生が入部して来たテニス部はウハウハであった。
特に全国区の活躍を見せる事の多い部活は専任のスカウトマンを雇っており、小学校の頃から優秀な生徒にはチェックを入れているのだが、今年度の新入生の注目は能力的には充、葵、妃沙、大輔といった順番であり、アイドル性ではダントツで妃沙、そして充、葵、大輔と続くというのが専らの評価であった。
だが、妃沙以外の生徒は入学前から部活動を決めていたので事実上は妃沙の争奪戦であったのだが、その人材を得る事が出来、テニス部の全員が大興奮なのだ。
特に中等部入学時に髪を切った事で『可愛い』だけではない『凛々しさ』を纏うようになった妃沙は、主には個人競技であり、華やかなプレーが一際見せびらかし易いテニス部にとって絶対に欲しい人材だったのである。
「新入生の皆さん、ようこそテニス部へ! 私は女子テニス部部長・紫之宮 凛です。
これから一緒に高みを目指すのですもの、優しくするばかりとはいきませんけど、共に成長して行けるよう、私も全力を尽くします」
頑張りましょうね、と告げるその生徒は、藤色の髪を微かに風に揺らしながら、青紫色の大きな瞳に楽しそうな色を乗せてそう言った。
そして、彼女はふと、妃沙に目を止める。
「水無瀬 妃沙さん。私ね、小学校の運動会での応援合戦、毎年楽しみにしてたんだー! これから同じ部活で妃沙ちゃん……あ、ゴメン、勝手にそう呼んでたからこれからもそう呼んで良い?」
その問いに妃沙が満面の笑顔で「もちろんですわ!」と頷くと、女子テニス部部長・紫之宮 凛の顔にも満開の笑顔の花が咲く。
「ありがと、妃沙ちゃん。けどね、私は妃沙ちゃんを特別扱いするつもりはないからね?
皆さん、楽しく、それでいて必死にやりましょう。私、負けるの嫌いだから妥協は許さない。どんな相手にでも絶対勝つんだっていう気迫、それがテニスには何よりも大切な物だと思ってる。
部活が楽しいって思えるのってさ、出来る事が出来るようになったり、今まで勝てなかった相手に勝てたり、自分に自信が持てたりする瞬間だと思うんだよね。
慣れ合いでキャーキャー言い合うだけの人に『楽しい』だなんて絶対に言わせない。だから、苦しくて辛い練習を課すよ。それが無理なら、貴女には合わなかったと思ってくれても構わない。
やるからには本気を出そう、『頂点』を獲りに行こう!」
その挨拶に、え、と少し引き気味の生徒が数名。アイツらは長く続かねェかもな、と周囲を見ながら妃沙は分析する。
だが、約百五十名の新入生、そのうち女子は六十名弱。そのうちの十名程がテニス部に入部して来ているのだ、それはまさに圧倒的勝利と言っても良かった。
元々、女子は文化部に入る生徒が多い中で、この人数を獲得出来たのは、あのオリエンテーションに感銘を受けた者、妃沙というマスコットが気になった者など様々ではあるけれど、とにかくやってみて、合わなければ他に行こう、などという生徒はあっという間に淘汰されるだろうな、と妃沙は思う。
自分は、ここで頂点を取ると決めたのだから、過酷な練習などドンと来い、である。
そして、入部初日に妥協はしないと言い切る部長の潔さにものすごい共感を覚えたのだ。
「紫之宮先輩! ビシビシ扱いて下さいませ!」
やる気に満ちた表情でそう告げた妃沙の言葉に、新入生は様々な表情を見せながら全員が頷いた。
出来る事なら、誰一人脱落することなく、最後まで部活を全うして欲しいな、と思う妃沙である。
初等部に部活はなかった。だから、本気で何か一つの運動に打ち込むのは前世を通しても尚、初めての経験で妃沙は少々興奮しているようだ。
「フフ、頼もしいね、妃沙ちゃん。けど、私も鬼になりきるつもりはないからね? 悩んだり、辛かったりしたら何でも相談して欲しい。
私も先輩達にそうやって助けて貰って今があるから、受けた御恩は貴女達に尽くす事で返すよ。そして貴女達が先輩になった時、後輩を導く事で更に鳳上学園女子テニス部を高めて行って欲しいな!
テニスだけじゃない、勉強のことも、人間関係も、私は貴女達と一緒に悩むよ。でも、恋愛関係の相談だけは勘弁してね? それだけは私の苦手分野なんだ」
テヘッと舌を出した凛の表情に、妃沙は一瞬見惚れてしまっていた。
相変わらず中身は男子高校生なのだ、スポーツに燃える女子がたまに見せるそんな表情にドキリとしない方が無理である。
けれども『龍之介』の魂は少しづつ『妃沙』の身体に引き摺られているようで、どんなに魅力的女子がいようが、そこに恋愛の感情は決して生まれないのだ。
まぁ、前世でもおそらく、初恋すら経験したことのない妃沙だし、何となく面倒臭そうな気がしてしまい『恋愛』の何たるかは考えないようにしていたし、妃沙の場合は真っ先にその対象として考えねばならないのは女子ではないのである。
「とにかく今日は、私達の事を知って貰って、テニスの基本を楽しくやる事に注力したいと思います。初日だしね、いくら私でもいきなり鬼練はしないよ。
テニス部はね、男子と一緒に試合をしたり練習をしたりする事も多いから、初日の今日は男テニと一緒に交流会をしようと思ってます。ってワケで、男テニコートに集合ねー!」
凛の掛け声で、女子テニス部の部員達がゾロゾロと移動を開始する……と、言ってもその距離は対して離れていなかったので、そう時間はかからない。
なので、女子より少し人数の多い男テニでは今、ミーティングの真っ最中であり、銀平が残念な主張を力説しているのが丸聞こえであった。
「良いか、男子諸君! テニスの上手い奴がモテるんじゃない、モテる奴が上手くなるんだ! 女子の声援は男を成長させる麻薬だからな!!
ならばモテるにはどうすれば良いか!? 外見を磨く? スマートな口説き文句を身に付ける? さりげなく女子を助けて優雅に去って行く? ああそれも一つの作戦ではあるだろう……だが!!」
カッと目を見開いて言葉を止める銀平。
自分達には関係がないと思いつつも、ついその言葉の続きを待ってしまう迫力が、そこにはあった。
「俺は女の子が大好きだァァァァーーーー!!!! この魂の叫びを忘れてはならないッ!!」
力説する銀平に、女子部員達が一斉に呆れた視線を向ける。
そして、女子達の目の前でそんな残念な雄叫びを上げる銀平の後頭部を、焦った様子で部長の藤咲 海がラケットのフレームの部分でゴン、と殴っていた。
「銀平てめェェーー!! 折角集まった新入部員達に変な事吹き込んでんじゃねぇぇーー!!」
その様子を見ていた妃沙は、思わず隣に立っていた凛に言った。
「……あの、紫之宮先輩、わたくしの幼馴染のそのまた友達で、時たまお話をする程度の知り合いでしかない真乃先輩ですけれど……なんか、申し訳ありません……」
「気にしないで、妃沙ちゃん。あんなの通常営業だから」
サラリとそんな答えを返すけれども、その瞳には諦めたような色が浮かんでいる。
こんなに格好良い女子部の部長にこんな表情をさせるなんて、銀平てめェ残念にも程があるぞ、と、その瞳に侮蔑の色を浮かべた妃沙。
するとどうだろう、たまたまそこに転がっていたテニスボールに躓いた銀平が顔面から地面に突っ込み、立ち上がった頃にはその爽やかな顔面が残念にも鼻血に彩られているではないか。
「あらら、お似合いですわね、銀平サマ」
その妃沙の呟きに、その場にいた全員がウンウン、と深く頷いていた。
───◇──◆──◆──◇───
「えー、それでは、今日は男女テニス部の交流会なので、新入生には男女ダブルスで試合をして貰おうと思う。これからペアを決めるから、新入生はクジを引いて貰えるか?
俺たち在校生は既に引いている。在校生諸君、文句の言い合いっこなしだぞ! 新入生はくじを引いたらすぐさま宣言してくれ。対象の生徒が迎えに行くからな!」
男子テニス部部長の藤咲がよく通る声でそんな宣言をする。
そして新入生はクジ引きの箱を持っている部員の方に誘導され、その中から一枚ずつくじを引いて行った。
妃沙の番になったその時、未だにペアの決まっていない生徒達からゴクリ、と生唾を飲み込む音が聞こえそうな程の緊張感が溢れ返る。
だが、当の妃沙はダブルスを組むことは考えていないので、今日だけの特別仕様だと思っており、相手が誰でも関係がなかったので気楽なものであった。
「十七番」
妃沙が引いた番号を宣言すると、周囲からああっ! と溜め息が漏れ、その中から、淡い水色の髪に翡翠のような色合いの瞳を持つ、色白の華奢な少年が心底迷惑、といった態で歩み出して来た。
顔の造詣はとんでもなく整っている。正直、知玲に見慣れている妃沙ですら、お、と一瞬興味を抱いた程だ。
だが、世捨て人のような雰囲気を纏った少年は、妃沙に対してもまるで興味のない様子である。
彼が妃沙に向かう姿に周囲の羨望の視線は最高潮にあることすら、全く気にしてしないようであった。
「……なんでその番号引くかな。正直、君とは一番組みたくなかったんだけど……。ま、仕方がないね」
ス、と妃沙の前に立つ少年。
その表情は何処までも無表情で、妃沙にしてみれば、前世から考えても自分に対してこんな視線を向けて来る対象は初めてであった。
前世では恐怖や悪意と言ったあまり良くない感情、そして今世では、有り難い事に自分に対して好意的な視線を向けてくれる友人たちと『婚約者様』に囲まれている。
たまにはそう……かつて、充の『大切な人』やクラスの女子が向けてきたような嫉妬めいた感情を自分に向けて来る女子はいたけれど、それは妃沙にとっては『可愛い』の一言で片付けられるほどに些細なものであり、だから自分に対してまるっきり興味のない人物の登場は、少しだけ心の機微を震わせてくれるものであった。
「水無瀬 妃沙と申します。先輩、宜しくお願い致しますわ!」
名乗り、笑顔を浮かべ、手を差し出す妃沙。
彼はその手を、眉を顰めて……本当に面倒臭そうな表情で握った。
「玖波 聖、二年。何か持て囃されてるみたいだけど僕は君に興味がない。勝負の行方もどうでも良いから、適当によろしく」
そんな発言を妃沙が何とも思わない筈がない。
彼女は何よりも「負ける事」が嫌いなのだ、どうでも良いなんて思えるわけがないのだ。
前世では、負ける事はすなわち生命の危機すらある世界で生きていたのだ、平和に生きていればこそ堪能できる時間をを蔑にする発言など、例え先輩であろうと妃沙が許す筈もない。
それに、勝つために高みを目指そうとするべき部活動でそんな発言をするなど、妃沙にとってはスポーツへの冒涜でしかない。欲しても得られない幸福な状況にあるのに、面倒臭いなんて言葉で彼女の理想を否定するこの先輩に、妃沙はカチン、と怒りの導線が鳴るのと同時に、良いじゃん、それならこっちも考えがあるぜと好戦的な気持ちを呼び起される。
「承知致しましたわ、玖波先輩。先輩は何もしなくて結構です。けれどわたくし、負ける事が何より嫌いなのですわ……ですから、なるべくコートの隅に居て下さいな。
コートの全面をわたくしがカバーしますわ。やる気のないパートナーなど邪魔なだけですし。けれど、コートに居て下さらないと試合になりませんから、本当に隅で、案山子になっていて下さいまし」
そう宣言すると、妃沙は近くで自らのパートナーとなった後輩の新入生と話をしていた凛に声を掛ける。
「紫之宮先輩、パートナーとなった先輩が勝つ事に興味を示してらっしゃらないようですの。わたくし、負ける事が本当に嫌いな性分ですし、戦う前から勝つつもりがない試合になど臨みたくないですわ。
ですから、勝つ為にダブルスのルールを無視して動いても構いませんか? この試合、勝つにはわたくしが一人で動かねばならないようなのです」
妃沙のその発言に、凛は目を丸くし驚いた表情を見せ……そしてそのペアが聖である事を確認し、ああ、と軽く溜め息を吐く。
「聖と妃沙ちゃんかぁ……また最悪な組み合わせになっちゃったね。ごめん、妃沙ちゃん。
聖、君の、状況や相手によってやる気を上下させる性質はどうかと思ってるけど……妃沙ちゃんとの共闘は君にも良い作用が働くかもね。
聖、イヤなら何もしなくて良いよ。けど、勝つ為に試合に挑む妃沙ちゃんの邪魔をするのは私も海も絶対に許さない。
正直、初心者の妃沙ちゃんが一人で戦ったからって勝つのは難しいと思うけど、最初から勝利を望まない君よりはきっと勝率は高いだろうね。
……でも聖、もし君が勝ちたいと思うのなら、その時は本気を出しなよね? 曲りなりにも君は代表選手を任せられているんだから」
ツン、と凛が聖の額を突く。
その仕草にポッと頬を染める聖。だが妃沙は、一人でコート内をカバーする作戦について脳内で検討中で、その表情が意味する所について考える余裕などなかった。
彼女にとって一番求めるべきものは『勝利』であり、今の妃沙にはそれに作用する人の心の機微など些細な問題であったのだ。
勝つこと、それだけが妃沙が最も重要視するものであったから。
だがしかし、凛の言葉は、無表情であった聖の表情を一変させ、決意に満ちた何かを心に灯らせるには充分な言葉であったようだ。
「……凛先輩。僕が棒立ちしてても尚、新入生の活躍で勝利する事になんかなってしまったら、個人戦レギュラーの僕はとても格好悪いですよね?」
「レギュラー降格しちゃうかもしれないくらいカッコ悪いねぇ。君はもう、後輩を持つ『先輩』なんだから、新入生の一人ぐらい抱えて勝利出来るくらいじゃないと困るよ。キミになら……きっとそれが出来るはずだよ」
凛のその言葉に、何にも興味を抱かないのではなかろうかという程に曇っていた聖の瞳に、キラリと光が宿る。
そうですよね、と呟いて、彼は妃沙の前に立ち、言った。
「……勝つよ、水無瀬。失礼な発言をしたことは謝るよ、許して欲しい。けど、レギュラーのこの僕が負けるなんて有り得ない。
それに、一人で勝つなんて大見得切ってたけど、ラケットの握り方を見るに……君、初心者だよね」
そう言って、聖は妃沙のラケットの握り方をこう、と矯正してくれる。
ラケットの握り方も知らない素人が一人で勝つだなんて粋がっていたのかと、妃沙は少しだけ恥ずかしくなって頬を染めるのだけれど、聖はそんな妃沙にはお構いなしに真面目な表情で妃沙を見やり、言った。
「この僕とペアを組むのに負けるなんて許さない。君が僕のフォローをする? 冗談じゃない、君こそ案山子で良いよ、コートのボールは僕が全部拾ってみせるさ。凛先輩、見ていて下さい」
その様子を、してやったりという若干意地の悪い光を浮かべた微笑みで自分と聖を見つめる凛に思わずジト目になる妃沙。
あーこれ絶対、紫之宮先輩の演出だし、玖波先輩は相当期待されてんだな、と、瞬時に理解した。おそらくは、聖の性格を熟知した凛に仕組まれたのであろう。
なので、グッと親指を立てて凛に合図を送れば、彼女もまた、満面の笑みで微笑み、親指を立てて返事をしてくれる。
オーケー、なら勝つだけだと、妃沙は凛に微笑みを送り、そのままの表情でパートナーとなった聖の正面に立ち、その手を握った。
「玖波先輩! 勝ちましょう、紫之宮先輩の為に!」
その言葉に、おう、と出会った当初とはまるで違った勝負師の表情で自分を見返す聖。
紫之宮先輩の為に、という言葉に大きく反応しているのはなるほど、そういうことかと、こんな時ばかり察しの良い妃沙である。
それが何故、自分に向けられている恋心に関してはまるで察知できないのかはとても不思議なのだけれど、今の妃沙にとっては恋愛のなんちゃらより目の前の勝負の方が大問題であったし、入部して間もなく、凛という尊敬すべき先輩と出会えたことに深い感謝を捧げていたので、意味合いは違えども凛に対して好意的な聖とはこの場限りのこととは言え良いペアになれるかもしれないな、と思ったのであった。
「勝ちますわよ!」
「当然だ」
こうして妃沙は、あっと言う間に無気力であった男子生徒にヤル気を漲らせ、差し出した手にその手を重ね合わせるまでの行動を引き出してみせた。
首謀者の凛は至極満足気な表情でその光景を見つめていたのだが……
「お前たち! 写真を撮る事を許可する替わりに知玲への絶対秘匿ルールを守れ! 天使が消えるぞ!」
銀平のその訴えに、男子部員のみならず携帯を構えた女子も深く納得して頷いていた。
一致団結した周囲の尽力によって、天使と称される妃沙が知玲以外の美少年と心を通わせる様子はこの瞬間に知玲に筒抜けと言った事態は避けられたのだけれど。
「おい、銀。この画像の流出、お前が制限したらしいな? 説明しろ」
裏家業の人間ですら裸足で逃げ出しそうな、それはもう、ものすっごい凶悪な表情を浮かべた知玲に銀平が詰め寄られたのは僅か翌日の事であった。東條 知玲、恐るべし。
◆今日の龍之介さん◆
「ヤル気がねぇなら案山子でもやってろよッ!」(逆手)




