◆36.エースを狙うぜッ!
そして時間は過ぎ、昼休憩の時間となっていた。
この学園の中等部にはカフェテリアが併設されており、大多数の生徒を要する事が出来る程の広いスペースを誇っているのだが、今日この場は新入全員と各部の部長や有力選手、各学年の成績優秀者や見目の麗しい生徒がホスト役として集う、交流会の場と化していた。
新入生はここぞと思う部活動の先輩に詳しく話を聞けるチャンスであり、在校生からしても新入生に直接アピール出来るチャンスである。
だが今、妃沙とその周囲はいつもと変わり映えのしない人物たちに埋め尽くされており、提供される素晴らしく美味な昼食を心おきなく堪能していた。
「このオムライス、最高ですわ! 卵の絶妙な温度調整が完璧で……ああ、このケチャップも隠し味に醤油が入っていますわね!?」
「こっちのビーフシチューもヤバいぜ、妃沙! アタシは米派だけど、添えられてるこのパンに食指が動いたのも解る……食べてみる?」
はい、あーん、と葵がパンにシチューを付けて妃沙の口元へ運べば、無垢な雛鳥のようにパクリと妃沙がそれを頬張り、その顔に満面の笑顔を咲かせる。
そして御礼とばかりに葵に「こちらも是非」とツヤツヤと光る卵を纏ったケチャップライスを葵の口元に運べば、それをパクリと咀嚼した葵も破顔した。
「……ヤバッ! 中等部のカフェテリアのレベルすげー! 全種類制覇するまで弁当無しにしてもらおうかな……」
「わたくしもお付き合いしますわよ、葵!」
美少女二人がイチャイチャしている横で、充と大輔は己の選んだメニューに夢中であった。
彼らにとってはこんな光景など日常茶飯事であったので食事に集中する事など朝飯前だし、この程度で動揺していては彼女達の側には絶対にいられない。普段の彼女らと来たらこの程度ではないのだから。
「充、そのハンバーグ一口くれよ」
「大輔君のからあげ一つと交換ね」
男子二人も楽しそうに食事を続けている。
と、そこに微笑みを浮かべた知玲と銀平が自分達の食事を持ってやって来た。
妃沙達に直に接触したいという生徒は多かったのだけれど、知玲の一睨みで沈黙してしまっているのだ。
公式な約束事は特にないのだけれど、有力者の知玲に逆らって妃沙に接触し、学園での立場を失いたいと思う生徒などいなかったのである。
「妃沙、みんな、入学おめでとう。オリエンテーションは楽しんで貰えている?」
そして、当然のような表情で妃沙の隣に座り「こら妃沙、ちゃんとトマトも食べないとダメだよ」と彼女の額をちょん、と突く。
「そんなに仰るのなら知玲様が食べて下されば良いではありませんか」
「食べさせてくれるの?」
少し屈みこんで妃沙に視線を合わせ、悪戯っぽく微笑む知玲に、妃沙は何の衒いもなくヘタを取ったプチトマトを彼の口に放り込んでいる。
その甘い雰囲気に周囲はジト目になっているが、当の本人……特に妃沙には何も意図するところはないようだ。
「この酸っぱさと皮の感触が苦手なのですわ……」
「でも、栄養があるんだから次は自分で食べようね?」
ぷく、と頬を膨らまし、ぷいと外を向く妃沙の様子に知玲が破顔している。
そんな様子を彼らの周囲の人間はまたかよ、と言わんばかりの態で溜め息すら吐いているのだが、その光景を目の当たりにしてしまった他の生徒たちは皿を落としたり食材を零したりと大惨事であった。
「……あれで付き合ってねぇとかマジかよ……」
さっさと席に座り、カレーライスを頬張りながら呟いた銀平に、隣に座っていた充が話し掛けた。
「お久し振りです、真乃先輩。初等部より短い期間ではありますけど、中等部でも宜しくお願いします」
「おー、充。お前のねーちゃんの脚本ハンパねぇな! 女子達が目の色変えてたぜ!」
恐れ入ります、と、妃沙と愉快な仲間達を優しく見守る体勢に入った充。
なお、彼が食べていたハンバーグ定食は既に完食済であり、その手にはデザートのプリンが乗った皿が握られていた。
妃沙、葵はおろか大輔ですらまだ食事中であるので、充はだいぶ早食いであると言っても過言ではない。
「姉は……まぁ、あれはある意味天才ですからね……。一番最近萌えたのは雪×地面の関係であるとか……」
「なにそれ」
アハハ、と笑い、周囲を見守りながら食事を続ける銀平。
彼としても、妃沙と学部が離れてしまったこの二年の間、心ここにあらずといった様子の知玲を心配していたのだ。
中等部でも一年しか同じ学部に通う事は出来ないけれど、ならばこの一年を思いっ切り楽しんで欲しいと思っている。
そして、自分の親友の『婚約者』の髪型に一瞬ビックリしつつ、でも相変わらず可愛いな、と一瞬見惚れそうになった程だ。
「妃沙ちゃん、部活決めたって?」
「いえ。未だここぞと思う部活の発表には巡り逢えていないようです」
そかー、と、手にしたパンを齧りながら銀平が声を漏らす。成長期の男子は、カレーライスだけでは足りないようである。
そんな銀平に、充がニヤリと、何処か意地の悪い微笑みを漏らしながらその形の良い唇を銀平の耳元に寄せて言った。
「真乃先輩。貴方が所属する部活に妃沙ちゃんが入ってくれたなら、きっと知玲先輩も……ボクも安心出来ると思うんです。先輩の部活は妃沙ちゃんの希望する条件に叶いますしね。
……妃沙ちゃんを落とす魔法の言葉を教えますよ。どうせ、貴方も舞台に出るんでしょう? ボク達の席を見据えて、こう言えば良いんですよ……」
コソ、と呟いた充の言葉に、銀平はニヤリと、少しだけ意地の悪い微笑みを零す。
「……さすが有名女優の息子にして売れっ子作家の弟サマ。そのセリフ、いっただきィ~♪」
銀平が楽しそうにそう言ったのを聞き、充も満足気な微笑みを浮かべた。
彼の姉から、妃沙が入学する部活については厳重に管理せよとしつこく言われていたのだ。曰く、ビジュアル的に見栄えのする部活に入れなければモッタイナイとのこと。
その意見には一理あると思ったので賛同し、こうして銀平を煽ったからにはその候補にあの部活が入るのは間違いがない。
後は自分が後押ししてやるだけだけれど……
(──果たして知玲先輩が認めてくれるかな? こっちの説得方法も考えておかなくちゃ)
陰謀めいた瞳で妃沙と知玲を見やれば、彼らはまたしても甘い雰囲気から険悪な雰囲気に包まれている……当然、とてもくだらない理由で。
「ユニフォームなど、装備でしかないではありませんか! そんな理由で部活は選びませんわよ!」
「君が剣道には向かない人なのは知っているから同じ部活に入れとは言わないよ。けど、ミニスカート、ノースリーブは絶対にダメだからね?」
「そんな条件に拘っていたら運命を感じた部活に入れないではないですか! 中等部では部活動に打ち込むと決めているのですから、そんな理由で選ぶつもりはありませんわ!」
「……なら、ユニフォームを替えるしかないか……。妃沙、入る部活を決めたら一番に僕に報告するんだよ。準備も手続きも色々大変なんだから」
「そんな策略を巡らすように方に報告する人はいませんわ!」
相変わらず馬鹿ップルの様相の知玲と妃沙。
その様子を、周囲は相変わらず生温かい目で見つめており、昼休みの一時は穏やかに過ぎていった。
───◇──◆──◆──◇───
「新入生の皆さん、我が校が誇るカフェテリアでの食事はご満足頂けましたでしょうか?
午後の眠い時間帯となりますが、ここからも注目の部活動がオリエンテーションを行いますので是非注目して下さいね。
それでは、午後一番の発表は……男女テニス部の皆さん、宜しくお願いします!」
司会の放送委員がそう告げると、ノースリーブに女子はスコート、男子は短パンというユニフォームに身を包んだ健康的な生徒達が爽やかな笑顔を浮かべて舞台に躍り出て来る。
「新入生の皆さん、入学おめでとう! まずは俺たちテニス部からの贈り物を受け取ってくれ!」
そう告げたのは銀平だ。
真っ白なユニフォームに銀髪、爽やかな笑顔。黙っていればポッと頬を染める生徒も多いはずである。
だがしかし、新入生は初等部からこの学園に通っている生徒が多いのだ、銀平の残念なチャラさは既に有名であったので、狙った程の効果はないようだ。
舞台の生徒達が横並びに並び、黄色い球状のもの──どうやらテニスボールではないようだ──を手に持つと、「ソーレ!」という銀平の掛け声のもと、一斉に新入生席を目掛けて打ち込んだ。
若干、妃沙達がいる方向を目掛けて飛んで来るボールが多かった感じは否めないけれど、次々に打ち込まれるそのボールめいた物を新入生たちの多くが受け取っている。
当然、妃沙もその周囲の友人たちもその手にボールを手にしており、興味深げにそのボールを眺めていると、ある生徒が「あ、これ割れる!」と呟いた。確かに中心部に亀裂が入っており、グルリと回せば割れそうである。
どれ、と、妃沙がそのボールを割ってみると、中には小さな動物を模した人形と小さく折り畳んだ紙が入っており、人形を手に取れば「キミヲマッテルヨ!」と人形が可愛らしく声を発する。
そして紙には部員達の手書きのメッセージが書かれており、妃沙が受け取ったそれには「キミのハートにスマッシュ!」と書かれていた。
あーこりゃ、銀平が書いたヤツだな、とジト目になる妃沙。
「手が込んでんなー。『目指せ全国制覇!』だって。ここのテニス部、強豪だもんな。やりがいはありそうだけど……ま、アタシには関係ねーわ」
どうやら葵が受け取ったボールの中にはそんなメッセージが書かれていたらしい。手にした人形は妃沙と同じもので、「キミヲマッテルヨ!」と告げている。
新入生全員がそれを受け取る事は出来なかったようだが、それでも相当数のボールが打ち込まれた所で、舞台の上にはいつの間にかネットが用意され、男子と女子、それぞれ一人ずつが向かい合っていた。
どうやら模擬試合の様相でオリエンテーションを行うようだ。
とは言え、コートより圧倒的に狭い舞台の上だ、全力の試合は出来ないとみえ、軽くストロークをしているだけである。
なお、銀平はそのコートには立っておらず、マイクを持って技の説明や試合の経過を解説する役として舞台に立っていた。
「テニスは基本的には個人競技。ダブルスもありますが、多くは相手との、そして自分との戦いです。ペアがいる場合でも、コートの中ではいつも一人。勝つべき存在は敵ではなく自分なのです。
相手の手を読み、何処にボールを打つか、そしてそれはフォアが良いのかバックが良いのか、そしてその強さは?
テニスは相手、自分の力量との駆け引きです。いかに自分の得意な所に相手にボールを打たせるか。それがとても大切な意味を持っています。そしてそれは、相手が各上であっても通用するものなのです。
この二人の試合を見ながら、解説して行きましょう」
舞台上で軽いラリーを続けていた男女が、グッ、とラケットを握る手に力を込める。これから本気の打ち合いが始まるようだ。
「男子選手は男子テニス部部長、藤咲 海。そして女子選手は女子テニス部部長、紫之宮 凛。
通常であれば、男子対女子なんて、女子に不利ではないかと思われることでしょう。けれど今日は、手の内を読み、その逆を突くことでどれだけ試合が有利に動くか、実践を交えてお伝えします」
銀平のその言葉を合図に、打ち交わされているストロークが若干強くなる。
相変わらず狭い舞台の上では本気のショットなど出来るはずもなく、そして新入生にも解りやすいようにゆっくりとしたスピードではあったけれど、相手の打ち易い方に打っていたそれは裏を突くように放たれ、選手たちの瞳もギラリと光りを発するかのような競技者のそれに変わっていた。
なお、舞台で打ち合いをしているのは橙色の髪の爽やかな印象を受ける男子と、緩くウェーブのかかった藤色の髪をミディアムボブで整えた、こちらも爽やかな印象を与える女子生徒。
どちらも長い手足は程良く日焼けしており、とても健康的な肢体である。
だが妃沙は「作戦さえハマれば女子でも男子に勝てる」というキーワードに興味を惹かれ、舞台の二人に注目していた。
筋肉の付き具合を見る限りでは男子の方が女子を圧倒しているように見えるのだが、それでも読みと作戦で相手を凌駕する事が出来るというのだろうか?
女子に転生してからというもの、前世で持っていた筋力や腕力はこの世界では持ち得ないという事実を少し残念に思っていたのである。
直情型の自分だ、作戦なんてものに頼って相手を打ち負かすなどクソ食らえ、と、前世では思っていたのだけれど……女子という身の上になった今、そういった物も駆使しなければ敵わない場面もあるのだと理解していた。
別にそれを嘆くつもりなんかない。自分は水無瀬 妃沙という女子だいうことは受け入れているし、否定するつもりもないし、この身体で人生を全うしてやろうと決意している。
けれど、部活動を通して男子にも負けない闘い方を学べるのなら、自分にとって都合が良いかもな、と、一気に興味を持ったのだ。
「舞台上ですので、サーブは省きます。放課後、コートで模擬試合を行いますのでご興味のある方は是非そちらへお越し下さい!
ここでは相手の裏を突くことがどれだけ有効かを見て頂ければと思います。今……男子の藤咲選手が女子の紫之宮選手の足元にボールを打ちました。
紫之宮選手はそれをフォアで返しますが、それは上手く藤咲選手のバックに返されています。
一般的に、利き腕で打つフォアの方がコントロールし易く、威力も高い選手が多いと言われていますが、両手で打つバックがフォアを上回る場合もあります。
けれど、藤咲選手はバックよりフォアが得意な選手ですので……紫之宮選手は何度も藤咲選手のバックに打ち返していますね。それでいて、自分に返される球はフォアで打てるよう、巧みに身体を動かし、相手を誘導しています」
銀平の解説で、両選手の動きがグッと解り易くなる。
元々、テニスにはあまり興味がなかった妃沙だが、解説通りに動きを見てみると確かに、女子選手が巧みに身体を入れ替えて自分の得意な位置でボールを打っているのが解る。
そしてその球は必ずと言って良い程、相手のバックに返っているのを見れば……まぁ、オリエンテーションだし相手の男子選手の協力もあるのだろうけれど、それでも彼女の力量は相当な物だと認めざるを得ない。
「そして今まで、ずっとバックに返していた紫之宮選手ですが、ここで……」
パン、という気持ちの良い音が女子選手のラケットから響き渡り、高速のスマッシュが男子選手のフォアに返された。
バックを警戒していた男子選手は足が止まり、ボールは舞台を打って消えて行く。
「何度も苦手な所を攻め、しかし決め球に逆方向を選び、相手を油断させる技。テニスではこんな駆け引きは日常茶飯事です。
新入生の皆さん、テニス部ではこんな白熱した駆け引きをしながら自分に勝つ方法を日々探究しています。それはつまり、世界に羽ばたくことに繋がるからです」
そうして銀平は、何故か妃沙のいる辺りにピタリと視線を固定させる。
「相手との一対一の攻防、そして己の敵は己のみ……それはつまり、古代の剣豪をも彷彿とさせる、唯一の部活と言えるのではないでしょうか!」
その言葉は妃沙の胸にギュン、と刺さった。『剣豪』という単語に、彼女が反応しない筈もない。
銀平のその台詞は先程考えたアドリブめいたものであり、その発案者は彼女の友人──充であるので妃沙に刺さらない筈もないのだが、案の定以上にそれは妃沙にピタリとハマってしまった。
「……葵、わたくし、テニス部に入部しますわ! エースを狙いますわよ……!」
決意に萌えた瞳で拳をギュッと握り、そんな宣言をする妃沙。
ギョッとした表情で妃沙をみやる葵、似合いそうだな、と期待に満ちた瞳を向ける大輔……そして、ニヤリと微笑んでスマホを取り出し、誰かにLIMEを送っているらしい充。
『真之先輩、グッジョブです! 妃沙ちゃんから入部の意思が聞けましたので、知玲先輩のフォローをお願いします!』
『美少女部員キターーーー(゜∀゜)ー! 知玲の説得は任せろ!!』
『姉さん、妃沙ちゃんはテニス部に入部するそうです! ちなみに今日、突然髪を切って来たので画像も添付します!』
『美少女テニス部員キターーーー(゜∀゜)ー! ヤバい妃沙ちゃん髪型似合い過ぎ、これは攻守交代も視野に入れるべき!?』
上記はごく短時間の間に充が交わしたLIMEのやり取りの一部……そう、一部である。
実際には、それぞれからこの数十倍もの萌えLIMEが届いていたのであるが、どうでも良いので割愛する。
そしてこの後、妃沙がテニス部に入部する事を知玲に報告し、実際に活動を開始するまでには、東條家の名前でユニフォームの変更を要請すると知玲が頑張ったり、
それをなんとか止めさせようと妃沙と銀平が共闘して作戦を練ったり、コートを使用しての練習試合に妃沙が大興奮だったり、結局通らなかったユニ変更申請に知玲が拗ねたり、
挙句の果てに剣道部を止めてテニス部に入るとまで言いだした知玲に妃沙が本気で怒り、必殺の「わたくしは剣道をしている知玲様が一番好きですわ」と説得してみたけれど、それでも納得しない様子の知玲を説得する為に妃沙が東條家に泊り込みで説得し、一日は同じベッドで寝る事になってしまったり、
お兄ちゃん大好きな知玲の妹・美陽が朝になって同衾している二人を目撃し、怒りを爆発させて暴走した結果、東條家の一角が見るも哀れな惨状になってしまったり……。
まぁ、一言で言えば色々あったのである。
だが、最終的には知玲も妃沙の意思を優先し、妃沙の入部する部活が決定した。
後に『伝説の女王』と呼ばれることになる、水無瀬 妃沙という一人のテニスプレイヤーの誕生であった。
◆今日の龍之介さん◆
「泣きたくなったって……コートでは泣かねぇぞ、俺は!!」




