◆34.メタモルフォーゼ!!
新章開始です!
「ええぇぇーー!!?? 妃沙、その髪どうしたの!?」
年月は過ぎ、彼らは今日、中等部の入学式を迎えていた。
『水無瀬 妃沙』である事を真の意味で受け入れたあの日以来、知玲の表情も少しずつ柔らくなっていったのだけれど、その表情には何か別の色が浮かぶようになっていた。
その色の意味が解らないまま、何も言って来ないなら大した事ねぇか、と流して日々の生活を楽しむ事にした妃沙。
お陰で毎日、葵や大輔、充と校庭を掛けずり回り、大きな声で笑い、本当に時たま戦術に対しての意見交換が白熱してしまい喧嘩になりそうになったりもしながら、それでも毎年の遠足、運動会、そして前世では経験出来なかった修学旅行なんてイベントも『友達』と満喫出来たのだ。
何故だか、年を追う毎に周囲の……特に男子生徒の視線がビシビシ刺さって来て、何か言いたいようなのに何も言って来ない雰囲気をむず痒く感じる事はあったけれど、その正体が『恋』だなんて事には全く気付いていない妃沙である。
そして知玲の瞳に移るソレの正体にも全く気が付かず、初等部時代は只管に毎日の生活を楽しむ事だけに集中出来たのだった。
そして中等部という新たなフィールドに立つにあたり、妃沙がした事は一つ。『バッサリと髪を切る事』だ。
何故だか自分のロングヘアを好んでくれている知玲にすら黙って、二の腕くらいまで延びていた金髪のそれを……妃沙はバッサリと切ったのだった。
「どうもこうも……。だいぶ長くなりましたし、わたくし、中等部では出来れば運動系の部活動に専念したいと思っているのですわ。ですから、長い髪は邪魔ではないですか」
「まぁ、アタシも髪を伸ばしたことはないし、ショートもすげぇ似合うと思うけどさ……ね、妃沙、さっきから上級生の席からヒドい殺気がダダ漏れなんだけど、あれって……」
「……知玲様、ですわね……」
中等部でも、葵とは同じクラスである。
何かの意思でも働いているのか、二年に一度あったクラス替えの危機を乗り切り、葵とはずっと同じクラスだったので今更離れるということは妃沙には考え付かないので嬉しい限りである。
そして、いつも元気な葵は、晴れの入学式だと言うのに「校庭でサッカーしてたら朝練してたサッカー部に絡まれたー」とギリギリに登校し、彼女の為に取っておいた席に座った所で隣に座っていた妃沙をあんぐりと口を開けて見つめ、冒頭の声を発したのである。
そして二人は相変わらずつまらない校長の話を聞き流しながら、コソコソと会話を交わしていた。
事実、背後に座る上級生の席からは、真っ黒なオーラが目に見えそうな程の不機嫌な知玲の感情が妃沙に向けて突き刺すように溢れ出ており、知玲の周囲に座る生徒は冷や汗タラタラの状態であった。
「……まったく。そんな事まで知玲様に報告・連絡・相談しなければならない義理などありませんのにね。髪型など『入れ物』が茶碗になるかお椀になるか程度の違いでしかないではないですか。
わたくしは中等部では部活に燃える、と決めたのですもの。髪など気にせず、部活動に励みたいだけですのに……」
フゥ、と溜め息を吐いて、今朝の騒動を思い出す妃沙。
髪を切りたいとはずっと思っており、中等部入学をきっかけにするのも悪くないか、と思ってはいたのだけれど、事前に相談した両親からはダメ出しが出ていた。
曰く、フランス人形の髪が短いなんて有り得ない、とのこと。
誰が人形だ、自分の娘を何だと思ってんだと少々呆れた妃沙だったが、その夜、久し振りにまじまじと鏡で自分の姿を見て、ああ、こりゃ人形思われても仕方ねぇかと思ったものだ。
白い肌、顔の中心に鎮座する鼻はチョン、と形良くその存在を主張していて、その下の唇と来たら何もしていないのに桃色の薔薇の花のように艶やかに光ってすらいる。
長い睫毛に縁取られたその大きな青い瞳の破壊力といったらなく、これが自分だと認識していなかったら告白してしまいそうだと妃沙自身でも思うほど、その鏡の中の美少女は可憐であった。
だからこそ、長い髪は目立ち過ぎてヤバい、と思ったのだ。
中学生といえば、前世では自分が本格的にグレ始めた頃で、子どもと大人の境界線のいわば『思春期』、色々と面倒臭い感情を抱える時期でもある。
けれど妃沙は初等部での毎日が本当に楽しかったし、中等部でも思いっ切り身体を動かしたかったので、そんな面倒臭い感情を向けられる対象になるのは真っ平御免であった。
……誤解のないように補足すると、妃沙の言う『面倒臭い感情』とは、悪意や嫉妬、恐怖といったそれであり、恋愛感情のそれは全く含まれていない。
とにかく前世では悪意と、自分の強面を利用しようとするこずるい奴らの甘言と、そんな自分に対する恐怖が色濃く現れ始めた暗黒の時代だ。
ここを難なくクリア出来れば高等部もきっと大丈夫という、ワケの解らない自信がある妃沙である。
そんな訳で、誰も手伝ってはくれないだろうからと自分で鋏を持ち、ジャキジャキと適当に髪を短くしたのだけれど、朝、起こしに来た母はそんな妃沙を見て絶叫し、額を押さえてよろめいたのだ。
けれど、短くなってしまった髪は戻らないのだからせめて見栄えは良くしようと、自ら専門的な美容師用の鋏で整えてくれたのだけれど……出来上がった妃沙の姿に溜め息すら漏らして満足してくれたようである。
曰く「ショートの方が小顔が映える」とのこと。
反対していた母親からのお墨付きを貰い、彼女としても安心して迎えに来た知玲と対面したのだけれど……
「ウィッグゥゥーーー!! イヤ、仮面!? むしろ着ぐるみ!? ヤバいやばい……!!」
対面した途端、そんなワケの解らない事を叫び、おろおろと周囲を彷徨う知玲。
長い付き合いだ、彼が動揺するだろう事は予想していたので、準備していた言葉を彼に告げてやる。
「……似合いませんか? 知玲様?」
今年、中等部三年生の知玲はどんどん背が伸びていて、今の妃沙では見上げる事しか出来ない。
自分はあまり成長する素振りがなく……育ったのは大胸筋くらいか。そんなに大きくはないけれど、今では下着で補正しなければプルプル揺れるので邪魔なくらいだ。
流石の知玲もそこまでは言及する事が出来ないのを逆手に取って、たまにサラシで済ませる事があるくらい、色気とは無縁な妃沙である。
だがその時の妃沙は自分では良い出来だと思っているその髪型を知玲にも認めて欲しくて、キューン、と、子犬のような表情で彼を見上げており、その様はなにやら哀愁を伴った色気すら醸し出していた。
長らく想いを寄せている相手からそんな表情で見つめられ、知玲が動揺しない筈もない。
「……に、似合うよ、妃沙。でもさ、ビックリしちゃうし……なんだか『前世』を思い出してしまいそうだから、事前に教えておいて欲しかった……かな!」
片手で鼻と口を押さえながら、ぷい、妃沙から顔を背ける知玲。最近、なんだかこうして顔を背ける事が多いのだ。
前世から、知玲が自分から視線を背けるなんて自分に都合の悪い事を言われた時くらいしかなかったのに、今の知玲は決して嘘をつている様子ではないが仄かに頬を染めてこちらを見ようとはしない。
この髪型が似合ってないのではないかと、不安になっちまうじゃねぇかと、妃沙が唇を尖らせて言った。
「知玲様、わたくし、中等部では部活動に邁進したいと思ってるんですのよ。運動に長い髪は邪魔ですし、この三年間は女子を捨ててスポーツに生きますわ!」
その為の決意表明です、と告げると、酷く真面目な表情で自分を見下ろす知玲と目が合う。
「……本当? 妃沙、中等部では、友達と運動だけに目を向けてくれる?
僕は一年しか君と一緒に学校に通えないから……凄く心配なんだ。君が一番の興味を部活動に向けてくれるなら、僕としても安心なんだけど……」
眉を顰めて、捨て猫のような不安な瞳を自分に向ける知玲に妃沙は言った。
「目指せ頂点、ですわ! どの競技にするかはまだ決めていませんけれどね!」
キュッとその手を握り、ニカッと笑って告げてやれば、年月を経て複雑な表情を浮かべる事が多くなった知玲がクシャっと愛好を崩す。
コイツの笑顔は昔から猫みてェだなと、妃沙はなんだか嬉しくなったのだった。
……と、そんな朝の光景を思い出し、妃沙が呟く。
「知玲様にも納得頂いていた筈ですのにね。何故あんなに不機嫌なのでしょう?」
「いやいや、妃沙、アンタそれ似合い過ぎだし。男子だけじゃなくて女子の注目も集めてしまってるぜ?」
そう、妃沙の新たな髪型はやたらと似合っていて、男子にはその可憐な顔を際立たせるアクセントでしかなく、女子にとっては葵と並ぶ程の新たな麗人の出現にザワザワしても仕方の無いくらい様になっており、その姿はとても目立ってしまっていたのである。
知玲が彼女に向けていたのはだから、嫉妬ではなく警戒のそれであったのだけれど、知玲の心情を正確に理解出来ていない妃沙がそれを理解するのは未だ難しいことなのかもしれなかった。
───◇──◆──◆──◇───
「……で、妃沙は結局どの部活に没頭するか決めたの? アタシとしてはさー、バスケ部をオススメしたいんだけど。妃沙と一緒に出来たら楽しそう!」
翌日。この日はホームルームの後、各部活動によるオリエンテーションが予定されていた。
会場となる体育館に向かう道すがら、葵が興味深げに妃沙に問い掛けており、その返答を周囲も素知らぬ顔をしながら聴いている様子だ。
「そうですわね、それもとても楽しそうなのですけれど、わたくしとしては個人競技の方が向いているような気がしておりますのよ。正直、葵以外の方と良いチームワームを築けるか、少し心配で」
苦笑を浮かべて妃沙が答えれば、周囲に張り付いている生徒達が生徒手帳を開いてメモを取っている。どうやら妃沙の動向は相当に注目されているらしい。
「妃沙の身体能力なら、何処でも歓迎されると思うから好きな所選べば良いと思うけど……ま、確かにチームプレーより個人競技の方が良いかもしれないな、お前は」
頭の後ろで手を組みながら大輔──中等部では彼も同じクラスであり、この学園では三年間クラス替えがないので新たにクラスメイトとなった葵の幼馴染の颯野 大輔が言った。
なお、妃沙を呼び捨てで呼べるのは知玲と葵、そしてこの大輔だけであるのだが、彼が彼女を呼び捨てにしても誰も敵視しないのは、大輔の心が妃沙にはないと丸解りだからである。
妃沙にとっても、大輔は気の合う男友達であり、『龍之介』的感覚で言うならば弟分なので、その呼び方もお前呼びも全く気にした事はない。
「まぁ、何処に行こうと注目はされちゃうだろうし、活躍も出来ちゃうと思うしさ。妃沙ちゃんがやりたいと思った部活を選べば良いんじゃない?」
と、こちらは中等部に上がり、何処か大人っぽさを見に付けた栗花落 充だ。彼もまた、中等部では三年間、同じクラスで学ぶ事が決定している。
充の身体能力は既に中等部でも知れ渡っており、壮絶な争奪戦が繰り広げられるだろうと周囲は思っていたのだが、当の彼は既に演劇部への入部を公言している。
有名女優・栗花落 那奈の息子である彼だ、それもまた不自然な選択ではないし、この中等部の演劇部もまた、全国レベルの実績を残しており、練習は運動部並みだという噂だ。
充は別に俳優になりたいと思っている訳ではないのだけれど、『色々な人物を演じる』という事にとても興味を抱いており、そうやって魅力を磨いて『あの人』にアピールしなくちゃね、という思惑だった。
小学生から続いている彼の『初恋』は継続中であり、今なおその関係を『恋人』に変えて進行中であるらしい。リア充爆ぜろという声が何処かから聞こえてきそうである。
「そうですわね。わたくしね、運動系の部活動は中等部のみと決めているんですのよ。ですから、この三年で何としても頂点を取らなければならないのですわ!」
そう答えた妃沙に、葵が「なんで?」と怪訝な表情を送り、他の二人も不思議そうな表情で妃沙を見ている。
だから妃沙はそんな彼らに初めて語る、人生の設計図の一旦を教えてあげることにした。
「魔法という力。これは本当に素晴らしいですわ! せっかく魔力を与えられて生まれたのですもの、高等部以降は、この力の可能性を模索したいと思っているのですわ!
けれど、運動選手としての自分の力も試してみたくて。ですからそれは中等部でやろうと思うんですのよ。髪を切ったのもその決意表明ですわ。運動に長い髪は邪魔でしかありませんもの」
決意に燃え、キラキラと輝く妃沙の瞳に、その美貌に見慣れている周囲の三人ですら見惚れてしまいそうだ。
だが、妃沙の決意はただの中学生というには少し悲壮な気もして、少し心配にもなる。学園生活で打ち込めるものを見つけられたのならば、それをやり続けても問題はない筈なのに、更に次のステップを見越して、この少女は『三年に全てを賭ける』と言っているのだ。
「妃沙、そんな風に自分の人生を決めつけてしまわなくても良いんじゃないか? 部活動が楽しかったら、高等部でも続けて良いんだぜ?」
周囲の言葉を代表して言った葵の言葉に、妃沙は一切の迷いもなくキラキラの笑顔で言った。
「いいえ、葵。魔法の追及もまたわたくしのやりたい事ですし、この世界でしか出来ない事ですから。運動で成果を発揮するのも有意義ですけれど、魔法を研究して周囲の人々の手助けになる道を探す事に、より深い意義を感じておりますのよ。
それはわたくしにしか出来ないことだなんて驕りはないですけれど、今まで魔力について学ぶことなどなかったのですもの、高等部以降はそれに集中したいと思っているのですわ!」
けれど運動も楽しみたいから中等部では全力で励むのだという妃沙の主張に、周囲は少々呆れながらも、ああ、これが妃沙だよな、と苦笑する。
確かに、魔力を持って生まれて来る人間は少ないのだ。この中等部でもごく僅かであろう。
けれど高等部は魔力を持った生徒が全国から集められる為に同志も増えるし、魔法研究部なんて部活もあるらしく、魔力の有無に関わらずその有意義な活用方法や新たな魔法、魔道具の開発なんかが活発に行われているそうである。
魔力持ちの妃沙にとっては『自分の力を世間の役に立てたい』という志を育てる、ピッタリな部活動であると言えた。
希少な自分の力を世の為人の為に役立てたいなんて崇高な理想を語るこの友達を応援しないなんて選択肢はないよな、と、葵、充、大輔はにこやかに微笑んで頷いた。
「そゆとこ、格好良いよな、妃沙って。んじゃ、オリエンテーションでピンと来る部活に出会えるよう、アタシも応援すっからな!!」
クシャリと妃沙の頭を撫で、楽しそうに微笑んで告げる葵の言葉に、大輔と充も全く同意で「そうだ、そうだ!」と言いながら楽しそうに体育館へ向かって行く。
近所でも有名な『鳳上のオリエンテーション』を楽しみにする、ごく一般的な中学生の表情を浮かべながら。
この学園は部活動が非常に盛んであり、高等部ともなれば全国……いや、世界レベルの活躍を見せる生徒も度々排出している。
それ故に周囲の期待は凄まじく、けれど多額の費用がかかる為に通える生徒は限られてしまっているのが現状であった。
優秀な生徒には特待生制度を設けているがその門戸は狭く、故に生徒数は決して多くないのだ。
高等部にもなれば全国から魔力持ちの生徒が集められる為に生徒数はグッと増えるのだけれど、中等部までは本当に限られた生徒しか入学して来ない。
だが、家柄に優れ、財力のある家で幼少期から英才教育を施された優秀な生徒が入学して来る事が多いのも確かで、言わばこのオリエンテーションは青田買いの場であり、一人でも多く優秀な生徒を獲得せんと、毎年、各部共に趣向を凝らしたプレゼンをするのである。
だから、この行事は、生徒のみならず保護者、時には他校のスパイも混じっているとされている程、派手なものであった。
そして、妃沙はここで、これからの三年を決定付ける出会いを果たす事になるのである。
◆今日の龍之介さん◆
(ジャキ……ジャキ……ケケケケ……)
(どうやら自分で髪を切っているようだが、夜中には全くそぐわない行為である。良い子は真似しないように!)