◆30.飛べ、空へ!
「これより開会式を始めます。生徒の皆さんは早急に校庭に集合して下さい。繰り返します、これより……」
放送委員の声がスピーカーから響いている。
既に大方の生徒達は校庭に集っているのだが『ただの生徒』とは決して言えない、目立つ人物達が未だ校庭に現れていない為に生徒達が揃っていない事はバレバレのようだ。
だがしかし、その張本人達……妃沙や充、知玲に銀平と言った『空組』応援団の面々には焦る様子はあまり感じられない。
彼らは完成し切っていない応援の練習に余念がなく、貸し切った大きめの教室で最後の調整を続けていたのである。
「……よし! これなら本番も大丈夫だろう! 皆、良く頑張ったな!!」
多忙な充の両親に替わり派遣されて来ている、この応援合戦の為だけのコーチが日に焼けた肌にニカッと白い歯を輝かせながらそう言った。
特例で許可されている外部のコーチなのだが、彼は芸能界では知らぬ者のいない売れっ子の振り付け師であり、幼い頃から憧れていたという女優・栗花落 那奈の懇願を受けてこうして鳳上学園初等部の応援団の振り付けと監督などという仕事を引き受けていた。
最初こそ面倒臭いな、と思っていた彼だが、聞かされたテーマに心を動かされ、パフォーマーと対峙して情熱を燃え滾らせ、アイドルでも音を上げそうな練習を未だ幼い小学生に課してしまったのだけれど、優秀な彼らは今、見事にその試練を乗り越え、彼の理想とする演目をやり遂げてみせたのである。
「……や、やりましたわ、充様……! わたくし、きっと前世でもこんなに頑張った事などなかったに違いがありませんわ……!」
「うん、ボクも……! やっと出来たね、妃沙ちゃん……!」
中心に立っていた妃沙と充が、涙を浮かべてヒシ、と抱き合っている。
その側に立っている銀平と知玲も肩で息をしている状態で、その他の団員達もへたり込んでいる。
それ程までに彼らに課せられた演目は難しいものであったのだけれど、やると決めたからには必ずやり遂げるという信念は彼らの共通の想いであった。ましてや、提供された演目には有名女優、有名振付師、果ては中高生に既に人気を誇っている作家──今はWEBでしか活動していないけれども、必ず世に出るだろうと目されている作家の協力があったのだ、初等部の生徒達が興奮しない筈もない。
だが、周囲が疲労感以上に達成感に満ちた表情を見せている中でただ一人、この演目の中心人物たる知玲だけは未だに浮かない表情を見せている。
「なんだよ、知玲。せっかく完成したんじゃねーか。もっと喜べよ!」
銀平にバシッと肩を叩かれ、存外強い力にウッと声を漏らした知玲。だがその表情は未だに納得を示してはいなかった。
「……完成した事は嬉しいよ。皆と一緒に一つの目標に向かって頑張れた事は本当に楽しかったし、本番も絶対成功させようと、思ってはいるんだけどな。
……なぁ、銀、やっぱり僕とお前の立ち位置をさ……」
「却下ァァーー!!」」
銀平の大声に、何が起きたのか、周囲の人間は一瞬で察した。
ほとんど我が儘を言う事のない知玲だが、その事だけは本番目前の今になっても納得しておらず、ブツブツ言っているのである。
そして、その状況を打破出来るのは妃沙だけであるのを今ではこの場にいる全員が知っているので、団員達が妃沙に向かい『行け!』と無言の圧力を掛けていた。
その視線を受けた妃沙は、またかよ、と内心で愚痴を零しながら、「仕方ありませんわね」と呟いて知玲の側にトテテと駆け寄る。
そして、その手を両手でギュッと握り、言った。
「知玲様、散々話し合って納得して下さったのではありませんか。この配置が最も効率的で機能的なものだと……。この成功にはこの配置が絶対に必要なのですわ!
最も信頼する貴方にしかお任せ出来ない立ち位置と役割なのです、知玲様、最高の演目、わたくしと一緒に創り上げては頂けませんの……?」
ウルウルと瞳を潤ませる妃沙。
もたろん演技などではない。そんな器用な真似が出来るのなら、前世でだってもっと上手く世間を渡り歩いていた筈だ。
だが妃沙は、今世も前世も自分にとても正直で、一度決めた事は絶対にやり遂げようとするアツい心の持ち主であった。
ましてや今世は、自分を妨げるどころか応援してくれる人が周囲にたくさんいるのだ。彼らの期待の応えたいと、妃沙が思わないワケがない。
そして、同じ目標を抱いているのなら知玲ともその成功の高揚感を分かち合いたいと思うのだ。前世では、幼馴染ではあったけれど、生きる世界はまるで違っていたから、同じ目標を目指してはいても、その道筋はまるで異なるものだったのである。
今世は対等な関係であるし、自分の存在が相手に悪い影響を与えるんじゃないかという心配をする必要もないのだ、やっと隣に立てる、という実感が、確かに妃沙の中にはあるのである。前世の、密かに夕季を護るというポジションにも忍者の役割染みた高揚感を感じていたけれど、この世界では、表立って堂々と「コイツに手ェ出したら容赦しねェ」と言えるのだ。それは妃沙にとり、とても有り難い状況であった。
そして知玲にも、陽の光の下で自分の近くに立ち、同じ目標を追える『現在』を一緒に楽しんで欲しいと願わずにはいられないのである。
それは自分の我が儘かもしれない。知玲はもしかしたら、こんな風に学校行事を楽しみたいと思ってはいないかもしれないけれど、出来るなら彼と一緒に優勝を目指したいな、と思ってしまうのだ。
悪ィな、夕季、けど頼む、という、龍之介の懇願が今、妃沙の瞳に涙となって浮かんでいるのであった。
「妃沙……でも僕は……」
「知玲様、貴方にしか任せられないのです! わたくしの事は心配ないとご理解頂いているのでしょう?
……ねぇ、知玲様。わたくしが成功の感動を一番に分かち合いたいのは貴方なのですから……ね?」
妃沙の言葉をきっかけに、淀んでいた知玲の瞳に光が宿る。
そして、ギュッと妃沙の手を握り返し持ち上げて自分の唇に寄せると、チュッ、と音を立ててその小さな白い手にキスを落とした。
「……ん。頑張ろうね、妃沙」
ワァァーー!! と、周囲から拍手が沸き起こる。
この茶番は既に練習を開始してから何度も繰り返されているのだから、彼らも良く解っていた。
最初こそこのやり取りに赤面していた生徒も多かったのだけれど、今ではもう、早くしてくれとしか思えない程には繰り返されていたのである。
「ホレ、行くぞ馬鹿ップル! 本番が終わったら二人で思う存分やってくれ!!」
銀平に追い立てられ、知玲と妃沙は手を繋いでその教室を出た。
本番はこれからだ。最高の演目を観客に見せつけてやろうと、その決意だけは団員と全く一緒のものであり、急ぎ足で校庭に向かう彼らは『青春』と言って差し支えない程の爽やかな雰囲気を纏っていた。
───◇──◆──◆──◇───
そうして始まった運動会。
妃沙は午前中、一年生の全体種目である玉入れに参加した以外は応援団として選手たちの目に止まる応援席に立ち、水色のポンポンを持って空組の応援に勤しんでいた。
なお、空組にはその姿に見惚れて競技に支障を来した生徒には後に恐ろしい事が起きるという噂が実しやかに流されており、純真な初等部の生徒達はそれを信じ切っていたので妃沙の応援は素直に力に変換されている。
だがしかし、対する星組と雪組の生徒には当然ながらそれは行き届いておらず、満面の笑みで応援をする妃沙に見惚れて競技に影響を及ぼしてしまう生徒も少なからずいた。
女子に対しては知玲、銀平、充といった生徒がその役目を担っており、まことに小ずるい作戦は、少しずつ効果を発揮していて、午前の競技が終わった段階で『空組』はぶっちぎりの一位であった。
「……フフ、順調だな。妃沙、充、おまえら良い仕事してるぜ!」
昼休憩。妃沙と充は葵と共に教室で弁当を食べながら、今までの反省やこれからの作戦について話し合っていた。
この学園の運動会においては午後の演目である応援合戦と組別対抗リレーが勝負の行方を決すると言っても過言でない程に大きなポイントを割かれる競技である。
その為、午後の競技には午前中の作戦は全く使えないと思っていて良いと言えた。午前のアレは、言わばラッキーパンチである。たとえそれが、上級生の支持により狙って出されたものだとしても。
「葵。貴女にも詳細をお伝えしない程に我々『空組』の応援団は内容を秘匿して死に物狂いで練習を重ねて来たのです。衣装も演出も完璧ですから、期待していて下さいましね!」
「そうそう! 葵ちゃん、楽しみにしていてね!」
ねー! と微笑み合い、妃沙と充が手を取り合っている。
葵とて、ツルむ事が多かった妃沙と充がここ最近は応援団の練習とやらで時間を取られ、行動を共にする事が少なくなり、少し寂しい想いをしていたのだ。
だが、どうやら全力で応援団に取り組んでいるらしい妃沙と充が、毎日ヘトヘトになりながら練習している様を見れば頑張れよ、としか思えない。
身体能力の高い妃沙や充をして、そこまで疲弊させるような演目だと言うのだ、期待するなと言う方が無理である。
「うん。楽しみにしてるよ、妃沙、充! 全校生徒のド肝を抜いてやれよな!」
アハハ、と快活に笑った葵に、妃沙と充がオー! と声を上げる。
「良いか、空組、絶対優勝ォォーー!!」
葵のその掛け声に、同じクラスの生徒がオーーーーと声を揃えた。
奇しくも同じ光景が各学年の『空組』の教室で、応援団の生徒達を中心にして沸き上がっており、校舎を揺るがす程の熱気が溢れていたのである。
───◇──◆──◆──◇───
「それでは、只今より空組の応援パフォーマンスを開始して頂きます。前評判では期待度一位のパフォーマンスです! 空組の皆さん、宜しくお願いします!」
実況担当の放送委員の期待に満ちた声が校庭に響き渡り、周囲がシン、と静まり返った。
定位置に付いた『空組』の応援団の生徒達。その衣装は全て額ランとセーラー服に統一されている。
観客から顔を背け、片手を頬に当てた決めポーズを取っている彼らの周囲に、やがてドライアイスを使用したものと思われる白い靄が立ち込め、徐々にそれは濃くなり、あっと言う間に覆い尽くしてしまう。
「飛べ、空へ!」
男子とも女子ともいいようのない、透き通るような声がその中から聞こえて来る。
「空より高く!!」
今度は、女子と思われる可愛らしい声がそう告げた。前の声は充、今の声は妃沙のそれである。
妃沙の台詞が終わるや否や、白い霧の中からウサ耳を付けた二人の団員が飛び出して来た。
二メートル以上は飛んだのではないかと思われる彼らは、白一色で整えられた衣装……妃沙は短パンの上にテールラインのスカート、充はミニスカートと言った様相だ。上には二人共シースルーのブラウスを羽織っている。
彼らが頂上に達しようかという瞬間、今度は涼やかな声が「風よ!」と告げ、周囲を覆っていた霧が一瞬にして晴れる。知玲の仕業だ。
そうして、頂上から落下して来た二人のウサ耳アイドル──妃沙を真っ白な長ランを着た銀平、充を漆黒の長ランを着た知玲が受け止めた。
その瞬間、音楽が鳴り響き、センターに立った四人を中心に、応援団が規定の位置に立ってキレッキレのダンスを開始する。
その一糸乱れぬ動きは機械のように正確で、指先にまで細心の注意が払われた様に、周囲は思わず息を飲んで見守っている。
すると、突然曲が止まり、中心には充と知玲が向かい合って立っており、不安げな表情で知玲を見つめる充に、知玲は妖艶とも言える表情で微笑みを返し、言った。
「キミを我が闇に染めてあげよう!」
驚き、目を見開いてよろけるように充が知玲から離れると、団員がワラワラと集まり、観客の視線から一瞬だけ充を隠す。
その間、約三秒。
再び現れた充は、ウサ耳が取り払われ、その頭には黒い角が生えており、黒いキャミソールに黒い短パンという衣装に変わっている。
早着替えの要領で、充のシースルーシャツをとスカートを取り払い、角を取り付けたのである。
そうして、妖艶な微笑みを浮かべた充を知玲が片腕で抱いた瞬間。
「そうはさせないわ!」
真っ白い衣装の妃沙が背後に銀平を従え、中央に躍り出て来た。
ただの演技とは思えぬ険しい表情で睨み合う、妃沙と知玲。
短調へと変化した音楽が、ジャーン、と険呑な音を奏でた、その瞬間。
スッ、と、知玲が光の筋を剣のように顕現させ、それを充に渡した。
対する妃沙も、自らの手で光の筋を剣のように構えている。光魔法の初歩、光を一定時間顕現させる「ライトニング」だ。
この場に魔法を使える小学生など妃沙と知玲しかいないのだから、勿論それは二人の仕業であり、この演出の為に知玲は充側の配役になってしまったのだと言っても良い。
「闇で覆われた空に絶望するが良い!」
「光は闇すら払うのです!」
対峙した妃沙と充。その二人を、銀平と知玲が抱きかかえ……
「空に輝け……!!」
再び妃沙と充が、空高く飛び上がった。
以前よりも高く飛び上がったそれは、知玲は自らの膂力を魔法で強化し、妃沙は銀平の膂力を強化し、高く虚空へと投げ出された瞬間。
「光よ……!」
妃沙の済んだ声が響き、充と妃沙の二人を包み込む。
一瞬のその輝きが納まった頃、充と妃沙が持っていた光の剣は、その姿を翼に変え、彼らの背中に顕現していた。
二人はそのまま、空中で手を取り合い、ゆっくりと地上へと降りて行く。
そして二人が地上に降り立つと、団員達が全員集合しており、その中心では知玲と銀平が笑顔で彼らを迎えていた。
音楽が、クライマックスの様相で最高潮の盛り上がりを見せる中、彼らもまた、キレッキレのダンスで音楽に合わせて踊っている。
──ポーン、と、最後のピアノの音が鳴り響き、全ての団員が右手を左胸に当て、同じポーズで決めポーズを取り団員達が声を合わせて叫ぶ。
「勝利を我が手に!!」
ピアノの余韻が消え、激しい運動の後で、肩で息をしながらも達成感に満ち溢れた笑顔を乗せ、深々と礼をする団員達。
すると、途端にワァァァァーーーー!! と、大歓声が包む。
フッ、と息を吐いた団員達が演目の成功に安堵の笑みを漏らし、とりわけ中心に立っていた四人の生徒は輝かんばかりの微笑みを漏らしていた。
無事に出来たという安心感と、やり遂げた達成感に満ち溢れたその表情には含む所はまるでなく、子どもらしいそのキラキラとした笑顔に、観客は魅せられてしまっている。
中でも、キャアキャアと手を取り合い、成功を喜びあう二人の天使──妃沙と充の笑顔には、老若男女関係なく、惜しみない拍手を送っていた。
……一方で、グラウンドが爽やかな感動に包まれていた、そんな中で。
「那奈さん、今の動画を解説付きの小冊子と一緒に売ったら大評判になるよね……。作って良いですか?」
「雫、もちろんそれは構わないけれど、腐った解説は程々になさいね」
家族席で見守っていた充の姉と母がそんな会話を交わしており、実際にこの日の映像と解説本のセットは関係者のみならず、広く世間に流布されて評判を呼んでしまい、インターネットに映像を流されたりといった二次被害を生みだしたのだが……それはまた、別の話である。
◆今日の龍之介さん◆
「フンフンフーン♪」(キレッキレのダンスを踊っているようだ)




