◆25.オンナゴコロは難しいぜ……。
それから、妃沙の小学校生活は穏やかに……とはとても言えないものの、彼女にとってはつつがなく過ぎて行った。
穏やかでない主な原因は、女子生徒との軋轢である。
大多数の女子が入会していると言われている『知玲様ファンクラブ』。所属している彼女達にとり、妃沙という存在が面白くないものであるのは当然だ。
ファンクラブの会員には『抜け駆けをしない』という厳しいルールが課され、それを破った者にはそれなりの報復が待っていた。
決して暴力的な物ではない。クラス中の女子から無視されたり、物を隠されたり机に落書きをされたり、あらぬ噂を流されたりと言った『お約束』な報復ではあったけれど、普通の小学生の女子であれば、そんな事が続けば音を上げるに違いない程、徹底されたものであった。
だがしかし、妃沙は『普通の小学生の女子』ではなかった。本人はそうあろうと努力はしているつもりなようだが、そういう物は努力してどうにかなるものではないらしい。
今日も今日とて、登校した教室で、自分の机の真ん中に花瓶が飾ってあるのを彼女は嬉々として見つめている。
「あら葵、見て下さいまし。またわたくしの机に菊の花が飾ってありますわ? どなたか存じませんが、毎日有り難い事ですわねぇ」
菊の花を栽培なさっているお家の方かしら、毎日ご用意頂くのは少し申し訳ない気もしますわねぇと、妃沙は相変わらず嬉しそうな表情を浮かべて花瓶を机の隅に飾る。
そして、机の上の『知玲様から離れろ!』やら『ブス!!』と言った落書きを眺め、ウフフと微笑みすら漏らすではないか。
「毎日毎日、飽きもせず素敵な模様で飾って下さいますわね。机が明るくなって楽しいくらいですわ! ねぇ葵、わたくし、御礼を申し上げたいのですけれどどうすれば良いと思います!?」
真剣な様子でそんな事を葵に尋ねる妃沙。知った事かよ、と、葵がクククと笑いを漏らす。
まったく、何処の世界にこんな嫌がらせをされて尚、御礼を言いたいだなんて言い出すヤツがいるというのだ。
葵からしてみれば、こんな姑息な嫌がらせをしてくる相手には、その正体を付き止めてひとこと言ってやりたいと思うのだけれど、当の本人がこの調子では毒気を抜かれてしまう。
だって妃沙からしてみれば『女子から受ける嫌がらせ』は初めてであったし、むしろこれが嫌がらせだなんて思えなかったのだ。
前世では、もっと直接的で暴力的な『嫌がらせ』の只中に、彼女はいた。
だから、何を言いたいのかも良く解らず、陰口を叩かれたり、会話の中に入り込めなかったりこんな事をされても、妃沙にとっては小さな悪戯の一つでしかない。
女子と話をしようと声を掛ければ「水無瀬さんは男子と仲良くしてれば? 私達とは住む世界が違うでしょ?」と言われてしまうのは、友達を作りたい妃沙としては少し寂しい気もする。
けれど、自分が不器用なのは自覚している妃沙だ、そう何人も友達はいらねェかと、葵という心を許せる友達がしてくれる事に満足しようとあっさりと割り切り、女友達を作る事は早々に諦めた。
それに、今では妃沙の影響なのか、葵に苦手意識を持っていた男子達も気がねなく話掛けて来てくれるようになっており、放課後などは大輔も交えて野球やサッカーといったスポーツに興じる事が出来ている事にも満足している。
元々の性別は男なのだ、女子達とキャッキャウフフと噂話やお人形遊びをするよりは、体を動かしている方が妃沙にとっては楽しかったので、女子の態度については気にしていなかったのである。
そんな態度が、益々女子の反感を買ってしまっている事には全く気付いていない様子であった。
「仰りたい事がおありならいつでもお聞きしますのにねぇ? 知玲様とお話なさりたいなら話掛ければ良い事ですし、恥ずかしいのなら橋渡しの一つや二つ、いくらでもしますのに。
この学園の女生徒は奥ゆかしくて、本当にお可愛らしいですわね」
何も気にしていない様子でそんな事を言う妃沙に、葵は思わず腹を抱えて笑ってしまう。
どうやら嫌がらせの犯人達も、直接的に妃沙を傷付けたりその持ち物に細工をしたりという『証拠』を残してしまえば知玲にバレてしまう為、そう言った行為には出られないようだ。
だから、あくまで妃沙にとっては『小さな悪戯』が続いているのであるが、当の本人には全く利いていないので、ヤキモキしているのが雰囲気で解る。
相手が悪ィよな、と、葵が目に涙すら浮かべて笑っている様を、キョトン、と首を傾げて眺めている妃沙。
それは今では日常の光景で、そんな妃沙の様子に益々好意を抱く男子も増える一方だし、女子達もまた、手応えのない嫌がらせにそろそろ飽きて来ており、
それどころか、女子の目から見ても可愛くてキラキラしている妃沙と友達になりたいと思う女子も密かに増えて来ているのであった。
「水無瀬 妃沙さんはいらっしゃるかしら? 少し顔を貸して欲しいのだけれど!」
そんな妃沙の元に、上級生がやって来たのはある日の放課後のことだ。
見れば、高学年と思しき女子生徒達が三名、妃沙達のクラスの入り口で腕を組んで怖い表情で立っている。
その険悪な雰囲気は、いよいよ親玉のご登場かと、葵はピリ、と緊張感を張り巡らせていたのだけれど、当の妃沙はやって来た上級生の真ん中に立つ女子生徒に視線を固定し、ジッと見入っていた。
「妃沙? お呼ばれしてるけどどうすんの?」
目を見開いたまま、中心に立つ少女を凝視している妃沙。
どうせ妃沙の事だからロクでもないことを考えてんだろうなと思いつつ妃沙に尋ねると、彼女は心底驚いたように呟いた。
「……た、縦ロール……! 実際にお目にかかる事が出来るなんて……!!」
そうして、フラフラとその縦ロールの少女の方に歩み寄る妃沙。
呼ばれているのだから近付くのは決して可笑しな事ではないが、その理由が残念過ぎるだろう、と、葵は笑いながら妃沙を引き止めた。
「オイオイ。あの人はお前に髪型を見せ付けに来た訳じゃないんだから、そこに反応しちゃダメだろ」
見たところ、妃沙に対する嫌がらせが全く功を成さず、ジレて親玉が出て来た、という所か。
けれど……まぁ確かに、妃沙が反応してしまうのも解る。
親玉と思しき女生徒の緑の髪は、それはそれは見事に巻かれており、そのひと房をブルンと振れば頬を打つことすら出来そうだ。
毎朝セットにどんだけ時間がかかるんだろ、と、髪のセットなどには全く興味を示さない葵も、少しだけその髪型に興味を持って行かれそうになるのだけれど。
イヤイヤ、と自制する。呼び出された妃沙がそんな事を言ってしまえば、話がややこしくなるだけだ。
(──まったく。そんな面白い髪型を妃沙の目の前にぶら下げないでくれよなー。それでなくても妃沙は興味を持った事は納得するまで堪能しないと気が済まないんだから)
フラフラと吸い寄せられるように縦ロールに近付く妃沙の前に素早く立つと、葵は上級生と思しき彼女の前に腕を組んで立ちはだかった。
髪型は面白かったけれど、高圧的な人物というのは元々好きではないのだ。ましてや相手は、妃沙に対して敵意全開である。
「……妃沙はいるけど何? 名乗りもせず、用向きも不明な相手と話をさせるワケにはいかないんだけど。……知玲先輩、のご指示でね」
十中八九、知玲先輩のファンだろ、とヤマを張ってそう言ってやると、目の前の少女達にあからさまな変化が見て取れる。
貴女誰よ、水無瀬さんを出しなさいよと後ろでやかましく騒ぐ腰巾着を、中央の縦ロールがスッ、と手で押さえて止めた。
「遥 葵さんよね。噂は聞いているわ。水無瀬さんの友人で騎士。貴女がこの学園の女生徒達に人気がある事も知っているわ。知玲様ほどではないけれどね。
でも私達、何故だか後ろで手をワキワキさせている水無瀬さんとお話させて欲しくて来たのよ。
決して傷は付けないと約束するわ。水無瀬さんとお話させて貰えないかしら? 知玲様の事でお話があるの」
「ふぅん? その『お話』とやらは、妃沙一人に対して三人でなきゃ出来ない話?
……アタシは妃沙の友達だ。そして、知玲先輩から『妃沙を頼む』って任務を賜ってるんでね。ワケの解らない場所に妃沙を一人で行かせる訳にはいかないよ」
さすが葵、相手が上級生だろうと待ったなし、威圧度で言えば上回るくらいだ。
漫画であれは、そんな二人の間にバチバチと火花が散るエフェクトが描写されることだろう。
だが、今、彼女達の話題の中心である水無瀬 妃沙、彼女は興味を示した事はとことんまで追及しないと満足しない、という葵の分析はまさにその通りで。
スッ、と、葵の脇に立ち、手術前の外科医のように胸の辺りに手を掲げ、縦ロール先輩の指摘通りワキワキとその手を動かしている。
「……お話をして差し上げたら、その髪に触れてもよろしくて?」
え、と、縦ロール先輩も葵も絶句した。
「……ですから、貴女の要求に従って『お話』をする代償に、その縦ロールに触らせて下さいと言っているのですわっ! よろしくてッ!!??」
「妃沙、欲望に正直過ぎるよっ!」
妃沙の大きな声と、葵の溜め息混じりの絶叫が教室内に木霊する。
妃沙にかかれば、せっかく葵が作り上げたシリアスで緊迫した場面もあっと言う間に台無しになってしまうのであった。
───◇──◆──◆──◇───
「私は詠河 美子と申します。この学園の六年生で『知玲様ファンクラブ』の会長をしているわ」
場所は放課後の音楽室。その時と場所を選んだのは、放課後なら人がいない事と防音設備が整っているかららしい。
妃沙も葵も防音などどうでも良かったし、妃沙に至っては魔法で何とか出来てしまうので気にする事ではなかったのだけれど、彼女達にとってはあまり聞かれたくない類いの話のようである。
険しい表情の先輩と対峙しているにも関わらず、妃沙の関心は相変わらず美子と名乗った女生徒の髪型にあるようで、ミコロール、と、ポツリと不届きな発言をしたのを、美子はギロリと睨み、葵はプッと吹き出していた。
尚、縦ロール先輩……もとい、詠河 美子の背後には小判鮫のように張り付いていた少女達も同席しているが、彼女達も美子と同様に厳しい表情をしており、妃沙の言葉に表情を崩されることはなかった。
人数の差異を理由に、この場に自分も同席する事を条件に『お話』とやらを聞く事に許可したので、葵もこの場に当たり前のような表情をして参加している。
もっともそれは、妃沙の奔放な好奇心が発揮され、話がややこしくなる事を心配しての同席であった。つまりは妃沙の為というよりは縦ロール先輩達の為である。
「知玲様ファンクラブ? そんなものがあるんですのねぇ。さすがモテ男くん、羨ましいですわ」
ほぇぇ、と、妃沙が溜め息を漏らした。
ちなみに、妃沙のファンクラブも既に出来上がっており、元々男子生徒の方が多いこの学園において知玲のファンクラブの人数を凌駕しようとしている事など、もちろん彼女は知らない。
妃沙のファンクラブには『抜け駆け禁止』などという面倒臭いルールはない。それ故に、会員達は理由を作っては妃沙に接触しようとして来るのであるが、
知玲、葵、最近急速に存在感を増した愛らしさ抜群の充、それから葵の指令を受けた大輔というボディーガードに阻まれ、成功率はとても低い状況であった。
「知玲様は私達のアイドル、決して誰の物にもなってはいけないのよ! それを……毎日一緒に登下校して、度々知玲様に触れて頂いて……婚約者ですって!? 冗談じゃないわ!」
クワッと、縦ロール先輩……もとい美子の表情が豹変する。
瞳を爛々と燃やし、米神に青筋すら浮かんで来そうな鬼のような表情で大声を上げ、妃沙を指さして勢いのままに妃沙を弾劾し始めた。
「名家の一人娘だとか、幼馴染だとか、そんな立場を利用して! ちょっと目立つ容姿だからっていい気にならないでちょうだい!!
彼が入学して来た時から、どれだけ私が焦がれたと思っているの!? 夜の闇のようなあの御髪、アメジストのような憂いを込めたあの瞳……!
涼やかで、それでいて優しくて……けれど、どんなに女の子に囲まれても『特別』を作る様子はなかったから安心していたのに……!」
美子の釣り上がった瞳に、ブワッと涙が浮かぶ。
ヤベぇ、女を泣かせちまったと、ここで初めて妃沙が動揺を見せた。
妃沙にとっては女や子どもは護るものという認識であり、泣いていれば全力で助けてやらなければならない存在なのだ。
もっとも、前世ではそうして差し出した手を掴まれる事はなく、ますます大泣きされたり逃げ出されたりするといった残念な結末の方が多かったのだけれど。
美子がなぜ突然に泣き出したのか、妃沙にはその理由は良く解らない。けれど、自分に出来る事があれば手を貸そうと美子に視線を向ける。
けれど彼女はそんな妃沙にはお構いなく、興奮した様子で言葉を続けている。
「中学校も高校も、私は同じ学校でその姿を愛でる事は出来ない。だから……知玲様は皆のものよと、ファンクラブを作って抜け駆けされないように手綱を握っていたのに……!」
涙ながらにそう語る縦ロール先輩。
だが妃沙には、なぜ彼女が知玲に対する熱い想いを突然に自分に語り出したのか、本当にワケが解らなかった。
けれど、確かに目の前では縦ロールを揺らしながら、美子が必死な形相に涙を浮かべているのが現実なのである。
知玲と一緒にいると、それだけで女子達からギン、と睨まれる事があるのは何となく感じてはいた。けれど、妃沙には本当に解らないのだ。
話したいのなら話し掛ければ良いではないか。側にいたいのなら近寄れば良い。
別に自分は知玲を独占している訳でもないし、したい訳でもない。言ってくれればアイツに話くらい付けてやるのに、とすら思っている。
だから、遠くから見ている事しか出来ないなんていう論理が、まず理解出来ない。故に『私には出来ないのにアンタばっかりズルい!』というのも見当違いだと思うのだ。
話しかけるきっかけが欲しいというのなら手伝ってやろうとすら思っているのに、何もせずただ騒いで、挙句の果てに妃沙に怒りの矛先を向けるとは一体どういう心理なのだろうか。
(──女ってのは不思議な生き物だなぁ……。まぁ、俺が女の心理を理解しようだなんておこがましいか。夕季のことですら、未だに解らねぇくらいだしな……)
フゥ、と、溜息を吐く妃沙。
そう、あの幼馴染の事は良く知っているつもりでも、いまだに理解出来ない時がある。
昔から自分に纏わり付いて来る事は多かったけれど、特にこっちの世界に転生してからというもの、少し度が過ぎているんじゃないかと思う程だ。
こんな調子じゃ恋人も出来ねぇぜと、心配しているくらいである……知玲にとってそれはまさに余計なお世話だ。
「そんなに知玲様がお好きなのなら、お呼びしますわよ。お約束の時間に少し遅れそうですし、ちょうど連絡をしようと思っていた所ですわ。ここに寄って下さいとお願いしますから……」
そう言って、妃沙がポケットからスマホをゴソゴソと取り出し、LIMEのアプリを立ち上げようとした、その時。
「……やめて!」
縦ロール先輩の悲鳴めいた声が聞こえ、同時にスマホを握っていた妃沙の右手に鋭い痛みが走り、ゴトン、と音を立てて、その手からスマホが取り落ちた。
……叩かれたと、妃沙が理解するのは数秒後の事である。
「こんな形で知玲様とお会いするなんて冗談じゃないわっ! それに……自分が呼べば知玲様が来て下さるなんて自慢をしたいの!? 嫌な女ね、本当に!!」
貴女なんか大嫌い、と言い捨てると、縦ロール先輩は行きましょう、と背後の小判鮫を促してその場を去って行ったのだった。
後にはあらら、と面白そうに呟く葵と、ポカン、と阿呆の子のように口を開いたままの妃沙が取り残されていた。
◆今日の龍之介さん◆
「……ミコロール……!」(ワキワキ)




