◆23.悪・即・斬!
遅くなり申し訳ありません。なんとか間に合った……(汗
そうしてやって来た遠足当日。
天気は快晴、絶好のフィールドアスレチック日和だ。
「妃沙、解ってると思うけど、僕の目が届かない場所だからって羽目を外すんじゃないよ? もちろん怪我なんか絶対にしちゃダメだからね」
耳にタコが出来る程聞かされた言葉を繰り返す知玲に、妃沙はフフ、と微笑みを返してやる。
この幼馴染様の心配性は今に始まった事ではないし、今更気にしても仕方がない。
けれど、遠足だ。待ちに待った人生初のフィールドアスレチック、そして大勝負を控え、妃沙のテンションが上がらない筈もなかった。
「解っておりますわ、知玲様。これでもわたくし、同級生より精神年齢は高いと自覚しておりますのよ?
諌める事はあれ、自らはしゃいで問題を起こす事などあり得ませんわ!」
……どの口が言うんだ、と知玲が胡乱気な瞳で妃沙を見つめる。
挑発されたらすぐに勝負に乗ってしまって、人間離れした活躍を見せつけて注目を集めてしまうのはいったい何処のどいつだと言いかけるけれど、楽しそうな妃沙の表情には毒気を抜かれてしまうのだ。
鍛錬を欠かさない自分と付き合い、普通の小学生には考えられない程の勉強や鍛錬を続けている妃沙。
そんな妃沙が周囲が驚く程の身体能力を発揮させてしまうのは仕方のない事だろう。
元々、妃沙の身体に籠められていた才能と、前世から持ち込んだ知識やイメージがあれば規格外になってしまうのは理解出来る。
自分もそうなのだから、自分よりももっとスポーツや勉強に真摯に取り組みたいと願っていた妃沙が才能を爆発させるのは当たり前の事だと思う。
前世は母子家庭で、その母親も夜の仕事をしていた事が多かったから、母親の作った弁当を持って遠足に参加した事などなかったのだ。
そして、その強面では友達など出来るはずもなく、いつも一人離れた所で隠れるようにしてコンビニのおにぎりやパンを食べていた龍之介。
そんな彼を見兼ねて近寄ろうとすると、物凄い勢いで逃げられてしまう。それは、自分に遠足を楽しんで欲しいという気遣いの表れであるとは解っていたが、彼と一緒に楽しみたかった夕季はがっかりしていたものだ。
それでも遠足に参加出来れば良い方で、何故だか当日に限ってトラブルが頻発し、参加出来ない事の方が多かった。
小学生では定番の林間学校や修学旅行といったイベントも同様で、彼はいわゆる『普通』の行事を心から楽しむ事が出来ずにいる、不遇な学生時代を過ごしていたのである。
その彼が、瞳をキラキラさせて遠足を楽しみにしている様に、ああ良かったね、と涙すら出そうになる程に嬉しくなってしまうのは仕方のないことだ。
一番側で見ていたから、彼女がこんな些細な学校行事を心から楽しみにしていた事は知っている。
前世では、母親が突然風邪で倒れたり、学校に向かう途中で引っ手繰り事件が発生し、見過ごす事が出来ない性分の龍之介が犯人との大捕物を繰り広げた為に集合時間に間に合わなかったり、地面が陥没した、工事現場の鉄骨が崩れた、もしくは愛猫が脱走して涙目の隣人の老婆の相談を見捨てておけなかったなど、彼の周囲ではトラブルが本当に多かったのである。
「……楽しんでおいで、妃沙。勝負より楽しむこと。折角『普通』の小学生として参加出来るんだ、良い思い出を作るんだよ?」
ポン、ポンとその柔らかい金髪を撫でると、クシャリと妃沙が愛好を崩す。
心配は、もちろん多々ある。
けれど今しか経験出来ない事を楽しみたいと思うのは、知玲も同じ気持ちであった。
「知玲様も楽しんで来て下さいね! 良い所だったら連れて行って下さる約束、忘れないで下さいましね!」
解ってるよ、と小指を差し出せば、その細くて白い小指が自分のそれにかかる。
以前の、自分より大きくて節くれだっていて、それでいてアカギレや小さな傷が絶えなかった、それでも温かくて大好きだったその手とは全く違うけれど。
ああ、この手を護りたいなと……知玲は優しい気持ちでその小さな手と、朝の光の中で指きりを交わしたのだった。
───◇──◆──◆──◇───
「葵ィーー!! ごきげんよう! 絶好の遠足日和ですわねっ!」
一年生の集合場所は学園の校庭。そこにはいつも背負っているランドセルではなく、思い思いのリュックサックを背負った小学生達が楽しそうに集っていた。
ピンク色のリュックサックにメガトラのキーホルダーを付けたそれを背負った妃沙が、やたらと目立つ赤い髪の友達に向かい駆け寄って行く。
周囲からは、妃沙ちゃんだ、水無瀬さんだ、妃沙たん萌えーなどというジットリとした視線が向けられているけれど、彼女はまったく気にしていない様子である。
「オハヨ、妃沙! 良い天気だねぇ。これなら記録も狙えそうだ」
フフ、と男前に微笑んだ麗人・遥 葵。
決して男装をしている訳ではないのだけれど、動き易い服装を考えればTシャツに短パンという服装は至極納得の行くものである。
そして、そんな彼女の周囲には女子生徒が集まっており、妃沙に向けて優しく微笑む様にキャーという小さな悲鳴が上がる程だ。
「本当ですわね! 昨日、コースの情報を見てイメージトレーニングをしながら寝ましたのよ。……気が付いたら朝でしたけれど」
「アッハッハ! 同じ事してんな、妃沙! アタシも布団の中でイメトレしたけど、多分考えてたのは三十秒くらいだったと思うぜ。気付いたら寝てた!」
似た者同士ですわねぇ、と笑う妃沙に、ホントだな、とニカッと笑った葵の白い歯にキラリと陽光が反射した。
楽しそうなその様子を、周囲は何処か生温かく見つめている。
と、その二人に入り込んで来たのは、めでたく選抜チーム入りを果たした相良 隆平というガキ大将とその腰巾着、三刀屋 朋規という二人の男子と、妃沙が憧れてやまない俊足のランナー様・栗花落 充であった。
何故だか充は三人分の荷物を持っており、隆平と朋規から少し離れた場所で妃沙達にピョコンと頭を下げている。
「水無瀬! 遥! 今日はヨロシクな! 俺と朋規の足を引っ張るのだけは勘弁してくれよな!」
事更に大きな声で先頭に立った隆平が二人に声を掛ける。
同じチームに入った為に『その他大勢』という認識が改められたその少年の言葉を、妃沙と葵はキラキラの笑顔を浮かべて受け取った。
「相良様、三刀屋様、本日は宜しくお願いしますわ! 頑張りましょうね!」
「二人ともおはよ。今日は頑張ろうな!」
眩しい光を放つ二人のその笑顔に、隆平と朋規が一瞬たじろいでしまう。
だが妃沙は、もう一人の──このチームのエースとも言うべき充の姿が見えず、挨拶の声が聞こえなかった事に疑問を抱いた。
そして大柄な隆平の背後に視線を向けると、三人分のリュックサックを全身に纏った充の姿を認め、まぁぁ! と大きな声を上げて彼に駆け寄った。
「充様……充様!! 何をなさってるんですの!? 貴方はこのチームのエースなのですよ!? 大荷物を持って体力を付けるという作戦には頭が下がりますけれど、荷物はダンベルとは違いますのよ?
体力を消耗してしまっては元も子もないですわ! さぁ、その荷物、わたくしに渡して下さいまし! 少しでも回復しなければ勝負に響いてしまいますわ!!」
さぁさぁと、充から荷物を剥がした妃沙が、隆平と朋規のものと思しき荷物を抱えようと手を掛ける。
そんな様子を慌てた様子で止めようとする隆平と朋規。当たり前である。自分達の荷物を妃沙に持たせたとなれば、後であの恐ろしい『婚約者様』に何を言われるか解ったものではない。
「そ、そうだぜ、充! こんな所でまで鍛錬しようなんて……」
「そ、そうそう! 勝負の場で実力を出せなかったら僕らだって困るんだからさ……!」
そう言ってそれぞれ自分の荷物を受け取った。
「まぁ、お二人とも。お優しいのですね」
満面の笑顔を向ける妃沙に少しだけ後ろめたい気持ちを抱きながらも、あーやっぱり可愛いとポーッとする二人を尻目に、葵は三人の男子の関係性を正確に見切っていた。
(──面白くねぇな、あの二人……。やらせる二人もアレだが、黙って従う充も充だ。こりゃあ……この遠足中にひと悶着あっても可笑しくねーな)
クク、と意地の悪い笑みを浮かべる葵。
彼女自身、イジメっ子もイジメられっ子も決して好きなタイプではないのだが、そういうのは本人達で解決しろ、というスタンスを持っているので口を出すつもりはない。
けれど、妃沙がこんな状況を黙って見過ごす事など決してないだろうし、その時はアタシも全力で煽ってやろうと、人知れず決意していたのである。
───◇──◆──◆──◇───
「はーい、到着しましたよー。お昼までは自由時間としますー。昼食後、少し時間を置いて走破タイムを競うレースを開始しますからここに集合して下さいねー」
相変わらずのほほんとした担任教師・浅野 匠の声が響き渡ると、少年少女達はワァッと歓声を上げて思い思いに友達と解放感に溢れたその公園内に散って行った。
ここは学園からバスで一時間程の場所にある公園内。
平日の昼間、周囲に客足は少なく、小学生達のほぼ貸し切り状態であった。
「葵! コースの下見に参りましょう!」
喜色満面で自分に駆け寄って来る妃沙の姿に、葵はクスリと微笑みを落とす。
自分も今、彼女と全く同じ事を言おうとしていたのだ。本当に気の合う事だと心がポカポカと温かくなるのを感じる。
「アタシもそう言おうと思ってたとこ! どうせならチーム全員で行こうぜ、実物を見てのイメトレは大事だろ? んで、弁当の時間に最終作戦会議だな!」
ニカッと微笑んだ葵の笑顔を真っ向から受け、妃沙は自分の頬がポッと染まるのを自覚する。
全く、この男前な友達にはそこらの男子生徒なんかじゃ太刀打ち出来ねェぜと思ったものである。知玲にも百分の一でも良いからこの大らかさがありゃあなぁ……などと不届きな事を考える妃沙。
そんな事を考えたなどと、かの婚約者様に知られれば小一時間程度では済まない説教と面倒臭い束縛の餌食になるのは妃沙も学習していたので、彼に悟られるような凡ミスは犯さない。
「そうですわね! それでは、相良様と三刀屋様、充様を探して……あら?」
葵の意見に同意した妃沙が周囲にグルリと視線を巡らすと、そこでは隆平と朋規が充のリュックサックからそれぞれ水筒を取り出し、グビリと中身を煽っている所であった。
「……充様ったら、自ら重い荷物を課して鍛錬する姿勢には本当に頭が下がりますけれど、やりすぎは良くありませんわよねぇ? わたくし、ちょっと行って参りますわね!」
ちょっと、妃沙、と葵が止める間もなく、妃沙が三人の男子生徒に駆け寄って行く。
充に荷物を持たせていた現場を見咎められた二人の男子生徒は泡を食ったような表情で何かを言い募っており、荷物持ちの少年は良いんだ、気にしないで水無瀬さん、とでも言っている様子であった。
そんな三人に対し、キラキラした笑顔で鍛錬もそこそこにしてコースの下見に参りましょう! と誘いかけるその様は本物の天使のように輝いて見え、少し離れた所で見ていた葵ですら見惚れてしまった。
(──あーあ、妃沙ってば。ありゃ隆平と朋規の二人も信者にしちまったぞ。……知玲先輩には黙っておくか。どうせすぐバレるだろうけどな)
ま、良いか、今はレースに専念しようと、葵もチームメイトの方に歩み寄る。
個人の事情は様々だ、他人の自分が口を出す事じゃねーよなと、何処か割り切った考え方をする葵を、妃沙は楽しそうな笑顔でブンブンと両手を振って呼んでくれた。
「葵ィィーー!! 皆様賛同して下さいましたわ! さっそくコースに参りますわよ!」
ほらほら早く、と自分の腕を取る妃沙。
コイツ本当に可愛いなと、こんな妃沙の姿を見る事の出来ないあの嫉妬深い婚約者様に対し、少しだけ優越感を抱く葵であった。
「池に浮かんだ筏の島の上を駆け抜けて、縄を張った組み木の山を登り切り、丸太の一本橋を渡って最後はターザンか……。
障害物を抜けるスピードもさることながら、それぞれの障害物の間を駆け抜けるスピードも重要って所だな。
レースはメンバー全員の合計タイムで競われるから、男女混成チームのアタシ達は女子のみのチームより五秒のビハインドがあるな」
実際にコースを走る事は禁止されていたので、障害物を確認してイメトレを済ませ、今は昼食タイムである。
三人分のレジャーシートを敷き、バスの中に置いてあった隆平と朋規の弁当を取りに走り、その目前に弁当とおしぼりすら用意してやる充の様子を見ていながら、全く気にもせず葵が呟いて弁当の中の卵焼きを頬張った。
同じ様子を見ていた妃沙は、何か疑問を感じた態で充をジッと見つめている。
……さすがの妃沙も気付くか、と、葵はフゥと溜め息を吐いた。出来ればもう少し気付かずにいて、レースに集中して欲しいと思っていたんだけどな、と、今度は水筒の麦茶を煽る。
「相良様、三刀屋様。そんなに楽をしていては、充様との差が付く一方ですわよ? ご自分の事くらいご自分でなさらないと……」
小さな手で弁当箱を持ち、美しい所作で好物であるほうれん草のゴマあえをパクリと咀嚼した妃沙が、不思議そうな視線を二人のガキ大将に向けていた。
「……い、良いんだよ、水無瀬さん。ボクが好きでやっている事だし、リュウとトモにはいつも良くして貰っているから……」
そう言い募った充の言葉は、イジメられている事を隠そうとするイジメられっ子のそれである。
若干居心地の悪そうであった隆平と朋規も、そうそう、コイツを鍛える為にやっていることだからと、浮気の弁明をする旦那のような微妙な笑顔を浮かべて妃沙の説得を試みたのだけれど。
その時、今までの光景がピン、と、一つの糸で結び付き、事情を察した妃沙。
ことイジメというものに対しては一切の妥協もなく『イジメる方が悪い』という信念を抱いて来た彼女が、ゴゴゴ、と氷の冷気を放って二人のガキ大将に向き直る。
彼女はイジメを心から嫌悪しているのだ。自分がイジめられていたという経験はないけれど、身体の大きさや親の権力を嵩に着て偉ぶる奴が大嫌いだった。
女児たちのそれがどんな理由で成されるものなのかは未だに経験した事がないので知りようもなかったけれど、男子のそれは権力、体格、時には暴力で上下関係が決定される事を知っている。
ましてや今、『イジめられる側』にいるのは充という、彼女がその実力を認めた『最強のスプリンター様』なのだ、彼が能力的に劣る人物にイジめられるなど許されざる事態である。
「……そうですか。それならば、不遇な環境にある主人公には、未来の道具を駆使するネコ型ロボットが味方に付きませんとねぇ……?」
充は自分が認めた戦士だ。なのにその彼は、卑下され、こき使われていたから実力に自信を持つ事が出来ずにいたのかと納得し、黒い微笑みを隆平と朋規に向ける妃沙。
その様はまるで悪役に対峙した仕事人のそれで、実際、チャラリーと、彼女の脳内では伝説のメインテーマが鳴り響いていた。
チャキッ、と音を立てて箸を掴み、不敵に微笑んでその首筋にギラリと視線を固定する。
もちろん箸では『仕事』など出来ようはずもなかったが、気分の問題だ。
だがそれはネコ型ロボットとは全く違う番組の登場人物であったし、周囲の人間はネコ型ロボットの事すら理解出来ずにおり、ポカンとしていたのだけれど。
勧善懲悪、そして悪・即・斬。
これらの言葉を信念として胸に抱いている妃沙を止める事など、きっとお天道様が許しても妃沙自身が許さないに違いがなかった。
◆今日の龍之介さん◆
「チャラリ~♪」




