◆20.受けて立つぜ!
決意を新たにし、二人が教室に戻ると、少女達が期待に満ちた瞳で葵を見つめている。
その期待には応えられない事を知っている妃沙が、少し申し訳なく思い前に出ようとすると、葵が「アタシが行くよ」と妃沙を止める。
そうして、何故だか妃沙を庇うように少しだけ前に出ると、良く通る声で教室中に聞こえるような声で言った。
「アタシは妃沙と組む。人数的に無理なんだろ? なら、申し訳ないけど他の人と組むよ。声掛けてくれてありがと」
おおぅ、何と言う自然な断り方と気遣い。葵のイケメン適性ハンパない、と、妃沙はうっとりするような笑顔を向けてそう言い切った葵に舌を巻く。
けれど、それ相応の覚悟を以って声を掛けて来ただろう少女達は不満気な様子だ。
「でも葵さん、優勝を狙うんでしょ? だったら、最初からハンデを貰える女子グループの方が有利じゃない? 私達、クラスの中でも運動が得意な方で……」
そう言い募るリーダーの雛子と名乗った女生徒の言葉に、葵の表情が少しだけ険のあるものに変わる。
「あのさ、妃沙とはグループ分け開始の時点で組むって決めてたんだよ。アタシがその約束を反故にするような人間だと思う?
見くびらないで欲しいな。アタシは一度した約束は最後まで守り通すよ。それがケジメってものだろ?」
尚も何か言い募ろうとする少女に対し、葵は少しイラついた様子でそう言った。
いつも明るく朗らかな彼女が初めて見せるピリリとした雰囲気に、妃沙でさえ少しだけビビってしまいそうな迫力だ。
少女達の中でも、先頭に立つ紫の髪の少女以外はその迫力に押されてしまっているようで、それ以上何も言う事なく葵の勧誘は諦めた様子だったのだが、雛子だけは未だ諦めきれずにいるようだ。
「でも、これからチームメンバーを厳選して作戦を立てるより、最初から有利な条件で優勝を狙えるチームに入った方が楽じゃない!
私はこの地域ではちょっとした成績を残しているスプリンターだし、後ろの三人もそれなりの実績があるんだよ」
懸命に言い募りながら、雛子が葵の手をギュッと握る。
その真剣な表情は、妃沙を排除したいというよりは葵と同じチームになりたいのだと物語っているようだ。
(──ヒュー! 葵ってばモテんじゃん!)
自分に向けられた感情には酷く鈍感なくせに、人の心の機微にはとても敏感な妃沙が思わずヒュウ、と口笛を吹く。
その様はまるでお嬢様っぽくはなかったけれど、『言葉』ではない以上、素直に妃沙の口から出て来るようだ。
もっとも、こんな様を知玲に見られたら「似合わないから禁止」と言われてしまうのだろうけれど。
そして、女子が女子に執着されているからと言ってそれを『モテている』と言ってしまって良いのか、多少の疑問が残る所である。
「……は? 最初から楽な条件で戦って勝って何が楽しいの? 勝負が始まった時から戦略を練って検証して練習して臨んで勝ち取るから意味があるんだろ?
レクリエーションなんだろ。アタシはそう言う過程も含めて楽しみたいんだよ。申し訳ないけど、アンタらとじゃ楽しむ事が出来なさそうだ。
妃沙との約束がなくても、アンタ達のチームに入るのはお断りだよ」
冷たい葵の瞳に、軽蔑の色すら灯る。
そんな瞳を向けられた雛子はもう泣きそうで、プルプルと拳を握り、下唇を噛んで眉を顰めていた。
「……ヒナちゃん、もう良いよ……」と、後ろの少女達が心配そうに声を掛けているが、当の雛子はポロリと涙を零し、葵の横であらあらまぁまぁと口に手を当ててその様子を眺めていた妃沙にキッと向き直り、ビシッと人差し指を妃沙に向ける。
「……アンタ、アンタのせいよ、水無瀬 妃沙!! 何よ、ちょっと可愛いからって知玲様に婚約者だなんて言われて側にいることを許されて!
知玲様はね、この学園のアイドルなのよ!? 朝の登校時以外は無闇に騒がないっていうルールがあるんだって言われて見てるしか出来ない子だっているのに、何でアンタは隣でヘラヘラしてるのよ!」
泣きながらそんな事を叫ぶ雛子の様子に、妃沙はあれ、と不思議に思う。
今までの様子から、彼女は知玲の隣にいる自分、というよりは葵と仲の良い自分に嫉妬しているのだと思っていたのだけれど……やっぱり知玲はこの世界ではモテ男君、ということなのだろうか?
だが、今はまだ、知玲と仲良くするなと言われる方が、葵との仲を咎められるより妃沙としては気が楽だった。
知玲の事は、前世からの付き合いもあり良く知っているし、大切な存在だとは思っている。
けれど、知玲とはどんな邪魔が入っても切れない関係なんじゃないかと思っているので、この程度の嫉妬や邪魔はあまり気にならないのだ。
知玲もまた、自分をとても大切に思ってくれていることは日に日に実感しているし、前世を共有出来る相手なんて自分だけだと、少々自信すら持っている。
知玲にしてみれば、その自信を持つなら真意に気付いてくれても良いんじゃないか、と思うものなのだろうが、今の妃沙にはそれ以上の感情は理解出来ずにいるようだ。
だが、葵という存在は、それこそ前世から憧れ続けた心を許し合える『親友』という存在になれるんじゃないかという予感めいた確信があったのだ。
先程の雛子とのやり取りにも、シビれてしまう程の格好良さを感じていた。そして、その心根が自分ととても似ているという事にも気が付いたのだ。
だから、彼女の隣にいる事に疑問を抱かれてはいけない。自分こそ葵に相応しいのだと、誰の目から見ても納得させなければ、またこんな面倒臭い事に巻き込まれるだろう。
良いぜ、叩くなら折れるまで徹底的にやってやらぁと、妃沙はフッと意地の悪い笑みを浮かべる。
「よろしくてよ。そんなにわたくしが気に入らないと仰るのなら、きちんと目に見える形でカタを付けようではありませんか。
小鳥遊さん、と仰ったかしら? 短距離走者だと言ってらしたわね。その競技で結構ですわ、わたくしとどちらが速いか、ご自分の目で確かめることですわね」
ホホホ、と、何処かで見た悪役令嬢のように軽く口に手を当てて、意地の悪い微笑みで相手を挑発する妃沙。
そんな彼女の様子に、隣にいた葵はまた腹を抱えて大笑いしている。
「アッハッハ! 妃沙、アンタ何処まで喧嘩っ早いの!? こんなくっだらない嫉妬なんか笑って受け流しておきゃ良いのに!
……けど、アタシはあんたのそういう所、すっごい好きだぜ。この勝負、アタシも参加するわー!」
当の本人の葵が参加しては意味ないではないか、と思いつつも、妃沙はまた葵と真剣勝負が出来るので異存はない。「かかってらっしゃい、葵!」と挑発すらする程だ。
一方の雛子は、突然の葵の発言に驚くも、もはや後には引けぬ様子。そしてまた、彼女は自分の脚に自信もあったので、黙って頷く。
「どうせなら、クラスじゃなくて、学年一位を狙う為の選抜チームの選考レースにしようぜ!
雛子、アンタは妃沙との勝負だけな。アンタが勝っても同じチームにはならないからそのつもりでな!
おーい、今、チームは決まっててもどうせなら優勝狙いたいってヤツ、男女問わないぜー! 選抜チームに参加したいってヤツ、いないかー?」
葵がそう声を掛けると、僕も俺もと、六名程の男子生徒が手を上げて近付いて来た。いずれもすばしっこそうな男子生徒である。
自分から妃沙や葵に声を掛けるのは躊躇われたが、彼女達の事を気にしていた者、もしくは脚に自信がある者、言われて仕方なく立候補した者、理由はそれぞれではあるけれど、妃沙、葵、雛子の三人に加えて六名、二レース分の参加者が集まった。
「おしっ! んじゃ、こういうお祭りが好きそうなヤツをもう一人呼ぶから、一レース五名で二レースしようぜ。アタシらのレースに入るヤツを一人決めておいてくれな。
今はホームルーム中だし、放課後、グラウンドに集合! 頼むぜヤローども!」
葵がチャキチャキと指示を出し、参加者や周囲の生徒達からオー! と言う返事が返って来る。レースには参加せずとも観戦する気は満々のようだ。
どうやらこのクラスの生徒達は、なかなかにお祭り騒ぎが好きな生徒が多いようであった。
───◇──◆──◆──◇───
『選抜チームを決める為のレースに参加する事になったので帰りは少々遅くなりそうですわ。運転手には連絡しておきますから、先に帰っていて下さいまし』
液晶画面の上を、妃沙の華奢で細い指が滑って行く。
相手はもちろん知玲だ。彼女は今、毎日共に帰る約束をしている『婚約者様』にLIMEというアプリを使って連絡を取っている。
約束した時間に車まで行く事が出来ない時は必ず連絡をしよう、と二人で約束しているのだ。連絡もせず、知玲を心配させればどうなるか解ったものではない。
ちなみに、『口から出る言葉』ではないにも関わらず、こうした文章にも『自動変換』は影響するようで、『遅くなるから先に帰れ』と打っても変換は上記の通りだ。
こんな所くらい好きにさせろよ、と思いながらも、知玲以外にメッセージを送る機会がある時はこりゃ便利だな、と思う妃沙である。
『はぁ!? ただの遠足で何でそんな事になるの!? 妃沙、何かまた余計な事してないよね!?』
ホームルームが終わって直ぐだと言うのに妃沙が送ったメッセージにはすぐに既読が付き、直ぐさまそんな返事が返って来る。
知玲のヤツ、反応早過ぎじゃね? と思いながらも、妃沙はそのメッセージに対する返信を打ち込んだ。
『挑まれた勝負は受けて立ってコテンパンにせねばなりませんわ! わたくしの実力を知る良い機会でもありますし、負ける訳にはいかない闘いなのです!』
既読、そしてコメカミに傷の入ったヤクザな表情のウサギのキャラクター……ヤウッサちゃん、と言うらしいそのキャラクターが溜め息を吐く様のスタンプが送られて来る。
曰く、か弱い存在のウサギのグレっぷりが妃沙を思わせるとのこと。
だから妃沙は、なんだか知玲を思わせる眼鏡を掛けたトラ、メガトラが溜め息を吐いているスタンプを送ってやった。
眼鏡という知的なアイテムを使いこなしながらも、トラという獰猛性を隠せずにいる感じがなんだか知玲を思わせ、彼女はこのキャラクターを愛用している。
『葵との友情にイチャモンが付けられたのです! 受けて立たなければわたくしの名が廃りますわ!』
同時に、メガトラが燃えているスタンプを送ってやった。
これで終わり、先に帰ってろとスマホを仕舞いかけた妃沙だったが、スマホがブルッと震えて返信の報せを告げる
はえーよ、と、軽く溜め息を吐いた妃沙が見た画面にはやはり、思った通りの返信が来ていた。
『僕も行く。僕が行くまで絶対に開始しないで』
ハァ、と妃沙は溜め息を吐いた。そう、コイツなら絶対こう言うだろうなと予想はしていたのだけれど。
「……葵、やはり知玲様も勝負を見極めたいのですって。申し訳ないのですが、知玲様の観戦を許可して頂けます?」
未だ席替えのなされていないクラス。目の前に座った葵の背をツンツンと突いて、妃沙はそのやり取りを葵に証拠品として提示した。
「……だろうねェ。あの人が妃沙に干渉しないハズないもんな。けど……ハァ、知玲先輩も来るのか……」
その呟きに、周囲の女生徒がピキ、と反応を示し、スマホを手に取って何事か打ち込んでいる。
勝負の場に、ギャラリーが更に増えるは必至であるようだ。
「あの方が何故わたくしの勝負に水を差そうとするのか、さっぱり解りませんわ……」
「……え、妃沙、気付いてないの!?」
こと恋愛の情に関しては疎い葵ですら気付いている知玲の独占欲に、当の本人が気付いていないという事実には同情を禁じ得ない。
けれど、その感情に疎い妃沙を可愛いと思ったし、出来れば永くそれに気付かず、自分との勝負に一生懸命な妃沙でいて欲しいと思うのも事実であった。
「まー、気にすんなよ、妃沙。アンタの実力を知りたいと思うのは『幼馴染』としては当然だろ? 大輔も、俺を外すなんてあり得ねぇだろって言ってたし絶対来るぜ。
妃沙、解ってるだろうけど、手なんか抜いたら承知しないよ? これはアタシ達の真剣勝負でもあるんだからな!」
「当然ですわ! 葵、手を抜いたら一生恨みますわよ!」
やっぱコイツ好き、と、妃沙の反応を好ましく受け止める葵。
彼女にとり、同等以上の勝負を繰り広げられる存在など、大輔と妃沙以外には思い付かない。
もちろん、相手が知玲であれば負ける事もあるだろうけれど、あの先輩は、自分が打ち負かされる様を妃沙に見せつけるのは好まないだろうと思うのだ。
妃沙の友達を伸して自分をアピールするなんていう格好悪い手段は取らなくても、あの人は充分にこの鈍感な友達に大切に思われているし、近い将来、彼女が捕らわれてしまうだろう事は予想が出来る。
妃沙を溺愛し、その成長を優しく、時に気持ち悪いくらいの執着を以て見守ってるのは、以前の野球勝負の時にイヤと言うほど感じたのだ。
妃沙が誰かのものになるのは少し面白くないかもしれない、とは思いつつ、まぁあの執着っぷりを発揮されて逃げられるヤツはいないよなと思い直す。
自分は決してあの先輩と同じ意味で、妃沙の一番になりたい訳ではないのだ。友達として、今、この状況を一緒に全力で楽しむだけだ。
「負けないよ、妃沙」
「すばしっこさは、きっとわたくしの方が上ですわ、葵」
二人の戦士が、好戦的な瞳で相手を射抜く。
その様子に注視していた周囲の生徒が、光の速さで手に持ったスマホに文字を打ち込んで行った。
『知玲様がいらっしゃるらしいです! ファンの皆さま方、放課後、校庭集合!!』
『天使ちゃんが本気で走るぞー! 放課後の校庭、チャケラ!』
既に結成されている知玲、妃沙それぞれのファンクラブのグループLIMEにそんな文言が垂れ流され、一年生の、とあるクラス遠足の為のグループ分けという、至極どうでも良い出来事が全校生徒に知れ渡る事となったのである。
知玲と妃沙という黙っていても目立つ存在が揃うとなれば当然の事かもしれないが、普通の学校生活を望んでいる妃沙にとっては「何か違う」と思う状況であると言えよう。
……ドンマイ、妃沙。
◆今日の龍之介さん◆
「ホホホ……よろしくてよ?」(ノリノリ)




