◆16.サンダーバキュームボーールッ!!
懐かし過ぎる童夢(笑)
「ハァァ……。ホントに楽しかった! 妃沙、またやろうな!」
ニカッと笑った葵の白い歯に、またしても陽光がキラリと反射して光る。
差し出されたその手をギュッと握り、是非に、と答えた妃沙だけれど……彼女にはもう少し『野球』という球技においてやってみたい事が残っていた。
「葵、わたくしにも投げさせては頂けませんか? 是非一度、全力投球をしてみたいのです……!」
葵の手をギュッと握り、真剣な表情で懇願する妃沙。
そう、彼女は前世から打つ事にも投げる事にも憧れを抱いていたのだ、せっかくのこの機会に挑戦してみたいと思わない筈がない。
その強面では、ピッチャーマウンドに上がろうとするだけで相手選手が全員逃げてしまう状態だったのだ、自分の全力など知りようもないけれど、今や野球は楽しい物だと妃沙は認識してしまった。
ならば、花形である投手という役割も、是非とも経験してみたかった。
「あー、アタシは投げ専だからなぁ……。大輔のヘナチョコ球ならともかく、下手に打って妃沙にぶつけちゃってもアレだしなぁ……」
ところが、対する葵は乗り気ではない。
葵も打者としての力量は初等部の女子としては規格外なのだけれど、彼女は打つより投げる方に力を注いでおり、その球を打とうと挑戦し続けているのは今や大輔だけであったのだ。
だから葵は、ちょっと待ってな、と優しく妃沙に微笑むと、ネット裏で放心状態の大輔に向かい、渇を入れるようにその頭をバシッと力強く叩いた。
「大輔っ! 今のアタシ達の闘いを見て、お前も相当滾っただろう、そうだろう! 妃沙が投げたいんだってさ! 選手交代だ、バッターボックスに入れ、大輔!」
そうして大輔の返事を待たず、その襟首を掴んでズーリズーリとバッターボックスに立たせ、妃沙が脱ぎ捨てたヘルメットを被せ、バットを握らせる。
「妃沙、コイツなら当てても大丈夫だから全力で投げな!」
とても良い笑顔でサムズアップをしながらそんな無慈悲な言葉を妃沙に投げかけ、妃沙の満開の笑顔を引き出した。
葵から受け取ったグローブを装備し、全身からヤル気を漲らせる妃沙は準備万端だ。
けれども、未だ放心状態の颯野 大輔。
だから葵は、そんな幼馴染の耳元で『魔法の言葉』をそっと囁いた。
「妃沙の球をホームラン出来たら、今回の勝ちはお前に譲ってやるよ、大輔」
その言葉は、葵との対戦成績が二勝百八敗である大輔の覚醒を如実に促した。
元々、葵に勝つ為に仕掛けた勝負ではないのだ。孤独になりがちな葵を元気にしたくて挑んでいる勝負。それでも、負ければ大輔とて口惜しい思いもする。
だから彼は、葵と約束をしていた。
『葵に十勝したら将来は自分と結婚する』
そして一勝は、彼女の苦手な頭脳戦を必要とするオセロ勝負でもぎ取った。
……もっとも、『敗け』を世界で一番忌み嫌う葵によってそれは対策され、次回からどんなに頑張っても終局は葵の色で埋め尽くされてしまうようになり、元々何でも出来る葵に『得意なこと』を教えてやる羽目になった。
次の一勝は、真っ向勝負と言い切ったサッカーのPK対決でもぎ取った。
……もっとも、その時はキーパーを代理に任せる事が可能、という条件で闘いに挑み、伝手のない葵が自分で守るのに対して、自分は細い糸を辿って頼った大人のセミプロのキーパーに頼んだ結果だった。
でも勝ちは勝ちだと、胡乱気な葵を説き伏せて勝ち取ったのだ。
しかしそれは、とても後味が悪く、二度とその手は使うまい、葵には自らの力で勝利するのだと誓った、小さなきっかけであった。
大輔にとっては、葵は幼馴染であり、憧れであり、目標であり……そして大切であると、小学生ながらに意識している存在だ。
だから、どんなに敗けようと、どんなにプライドを打ち砕かれようと、挑まねばならぬ存在。
それが大輔にとっての葵という存在だ。
その、葵にとっては小さな……けれど大輔にとっては大きな一つの勝利を目の前にぶら下げられて、男子が発奮しない筈もない。
「……その言葉に偽りはねぇな? 相手は野球初体験の女子だぞ、そんな子に本気でぶつかって良いんだな?」
ギラリ、という擬音が似合いそうな光をその瞳に浮かべ、葵に大輔が問う。
そんな様子を、葵は何処か楽しそうに受け止めて言った。
「お前にだけは絶対に嘘は吐かないよ、大輔。ホームランを打ったその時が、お前の三勝目だ」
ニカッと男前な微笑みを浮かべ、行って来い、とその背中を力強く叩く葵の手の温もりを……
「ゴフッ」
そんな残念な嘆息と共に受け止め、大輔はバッターボックスに向かう。少々葵の力が強すぎたらしい。
マウンドにはキラキラとした瞳を誰でもない、手にした白球に向ける華奢な美少女が立っている。
だが彼は、己の望みの為には例え相手が絶世の美少女であっても手加減はせぬと心に誓い、金属バットを手にバッターボックスに向かったのだった。
───◇──◆──◆──◇───
「プレイボール!」
今や学校中の注目の的となったその闘いの為に、いつの間にやらキャッチャーのみならず、審判や全ての塁にグローブを構えた選手が犇めいている。
さながらそれは日本シリーズの第七戦、お互いに三勝三敗で迎えた最終回裏の同点、ツーアウト満塁の様相であった。
そしてその緊張感を、マウンドに立った美少女……妃沙はゾクゾクするような興奮を以て受け止めている。
(──ヤバ! なんだこの緊張感! 勃っちまいそう……!)
中の人はそんな事を思うも、勿論今の身体に勃つモノなどない。
それは妃沙的に最高潮の興奮を意味する比喩であり、語彙力のない彼女が興奮状態を表現する精一杯の表現である。
だが、葵との対戦を経てエクスタシーを感じた後に、夢にまで見たピッチャーという立場に立っているという現実に、興奮するなという方が無理なことだ。
(──けど、勝負はスリーストライク。焦ってミスしても面白くねェ! この身体の体力も底が見えかけてる……全力で行くぜ、大輔……!)
先程まで全力で葵と死闘を繰り広げた妃沙の体力を考慮し、この闘いはスリーストライクまでに大輔がホームランを打てるか、という内容で決着する事が決められていた。
前世の身体ならまだしも、妃沙の身体にはそれはとても有り難いルールである。
だから妃沙は、なるべく早くスリーストライクを取ろうと心に決めていた。
コントロールには自信がある。
何しろ、不良であった時代には手と言い脚と言い、落ちている空き缶を百発百中でゴミ箱に投げ蹴り入れた実績があるのだ。
自分という存在が、世間から良い評価は決して受けられないと理解していた龍之介は、少しでも自分の評価を上げる為に目に止まったゴミは必ずゴミ箱に入れるという善行を己に課しており、「手でゴミ箱に入れるなんてつまらねェ、どうせなら見てない所から投げ入れて綺麗にしよう」と努力を重ねていたものだ。
開始当初こそ近場からであったその距離は続ける度に徐々に伸びて行き、死を迎える直前には22メートルという、プロ野球選手もビックリな距離から正確にゴミを投げ入れる事が出来るようになっていた。
……まぁそこに至るまでには、相当数のリプレイと数々の通行人に迷惑を掛けるという結果に基づいたものではあるのだけれど、彼にとって実績は実績だ。
何処からか現れたキャッチャーが構えるそのミットは、ゴミ箱より相当に小さい。
けれども、ゴミ箱と違い、自分が投げたボールに対して縦横無尽に動いてくれる機動力がある。
動かない的に投げ付けるよりも、妃沙にとってはやり易い対象と言えた。
「行きますわよ、大輔様! わたくしの本気、打ち返せるものならやってご覧なさいましっ!」
その言葉に返事は返さず、真剣な表情を以て返答をする大輔。
葵との真剣勝負とは違うけれど、大輔もまた良い戦士であると、妃沙は感じていた。
そして、この勝負にこんなに真剣に望んでくれるからには、それなりの対価がきっと彼にはあるのだろうことも察していた。
──男は自分の望みに命を賭ける存在。そしてそれが散る時は命をも散らす時だ。
そう、昔の武士とはそうだったかもしれない。
けれど今、妃沙は『女』であるし、彼女の思う男の生き様論は、現代日本を生きるには少々下手と言わざるを得なかった自称『不良』が時代小説に醸されて作り上げたものであるので、妃沙の想いは大抵の──ニホンはおろか、この『東珱』でも理解する事の出来る人物は少なかったであろう。
だが、今の妃沙にはそんな事はどうでも良かった。彼女は今、手にした白球を全力で投げ付けたいだけだったのだから。
だから彼女は、入学式の為にと両親が用意してくれたスカートの下を気にすることなく、左手に持ったボールを右手のグローブに収め、右足を『これでもか!』と言わんばかりに高く掲げ、それをやや後方に持って行き、最大限の遠心力を得る事が出来る位置まで持って行く。
当然のことながらスカートの下のおパンツは丸見えだったけれど、相対する大輔は真剣過ぎてそんな事を気にする余裕はなかったし、その更に後ろにいたのは葵だけであったので被害は皆無であった。
「食らえ、サンダーバキュームボーーーール!!!!」
……その名称が何処から出て来たのか、当人である妃沙ですら解らない。
『雷』はまだ良い、格好良い言語だ。だが何だ『掃除』って!?
妃沙がイメージしたのは、最大限の遠心力を受けて最高速度を放つ『魔球』だ。出来れば、振り降ろしたその脚が真空を創造し、その中をボールが通る事で人外的な速度を纏えるかも、という漫画めいたイメージしかない。
だが、自分が放ったその厨二病めいた技名には、さすがに赤面せざるを得なかった。
しかし、放たれたそのボールは、主人の意思を全うするかの如く、物凄い速度でキャッチャーミットに飛び込んで行く。
「うぉーーーー!!!!」
大輔のその気合は、半秒遅れてグラウンドに響き渡ったのである。
「ストラーーーイク!!!!」
妃沙が思い描いた魔球よりは、ずっと劣ったであろうその球速。
だがしかし、プロ野球選手ですら凌駕する程の速度と精度を以て、驚愕の表情のキャッチャーのミットに、その白球は納まっていた。
「ス、ストラーーイク! 何でしょう、今の球は!? 歴代の鳳上学園の野球選手の実況を担当している放送委員の歴史を以てしても前代未聞と言わざるを得ません!!」
何時の間にかやって来ていた実況担当の放送委員から、絶叫めいたそんな言葉がグラウンドに響いた。
けれど、放った当人の妃沙も、それに対峙した大輔も、妃沙の球を受けた有志のキャッチャーも驚愕に目を見開き、何も言う事が出来ずにいる。
「うぉーーー!! 妃沙、すっげぇぇーー!!」
恐慌状態のそのグラウンドを現実に引き戻したのは、ネット裏で観戦していた葵の絶叫であった。
そして、それにいち早く反応したのは実況担当の放送委員である。プロ根性、恐るべし。
「何と言う事でしょうかぁぁーー!!?? あの美少女から放たれたとは思えない程の豪速球、バッターボックスの彼は手も足も出ない様子ですっ!
かく言う私も彼女の球筋を見極める事すら出来ませんでしたっ! 何と言う逸材、こんな小学生が居て良いものか……否、これはもはや美少女戦士の降臨と言うべきかー!!」
月の戦士かよ、確かに金髪だけどよ、と、マウンドの妃沙ですら胡乱気な表情になるも、放送席と観客のボルテージは上がる一方の様子である。
そして、ネット裏からうぉぉーーと相変わらず興奮の声を上げている初めての友達、葵。
その彼女の楽しそうな声を一身に受け、妃沙は益々エキサイトしてしまったのだ。
(──葵の前で格好悪い所を見せるワケにはいかねーよな……っと!)
そうして妃沙は歓声をものともせずの態で再び白球を握る。
ドクン、と、握ったその球に自分の魂が宿るかのような感覚さえ覚える。
……ああ、自分は今、勝負の真っ只中で、対峙したバッターの敵を討ち取る事が使命なのだと自分に言い聞かせながら。
せっかく全力を出せる勝負の場に立つ事が出来たのだ。それも、裏街道ではなく、今では黄昏と言うべき時間になりそうだという、お天道様の元で。
それは彼女にとり、闇討ちや奇襲といった手段を使わずとも闘う相手と全力を出し合う事が出来る、前世からは考えられない程に興奮する戦場であった。
「大輔様、手も足も出ないようですわね? 手加減して差し上げましょうか?」
フフ、と、人の悪い微笑みをその愛らしい顔に乗せる妃沙。
元々の造詣が整っているからこそ醸し出してしまうその厭らしさに、大輔は思わず顔を顰めた。
「……フザけんな、オジョーサマ! そう簡単に負けてたまるかよ……!」
そうして、大輔が真剣な表情でバットを再びギュッと握り締める。
自分に対して逃げずに、真っ当な勝負を望んでくれる相手の出現に、妃沙は思わず感動で泣いてしまいそうだった。
全力を出しても逃げられない。それどころか、倒そうと向かってくる相手など、前世でも今世でも出会う事などなかったのだ。
……ああ、自分が求めていたのはこんな勝負の場だったのかもしれないと、妃沙は涙を堪えて好戦的な……妙な迫力を醸し出す表情を浮かべる。
「……ありがとうございます、大輔様。その心意気には、全力を以てお相手しませんとねっ!」
「来いやぁぁーー!! 俺はお前に勝って葵との約束に一歩近づいてみせるっ!!」
ニヤリと微笑み合う両者。
「行きますわよ、サンダーバキュームボォォーーーール!!!!」
最早妃沙に、厨二病めいた技名を叫ぶ気恥ずかしさなど、ない!
その豪速球は一陣の疾風となり。
「うぉぉぉぉぉーーーー!!!!」
叫ぶ大輔のバットが振られる半刻前に。
「ストラーーーイック!!!!」
キャッチャーミットに、またしても納まったのである。
◆今日の龍之介さん◆
「行くぜェ、大輔! 俺様の本気、打ち返せるもんならやってみやがれっ!」