◆15.いざ尋常に、勝負!!
「あー、笑った笑った! 笑い過ぎてお腹痛いわー!!」
そう言いながらも未だ笑いの治まらない様子の葵。
そして、金魚のように顔を真っ赤にして口をパクパクしている大輔の肩を、妃沙は相変わらず宥めるようにポンポンしていた。
「おーい、大輔ー? 生きてっかぁ?」
葵が大輔の目の前で手をヒラヒラさせるも、強靭な身体で葵のアッパーから一瞬で復活した大輔ともあろう男子が突然の妃沙の攻撃からは復活出来ずにいるようだ。
元々、颯野 大輔という男子は男ばかり三人という兄弟の末っ子で、幼馴染の葵も男勝り……と言うかほぼ男児といった有様で、女子と関わる事が殆ど無かったところに突然襲来した絶世の美少女。
その少女が突然自分にとびっきりの笑顔を向けて労わり、理解を示し、尊敬するとまで言ってくれたのだから、年頃の男子の反応としては少々過剰ではあるものの当然の事と言えた。
「あー、ダメだこりゃ。しばらく復活しそうにないわ。大輔、女に免疫ないからさぁ。妃沙みたいな美少女が突然手を握ったりしたらこんな風になるんだな」
初めて見たわ、と言いながら、葵が興味深そうに手をヒラヒラしたり頬を突いたりしているが、大輔の復活にはもう少し時間がかかりそうだ。
彼の視界は今、眩しい光を放つ妃沙の笑顔の閃光にヤられている様子である。
「……ま、良いや。そのうち復活すんだろ。でもどうすっかな。アタシ、野球モードになってるからちょっと身体を動かしたいんだけど……大輔がコレじゃなぁ……」
ハァ、と溜息を吐き、残念そうに大輔を見やる葵。
大輔が固まってしまった原因の一部が自分にあるという理解は薄いものの、初めての友達が残念そうにしているのを見逃すことが出来る妃沙ではない。
しかも野球だ。前世では見ている事しか出来なかったスポーツ。是非やってみたいと、妃沙は両手に拳を握り、ズイッと自分より長身の葵の顔にキラキラとした瞳を向けた。
「わたくしがお付き合い致しますわっ! 野球は初めてですけれど、良く見ていましたからルールは知っています! 一度、自分でもやりたいと思っていたんですの!!」
その大きな碧い瞳には、今や星でも浮かんでいるのではないかという程のキラキラ具合だ。
流石の葵も妃沙のキラキラ攻撃には怯んだ様子で、お、おう……と少し仰け反り気味になりながらも、妃沙の様子を好ましく思う。
身体能力に優れた彼女は、同じ年どころか数歳上の男子ですらどんな勝負をしても敵わないので、「葵と遊んでも楽しくない」と敬遠され続けて来たのだ。
葵としても、努力を放棄して自分を避けるような相手と対峙しても自分の為にはならないし、楽しくはなかったので深く気にしてはいなかった。
けれど、そんな態度がますます彼女を孤立させ、今では「いつか絶対にお前を倒すっ!」と息巻いて挑戦してくるのは幼馴染の大輔だけ。
その彼も、意地になっている部分はあれども、孤独になりがちだった葵を心配しての行動だという事は良く解っている。
「葵ちゃん格好良い!」と憧れてくれる女子はいても、それは友達とは呼べないような存在で。
女子の人気を集める彼女に対して、男子からの視線は益々冷たい物になり、今では大輔とつるむ以外は一人でいる事が多くなっていた。
そんな彼女が、出会ったばかりの妃沙に対して『友達になりたい』などと言った事は、実は葵自身が一番驚いているところなのだ。
ところがどうだ。
今日友達になったばかりの、しかも女子が自分と一緒に遊びたいと言ってくれている。
勿論それは葵の身体能力を知らないから言える事かもしれない。
手加減が出来ない性質の葵との圧倒的な差を知らされてしまえば、もしかしたら妃沙も二度とこんな事は言わないかもしれない。
けれど、妃沙の言葉を葵は素直に嬉しいと思ったし、もう二度と妃沙が一緒にやりたいなどと言ってはくれなくても、彼女は『初めての友達』と一緒に遊びたいと思ったのだ。
「おー、良いね、妃沙! そのノリ好きだぜ! よっしゃ、んじゃグラウンド行こうぜ! 道具はその辺の借りれば良いし!」
「はい、参りましょう、葵! 楽しみですわ!」
女子二人がキャッキャウフフと楽しそうに笑い合いながら教室を後にしようとしたその時。
「……ハッ!? 俺は今、何故固まっていたんだろう? ってちょっ、葵ィィ!? 迎えに来た俺を放っておいてそりゃねぇだろー!?」
ようやく復活を果たした大輔が慌てて二人の後を追っていく。
だが少女二人は大輔が復活を果たしたことにすら気付かず、『初めての友達と遊ぶ』という事で頭がいっぱいのようであった。
───◇──◆──◆──◇───
「良いか、妃沙。まずは球を良く見ろ。最初は遅めに投げてやるからな!」
土が盛られて少しだけ小高くなったピッチャーズマウンドから、葵の良く通る声が聞こえる。
この学園の生徒が所属するリトルリーグの対象は四年生からで、少々ハードルは高めに設定されている為に妃沙のいるバッターボックスまでは16メートルの距離があるにも関わらずその声はハッキリと妃沙の耳に届いた。
「遠慮はいりませんわ、葵! 最初が肝心なのですもの、本番だと思ってビシッと投げて下さいまし、ビシッと!!」
四年生以上が使用するヘルメットを拝借した為、その使用目的をこなすことが出来るのか、少々不安なくらいブカブカなヘルメットを被り、妃沙の膂力ではまだ少し重いバットを構えながら、それでもキラキラした瞳はそのままに、楽しそうな妃沙の声が響いた。
「……オイ。そんな事言ってっと、葵のヤツは本当に手加減しねぇぜ? 初めてなら少し手を抜いて貰った方が……」
バッターボックスの裏にあるネットの先から、心配そうに大輔が声を掛ける。
その力量や手加減はしない主義という葵の性格を良く知り、度々その『本気』の前に膝を屈している大輔だからこそ、妃沙のような華奢な少女にもし葵の本気ボールがぶつかったらと心配で仕方がないのだ。
勉学のみならず、スポーツにおいても高度の教育を施すことで有名なこの『鳳上学園』。使用しているボールは小学校でも硬式の固い物だ。
葵のコントロールを疑う訳ではないが、もし当たってしまえば痣どころでは済まないかもしれない。
自分より身体能力の高い葵に対してはそんな心配をしたことはないのだけれど、目の前で瞳をキラキラさせてバットを握っているのは小柄で、細身で、そしてとびっきりの美少女。
その口調から良家のお嬢様なのではないかと予想しているので、そんなお嬢様に怪我でもさせたら大変だと止めてはみたものの、テンションの上がっていた少女二人に思いっ切り拒否され、今に至る。
「勝負は常に真剣にせねば、相手に対して失礼ですわっ!」
「同感だ、妃沙! その心意気や良し!!」
ボールを握った葵の左手が、スッとグローブの中に隠れる。
勝負事には常に全力投球が信条の葵の眼光がスッと鋭くなり、周囲の空気も、そんな彼女が放つオーラに釣られて何処か重苦しい雰囲気へと替わって行く。
十数メートルも離れているというのに届く、ピリピリとした緊張感。
(──やっぱ良いな、真剣勝負の場のこの緊張感……。血が凍っちまいそうだぜ!)
友達になったとは言え、ほぼ初対面の……それも未経験な自分に対してさえ放つ、葵の殺気にも似た雰囲気に、妃沙はブルリと背筋を震わせた。
それは恐怖や怯えとはまるで違う、宿敵と出会った剣豪の気持ち、とでも言うべきか。
……もちろん妃沙も中の人も剣豪になった事はなかったので、時代小説をこよなく愛した前世から持ち込んだ妄想ではあるのだけれど。
とにかくその場の雰囲気は今や一触即発と言っても良い程に真剣な物に変わっている。
「……行くぞ!」
葵の凛とした声が響き渡り、およそ小学一年生の女子とは思えないような美しいフォームで右足をやや後ろに引き、遠心力を掛ける。
そしてそのままグローブから左手を繰り出すと、物凄い勢いで左手から白いボールを投げ放った。
──シュバッ!
空気を斬る音が妃沙の右耳に聞こえて来たかと思うと、次の瞬間には後方からギャアという男子の叫び声が響く。
「……っぶねーな、葵! コースは完璧なストライクだけど、キャッチャーいないんだぞ!? ネット突き破って俺に当ったらどーすんだよ!?」
どうやらボールは妃沙の脇を掠め、後方のネット裏に立つ大輔の直ぐ近くに突き刺さったようである。
だが、既に真剣勝負の場にいる少女二人には、大輔の言葉など耳に入らない。
「ビビって手も足も出ないか、妃沙? 手加減してやろうか?」
「フフフ……。見切ったり、ですわ、葵。次はその球、打ち返してみせますわよ!」
可憐な顔に似合わぬニヒルな表情を浮かべ、相手の挑発を上等だとばかりに笑みで返す少女二人。
果たして彼女らが今、世間一般の常識で準える所の『今日入学を果たしたばかりの小学校一年生の女児』であるかは少々疑問が残る所だ。
だがしかし、今、一人の投手と一人の打者が真剣勝負を繰り広げている。
その闘いに水を差すなど、お天道様が許しても二人の戦士が許してはくれないであろう。
「……へへ、言ってくれるじゃん! んじゃこっちも本気で行くよっ!」
「最初からそうお願いしておりますわ、葵! 手を抜くなど、わたくしに対して失礼でしてよ!」
……改めて言おう。彼女らは今日出会ったばかりの『小学校一年の女児』である。決して積年の好敵手などではない。
けれども、妃沙の中の人、龍之介は前世から『適当』とか『おざなり』だとかいう言葉を、恐らくは母親の胎内に置いて来た全力主義の人間であり、
相対する葵もまた、どんな相手であれ勝負はいつも真っ向からの真剣勝負、いかなる場合でも全力を尽くすと自分に誓っている。
そんな二人が出会ったのは……神の悪戯、かもしれなかった。
脇に置いてあったグローブに嵌め替え、葵の構えが左投げから右投げのそれに変化する。
「……待て葵、相手は素人だぞ! お前の右投げなんか中学生でも打てるモンじゃねーだろ! 落ち着け、頼むから!!」
絶叫めいた大輔の言葉も、葵には届いていないようである。
今やマウンドとバッターボックスの二人には、外界からのどんな言葉も届くまい。
スッ、と、葵の左足が上がる。
ギュッ、と、バットを握る妃沙の両手に力が籠った。
「「いざ尋常に、勝負!!」」
二人の少女の声が合わさった。
葵の手から放たれた白球が風を纏って襲いかかる竜の如く迫って行く。
「討ち取ったりィィーーーー!!!!」
妃沙が絶叫を放った次の瞬間。
カキーーーーン!!!!
小気味の良い快音が、グラウンドに響き渡ったのである。
───◇──◆──◆──◇───
「とりゃああああーー!!!!」
「うぉぉぉぉーーーー!!!!」
およそ小学一年生の女児が放つものとは思えぬ怒号が響き渡る度、シュバ、ズドンという何か重い物が何かに当る音や、カキーンという金属音が響いている。
妃沙と葵が真剣勝負を開始してから、既に半時程が経っただろうか。
今や妃沙の背後とグラウンドの奥には、両手両足を使って数えても足りないほどの数の白球が転がっている。
「ハ……ハハハハ……」
そして、妃沙の背後のネット裏では、一人の小学生男児の生ける屍が生まれようとしていた。
あまりに常識外れのその勝負は、その光景に立ち会うことになってしまった大輔から言葉すら奪い、乾いた笑いしかもはやその口からは出て来ない。
「……ハァ、ハァ……。やるじゃん、妃沙!」
「……フゥ……フフ……。葵、貴女こそ……!」
だが、互いに肩で息をしている状態の少女二人の瞳からは、未だ闘志の色は消えていない。
ここで出会ったが百年目とばかり、妃沙と葵はあれからずっと真剣勝負を繰り広げているのだ。
そこに目的など、ない。ただ目の前の敵を倒すこと。
何処がどうしてそうなったかはもはや誰にも解らないが、とにかく二人の少女は、初めて出会った好敵手との闘いを心から楽しんでいる様子だ。
「……アタシの右手投げがこんなにメタクソに打たれるなんて初めてだよ……! ヤバっ! 楽しいね、妃沙!」
「ええ、本当に……。わたくしがこんなに打ち漏らすなど……考えてもみませんでしたわ! 楽しいですわね、葵!」
真剣勝負のその場にあった二人の戦士から、フッと力が抜ける。
どうやら全力で戦った者にしか感じ得ぬランナーズ・ハイを今二人は感じており、その闘いに満足した様子であった。
「……フフ。どうやらアタシは凄い子と友達になれたみたいだ。妃沙、アタシの本気を引き出してくれてありがとう!」
「こちらこそ……! こんなに楽しかったのは生まれて初めてですわ……! どうしてもこの外見が邪魔をして、真っ向勝負に付き合って下さる方はいらっしゃらなかったのですもの!」
前世と今世ではその意味合いはまるで違ったけれど、確かにこの勝負は妃沙にとり『生まれて初めての真剣勝負』であった。
そしてそのこに悪意や怒りなどの負の感情はまるで伴っておらず、爽やかな感動が妃沙を包む。
それは葵としても同じ気持ちだったのだろう、妃沙はバットを投げ捨てるように置き、葵はグローブをしたまま、マウンドとバッターボックスから駆け寄る少女二人。
「「本当に楽しかった……!」」
期せずして同じ言葉を放ち、その中間点でヒシと抱き締め合うその姿は……先程まで剣豪染みた迫力を醸し出していた少女のものとは思えないほどに清々しく麗しい光景である。
今二人は、初めて本気を出せる好敵手と出会い、感動に打ち震えていたのである。
「……お前たち、本当に人間かよぉぉーー!?」
ネット裏では既に腰を抜かした大輔が絶叫していた。
──そして。
「……おい、何だ、今の闘いは!? っつーかあの美少女二人、誰!?」
「赤い髪の娘は有名だよな、今年入学して来た遥だろ? 運動神経抜群だって噂だし、将来はどんな競技でオリンピックレコードを叩き出すんだろって期待されてるよな?」
「そそ、あの娘は知ってるんだけどさ、それと対等に渡り合ってるあの金髪の美少女は何なの!? マジで凄かったんだけど!?」
「……見ろよ、涙まで浮かべて遥ちゃんと抱き合って……。あんな娘、ウチの学校にはいなかったよな!?」
いつの間にか、妃沙と葵の真剣勝負を近くで見たいと、生徒はおろか教師達すらグラウンドの奥で観戦しており。
突然現れた絶世の美少女が、葵の放つ豪速球を見事に打ち抜く様に、ハートすら打ち抜かれてしまっていた。
(──妃沙ァァーー!! 入学初日からこんなに目立ってるんじゃないよ!!)
そして、その聴衆の中に紛れ込んでいた知玲は、人知れず頭を抱えて婚約者に向けて声に出せない絶叫を放ち、その麗しい光景を眺める事しか出来ずにいた事を……この時の妃沙は知らずにいたのである。
◆今日の龍之介さん◆
「討ち取ったりィィーーーー!!!!」