◆13.いざ出陣!
「行って参ります!」
その碧眼にキラキラとした期待を込め、真新しいランドセルを背負った妃沙が元気に手を振って屋敷から出て来る。
──彼女は今日から、名門と言われている鳳上学園の初等部に通うのだ。
「行ってらっしゃい、妃沙。気を付けてね」
そんな彼女に優しく手を振り返す母親に今度は両手で手を振りながら、妃沙は車に乗り込んだ。
この国──東珱の国花、桜はすっかり散ってしまったけれど、穏やかな日の光がそんな彼女を優しく照らしている。
「おはよう、妃沙。今日からいよいよ小学生だけど……僕との約束は忘れていないよね?」
水無瀬家の車の中には、既に知玲が待機していた。
知玲は今日から三年生。
昨日までは妃沙と離れ、自らの家の車で通うしかなかった学園への道程を、今日からは妃沙と一緒に通う事が出来る。
それが知玲にとってはとても嬉しかった。
……まぁ多少、妃沙の奔放な性格に不安は残していたけれども。
「心配なさらないで下さいまし、知玲様! わたくし、お友達を百人作るのが夢ですの!」
「何それ。そんな定番の目標を語るのなんて、君くらいだよ」
思わずプッと噴き出す知玲に、妃沙はプクッと頬を膨らませてみせた。
「別に良いではありませんか。同年代の友達を持つなど、前世はとても難しい事だったのですもの。
せっかく警戒されない容姿に恵まれたのですし、お友達を作って、勉強も頑張って、学生生活を満喫したいんですのよ」
そんな妃沙の頭を、知玲が優しく撫でる。
年齢を重ねる度にその愛らしさは段々と美しさに変わって来ており、人形めいた美貌を持ちながらクルクルと変わる表情はいっそ眩しいほどだ。
それは決して知玲の欲目ではないことは明らかであったし、そんな彼女を男女共学の学園に放り込む事には少し不安がある。
けれど妃沙は学園に通うのを本当に楽しみにしていたし、知玲としても前世では満喫出来なかった学生生活を、今世では妃沙にも思い切り満喫して欲しかった。
「何かあったらすぐに僕に言うんだよ。とにかく君は目立つんだから、何かがあっても、絶対に一人で何とかしようとか思わない事。良いね?」
散々聞かされたその言葉に、妃沙は再びプイッとそっぽを向く事で抗議の意思を示す。
「目立つのはお互い様ではないですか。……貴方こそ、ご自分の学生生活を満喫して下さいまし」
そんな可愛い事を言ってくれる妃沙に、知玲は思わず破顔した。
ああ、相変わらずだな、と、人知れず充足感を感じながら。
そうして、車が学園の校門の前に着き、期待を込めた妃沙は鼻息も荒く「いざ出陣!」と降り立った。
……そしてその気合いは、のっけから砕かれそうになったのだった。
「おはようございます、知玲様!」
ニコニコと微笑みながら知玲の周りに群がる女子たち。
そんな彼女達に、知玲も「おはよう」とにこやかに挨拶を返している。
そこまではまだ解る。朝の挨拶など特に珍しい事ではない。
だが、妃沙の見る限り、あきらかにわざとハンカチやリコーダー、時には「何故そんな物が!?」とツッコミを入れてしまう程の大荷物──ランドセルなんかまだ可愛い方で、中には何処から持ち込んだのか不明で、小学生が抱えて歩くには困難な程の巨大な花瓶や、身の丈程もありそうな置き物が知玲の前に落とされて行くのだ。
そんな『落し物』をしていくのは決まって女子で、知玲はそんな物を丁寧に拾いながら
「ハンカチを落としたよ」
「リコーダーを落としたよ」
「ランドセルを落としたよ」
「巨大な花瓶を落としているよ」
「……うん、龍かな、これは。持って来るの、大変だったでしょう?」
……とまぁ、実に親切に、一つ一つを持ち主に返しながら爽やかな笑顔を向けていた。
お陰で知玲の歩くだろう道筋には大量のゴミ……もとい『落し物』が散乱しており、その側では持ち主と思しき女子たちが、いかにも「私、落とした事に気付いていません」と言った態で佇んでいる。
なるほど、知玲が「少し早めに学園に着くように」と家を出たのには、こうした事情があるのか、と、妃沙は思わず舌を巻いた。
知玲の中の人──蘇芳 夕季もこんな人だった。
落し物は当たり前に拾って持ち主に返す、勉強道具を忘れたと聞けば自分に不都合があろうとも貸してやる、宿題や課題についての講義は当たり前、挙句の果てにはクラスでも一番面倒な学級委員を常に引き受けていたくらいだ。
剣道に邁進したいから、という理由で生徒会こそ固辞していたけれど、昔から、他人に対して限りなく優しく、困った人を放っておけない性質の人間であった。
(──あーあ、本当に全然変わってねーでやんの、夕季のヤツ)
そんな知玲の様子を眺めながら、プクク、と一人ほくそ笑む妃沙。
(──それにしてもまぁ……女にモテること! チェッ、羨ましいじゃねーか)
知玲の隣で苦笑を浮かべる妃沙に、ふと知玲が視線を向ける。
その瞳には何処か焦ったような色が浮かんでいる。
「ああ、ごめんね、妃沙。この学園の女の子達はうっかりさんが多くてさ……」
ウッカリじゃねーよ、ワザとだよ! 何処の世界に花瓶や龍の置き物を落とす女子がいるんだよ! ……と、思わず妃沙はツッコミを入れるが口には出さない。
そう、夕季という人は、自分に近付く為にわざと困ったフリをする輩の下心を全く疑うことのない、やや鈍感な人間だった。
……勿論、夕季に近付く為に悪い考えを巡らし、実行しようとしていた輩は、影でキッチリと龍之介の洗礼を受けていたのだけれど。
「大丈夫ですわ、知玲様。何処に行けば良いかだけ教えて頂ければ、一人で参りますわ」
ニコリと微笑んでそんな言葉を返す妃沙に、何故だか一瞬ムッとしたように眉を顰めると、知玲はスッと妃沙の隣に立ち、その腰を抱いた。
「……ちょっ!? 知玲様、ホラ、あそこに大きな漬物石を落として途方に暮れている女子がおりますわ!?」
「ああ、流石にアレは僕でも片手では拾えないなぁ……。ほら、今、僕の片手には何よりも大切な荷物があるワケだし。婚約者をエスコート出来ないなんて、東條の名折れでしょ?」
「誰が荷物ですか、誰が!」
その妃沙の反論さえ楽しそうに受け流し、行こう、と知玲が耳元で囁く。
その言葉通り、片手で拾える荷物以外は「今、手が塞がっているから、ごめんね?」と丁寧に言葉を返しながら、校舎への道のりを進んで行く。
背中には嫉妬の籠った視線を、妃沙はビンビンに感じていたのだけれど……妃沙を片手に収めてとても嬉しそうな知玲には、何処吹く風のようであった。
───◇──◆──◆──◇───
「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。今日から君達はこの栄えある学園の一員となり、伝統あるこの学園の看板を背負って頂く訳ですが、我々教師一同もその成長の手助けとなるよう……」
壇上では、そんな定番のスピーチをしながら、やや太り気味ながら優しそうな校長がにこやかな笑顔をその表情に浮かべている。
ふぁ、と、欠伸を噛み殺しながら、妃沙は新入生席に座り話を聞き流しつつ、これから同じ教室で学ぶ事になる生徒達を観察していた。
皆、賢そうな雰囲気だ。緊張は残しながらも、ピン、と背筋を張って校長の話に聞き入っている。
若干、男子生徒の方が多いだろうか。
初等部に通うのは名家の生まれである子どもが多く、この世界では何故か男女比が前世より少し男性が多めとなっていると聞かされていたから、別段驚く事ではないのだけれど、特筆すべきはその髪や瞳の色である。
自分も金髪、という前世では外国人しか持ち得なかった髪の色なので、この世界はそうした仕様であることは流石の妃沙も知っていたのだが、こうして、多くの人が集う場所で紫や青、緑と言った髪や瞳の色を持つ人々を目の当たりにすれば、ああ、ここはやっぱり『日本』ではないのだな、と実感せざるを得ない。
(──派手、だよなぁ。ま、俺も人の事は言えねぇけど)
そんな派手な集団の中でも、一際目立ち、妃沙の目を奪ったのは、真っ赤な髪を短く切り揃え、脚を組んで気だるげに欠伸をしている一人の少女であった。
妃沙の三列あたり前に座っている彼女の顔は妃沙には確認のしようもなかったのだが、同い年とは思えぬその高身長、褐色の肌を隠すこともなく、まだ四月だというのに半袖のブラウスと短パンに身を包んだ彼女は、とてもとても目立っていたのだ。
……まぁ、比類ない美貌と圧倒的な存在感を放つ妃沙も、新入生の中では一際目立っていたのだけれど。
と、妃沙がアツい視線を送っていた少女がふいに振り向き、そのエメラルドのような瞳が妃沙と合う。
その瞬間、ニヤリ、と微笑んだ彼女の表情に、妃沙はブルッと身震いをする程の感動を覚えたのだ。
──小学生という年齢ながら、その姿はまさに『男装の麗人』と言った格好良さを誇っていたから。
(──うぉぉーー!! 男装の麗人、キタァァーー!!)
フランス革命を描いた、前世では有名だった少女漫画。
龍之介は人知れず、その漫画を読み込んでいた。勿論、周囲の誰にも……夕季ですら、その事は知らないハズである。
だが、『彼女』の生き方はとても鮮烈で格好良くて、激動の時代にあっても尚、自分を見失わないその生き方には憧れすら抱いていたのである。
(──あんな子と友達になれたら良いな……)
フフ、と微笑みを落として、妃沙はこれからの学園生活に想いを馳せる。
そんな彼女の幸せそうな微笑みに、周囲の男子生徒は赤面していたのだが……妃沙が気付く事はなかった。
「皆さん、入学おめでとうございます。私は担任の浅野 匠と申します」
にこやかに微笑みながら挨拶をする優しそうな男性教師。
そんな教師に、忠臣蔵かよっ! と、妃沙は思わずツッコミを入れるが、勿論声には出さない。
この国の歴史は、当然ながら龍之介が生きていた国のそれとは全く違う。
鎖国、という事実もなかったし、比較的穏やかに成長を遂げて来たようだ。
なんと、三百年前から『東珱』という国名も変わっていないそうである。それは一重に、争いがなく、平和な国家形成をしてきた政府の努力の賜物である。
「これから同じ教室で共に己の研鑽を積む皆さんに、まずは自己紹介をして頂きたいと思います。名前順に並んで頂いてますので、まずは……」
と、教師が定番の提案をすれば、子ども達も素直にそれに従った。
当然、妃沙に否やはない。彼女もまた、同級生の事を知りたいと思っていたのだから。
そして、彼女一つ前の席に座った彼女──男装の麗人が席を立つ。
「遥 葵です。趣味はバスケ。それ以外は……割とどうでも良いです、よろしく」
そうとだけ言い捨て、さっさと席に着く少女。
その姿にすら、妃沙はある種の格好良さを感じ、生唾を飲み込んだのだった。
(──うぉぉーー!? 男装の麗人に加えてバスケとは……! これは……お友達にならざるを得ない……!)
青少年の憧れバスケ漫画も、勿論龍之介は知っていた。
世代を超えて語り継がれるかの名作に憧れてバスケを始める青少年は数多くいたけれど、それが出来ない彼には、興味のないフリをして漫画を読み込む事しか出来なかったのだ。
彼の漫画は、特にヤンキーが活躍するという点で、龍之介はとても共感を抱いていたものだ。
綾瀬 龍之介。
彼はまた、普通の人生を送れない強面を持って生まれてしまったからこそ、それに対する憧れも多く持っていたのである。
前世では身体能力に優れた身体を誇っていた彼の事、普通に試合をすれば活躍出来る素質は充分にあったのだが、いかんせん、その強面は強烈過ぎてスポーツをするには適さなかったのだ。
一度彼が野球の試合に出れば、バッターとしては投手が怯え、ナヨナヨな投球をしてしまうのでホームラン必至、守備をさせてもお察しだ。ピッチャーなんてさせようものなら打者はバッターボックスにすら入って来られない。
サッカーではキーパーが怯えてしまうのでゴール必至、バレーボールはブロックすらされずにアタック必至、顔面の影響しない陸上競技ですら、ゴールに近付く彼の迫力に耐えきれず、審判が失神したり逃げ出したりでロクに記録を測る事すら出来なかったのだ。
だから、転生した学園生活では、友達を作る事と共に健全で楽しい思い出を作る事も、彼の目標の一つであった。
その目標への第一歩である。
第一印象は大事、とばかりに妃沙は粛然と立ちニコリと微笑むと、言った。
「水無瀬 妃沙ですわ。……取るに足りない、普通の女子でございます。趣味や特技はこれから研鑽を積んで見つけて行きたいと考えております。以後、お見知り置きを」
誕生会の際に練習した貴族じみた礼を放った後に顔を上げ、嫣然と周囲を見渡してみせた。
そんな彼女に、女子は目を見開き、男子は見惚れ、教師は呆気にとられた表情を見せている。
「どこが『普通』!?」
クラスのほぼ全員が驚いたように妃沙を見つめ、心の中でそんなツッコミを妃沙に対して入れている中で、妃沙が友達になりたいと羨望の瞳を向けていた少女──葵は。
「アッハハ! おもしろっ……! そんな自己紹介が『普通』なワケないじゃん!」
皆の言葉を代弁し、振り向いたその手で妃沙の肩に裏手ツッコミを入れながら、瞳に涙さえ浮かべて爆笑をかましてくれていたのであった。
それが、後にその髪の色に準えて『鳳上のアルストロメリア』と称される事になる水無瀬 妃沙と遥 葵の出会いであった。
……もっとも、そこに至るまでにはいくつかの段階があったし、今の彼女達には知りようもなかったのだけれど。
とにかく妃沙は、いわゆる一般的な小学生の自己紹介とは異なる挨拶と仕草で、ターゲットと定めた彼女の興味を引く事に成功したのである。
◆今日の龍之介さん◆
『……ちょっ!? 知玲、ホラ、あそこにデカい漬物石を落して困ってる女がいるだろ!?』