◇116.BOYS TALK
「おい、知玲。ちょっとツラ貸せよ」
紅い髪の美丈夫が怒りの表情とオーラ満載で知玲の元にやって来たのは、それから数日後のことだ。
正直、知玲としてはあれからほとんどと言って良い程に妃沙と話が出来ていないので妃沙不足で心の均衡がおかしくなっているばかりか、妙な噂まで流された上に迷惑極まりない存在に突き纏われて心身ともに疲弊している状態なので、出来ればその呼び出しはお断りしたいところである。
なにしろ、その人物──前・生徒会長の久能 悠夜が言わんとしていることも、何となく察する事が出来てしまうのだ。
「……断るっていう選択肢は?」
「ねぇ!」
だろうね、と溜め息を吐く知玲の腕を取り、強引としか言い様のない強さで彼を何処かへ引っ張って行く悠夜。
何処へ向かっているのかは解らないけれど、自分の感情に素直とは言え、人の話はきちんと聞こうとする姿勢を崩さなかった悠夜がこんな態度に出るとは少し意外だな、なんて考える知玲には少し余裕があるようだ。
悠夜の話とやらの内容は何となく想像しているし、それに対する返答も一つしかないと思っている。
何だかんだ言っても、悠夜とは生徒会役員として共に学園を纏め上げた仲であるし、ちゃんと話せば解ってくれるだろうという安心感があったのである。
……だが。
「……え、何、みんな怖い顔してどうしたの……?」
悠夜に連行されて来た生徒会室。
そこには既に理事長の結城 莉仁、現生徒会長の玖波 聖、前生徒会書記の真乃 銀平、
そして今年から新設された生徒会の役職である広報の職にある栗花落 充と、野球部エースの颯野 大輔が悠夜と同じく怖い表情で知玲を待ち受けていた。
「どうしたもこうしたも……説明してもらおうか、知玲!?」
ズイ、とごく至近距離にまで顔を近付け、あまつさえ襟首を掴んで自分に引き寄せる悠夜。
「……悠夜、近いよ……」
そう言いながら困ったように眉を顰め、その距離を取ろうとする知玲だが、悠夜の力は思った以上に近いと見え、なかなか思うように距離を取れないでいる。
そのうち、周囲の人々も口々に何事か言いながら知玲に近寄って来るものだから、生徒会室の充分な広さはまるで活かされておらず、入口近辺に団子状になって固まっている男子高校生の集団、という構図になっており、充の姉であるラノベ作家にして腐女子であるSHIZUこと雫あたりがその光景を見たら、きっと瞳をキラキラさせて写真を撮りまくっていたに違いない。
だが、その時その場に遅れて現れたのは、恋人の指令を受けてやって来た、久し振り過ぎる人物であった。
「遅れて悪ィー! ってお前たち、何やってんの……?」
橙色の髪に深い海のような瞳。順調に交際を続けている恋人が見たら怒られそうな程に阿呆っぽく半開きになった口元からはキラキラしい白い歯が覗いている。
久し振り過ぎる彼の名は──藤咲 海。
この学園の三年生にしてテニス界の期待の星、かくしてその実態は『残念』な知玲のクラスメイト、であった。
「……って何か今、とっても失礼な紹介のされ方をした気がするんだけど!?」
「……ああ、久し振り、海」
「知玲まで!? クラスメイトなんだから久し振りって言い方はないだろ!?」
藤咲 海。変わる事のないその残念っぷりが、室内の空気を少しだけ和らげることには成功したようである。
───◇──◆──◆──◇───
「説明って……。今更話すこともないだろう? 僕と彼女が付き合ってるなんて噂は事実無根なんだし……」
「噂は誰も信じちゃいねぇ! 問題はこの写真だよ! これがある限り否定しきれねぇだろ!?」
叫ぶようにそう言った悠夜が、ババーン! とでも擬音が付きそうな勢いで知玲の前に突き付けたのは、ここ数日イヤというほど見て来た学園新聞の記事だ。
『王子×アイドル、禁断の恋!?』と銘打たれた大見出しの下には何と、知玲と萌菜が口付けを交わしている光景が大写しになっている。
ちなみに言えば、アングルもピントもバッチリ合っているその写真は、偶然に誰かが撮影したものではないということは明白だ。
おそらくはあの日、萌菜が知玲をあの場に誘導し、その行為に及び、予め待機していた協力者がそれを撮影したのだということが如実に現れた、その写真。
知玲にしてみれば、そんな仕組まれた写真に大騒ぎするのはどうかと思っているのでまるで気にはしていないのだが、周囲の高校生たちにはそのスキャンダラスな写真に興味が惹かれてやまないと見え、ここ数日、周囲からのアツい視線に晒されるのに少しだけ疲れている。
そんな所に呼び出された、この部屋。
正直、自分を良く知る彼らがこの写真の真偽についてどうだとか興味本位で尋ねられたら幻滅してしまうかもしれないと、少しだけ残念に思っている。
だが、掛けられた言葉は知玲の想像とは少しだけ違っていた。
「ハメられてんじゃねーよ、知玲。妃沙が……アイツの様子が変なの、お前だって知ってるだろ?」
真剣な瞳で告げられる、その言葉。
ああ、そうかと、知玲は嬉しくなる自分の気持ちを抑えることが出来ず、ついフフ、と微笑みを漏らしてしまう。
そしてそんな知玲の様子を見た、この部屋の中でも直情タイプの悠夜、意外と沸点の低い聖、そして人一倍友達想いな充あたりの感情を刺激したようで、あっという間に彼らがにじり寄って来た。
「なに呑気なことを言ってるんですか、知玲先輩! 妃沙ちゃん、なんだか雰囲気まで変わっちゃって、この間なんて難しい表情で兵法書を読んでたんですよ!?」
……そんなことを言う充には「通常運転だよね」と返す。前世から、彼女の愛読書といえば時代小説や歴史物、そして兵法書で、そういった書物を読むと心が落ち着くのだと良く言っていたものだ。
「確かに変ですよ、水無瀬は。妙に古めかしい立ち居振る舞いをしようと無理してるのが丸解りで言葉も変だし、この間、生徒会室に竹の皮で包んだお菓子を持って来てくれて、濃いお茶と一緒に食べたらビックリするくらい美味しくて……」
……珍しく混乱しているのか結局は妃沙を褒めてしまっている聖には「ああ、そういえば作ってたね、ゆべし。隠し味の味噌が良い感じだったでしょ?」なんて、そのお菓子の正体を教えてやる。
「部活でも様子が変なんだぞ! タケノコプターを諦めるって言ったかと思ったら、耳の穴サイズから扉の上まで自在に大きさを変化させられる棒の研究を始めたいなんて言い出す始末だ!」
……困惑した様子を隠せない悠夜には「他国の古文学にヒントを得たみたいだねぇ」と返し、くつくつと笑う。ネコ型ロボットの次は猿の妖怪かと、相変わらずのぶっ飛びぶりは妃沙らしいな、なんて思いながら。
だが、知玲に詰め寄った面々はそんな知玲の様子が面白くないと見え、次々に何事かを訴えて来るのだけれど……妃沙の相変わらずの様子を伝えてくれるばかりのそれに、知玲は逆に安心してしまった。
妃沙としては前世に立ち戻ろうと必死で、『龍之介』の愛読書であった本や好んだ菓子、憧れた物語の主人公を思い返して『妃沙』を上書きしようとしているのかもしれないけれど。
……まったく、それは逆効果だよと、今直ぐにでも彼女に教えてやりたいものである。
どんなに前世に立ち戻ろうとしたところで、それは知玲の想いを深める結果にしかならないし、周囲にも心配と、大いなる愛情を溢れさせるだけだ。
今は少しだけ、妃沙から距離を置かれてしまって焦ってもいたけれど、ああ、彼女はこんなにも『この世界』に受け入れられているのだと、知玲はまたとても嬉しくなった。
それは、前世では見た目のせいでどうしても出来ないことであったから。
「……ありがと、みんな、妃沙をそんなに心配してくれて。それに、彼女の変化の原因が僕にあると思ったからこんな機会を作ってくれたんだよね?
皆が認めるほどに妃沙にとって大きな存在になれているなら……僕ももう、待たなくて良いかなぁ……」
ポツリと呟いて微笑む知玲に、周囲がシン、と静まった。
それぞれ、妃沙を想う感情に違いはあっても、彼らにとって大切な人だというのは共通する認識なのだ。
その彼女が、少しだけ周囲に一線を引こうとしているのが見て取れて、その行動も以前とは違えようとしているのだ、心配するなという方が無理な話だし、
その原因は、時を同じくして学園を席巻したニュースの渦中の人物で彼女の幼馴染──東條 知玲のスキャンダルに由来するものなのだと、紐付けないほうが不自然なほどである。
妃沙が……いや、龍之介が欲していたものの一つ、『友達』。
失恋したての悠夜や、現在もガチ恋進行中であろう莉仁あたりをその括りに入れてしまうのは申し訳ない気もしたけれど……きっと、妃沙にとっては彼らはもう、かけがえのない存在になっているのだろう。
もう、自分しか信じてやれない存在じゃないのだと、一抹の寂しさと同時にこの世界に妃沙がいてくれることに改めて感謝の念を抱く知玲。
だが、知玲にとって最後にして最大の恋敵──理事長・結城 莉仁は、そんな温かな空気に水を差すように、冷たい瞳と声で言った。
「知玲君。悪いが俺は諦めが悪いんでね。どんな理由があるにせよ、君が妃沙を泣かせたことは今でも許すつもりはないし、ましてや君を応援するつもりも毛頭ない。
だってあの子が泣いたんだ……この俺の胸で、熱い涙を零して、それは寂しそうに……泣いていたんだ、あの気の強い妃沙が。
知玲君、俺はね、君にも見えていない妃沙の姿が見えているって自惚れているんだよ。そしてそれこそが『真実』の妃沙の姿なんだって思ってる。
そしてそんなあの子を……俺が、自分の手で幸せにしたい。もう二度と泣かなくて済むように、大切に……本当に大切に護っていきたいんだ、俺は」
そう言って、莉仁はスッと知玲に向かって右手を差し出した。
「どっちが妃沙を手に入れるかなんていう勝負じゃない。どっちが妃沙を幸せに出来るかでもない。妃沙が誰を選ぶか、だろ? だからこれは、団結の握手だ。俺達はあの子を……妃沙を絶対に幸せにしたい気持ちは同じなはず。
ただし、妃沙がどんな選択をしても恨みっこなし。オーケー?」
眼鏡の奥の金色の瞳をキラリと輝かせ、莉仁が不敵に微笑む。
「……ええ、理事長、望むところです。妃沙を護る手が増えるのはこちらとしても大歓迎ですよ。ただし、あとで泣きを見るのは貴方の方、ですけどね」
そんな風に答える知玲の表情も不敵で……そして何処か清々しくて。
握手を交わす二人の神々しさすら感じる雰囲気に、その他の人々は何も言う事が出来ずにいる……そんな空気の中で。
「……おい、銀平。俺達、何のためにここに来たんだっけ?」
「……聞くな、海」
「……先輩達はまだ良いですよ。俺なんか完全に空気じゃないッスか……」
涙目で部屋の隅に固まった銀髪と橙色の髪の、黙ってさえいれば美形な『残念』な生徒と、その横では稀代の野球選手が、スッとその光景から視線を反らしていたのであった。
恋人のいる海と大輔、そして想い人と良好な関係を築き続けている銀平に対して、その場の人々も天の意思も、特に含むところはない……はずである、たぶん。
───◇──◆──◆──◇───
「東條、少し良いか?」
生徒会室を出た所で、知玲が渋すぎる声に呼び止められる。
「長江? どうしたんだ、今日は河相さんと一緒じゃないの?」
知玲にとって二人はセットになってしまってでもいるのか、かつて片割れの少女にも問い掛けた言葉を呼び止めた人物に問う知玲。
だが、その人物は返事もせず、足音すら消してスッと知玲の隣に並び立つ。
「……何か用? 言っておくけど、君の大切な河相さんとは何の関係もないよ。僕には心に決めた人がいるし、どうせあの写真だってお前の一族が絡んでるんだろ?」
主犯の萌菜の策略とはいえ、対象の知玲にすら気付かれずにあんなに鮮明な写真を撮るなんて滅多に出来ることではない。
だが、影に潜んで様々な計略を張り巡らせたという忍者の末裔・長江であればそんな芸当は朝飯前だろうと、あの写真を見た時から知玲は感じていたのだ。
正直、長江ほどの人物があの妙ちくりんな少女の言い分を真に受けて動くというのは、いかに恋心を抱いているからとは言え、釈然としないな、とは思っていたけれど。
とは言え、長江と萌菜の関係をそのまま自分と妃沙に当てはめてみればなるほど、自分もきっと彼女の希望を叶えようと動いてしまうだろうという自覚は持っている知玲である。
「……ああ。あれは萌菜の暴走で、俺はそれを記録したまで。あの行為についてお前にとやかく言うつもりもない。あんな記事のことだって気にしてはいない」
「なら何も問題ないだろう? でも、お前は気にしてないかもしれないけど、僕にとってはいい迷惑だよ。河相さんには付き纏われるし、妃沙にも距離を取られてしまうしさ……」
「お前達ほどの繋がりでもそんな事があるのだな」
「当たり前だろ、どんなに付き合いが長くたって僕と妃沙は違う心を持つ別の人間なんだから」
そんな軽口を言い合いながら歩く二人。
普段の知玲であれば、この時、自分が長江に誘導されるようにして何処かへ向かわされている違和感を感じ取ったかもしれない。
だがその時、知玲はもう妃沙不足が限界に来ていて、友人達から聞いた妃沙の様子を思い描いたり龍之介の事を思い出して自家発電している状態であったので、少しだけ普段の冷静な判断が出来ずにいたのだ。
そして長江も、とても巧みに知玲を誘導しながら、段々と人気のない方向へと移動して行く。さすが抜け忍とでも言うべき完璧な仕事ぶりであった。
「お互い、想い人には苦労させられるな。だが、それでも愛しいと思ってしまうのが人の心の弱さ、といったところか」
「その意見には同意だね。もっとも、僕は苦労させられてるなんて思ったことはないけど。むしろ妃沙には、もっともっと僕に迷惑をかけて欲しいくらいだよ」
「……フッ。言ってくれるな。俺には惚気にしか聞こえんぞ」
長江の纏う雰囲気が、フッと優しいものに替わったのを感じたのか、ふと、知玲が隣の長江を見上げ……ややあって自分がすっかり人気のない所にやって来てしまっていたことに気付いたようだ。
陽の落ちかけた時刻、窓から指す光すら薄くなっていたところに、その場所は階段と教室の隙間の、光すら差し込まない薄暗い場所であり、周囲の教室も使われることの少ない部屋であった。
シン、と、耳が痛い程に静まり返った校内を、知玲が不思議そうな表情で見渡している。
「あれ? いつの間にこんな所に……? 長江、何か用があったのか? 悪いけど今度にしてくれるかな? 正直今、例の騒ぎで少し疲れていてさ、それを癒してくれる可愛い妃沙もいないし……」
自分より一回りは背の高い大男を見上げ、申し訳なさそうにそう言う知玲。
だが、対する長江もまた、知玲に輪をかけたように申し訳なさそうに……そして甘さの成分を全て萌菜に渡してしまった為に苦味の成分のみが残ったチョコレートを食べた時にでもしそうな、苦々しい表情で言った。
「……悪いな、東條。俺は……萌菜の願いは全て叶えてやりたいんだ」
え、と呟く知玲の鳩尾に電流のようなものが走り、知玲はあっという間に意識を失い、バタリとその場に倒れてしまう。
そして、倒れた知玲の側に立ち、その姿を悲しそうな瞳で見つめる大男。
「……悪いな、東條。そして……水無瀬」
眉を顰め、誰に告げるでもなくそう言って、長江が倒れた知玲を担ぎ上げる。
そうしてそのまま、男子高校生を一人抱えているとは思えないスピードと軽やかな足取りで──その足音はまるで聞こえなかった──立ち去った。
──そしてその場には、知玲の物と思しき生徒手帳が残されているのみで、後は静寂のみが周囲を包んでいたのである。
◆今日の龍之介さん◆
龍「やい、知玲!」
知「やぁやぁ、久し振りの皆さんもそうでない方もこんにちは!」
龍「……おい知玲、こういうのは主人公たる俺様の役目なんじゃねぇのか?」
知(そっと目を反らして)「やぁやぁ海くん! 彼女の紫之宮 凛さんとは順調かい!?」
龍「その海外の通販番組みたいなしゃべり方やめろ! まともに聞いてられねぇだろ!」
知「何を言うんだい!? 僕は元からこんなキャラじゃないかぁ!?」
龍(既に笑いの只中にいるようだ)
知(ホッと胸を撫で下ろしているようだ)
海「俺の扱い……(´・ω・`)」




