◆114.交錯
「解ったよ、河相さん。今日は僕も少しだけ時間があるから、君をエスコートするよ」
知玲のその言葉に、纏わり着いていた腕から身体を離し、萌菜がキャアと嬉しそうな歓声をあげる。
「やったぁー!! 知玲先輩、萌菜、すっごく嬉しい!!」
そうして再び自分の腕にすがり付いてくる様子に、知玲は毒気を抜かれてしまったのか、以前ほど強い拒絶の気持ちは芽生えて来なかった。
彼女の温もりも、そして、初めて出会った時よりはずっと弱いけれど確かに感じる甘い香りも、その時の知玲を安心させてくれそうな程に心地が良かったのである。
もっとも、今の彼は『生誕祭に独りぼっちでいる後輩に付き合ってやる優しい先輩』という立場である、という程度の認識しか持っていなかったけれども、その『独りぼっち』とやらが綿密に計算された演出の上に成り立っていようことなど知る由もなかった。
「そしたら、まずはラウンジでお菓子を貰いましょー! 料理部が生誕祭用のブッシュ・ド・ノエルを配ってるんだって! 今年は全国大会で賞を獲ったパティシェ見習いさんがいるから絶対に美味しいと思うの!」
知玲先輩、早く早くと、楽しそうに彼の腕を取り前を歩く少女に、知玲は苦笑しながらも、その積極性と素直さに愛好を崩している。
彼の想い人の妃沙も自分の感情に素直な人ではあるのだけれど、それでも何処か、自分の感情を殺して相手の希望を叶えようとしてしまう癖は抜け切れていない部分がある。
人に甘えるという事を知らない人物であるから仕方のないことだし、そんな彼女が甘えてくれる唯一の存在になりたいなとずっと願ってはいるのだけれど、なかなかどうして『龍之介』の意識が強いせいか、特に自分には甘えづらい部分があるように思う。
逆に、前世を知らないのに素の言葉が通じているらしい理事長あたりには本音や弱音を吐いているんじゃないか、なんて、少しだけ自信を失いそうになることもあるのだ。
そんな彼に、心からの笑顔とワガママという甘えを向けてくれる少女の存在を、少しだけ嬉しく思った所で非難など出来ようはずもない。
「……君は素直で可愛いね」
思わずそう呟いた自分の言葉に、一番驚いたのは知玲であっただろう。
だが、その言葉を投げ掛けられた少女は、満面の笑顔で振り向き、言った。
「当たり前だよぉー! 自分の気持ちは自分にしか解らないんだもん。萌菜が無視したら可哀想でしょ?
マイナスな感情は見ないようにしてるんだ。それって誰も幸せにしないものだもん。だけど、好きって気持ちは、向けられた相手も……物も、絶対に悪い気持ちにはならないから!」
ウフフ、と笑ってそんな事を告げる少女に、知玲はなんだか圧倒されてしまいそうだ。
そしてまた、あまり深い考えもなく素直な感情を垂れ流しているだけだと思っていた少女にそんな考えがあったのだということに関心もしてしまっている。
もちろん、人はプラスの感情だけで動いているものではなく、好きだという気持ちの裏には、独占欲とか嫉妬といったマイナスの感情も生まれてしまうものであることを、彼は良く知っている。
けれども、彼女から自分に向けられる『好きだ』という感情には含む所のない、純粋なものを感じてしまっていたのである。
「……そうだね。僕は少し、自分の気持ちを押し付けてしまうことに怯えていたのかもしれない。でも……そろそろ僕も限界かなぁ……」
ポソッと呟いた言葉は、きっと正しく目の前の少女に届いていただろう。
けれど彼女にとって都合の悪いその言葉は『ゲーム外の言葉』であり、知玲が言うはずがないと、排除されてしまっていた。
「あ、着いたよー、知玲先輩!」
知玲の言葉に被せるようにして告げられた、楽しそうなその言葉の裏にある複雑な感情を察するには、知玲もまだ経験不足であった。
前世、今世と二度の人生を経験しているとはいえ、たった一人の人を想うことしかしていない彼は、恋愛経験値はとても低い人物なのである。
ここにいるのが悠夜であれば、もしかしたら彼女のその笑顔の裏側を察して警戒するくらいはしたかもしれないけれど、その点において、知玲はまだまだ修行が必要なようである。
萌菜に連れて来られたラウンジで、仄かに頬を染めた料理部員と思しき女の子からノエルを受け取った知玲。
一口大のそのお菓子は、切り分けられたロールケーキといったもので、但しその表面は砂糖細工に彩られており、光を受けてキラキラと輝いているように見えた。
そして、同じくそれを手にした少女が、知玲の手を引いて何処かに向かいながら教えてくれる。
「この世界のノエルはね、大切な人に渡すのが一年のならわしなんだよ。家族でも、友達でも……もちろん恋人でも、その人の幸せを願って渡すの。
この一口大のお菓子に想いを込めて、食べたその人を守ってくれますように、幸運を授かってくれますようにって。
見返りを求めない想いを神様は褒めてくれるんだって言われてるんだよ」
『この世界』と語る彼女の言葉に、ああ、やはり彼女は転生者なのだと理解を深める知玲。
妃沙からも、沖縄や北海道という地名に反応を示したという話を聞いていたから、自分達と同じ人種だという認識を持つかわりに警戒も強めていたのだ。
彼女がどんな人生を辿り、どんな経緯でここにやって来たのかは解らないけれど、少なくともこの世界について自分達とは違った認識を抱いているようだということは理解しているつもりでいる。
「この世界でも切り株をイメージしているの?」
「ううん、甘くて美味しい物を突き詰めたらロールケーキに行き着いたんだって。萌菜もそれは賛成だな! ロールケーキが一番クリームの美味しさを堪能できるもん!」
ほらね、と、知玲は一人、納得する。
前世のクリスマスで流行していた『プッシュドノエル』の由来と言われている『切り株』をお菓子に例えても、彼女は不思議そうに想う素振りを見せなかったから。
そしてそれは、少しだけ知玲の警戒心を緩めてしまったようである。
「相手の幸せを願ってケーキを渡すのは賛成なんだぁ。でも、相手が幸せなら自分も幸せっていうのは、何か違うよね、知玲先輩」
そう語る彼女の表情は、知玲の少し前を歩いていたので彼からは見る事が出来ないのだけれど。
とても思いつめたその表情は、何処か焦りと独占欲と嫉妬といった『恋愛感情』の裏側を感じさせるほど、切羽詰まったものであった。
「……萌菜はちゃんと見返りが欲しい。好きな人には好きになって貰いたい。萌菜だけを見ていて欲しいし、ずっと側にいて、萌菜を甘やかしていて欲しいんだもん」
いつの間にか連れて来られていた、大きな木の下。
校庭に面した、この学校で一番大きな樹木は確か、ダンスパーティーで想いを通わせた男女を祝福する光を纏う予定だ。
そんな意味を持つ樹の下に、想いを寄せていない相手と立つことに、普段の知玲であれば躊躇い、拒絶しそうなものなのだけれど。
……少しだけ心が弱り、他人の甘い言葉に容易く陥落してしまいそうになっていた知玲には、彼女の甘い微笑みが優しく胸に染み渡っていたのである。
「知玲先輩。萌菜ね、本当は恋をすることが怖かったの。だから、色んな人に少しずつ好きになってもらって、少しをいっぱい集めて愛される喜びを感じたいと思ってた。
……でも、違うんだね。気持ちを寄せた人から大好きだって言われるから幸せなんだよね。逆ハールートなんて、みんなも萌菜も寂しいだけだよ」
突然立ち止まり、涙の浮かぶ大きな瞳で自分を見つめる少女。
その涙に一瞬だけ息を飲んだ知玲の隙を突くようにして、彼女がグッと距離を縮める。
「……知玲先輩、萌菜はもう……知玲先輩ルートしかイヤなの。ずっと独りで……家族からも離れて、それでも持って来たのはこの気持ちだけだった。
知玲先輩が好き……一番好き、ずっと好き! だから……萌菜を受け入れて……」
ピンクブロンドの美少女の白い頬をスッと涙が零れ落ち、その白い手が知玲の頬に添えられ……
──彼女の蕾にも似た小さな唇が知玲のそれと重なった瞬間、校庭の大きな樹に、パッと光の華が咲いたのである。
───◇──◆──◆──◇───
一方、我らが主人公のエスコートの栄誉を勝ち取った理事長──結城 莉仁は散々な目に遭っていた。
「おい、莉仁!? この学園の生徒達における文化祭と生誕祭の力の入れようについて、おまえは指導をすべきだぜ……!」
「……そんなこと言いながら、一番楽しんでいるのは君だよね、妃沙……」
溜め息を吐きながら妃沙を見やる莉仁の視線の先。
そこにはノエルやら鈴やらツリーそのものやらをいっぱいに抱え、満面の笑顔を浮かべる美少女の姿があった。
「馬鹿かお前は!? 神様の生まれた日を全力で楽しめっていう日なんだろう!?」
「違うよ! 神様の生誕に感謝して、身近にいる大切な人の存在を噛み締めようって日だよ!!」
キョトン、と、首を傾げる妃沙。
手にしたお菓子や生誕祭の飾りをまじまじと見つめ……ややあって納得したように首を縦に振っている。
「……そっか。甘い物やキラキラした物が苦手な人間もいるよな。かくいう自分も、条件反射でお菓子を貰っちまったけど……莉仁!」
あーん、と小さな唇が囁いて差し出される菓子。
もともとが甘党でお菓子好きな莉仁だし、それを差し出しているのが想い人とあっては一溜まりもない。
「あーん……って妃沙キサ!? 俺は甘いの確かに好きだけどさ!? そんなにたくさんはいらないし、苦行でしかないよ!?」
「何を言いやがるのです理事長……! キラキラ輝くだけではなく、味もピカイチだと聞いたから貰いまくっただけだろ!」
「イヤイヤ、最初に貰った一番大切なお菓子は君が食べちゃったよね!? ノエル以外のお菓子のお裾分けに意味はないよ!? 気持ちは嬉しいけどさ、完全に残飯処分係だよね!?」
「別にこれは恋人達のイベントってワケじゃねぇんだろ? 家族や友達とお菓子を分け合うことにだって意味があるなら、お前とだって……」
そう言う妃沙の手をピッと握り、真面目な表情で彼女を見つめ返す莉仁。
彼だって自分の不利は身に染みて感じており、生誕祭という、最大のライバルを排除したロマンチックな場でその存在感を想い人にアピールしようと計画していたのだ。
……実を言えば、理事長特権を駆使して、知玲を落とそうと企んでいた萌菜と共謀したという事実は知玲にも……もちろん妃沙にも絶対に秘密である。
「……そのお菓子の意味、教えてあげるよ。朝までかかっても、ね」
「そんなん聞いてられっか! 寝るわ!」
……何とも色気のない返事だが、妃沙にとっては通常営業だ。
だが、これが『フラグ』とやらかな、と認識している莉仁は、そんな彼女の反応すら想定の範囲内である。
萌菜に共闘を申し出た際に『妃沙の落とし方』なるものについて語られ、意味は解らないながらもなるほど、と思ったものだ。
もっとも、転生経験もなければ乙女ゲームなどやったことのない彼にとり、萌菜の言葉は全く理解出来ず、苦痛の時間でしかなかったけれど。
だが、妃沙にも内緒でチラリと目にしたスマホを見れば、共犯者は首尾よく規定の場所に彼と二人で立つことに成功したらしい。
それならば、と、莉仁は軽く妃沙の腕を取り、やや強引に側にある部屋の中へと入り込み、両手でその腕を掴んで自分に向き合わせて、言った。
「妃沙。俺はどんな君でも受け入れてみせる。たぶん、俺にしか見えてない君の姿……そう、知玲君すら知らない君が、俺の一番好きな君だ。
俺はね……可愛い君より格好良い君が好きなんだよね。口の悪いところも、素直じゃないところも、意外と嘘つきな所も、でも全然隠しきれてない所も全部君の長所だし、可愛くて……好きで好きで仕方がない。
こんな気持ち初めてなんだ、妃沙。絶対に誰にも君を渡したくない、ずっと側にいたいし、いて欲しい」
真剣な、莉仁の表情。
相手の心からの想いを無下に出来る程、妃沙が器用でない事は周知の事実で、莉仁も良く理解っている。
だが彼も、こんなにも深く人を想うことは初めてだったし、妃沙を目の前にして、自分にはこの子しかいないという想いを強くしているのだ、クサいと言われようと、ここで言葉を紡がなければ、という想いを強く持っている。
今、妃沙を連れ込んだのは、ここならライトアップされた樹木の全容が一番美しく見られるという場所──体育館の準備室という密室。
奇しくも知玲と萌菜がいる場所からは窓を挟んで近付きながらも、互いに気付きにくい位置にある。もちろん、莉仁と萌菜の軽い密約により指定された場所である。
生徒には気を付けろだとか近寄るなと言っておきながら、彼女の涙を滲んだ瞳で共犯を持ちかけられ……断れる男がいたなら知りたいほどだ。
何しろ、恋には不器用であるという自覚のある自分の手助けをしてくれるというのだ、それも、とびっきりの美少女が。
それに、知玲先輩が好きなの、と語った彼女の言葉には、一片の曇りもないように見えたのである。
とにかく、莉仁にとって最大の恋敵である知玲がこの場に絶対に現れないという事実は、何よりもアドバンテージであった。
そして、想い人が自分に対して、例え意味はどうであれ、心を寄せていてくれているらしいというのも、絶賛初恋中の莉仁にとっては好都合ではあったのだけれど。
……その時の莉仁には余裕ぶった大人の表情など見せていられるほどの余裕は、まるでなかったである。
何故だか、その時の妃沙の視線には不安げな光がチラチラと揺れていて、それが酷く莉仁を煽るのだ。
生誕祭という特別な雰囲気が気持ちを煽っていることでそう見えるだけなのか、莉仁の心情がそう見せているだけなのかは解らないけれど。
……どうしても、彼女に伝えたいと思った。自分の本当の気持ちを。
「妃沙、君はそろそろ他人の想いの深さの闇を知った方が良い。ずっとおちゃらけて、自然に君の側にいられるように、怖がられないようにして来たけど……俺だって一人の男だよ」
だからちゃんと俺を見てと、眉を寄せた真剣な表情で囁くように告げられる言葉。
腕を掴まれ、顔を寄せられ……ましてやそれが密室という状況で。
独りで拘束されるピンチな状況、という事態に立ったことはあれど、相手の真剣な想いを告白されながらの密室は、さすがの妃沙も動揺せざるを得なかった。
ましてや相手は、この世界において知玲の次に、と言っても過言ではないくらい、心を寄せている莉仁なのである。
確かに今まで、好きだとは散々聞かされて来たし、その想いを迷惑とも思わなかったことは事実だ。
だが、今、こうして、莉仁が『男』として自分に迫っている状況に、妃沙は違和感を感じざるを得ない。
莉仁と接する時の自分は──前世の、綾瀬 龍之介という男としての自分であったのだと実感し、その好きだという気持ちすら、何処か友愛めいたものだと受け止めていたから。
反面、知玲と接する時の自分はどうだろうかと、こんな状況なのに脳裏に浮かぶ、知玲の顔。
心配そうな顔も、ちょっと困ったように微笑む顔も、拗ねた仕草も……そして満面の笑顔も。
そこにはもはや『夕季』の面影など求めてはいないと……この時、妃沙は突然に気が付いた。
それがどういう意味なのかを受け止めるにはまだ少し勇気が必要なようだけれど、『妃沙』にとってはもちろん、『龍之介』にも既に大切なのは彼なのだ。
かつて知玲が、同じ性別で転生して来たとしても出会えば必ず恋をしてしまうだろうと語っていた気持ちが、少しだけ理解できる。
自分はもう、夕季の身代わりに知玲を護ろうとしていたのではなく、『東條 知玲』その人を、その存在を護ろうとしていたのだと。
そして、莉仁と接する時の言葉が、もし素の言葉でなくてもきっと……その気持ちは変わらないに違いないと、妃沙が確信したその時。
「莉仁、俺は……」
何かを言いかけて莉仁を見上げる妃沙。
莉仁の銀縁眼鏡に、パッと光が反射して……反射的にそちらを見やる。
──そこには、ピンクブロンドの少女と、先ほど『大切な人』だとやっと認識した知玲が……唇を重ねる姿があったのである。
◆今日の龍之介さん◆
龍「……ハッ!? 俺は何も見てねぇ、見てねぇからなっ!」
知「イヤイヤ……。そんなに精一杯に否定しなくても何でもないから……」
莉「見ぃーちゃった、見ちゃった! 東條クンのヒミツの現場ー!」
龍「うるせーぞ莉仁! 少しは空気読め!!」
莉「君に言われたくないなぁ!?」
知「(深い溜め息)」




