◆113.ボナ・メリー!
「さぁ、行こうか、お姫様」
「……はぁ? 莉仁お前、ついに頭でも沸いたか?」
チュンチュンと、寝坊助な小鳥の囀りが聞こえる朝の風景の中、そこだけが異様に浮いている光景があった。
真っ黒のタキシードを着た男が手に持つのは真っ赤な薔薇の花束。傍らには派手な真っ赤なスポーツカーが止まっている。
そしてその前で彼を胡乱気な表情で見上げているのは、金髪碧眼のとびっきりの美少女。彼女は今、学校の制服と思しき衣服を身に纏っている。
ハイテンションな男性とは裏腹に、どこか引いている様子の彼女の可憐な唇から飛び出て来るのは、先程から悪態ばかりだ。
「朝っぱらからそのテンションなのは素直にすげぇと思うけど、何? 昨日の夜から意味不明なLIMEを垂れ流しやがって。
少しは他人の迷惑を考えろよな。まがりなりにも理事長なんだろ、お前?」
「まがりなりどころか正真正銘、理事長だね、俺は! けど今は一人の恋する男としてここに来ているから、こんなロマンチックな日に想い人をエスコートできる栄誉にテンションを上げるなという方が無理だね!」
「ロマンチックな日、ねぇ……」
ハァ、と金髪の美少女──妃沙が溜め息を吐き、今までの流れを反芻する。
妃沙が副会長として当選してから月日は流れ、木の葉は落ち、風もすっかり冷たさを帯びて来た。
副会長の職務は大変だけれど、同じく生徒会に所属している会長の聖、広報の充との協力体制は完璧だし、前生徒会役員の人物達からの協力もたくさん得ることができ、生徒達からの評判も良い。
最近ではこの職務にやりがいを見出してすらいる妃沙である。
だが、妃沙の預かり知らない所で莉仁と知玲の間で密約めいた取引がされてしまっていたらしく、今日の生誕祭……日本で言う所のクリスマスに妃沙をエスコートするのは莉仁の役目ということになっているらしい。
知玲からも、当然莉仁からも以前から聞かされていた事実ではあるのだけれど、妃沙としては勝手にそんな取り決めをされてしまったことが少し面白くないのである。
だからずっとああでもない、こうでもないと抵抗をしていたのだけれど、男達は聞く耳を持たず今日に至る、という訳だ。
「神が生まれ、その星の輝きが最も美しくなるという今日この日、君と一緒にそれを愛でたいとこうして罷り越した次第!」
「アホかッ! なら夜来いよ! こんな朝っぱらから来なくても良いだろーが!」
「何を言うんだい、ハニー? 今日は学園で礼拝と神の生誕を祝う会だろう。その場に君をエスコートすることこそが俺の役目なんだぞ?」
知るかよ、と呟き、だがいよいよ観念したのか、妃沙は莉仁が乗って来たと思しき真っ赤なスポーツカーの扉を開け、さっさと乗り込んだ。
この車に乗るのは二度目だが、勝手知ったるといった様子に莉仁ですら慌てる程である。
「……何だか知らねぇけど、学校行くなら送って行けよ。皆勤賞狙ってんだ、遅刻したら許さねぇからな!」
ぷくっと膨れながらそんな可愛くないことをいう妃沙に、莉仁はフフッと楽しそうに微笑んだ。
まったく、何だかんだ言いながらも自分に付き合ってくれる優しさは、時に残酷でもあるよなぁなんて思いながら運転席へ滑り込む。
「仰せのままに。ところで副会長、今日の生誕祭の準備はどうだ?」
「それは完璧だぜ! 神様が生まれた日だかなんだか知らねぇけど、祭りは大好きだしな。皆で揃いの飾りをつけて、キラキラのネオンを飾った木の下で踊るんだったか? 意味は解らねェが手配は完璧だぜ!」
ニカッと微笑む妃沙。
彼女は既に前副会長の知玲から引き継ぎを済ませ、活動を開始していたとはいえ、大きなイベントはこれが初めてなのだ。
最初の行事とあって、この生誕祭には人一倍力を入れて準備していたのである。
この世界で過ごした時間がそろそろ前世のそれに近付きつつある昨今、生誕祭という日の意味については理解している妃沙。ただ、神様という存在をあまり信じていないだけだ。
頼れる物は己のみという考えは、どうやらなかなか変わるものではないと見える。
そしてまた、人々が期待しているイベントを楽しんでもらおうと当たり前に力を注いでしまう心根も。
「……ねぇ妃沙、一つだけ教えておいてあげる。その神様はね、一緒に自分の誕生を祝ってくれた人間に祝福を与えてくれるんだ。
生誕祭で踊るダンスが二人一組なのはね、その二人に永遠の幸せが訪れるようにって祝福を授けてくれる為なんだよ。家族なら永遠の絆を、友人なら信頼を……そして恋人なら愛情を。
ねぇ妃沙、俺達が授かる祝福はどんなものだろうね?」
その言葉に、妃沙が返事をする事はなかった。
ただ黙って車窓の外を眺め、楽しそうな笑顔を浮かべて往来を行く人々を見やり、ポツリと呟いた。
「……みんな幸せそうだな。今はただ……それを守りてぇだけだ」
「……フフ。格好良いね、君は。どこまでも」
ニヤリと微笑って視線を交わす二人は……とても恋人同士のようには見えなかったけれど。
これからそうなりたいと願う莉仁と……深い友愛を感じている妃沙の二人の間は、少なくとも『信頼』という絆で結ばれているのは確かなようである。
───◇──◆──◆──◇───
「ボナ・メリー、生徒諸君! 今日は生徒会主催の生誕祭にお越し頂き有り難う、感謝してる!」
ウィンクをかます金茶色の髪のアイドルめいた容姿の男子生徒の姿が大写しにされるスクリーンの前で、当の本人が決めポーズを決めて立っている。
声の主は今期から新設された『広報』の職に任命された栗花落 充である。
本来であれば生徒会長である玖波 聖が立つべき場ではあるのだけれど、あいにくと聖は実務の力量は前任の悠夜を上回ると目されていながらも、こうした表舞台に立つのは未だ苦手なようである。
対して充は芸能界という荒波に揉まれながら『魅せる』とは、ということを研究し続けているので、こうした場には適任であった。
なお、ここぞという重要な場には聖が自らその場に立っており、副会長である妃沙と充のサポートを受けてはいながらも、その覇王然とした風格は方々から絶賛されている。
相変わらず口数こそ少ないけれど、その思想や未来予測、その為に何がどの程度、いつまでに必要なのかという試算については過去類を見ない程に正確で優秀であるというのが今期の生徒会長の評価だ。
もちろん、容姿については美形の多い世界でも特に目立つ容姿の者が集うと評判のこの学園内においてもピカイチであるのだが、彼は『愛想』というものを母親の体内にでも置いて来てしまったらしい。
とは言え、妃沙を中心とした気の置けない人物達の前では怒ったり笑ったりと、とても素敵な表情を見せてくれるので、妃沙としてはとても嬉しく感じていたりするのである。
「胸飾りは受け取ってもらえましたか? 今年のデザインは僭越ながらこのボク、栗花落 充が担当させて頂きました。テーマは『ラブ&ピース』! 生徒の皆さまに愛と平和が訪れますように!」
大型スクリーンの充が小さな何かを掲げて微笑んだ。
良く見れば、それは金色で縁取られたピンク色のハートの中にニコニコと微笑む顔文字のようなものがプリントされたブローチだった。そしてハートの下には小さな鈴が取り付けられているようだ。
「少数で当たりを紛れ込ませておいたから探してみてね! 当たりがどんな物かは見た人のお楽しみ!
今日はこの講堂でのダンスパーティーの他、夕方には校庭のメイン樹木をライトアップするから是非大切な人と一緒に見に来て下さい。
そのほか、音楽室や視聴覚室、家庭科室では有志と各部の御好意で演奏会や上映会の実施、お菓子を配ったりと色々な催しがあるから校内を巡ってみてね!」
それでは皆さん、良い生誕祭を、と結び、舞台から退場する充を大きな拍手が包む。
舞台袖でその様子を見ていた妃沙も、感動したような面持ちで大きな拍手を彼に送っていた。
「充様、お疲れ様でした。広報のデビュー戦、ご立派でしたわ……!」
フゥ、と大きく溜め息を吐く充を慈愛に満ちた微笑みを浮かべて迎え入れ労う妃沙に、さすがに緊張していたのだろう充が苦笑めいた微笑みを返す。
「さすがにちょっと緊張したかな。初仕事だから絶対失敗したくないしね」
「格好良かったですわ! 充様デザインの胸飾りも本当に愛らしくて素敵ですわね!!」
ドヤ顔の妃沙がズイッと胸に付けた飾りを充に見せびらかす。
それは、先程、充が生徒達に見せていた物と違い、ハートは金色で塗装され、その縁取りは銀、そして中にはニコニコマークではなくキラキラと輝くスワロフスキーが取り付けられたものであった。
「あ、当たり! 凄いね、妃沙ちゃん。それ、千個作った中に十個しか入れてないのに!」
「フフ。前世からクジ運だけは良いのですわ! それにしても充様、この『当たり』飾りの美しさったら筆舌に尽くしがたいですわねぇ……」
ホゥ、と溜め息を吐いてそれを眺める妃沙に、充は満面の笑みを浮かべて言った。
「褒めてもらえて嬉しいよ。それ、ボクの手作りなんだ。もっとも、美子にも手伝ってもらったんだけどね」
エヘヘ、と幸せそうに愛好を崩す充。
妃沙は知らないことだけれど、確かにこの胸飾りは土台に金箔を丁寧に貼り、周囲をシルバークレイで包み、スワロフスキーを取り付ける所まで充と美子が作った物なのだ。
彼ら的には将来交わす結婚指輪を、お互いの手作りのもので交換出来たら良いね、と、練習を兼ねて作ったものなのだけれど……まぁそれはごちそうさま、としか言えない幸せエピソードなので割愛する。
「千個中の十個? なんとまぁ……そのうち二つがここに揃うとは、奇跡だねぇ、妃沙」
満面の笑みで妃沙の隣にスッと立つ男──理事長・結城 莉仁。
彼もまた、胸に妃沙と同じ飾りを付けて銀縁眼鏡をキラリと光らせている。
「……理事長、まさか不正を……?」
「ちょっと待とうか、栗花落君!? だいたい、君たちは俺に対する評価が低すぎるよね! まぁ、あまり崇拝され過ぎても困ってしまうけどね、少しくらいはさぁ!」
「普段の行動がモノを言っているのですわ。これを機会にご自身の行動を改めなさいませ」
ピシャリと言い切った妃沙。
そのあまりの物言いに、ピギャーとしか言えないような声をあげて蹲る莉仁。
そんな彼を冷たく見やりながら「ところで充様、今後の予定なのですけれど……」と、執務を遂行しようとする妃沙の様子はもはや、男らしいというより冷淡ですらある。
「……あの、妃沙ちゃん? 理事長はあれで良いの?」
遠慮がちにそう問う充に、妃沙はチラリと一瞬だけ視線を莉仁に送り、ピクリと片眉を動かして言った。
「良いのですわ。あの方は構って欲しいだけですから。どうせ今日は、わたくしに張り付くに決まっているのですもの、あとでヨシヨシしておきますから大丈夫ですわ」
その辛辣な言葉に、何も返事が出来ずにいる充。
妃沙との付き合いは長いし、彼女が時々こうして女子高生とは思えないほどの言動を見せる事には慣れている方なのだけれど。
その時、妃沙の秀麗な顔に浮かんでいた表情は……何とも表現できない程に優しくて、可愛くて、それでいて男らしくて、充は思わず言葉を失ってしまったのだが……
「……ママン!」
「埋めますわよ、理事長」
『母性』にも似た表情で自分を見つめる妃沙に縋りつこうとした莉仁の額に、ビンッ! と、妃沙の放ったデコピンがクリティカルヒットしたのを、充は爆笑で受け止めた。
知玲を尊敬する彼にとり、妃沙が理事長とこうした交流をすることに……少しだけモヤッとするのを隠すかのように、大きな声で笑っていたのである。
───◇──◆──◆──◇───
一方、前副会長の東條 知玲は、これまた『当たり』と称された胸飾りを付けたまま、独り、校庭に面した廊下の窓から、今夜のダンスパーティーの準備が進んでいる校庭を眺めていた。
妃沙と萌菜の間に起きたやりとりを教えて貰う代わりに、次のイベント──この生誕祭のエスコートを莉仁に譲った為に、今日は妃沙の側にはいられないと自制しているのだ。
なお、人望はあっても、彼が心を許した存在と言えば前生徒会役員達くらいのもので、親友である銀平は今、前会計の月島 咲絢と二人で校内を巡っているはずだ。
知玲がそうしろと進言したものでもあるし、銀平と咲絢のジリジリと近付いて行く距離を、彼もほっこりとした気持ちで見守っているので、二人には幸せになって欲しいな、と思う反面。
(──妃沙がいなきゃ、僕はとことんヘタレだなぁ……。一緒に過ごす人もいなければ、何処にいれば良いかも解らない、か……)
ハッと自嘲気味に溜め息を吐く知玲。
そう、今、彼は友人や恋人と楽しそうに校内を蠢く人々の中で、孤独であった。
男同士の友情の築き方が解らないのは相変わらずであったので、友達と言えるのは銀平ただ一人。その彼は想い人と行動を共にしているのでここにはいない。
剣道部に行けばそれなりの歓迎をしてくれるだろうけれど、部長の座を引き継いだ後輩より圧倒的な成績と人気を誇る自分がいては、部長の面目が丸潰れになってしまうだろうから、という気遣いが働いてそこには行けず。
生徒会役員という立場も今は妃沙に引き継いでしまっていて……もちろん、OBとして生徒会室に行けば気心の知れた相手と話くらいは出来るかもしれないけれど、そこに妃沙が来ないとも限らない。
今、妃沙の姿を目にしてしまったら、「自分の側に居て欲しい」と懇願してしまい、自分の願いを叶えようとしてくれる彼女が自分と理事長との約束を反故にしてしまうのは目に見えている。
だから……この世界に転生してから初めて、知玲は本当に何処にいれば良いのか解らないという事態に直面しており、その結果、無為に校庭を眺める行為を、もう三十分も続けているのである。
(──今日だけだからな、我慢しろよ、知玲! 妃沙しか見て来なかったことの報いなんかじゃない。むしろ……そうだ、ご褒美だよ! 思う様、妃沙を……龍之介を想える良い機会じゃないか!)
そうして反芻する、自分の目で見て来た彼と彼女のあれこれ。
光に透ける金髪だとか、感情が動くとピクリと片眉を動かす癖だとか、興奮した時ほど饒舌になることや決して悩みやトラブルを自分からは明かさないこと、それから……
(──曲がったことがとにかく嫌い。自分より心を砕いた周囲の人の幸せを優先する。自己評価がやたらと低くて……馬鹿みたいに優しい。ねぇ、龍之介……本当に、変わらないね、君は)
何処を見るでもなく、彼女を想ってフフッと微笑んだ知玲。
思い出の中の彼女も彼も、いつも笑顔、とは言えなかったけれど……それでもいつも自分の感情には素直にいてくれたように思う。
前世では少しだけ下手くそだったその笑顔も、今世は全力でその可愛らしい顔に載せることが出来ているように見えて、その度に知玲は嬉しくなるのだ。
あの人が笑っていてくれる世界ならどんな世界だって構わないとすら思ってしまうほどに、大切な、あの笑顔。
(──きっと今も笑ってるさ。理事長には心を寄せているようだし、副会長としての仕事もきっと忙しい。本当に困ったら僕に連絡してって言ってあるし……暇なんじゃない、待機なんだ、今は)
自分にそう言い聞かせる知玲。
それが強がりだということは、彼が一番理解っているのだ。
……だが、そんな彼の耳に、甘い声が聞こえて来た。
「知玲せんぱぁーい!! ここにいると思ったぁ~! ダメだよ、こんな素敵なイベントの日に独りでいたら!」
そんな言葉を吐きながら知玲に駆け寄り、あっと言う間にその腕を抱き抱えて胸に押し付けてくる存在。そんな存在は知玲も一人しか知らない。
「ボナ・メリー、河相さん。今日は長江と一緒じゃないの?」
心がささくれだっていた為か、少しだけ意地悪く言ってしまったその言葉に、ピンクブロンドの自称・ヒロイン、河相 萌菜は輝かんばかりの笑顔を放ち、言ったのである。
「ダメだよぉー、知玲先輩。ここで萌菜と出会ったからには、今日は萌菜と過ごすの! 誠くんだとか妃沙ちゃんだとか……ちょっと忘れよ?
年に一度の生誕祭なんだもん、萌菜が知玲先輩と一緒にいて、幸せにしてあげるから!!」
孤独でいることに慣れていない自分に注がれる信頼と愛情と……愛くるしい笑顔。
普通の高校生なら自ら手を伸ばしてしまいそうな、それ。
いつもなら上手く立ち回って遠ざけていたのだろうけれど、その時の知玲は酷く感傷的で、少しだけ心が弱っていた。
もちろん、彼女は危険だという認識を忘れた訳ではなかったけれど。
──知玲が彼女を受け入れてしまったことで、事態は大きく動くことになるのである。
◆今日の龍之介さん◆
龍「……毎年、知玲と生誕祭を祝ってたからなんだかすげー違和感だな」
莉「ちょっ!? こんな所で爆弾発言するの止めてくれる!?」
知「事実なんですから仕方ないでしょう」
莉「あーあーあー!! 良いさ、俺は長さより深さで勝負するって決めてるし!」
龍「それも無理じゃね?」(深い意味はない)
知「ねー?」(満面の笑顔)
莉「…………」(ガックリと地面に手を突く)




