◆109.肯定企鵝
「致しませんったら致しませんッ! 副会長など、わたくしに務まるはずがないではありませんかッ!」
「この件に関しては僕も水無瀬と同意見だ。生徒会長なんて僕の器じゃない。もっと相応しい人を、時間をかけて探すべきだ」
お互いに唯一の味方である相手に身体を寄せながら、妃沙と聖が必死の抵抗を見せている。
よく見れば、妃沙は聖の腕にしがみ付いてブルブルと震えているし、聖は聖で妃沙を護るように少しだけ身体を前に出し、今まで見せたこともないような怖い表情を浮かべている。
「……まったく。どうしたらそこまで自分の評価を下方修正出来るんだ? もっと自信を持てよ。お前達ほどの人材なんて、世界広しと言えどもなかなかいないぞ」
その様子を呆れたように見つめ、溜め息を吐きながら悠夜が声を掛けるけれど、追い詰められた手負いの獣のような二人の候補者はますます縮こまり、身体を寄せ合い、威嚇の声を上げ続ける。
「だいたい、突然に制度を変えようだなんて理事長の横暴ですわ! そういう事はしっかりと事前にアナウンスをして、全校生徒に浸透してから実行に移すべきです!
そもそも役員が三名だなんて、そんなに権力を集中させてしまったら経験の浅い高校生がどんな暴走をするか解らないではありませんかッ!」
「僕もそう思う。暴走するかどうかは別にして、権力を集中させすぎたせいで滅びた国家なんて枚挙に暇がないんです。理事長、ご再考下さい」
もはや抱き合うようにして身を寄せ合う二人の美人の必死な様相に、その場にいる人物達は少しだけ絆されそうだ。
現に、無言でその様子を見つめている咲絢などは困ったような視線を銀平に送り、助けても良いものかと瞳で訴えているようである。
だが、銀平も……そして、この場において最も妃沙に心を寄せているだろう人物は特に、ここは絆されてはいけないと自分の心を鼓舞していた。
「君達の言い分も良く解るよ。でも、僕たちだって適当に身近な所から選んだ訳じゃないし、お願いするからには君達に納得してもらう責任はこちらにあるよね。
……良いよ、君の全ての疑問と不安を無くしてあげる。僕はね、君に必要なのは、あとは自信だけだと思ってるから……話してごらん、妃沙。僕が全部肯定してあげるから」
壮絶な色気を放ち、微笑む知玲。
それだけでもう、妃沙の隣の聖などは白旗を上げそうな勢いだ。
だが、妃沙の大きな碧い瞳には、闘志にも似た光が宿る。どうやら一方的に決められることと、自分が生徒の代表として立つことに嫌悪感にも似たものを感じているようだ。
「よろしくてよ! 知玲様、そのお言葉、挑戦と受け止めますわ! 勝負を挑まれたからには、この水無瀬 妃沙、逃げも隠れも致しません。
ですが……出来れば、こんな風に注目を浴びる場ではなく、何処かで二人でお話をさせて頂けませんか? 己の卑小さを大声で語るのは少しだけ気が引けてしまいますので……」
『二人きりで話したい』
潤んだ瞳で想い人からそんな事を言われて喜ばない人間などいるはずもない。
そして知玲はまた、元からそのつもりであったので、その壮絶な色気に拍車をかけて更に麗しく微笑んだ。
「……仰せのままに、お姫様」
そうして、あっと言う間に聖にしがみついていた妃沙を引き剥がし、抱きかかえるようにしてその場を風のように去って行く。
明日までには必ず説得しますから、なんて言葉を残して去って行く二人を、置き去りにされた人々は呆気に取られて見守ることしか出来ずにいたのだけれど。
「……ちょっと待て副会長!? 話はまだ終わってないぞ!!」
慌てた様子で莉仁がその後を追いかけ……見事に撒かれてすごすごと肩を落として生徒会室に戻って来たのを、悠夜がポンポン、と肩を叩いて慰める光景が印象的でした、とは、たまたまその場にいた銀平と咲絢の言葉である。
その後、銀平により共通の話題として昇華されたことにより、婚約者と心を通わせるネタにされてしまっていることは当の本人は知らずにいるので、知らぬが仏、ということにしようというのは悠夜の判断で、その場にいた聖も同じ意見を抱いていた。
……仮にも莉仁はこの学園の理事長で、これ以上拗ねたり我が儘を言ったりという姿を衆目に晒すのが、聖には少々キツかったようである。
───◇──◆──◆──◇───
「さ、妃沙、言ってごらん? 何がそんなに不安なの?」
知玲が妃沙を連行したのは自分の部屋だ。
東條家の人間はそれぞれに自室として離れを与えられており、事前にこの事態を想定していた知玲によって食糧は確保されていたし、丁寧に掃除も済ませているので、以前のように夕飯だからと家族から呼び出されて良い雰囲気を壊される心配はない。
知玲自身は料理に自信はないけれど、この場には料理上手な妃沙もいるし、いざとなれば冷凍食品だろうがインスタントだろうが構わないとすら思っている。
もっとも、監禁めいたことなってしまう前に、なるべく早く説得はしようと思ってはいるのだけれど。
「……逆にお聞きしたいですわ。何を以てわたくしにそんな大役が務まると思ってらっしゃるのか……。知玲様ならご存知でしょう? わたくしという人間は、表立って人々を引っ張るよりは縁の下の力持ち的な存在で……」
「うん、知ってるよ。そんな妃沙も大好きだしね」
準備をして、彼女を招き入れた自分の家。
相手が望んでいないことを押し付けるような形になってしまうことには少しだけ心が痛んだけれど、本当は前世の姿に感じて欲しかったことを、今度こそ知って貰おうとグッと拳を握る。
理事長から次期生徒会役員の選出方法について打診を受け、年齢も性別も関係なく選んで良いと言われ、その候補者として真っ先に頭に浮かんだのは『龍之介』だったのだ。
本当は、生徒会長でも良いかもとは思ったけれど、それにはまだ少し経験が足りないと思ったことと、何より『自分の後任』として彼に立って貰えるなら、これ程安心出来る人材はいないな、と思ったから。
そして、彼の素晴らしさを、もっともっと多くの人に知って欲しかった。
だから、妃沙の姿で心根が龍之介という存在をずっと守って来たのだ、無理をさせてその心が変化してしまうことがないように。
静かに、優しく妃沙と龍之介が融合するように……二人が一つになったその時、過去の分も含めて全力で告白しようと決めていたから。
あと一歩だ。妃沙が『今世』の姿の中で感じているその正義感が広く認められたら……きっと、また一歩、龍之介がこの世界に近付いて来てくれる確信があった。
龍之介の心もこの世界に開放する。それが知玲の悲願なのである。
「僕はね、龍之介の心も救いたいんだよ。だから君の全てを肯定したい。自信を持って欲しいんだよ、妃沙。そして、君の優しい心根に守られる世界を、僕も知りたい。
龍之介、君がその心を解放したら、世界はどれだけ優しい色になるんだろうって、ずっと……ずっと思ってた。
二つの世界を生きて来た僕ですら、君ほど強くて優しい人を知らない。
そしてね、護るには多少の権力が必要な時もある。だから『副会長』という免罪符を、君に渡したい。
そして、思う存分この世界を……僕を護ってよ、妃沙」
お願い、と、彼女の手を握る。
前世よりはずっと小さくて優しい手には、切り傷もあかぎれもないけれど、綺麗なままのその手こそが、彼が幸せに暮らしている証のような気がして、幸せしか感じないのだ。
そして、ポッと頬を染め、可愛いとしか言い様がない仕草で唇を尖らせてそっぽを向く彼女。
……最近、我慢の臨界点がとても低くなっている知玲にとっては密室でのそんな可愛い仕草は拷問でしかなかったのだけれど、それでもなんとか抑えつけて彼女からの疑問に応えることに終始する。
「わたくしは……まだ一年生ですし」
「精神年齢はとっくに大人でしょ? 今いくつだと思ってるの。サバなんて読ませないよ、僕は君よりもっと年月を重ねているんだからね」
「言葉が足りませんし」
「饒舌なくらいだよ! 龍之介だって寡黙でニヒルな男を目指してたらしいのに出来なかったくせに、今の妃沙に出来る訳がないよね?」
「これといった特技も実績もございませんし」
「文化祭で出したオニギリがクチコミを通して全世界に発信されてるの知ってる? 君の写真は東條家が全部削除してるけど、オニギリって言葉は、今や全世界のトレンドワードだよ!」
「……非力な女性に、生まれてしまいましたし」
「それこそ君の最大の武器だよね! 可愛くて格好良くて正義感に溢れた料理上手、そして人の言葉を真摯に聞いて、欲しい言葉をくれる美少女! そんな存在に惚れない人類がいたらお目にかかりたいね! だから僕は苦労の連続なんだけどね!!」
徹底的に褒められて、さすがの妃沙も居心地が悪いようだ。
この世界に生まれてからというもの、前世よりずっと自分を褒めてくれる存在が多いのは実感しているけれど、前世の自分を知っている存在から、こうも明け透けに絶賛されては喜びより困惑を感じてしまう。
褒めて欲しいとか、認めて欲しいとかいう願望で動いて来た訳ではないのだ。
ただ、目に見える世界くらい笑顔に満たされていて欲しいと願っていただけだ。
それは今世も前世も変わらねぇだろ、動揺するヤツがあるかと、自分に言い聞かせてみるけれど、知玲の演説は更にエスカレートして行く。
「僕は君を知ってる。君の全てを肯定してあげる……どんな時もだよ、妃沙。
喧嘩して相手が怪我をしたら、相手が悪い証拠を絶対に見つけて立証するし、余計な罪をなすりつけられそうになったらそれを倍にして相手に返す。君を絶対的に信じているから出来ることだ。
好きな人を信じて、より高みへ、その理想を自由に語れる場所へ導きたいと思わない人間がいるなら、僕はその恋心を全力で否定するね。そんなの恋でも愛でもない、ただの自己満足だ」
妃沙、と囁いてテーブルの対面に座っていた彼女の顔をパン、と良い音をさせて挟み、自分に視線を固定させる。
痛いですわ、という彼女の可愛らしい抗議は、有り難く無視させて頂くことにする知玲。
「教え導くとか、学園の秩序を護るとか……難しく考えないで。そんなの僕にだって出来てない。そんな覚悟はいらないんだ。
前世で学校生活を満喫出来なかった君だからこそ感じる理想を投影したら、この学園はもっと素敵な学園になる。
そしてね、理事長の考えでは、今年から設立される『広報』に充君を擁立したいらしくて……確かに、広告塔としてなら彼以上に適任はいないからね。
だから、妃沙を立てるのは僕の希望が八割と、充くんや……聖もさ、優秀な男だけど、人格や言動に少し問題があるだろ? 支えてやって欲しいんだよ、彼らを。
それは妃沙にしか出来ない役目だから……まぁ、僕の立場を君に引き継ぐっていう理事長の甘言に心を動かされてしまったのも事実だけどね」
自分の顔から離れて行く知玲の手を、反射的に止めてしまったのは何故だろう、と考える間もなく、知玲の手を取り握りしめる妃沙。
そしてそのまま、バツの悪そうに微笑みながら……それでも決して手を離す事はない。
「思う様人助けが出来る立場、ということでよろしいですか?」
「君がしたくなくても、依頼は引きも切らないよ」
「知玲様が卒業なさっても、相談には乗って下さるのですわね?」
「一生保証付きです」
やりますわ、と宣言した彼女の手を両手で握り、そのまま強引に口元に持っていってチュ、と音を立ててキスをする知玲。
彼の表情には、一仕事をやり遂げた男の爽やかな表情が浮かんでいたのだけれど。
「学園防衛軍に更に大きな肩書が付きましたわね!」
「イヤ何その大層な肩書!? 僕の渾身のシリアスな告白聞いてた!?」
鼻の穴をフンスと拡げて、この学園を護るプランを語り出した妃沙にそんな告白など届いていようはずもないことは……残念ながら知玲が一番良く知っていたのである。
そしてそれが、妃沙の盛大な照れ隠しである、ということも。
───◇──◆──◆──◇───
「玖波先輩、夜分に申し訳ございません」
その日の夜、自室のベッドの上に座り、妃沙が聖に電話をしている。
本来の彼女であれば、間もなく日付が変わろうかという時間帯に電話をかけるなんていう行為には及ばないのだけれど、今日はなんだか、自分の決意をこれから一年、苦労を分かち合う事になるだろう先輩に聞いて欲しかったのだ。
知玲の説得で副会長候補として立つことは引き受けたけれども、莉仁の話では他にやりたい人間がいれば立候補を受け付けるという話だったし、まだ自分がその立場に立つということを現実として受け止めきれていない部分はあったけれど、
もしそうなったら、生徒会長が聖以外になった場合は自分も辞する覚悟でいる。
妃沙にとって聖は、可愛い弟分で尊敬すべき先輩という、なかなか複雑な立場にいる人物で……そして少しだけ、恋だの愛だのという話題から離れた、浮世離れしている感じがとても心地良い人物であった。
『水無瀬? こんな時間に珍しいね』
「もうお休みでしたか?」
『いや……寝付けなくて本でも読もうかと思って開いても、ちっとも頭に入って来ないんだよね』
困ったね、と、苦笑する微かな息遣いの中にも彼の複雑な感情を感じ取り、妃沙もまた、フフ、と静かに微笑んだ。
「玖波先輩、わたくし、知玲様に説き伏せられてしまいましたわ」
『……僕も。悠夜と理事長の二人掛かりだもん、敵うワケがないよね』
「それは……ご愁傷様としか言いようがありませんけれど……でも、玖波先輩もお引き受けになったのでしょう?」
『……まぁ……うん。押し切られたと言っても過言ではないけどね』
互いに溜め息を含んだ笑みを漏らし、周囲の人々に対して困ったものだと言って見せながら……内心はとても温かい気持ちであるのを、電話を通した相手にも伝わるくらい、慈愛に満ちた声で会話を続ける二人。
そうして妃沙は、座っていたベッドから立ち上がり、相変わらずシンプルな内装の室内を少しだけ移動して、設えられた大きな窓の前に立つ。
シャッとカーテンを開けると、そこにはとても優しい表情で自分を見つめる金髪の美しい少女が写し出されていた。
「玖波先輩はどんな説得をお受けになりましたの?」
『何て言うか……くすぐったいくらいに褒められた、かな。役員として働いた時のこともそうだけど、それこそ生まれた時からのことをずっと。
しまいには人の目を惹くにはある程度整った容姿は武器になるんだなんて、あり得ない事も言ってた気がするな』
「まぁ……フフ。確かに玖波先輩に微笑まれたら、どんなお願いごとも叶えてしまいたくなる程の衝撃がありますものね。そしてその真面目でお優しい心根で、立派に学園を纏めて下さると思いますわ」
『水無瀬に言われたくないな。それに……僕が会長を全う出来るとしたら、君の支えがあってこそのものだと思うよ。ほら、自他共に認めるひねくれ者だからさ、僕は』
その言葉に、お互い様ですわ、と笑みを落としたところで、妃沙はそっと窓を開けた。
木々の葉が少しずつ色付く季節に向かおうとしている今、夜風は少し冷たかったけれど、その冷気すら自分の火照った心には丁度良いと思えるほどに妃沙の心は少しだけウキウキしているようだ。
「何と言って良いのか、上手い言葉が見つからないのですけれど……認められるということがこんなにもプレッシャーで切なくて……そしてこんなにも嬉しいものなのだという事を初めて知った気がしますわ」
『……うん。自分ですら見えていない自分を肯定してもらえるのって、本当に幸せな気持ちになるね。僕ですら頑張ろうと思ってしまうくらいにはさ』
「そう……『肯定』ですわね。紛れもない信頼に溢れた、温かな言葉をたくさん頂きましたわ。
ねぇ、玖波先輩。わたくし、自分の価値など考えてみたこともなかったのですけれど……大切な人がわたくしに期待をしているのなら、それに応えたいと思う程には、人間らしい心を持ち合わせているようですわ」
サァ、と風が抜け、妃沙のだいぶ伸びた金髪を揺らした。
電話を耳に当てたまま、妃沙が優しい声でポツリと呟く。
「……やれることをやりましょう。そして、わたくしたちの理想が学園を優しく包むよう、皆に心を砕いて参りましょうね。玖波先輩と充様と……それから、この学園に関わる全ての方々と共に、高みを目指して行けるように」
『……フフ、やる気だね、水無瀬? 何なら会長職を譲ろうか?』
「やめて下さいまし! こうなった以上、玖波先輩には立派な生徒会長になって頂きますからね!!」
うん、と呟いた聖の表情もまた、きっと優しいものであるに違いないという確信を抱きながら、妃沙は自分が踏み出した新たな一歩と、その先の未来に想いを馳せる。
自信なんかまるでないけれど……でも、大丈夫だと言ってくれた言葉を、今は信じようと思う妃沙なのであった。
◆今日の龍之介さん◆
龍「俺だってお前を全肯定できるぜ!」
知「……へぇ? それは光栄だな。聞かせてよ」
龍「思い込みが激しい、無駄に格好つける、強引、俺のこととなると猪突猛進……」
知「……ねぇ、それ全然褒めてないよね!?」
龍「それが嬉しいんだって言ってもか?」(ドヤァ)
知(赤面)「君ってホント……人タラシもいい加減にしてよね……!」