◆106.恋人はスナイパー
「まぁ、悠夜先輩、ご覧下さいまし……!」
妃沙がそんな声を上げて何かに引き寄せられるように駆け寄って行く。
そんな彼女の後を、彼氏を置いて行くなよーなんて言いながらも微笑んでついて行く悠夜の姿は、普段の彼を知らない人物が見たら驚くほど柔らかい雰囲気を纏っていた。
第一印象こそ『チャラい』というものだった悠夜だけれど、妃沙にとっては今や『弟分』まで格上げされているので警戒心はまるでないと見え、こっちこっちとあどけない笑顔を浮かべながら悠夜を誘導している。
その『弟分』とやらはおそらく、妃沙にガチ恋中の悠夜にとっては『格下げ』意外の何物でもないのだが、目下のところ理事長である莉仁までその中に入っているので、悠夜に逃れる術などないのである。
「射的?」
そうして妃沙に連れて来られたその場所で、悠夜は驚いたような声を漏らした。女子高生が喜びそうな出店だとはとても思えなかったのだ。
室内に創設されたこの街並みは、ノスタルジックな雰囲気を醸し出しすような設計がなされており、木造建築や出店など、『日本』を知っている人間からすればどこか懐かしい気持ちを呼び起されるような街並みが拡がっている。
だが、妃沙が今生きる『東珱』の世界に、こんな『昭和』めいた世界があったのかどうかは、この国の歴史を学んだ妃沙ですら疑問を抱く所であるのだけれど。
綿あめ、焼きそば、たこ焼きにあんず飴と言った屋台の数々が立ち並び、各店から良い匂いや威勢の良い声があがっている。
照明を落とされた室内では、観光客がそれぞれ楽しそうに探索を楽しんでいるようだ。
その、温かくて何処か寂しそうな雰囲気は、妃沙にとってはとても馴染みのあるものであったので、テンションは上がる一方だ。
ましてや今、悠夜を連れ出したのは、前世から唯一、この出店だけはどんなに怖がられようとイカサマな設備であろうと、見つけ次第に参加しては店に対して壊滅的なダメージを与えて来た出店なのである。
「ええ……ええ……! 再びお目にかかれるなんて奇跡ですわ! 大好きなんですのよ、射的! この、獲物を狙って神経を研ぎ澄ます感じがもう……もう!!」
懐かしいですわ、と呟いて出店を見やり、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる妃沙の表情はとても大人びて見える。
中身が良い年をした元ヤンだと知っている存在からすればそれほど驚くべきものではないのだけれど、未だ付き合いも浅く、それでいてガチ恋中の悠夜はウッと息を飲んだ。
妃沙を良く知らない人間が見ればただの楽しそうな微笑みにしか見えなかったし、実際、そんな笑顔に見惚れて足を止める観光客すらいるくらいである。
だが、人の心の機微にとても敏感な悠夜は、その言葉と表情の中に何処か寂しそうな感情を読み取ったのである。いわゆるモテ男の直感というヤツだ。
そして彼は、そんな時、自分がどんな態度を取るべきなのかも本能で理解している。天性のモテ感覚というべきものであるので羨んだりしないで頂きたい。一種の才能なのだ。
「やるか? なんだったらどっちが良い景品を取るか勝負する?」
勝負事をふっかけられた妃沙の瞳にみるみる生気が宿る。
そんなに付き合いが長い訳でもないのに、彼女を元気付けるにはどうすれば良いかが解るのは、一重に悠夜の観察眼の賜物だ。
そして彼もまた、妃沙に引けを取らない程の負けず嫌いであったし、せっかくのデートだ、自分が一番好きだと思うキラキラの妃沙の笑顔を見ていたかったのである。
「よろしくてよ! 言っておきますけれどわたくし、店主に勘弁してくれと何度も言わせたことがある程の腕前ですのよ? 悠夜先輩、ハンデを差し上げましょうか?」
フフ、と不敵に微笑む様には、もう何処にも寂しさは含まれていないように見える。
だが、その言葉はさすがに悠夜には看過できるものではなかったと見え、こちらも不敵に微笑んで言った。
「良いぜ。だが、年下の子猫ちゃん相手にハンデを貰うなんて冗談じゃねぇ! こう見えて俺だって射的は得意なんだぜ?」
「そう仰るならそれで良いですけれど……後で泣きを見ても知らなくてよ」
フフン、と鼻を鳴らし、片眉をピクリと上げて彼を見上げる様は、彼女に対して何の想いも抱いていない相手にとっては多少威圧的に感じたかもしれないものである。
それもそのはず、妃沙はこと射的に関しては前世から絶対の自信を持っているのだ。
孤高の仕事人Gに憧れて初めて挑戦した日からずっと研究を重ね、元々のセンスと動体視力、集中力とコントロールでありとあらゆる出店に壊滅的なダメージを与えて来た輝かしい(?)戦歴を持つ妃沙。
その仕事ぶりたるや、一つの弾丸で三つの景品を弾き落とすなど朝飯前で、どんな力が働いているのか、絶対に倒されないようにと裏に密かに設置されたつっかえ棒ごと打ち抜く実績を誇っているのである。
この世界ではやったことがなかったしルールも違うかもしれないけれど、射的は射的だ、絶対に負ける訳にはいかないと、悠夜とは違った方向に闘志を向ける妃沙。
一方、おざなりにされた恋する男子はそんな彼女の様子を満足気に眺めながら言った。
「そんなに自信があるなら、俺が勝ったらご褒美くらいもらっても良いよな?」
ス、と妃沙の耳元に形の良い唇を寄せ、やたらと良い声でそんな事を囁いてみる。
ところが、目の前の少女は頬を染めるどころか挑戦的な瞳で彼を見返して来るではないか。
「よろしくてよ。もっとも、わたくしは絶対に負けませんし、取らぬ狸の皮算用になってしまうでしょうけれどね」
彼を射抜く刺すような眼力には一瞬だけたじろいでしまいそうになるけれど。
「ふぅん? なら、とびっきりのご褒美を貰うの、楽しみにしてるぜ」
こちらもまた、到底想い人に向けているとは思えない鋭い視線を彼女に返していた。
───◇──◆──◆──◇───
パンパン、と小気味の良い音が響く度に、店主と思しき人物の悲鳴が聞こえて来る。
妃沙と悠夜の、デート中の二人とは思えない程に白熱した真剣勝負の場に選ばれてしまった、哀れなその射的の出店。
商品が並べられていた棚はもう、あらかた打ち抜かれてスッカラカンの状態だ。
そして今、互いに三本目の銃を手にし、その視線は真っ直ぐに最後に残った一等賞に注いでいる二人……黙って立っていれば目を引く美貌の持ち主、水無瀬 妃沙と久能 悠夜の二人だ。
その圧倒的な射的技術を披露して店の景品を根こそぎ奪取する二人の姿に魅了され、その背後では観光客が立ち止まり、野次馬が野次馬を生んでいるほどで、二人の背後の通路はもはや隙間もないほど人で埋め尽くされている。
だが、真剣勝負中の当人達は周囲の様子などまるで目に入っていないと見え、最後の標的──この国では最も人気のあるテーマパークのイメージキャラクターであるケニー・ザ・キャットのぬいぐるみに注がれていた。
「……なかなかやりますわね、悠夜先輩」
「妃沙、お前こそ……」
集中力を切らすどころか、より高まった視線を交わし合う二人が、実はデート中なのだと言った所で信じる人はいないに違いない。
だが、当人たちは至って真剣で、そしてまた店側も、最後の残ったこの景品だけは死守せんと小細工を付け足している。
取るのが簡単な景品の順番に点数をつけ、合計点が多かった方が勝ちという勝負を繰り広げている二人の点数はほぼ互角。最上部に鎮座するそのぬいぐるみを獲った方に加算される点数で勝敗が決まるといった具合だ。
正直、妃沙にとっては意外な程に、悠夜は射的が上手かった。
それもそのはず、悠夜は海外で暮らしていた頃、射撃で世界的に有名な選手にその才能を見込まれて特別レッスンを受けており、競技会に出場しては好成績を残す程の腕前なのだ。
悠夜自身は射撃を究めたいと思うほどの思い入れはなかったので──悠夜はそんな競技を両手で数えて余りあるほど持っていたのである──これでも本気で取り組んだ訳ではないのだが、
対する妃沙に至っては教えを乞うどころか我流でプロの教えを受けた悠夜と同等に立ち回っているのだ、どちらに才能があるかと問われれば答えは明白であるのだけれど。
妃沙は今、才能だとか、勝負の結果だとかいうことよりも、何故だかケニーだけは絶対に自分が取らなければいけない、という謎の使命感に駆られていたのある。
「ケニーだけは絶対に他人に譲る訳にはいかないのですわ……!」
気迫の籠もった声を発し、ス、と狙いを定めた銃から放たれた弾丸は、真っ直ぐに満面の笑顔を浮かべる猫のぬいぐるみに向かい、その心臓辺りを撃ち抜く。
頑強に補強された、ケニーを支えるつっかえ棒がポキリ、と音を立てて折れてしまう程の力。
いや、放たれた弾丸は等しく同じ力を持つはずで、別に妃沙がそこに何かの魔力を込めた訳でもない。彼女が扱える魔力では必ず見た目にそれが表れてしまうだろうし、純粋な射的勝負の場で彼女がそんな事をするはずもないのだ。
負けず嫌いではあるけれど、こと勝負の場においては公明正大であろうとする姿勢は、特にこの世界に生まれてからというもの、貫き通している姿勢である。
そうすることで純粋に、真剣に勝負を楽しめるのだから、妃沙にとっては当たり前のことなのであるのだけれど。
何かの力を纏ったように、一直線にケニーの心臓あたりに弾丸が向かうのと時を同じくして、つっかえ棒がカタリと外れるのを、店主は見た。
店主も手を触れていなければ、風すら吹いていない室内の出来事であるので、それはまさに奇跡としか言い様がない。
ゴン、と良い音をさせて弾丸がケニーを打ち落としたその瞬間。
「キャーーーー!!」と、美少女の口から漏れる歓喜の声と。
「アアァァーー!?」と、美青年の口から漏れる御差の声。
……そして。
「『お前に勝ったら』イベントだァーー!! ねーねー、誠くん、これって悠夜先輩ルートの大切なイベントでね!?」と、野次馬の中から声が聞こえる。
だが、その声を掛けられた、ピンクブロンドの美少女の隣に立つ屈強な大男の瞳には、珍しく彼女の姿は映っていない。
その時、彼の瞳には、最後の景品を打ち抜いた彼女の、見事なまでに完璧なコントロールを生み出した彼女の美しいフォームと、こんな場において発揮された集中力に珍しく隣の彼女より目を奪われてしまったのである。
……もっとも、それは恋だのなんだのという感情というよりは、一人の素晴らしい狙撃手を目にした同業者の視線であった。
そして宿る、勝負者として、そして男として対峙したいという欲望。
「萌菜、あの出店はもう景品が残っていないが……あちらの出店に、お前の欲しい物はないか? あの少女と……水無瀬と競い合い、勝ち取ってお前にプレゼントしたい」
勝負のきっかけを隣に立つ想い人に押し付けるのはズルいかと思いつつも、燃え滾る勝負への渇望を抑えることが出来ない。
そして隣の少女は、そんな複雑な彼の心情などまるでお構いなしのようだ。
「萌菜の為に何か獲ってくれるのォー? 嬉しいな♪ でも萌菜ね、この世界のキャラクターとかあまり詳しくないの。だから……誠くんが萌菜に似合いそうな子、選んで欲しいな!」
ニコリと微笑む様は、少なくとも誠くんには眩しく映ったらしい。
そしてその後、妃沙に挑むことすら忘れて、萌菜に似合いそうなキャラクターを探し回る大男。
最終的には射的ではなく、ゲームセンターでピンク色のフワフワとした毛に包まれた熊の特大のぬいぐるみをUFOキャッチャーで獲得し、彼女にプレゼントして大喜びした想い人から頬にキスを貰うというご褒美をもらった誠くん。
──主人公とデート中の悠夜ですら受け取れなかったご褒美を、彼らの預かり知らぬ所で大男が受け取っていようとは誰も想像だにしていない事態になっていたのであった。
───◇──◆──◆──◇───
「……お前、そんなにそのネコのキャラが好きなの? そんなに大事そうに抱えちゃって、『彼氏』としては少し複雑な心境なんだけど」
満面の笑顔を浮かべて嬉しそうに獲得したケニー・ザ・キャットのぬいぐるみを抱き締めながら歩く仮初の恋人の隣で、心底面白くなさそうに悠夜が呟いている。
勝負に負けた上にデート中の想い人は自分よりもぬいぐるみに心を奪われている様子なのである、面白く思うはずもない。
悠夜だってそのぬいぐるみがケニー・ザ・キャットという名前であることは知っているし、そのキャラクターがいるテーマパークにだって何度も行った事があるのだけれど、こと妃沙に関しては今までの自分のキャラというものがまるで通用しないらしい。
今までの悠夜であれば、女の子が嬉しそうにぬいぐるみを抱き締めていれば可愛いと思うだろうし、妬けるな、なんて甘い言葉を囁く余裕すらあったはずなのに、相手がガチ恋の相手であるというだけでこのザマだ。
俺も情けなくなったなぁ、なんて、切ない溜め息を吐く彼の横で、相変わらず嬉しそうに……そして何処か慈愛に満ちた瞳をケニーのぬいぐるみに向ける妃沙。
「ケニーはヒーローですもの。ヒーローに無条件で憧れるのは純粋な青少年としては当たり前のことではございません?」
「純粋な青少年? お前が? 全世界の青少年に謝れよな」
思わず、拗ねていたことすら忘れてしまう程に衝撃的な発言をした妃沙の横で悠夜はブハっと盛大に吹き出す。
確かにその正義感に溢れた心根はヒーローに憧れる青少年と言っても間違いではないような気もするけれど、妃沙のそれはヒーローとは何か違うような気がするのだ。
そしてまた、当の本人もそれは自覚しているようである。
「まぁ……自分がヒーローになりたいだなんて思っている訳ではございませんわ。わたくしはヒーローを影から支えるような……ケニーにとってのヒューグのような存在になりたいなと思っておりますし」
「ヒューグってお前……。それも何か違うぞ。あんな寡黙で渋いキャラとお前じゃ無理があり過ぎるだろ」
「ええ、そうですわね。ですから……憧れ、なのですわ」
フフ、と微笑みを落とす様に、何処か諦めたような寂しさが浮かんでいる。
それは妃沙が意図したものではないのだけれど……前世ではその強面が理由で、そして今世では性別のせいで決して叶うことのない、憧れ。
けれど不思議と、諦めたというマイナスな感情ではなく、『自分にとってのヒーロー』を支える立場にいる自分に、何処か満足していることにも気付いている。
そして心に宿る『自分にとってのヒーロー』を思い出し、今度は間違いなく優しい微笑みを浮かべる妃沙。
……だが、そんな彼女の表情の変化を、隣の悠夜は敏感に感じて取っていた。
「そのヒーロー候補の中に俺も入れてくれてるよな、妃沙? 何つっても今の俺はお前の『彼氏』なんだからな」
キュ、とその白くて小さな手を握り、真剣な瞳で彼女を見つめる様子には、いつもの俺様でチャラ男の様相はまるでない。
別に妃沙は悠夜の事を俺様だのチャラ男だのという風に評価はしていなかったので通常通りの真面目な様子にしか見えていないが、二人の様子を相変わらず少し離れた場所から出歯亀しているカップルの片方はまたしても大興奮のようだ。
「キャーキャー! 誠くん、誠くん! 真面目な悠夜先輩、ちょー格好良いね! あれきっと『ヒーロー候補』のイベント中だよぉー!」
「……萌菜、一度聞こうと思っていたのだが……。お前の言うイベント、とやらはお前を相手に起きなければ意味がないのではないのか?」
突然に問われたその言葉に、ピンクブロンドの自称・ヒロインは満面の笑顔でこう言った。
「うん、良いの! 萌菜ね、現実の悠夜先輩、怖くてちょっと苦手だなーって思っちゃったし……ターゲット、絞ったから」
誰に、とは何故か聞く事が出来ずに……と、言うよりは何故だかその対象が解ってしまった誠くん。
日に日に側にいる彼女の感情に少しずつ変化が見えてきており、彼女に引き摺られるようにして自分の中にもドス黒いものが蟠って行くのが解る。
「……萌菜、闇に落ちるなよ」
「え? 誠くん、何か言った?」
小首を傾げて自分を見上げる彼女の瞳は、未だキラキラとしたものだ。
このままの瞳を護ろうと決意を新たにする大男のその太い腕を、華奢な彼女がキュッと握って何処かに誘導しようとしている。
「ほらほら、誠くん! 悠夜先輩達がどっか行っちゃう! たぶん、今日の最後のイベントは観覧車だからそこに行くと思うんだぁ……。せっかくだし、萌菜達も乗ろ?」
ね? と可愛らしく微笑む彼女の頭にチュ、とキスを落とす長江。
彼にとっては、紛れもなくこの場はデートであるから、最後の締めに観覧車というのは悪くないと思ったようだ。
そうして二組のカップルはこの観光地で最も人気のある巨大観覧車に向かって行く。
この国でも有数の大きさを誇るそれは、一回転に三十分もかかる程の大きさが有名で、特にカップルに大人気なアトラクションだ。
ボウリングから始まり、射的に少しだけ時間を使い過ぎた感のある妃沙と悠夜がそこに着いた頃には、空はもう紅く染まる時間になっていた。
──そして、一つの恋にここで結論が出ることになるのである。
◆今日の龍之介さん◆
龍「……ハッ!? ここではない、何処か別の場所でラブコメ的展開が咲き乱れる気配!」
悠「物騒だから銃を降ろせっ! 俺達だって立派にデート中なんだしラブコメの王道だろ!」
龍「……ハッ!? これがイベントというヤツか!? まさか俺は今、見事に攻略対象のハートを撃ち抜いてしまったのでは!?」
悠「……イヤそれは今更だろ。ヒロインになりたいならいつだって……」
龍「何言ってんだ。今、気分は狙撃手だからそっちで頼むわ」
悠「……おまえ、そういうトコだぞ!? ……まぁ、可愛いけど……」
龍「あーん? 何か言ったかぁ~?」