◆98.メイド論争
「それでは、執事担当の生徒は男子有志と水無瀬さん、遥さん、宜しくね。そして……ハァ……唯一のメイドはボクが担当するよ……」
ハァ、と、未練たらしく溜め息をつく、このクラスの委員長である彼──栗花落 充。
だがその横で決定事項を黒板に書き終えたこのクラスの副委員長、水無瀬 妃沙が満面の笑顔をクラスメイトに向けて「頑張りましょうねー!」と声を掛けるその様はいっそ憎たらしい程にキラキラしていた。
「……ボクだってもう高校生なんだしさ、女装メイドより本物の可愛いメイドさんの方が良いに決まってるじゃんね? 美子も呼んじゃったのに女装だなんて……ハァ、ハァァ……」
民主主義の多数決で決まってしまった事実だから受け入れようとはしているようだが、それでも未だにブツブツと呟いている充。
そんな彼の隣で、妃沙はフ、と、しゃーねぇなと言わんばかりに溜め息を吐き、その肩をポンポン、と優しく叩く。
「充様、これは良い経験になると思いますわ! 女性の気持ちになれる機会など貴重ではありませんか。
これから先、たて……コホン、詠河先輩をお迎えになるにあたり、女性の気持ちを理解した旦那様というのはきっと先輩にも心強い存在になる筈ですわ」
果たして彼女もまた『女性の身体に心を宿した男性』であり……まぁ、知玲が「そのままで良いよ」と甘やかすものだから『女性の気持ち』とやらを察する生活はしていなかったけれども、
どうしても越えられない身体構造の違いによる力の差やちっともつかない筋肉などという辺りで「ああ、この身体は本当に女子のそれなのだ」と察するくらいはしているので許して上げて頂きたい。
とにかく異性の気持ちを察することというのは貴重な体験だぞ、というのは妃沙の心からの本心なのであった。
「……また縦ロールって言おうとしたよね……。ハァ……、でも妃沙ちゃんの言う通りだね。美子を護る為に必要なことだし、芸の肥やしにもなるよね。
……うん、決めた。老若男女関わらず、全ての人に完璧だって言って貰えるメイドを演じてみせるよ……!」
清々しい表情で強い決意を表明した充に、妃沙だけではなく教室中から盛大な拍手が沸き起こる。
妃沙はと言えばもう涙目で「ご立派ですわ、充様!」なんて言いながら指を大きく拡げて手を叩くものだから、誰よりも大きな音を立ててしまい、元々の容姿も相まって注目を集めてしまっている。
だがその妃沙が不意に拍手を止め、片眉をピクリと上げながら酷く真面目な表情で投げ掛けた言葉で、教室内はしばらく収まりが付かない程に紛糾することになる。
「それでは皆様……今回一の重要案件である議題にそろそろ終止符を打とうではありませんか──『メイドの衣装問題』に……!!」
その言葉を聞き、オオーー!! と雄叫びを上げる生徒達とは裏腹に、ズコーッと解り易くズッコける充。さすがに役者である。
「ちょっ!? 妃沙ちゃん、何なのそれ!? ボクの衣装なんてどうだって良いでしょ!?」
「何を仰るのです、充様! メイドは今回の華なのですわ! 多くの人々が充様目当てにお越しになるというのに、吟味を重ねないまま世に出すワケには参りませんのよ!!」
そうして妃沙が語るには、執事達の衣装のコンセプトは和と洋に分かれることに決まっているとのこと。
これが決まるにも一悶着があり、出すメニューがおにぎりに決まった時から密かに論争は続いていたのだ。
「おにぎりなら和装だろう」という一派と「執事と言えば燕尾服、タイはクロスが様式美である」という一派が激しく討論を交わしており、一触即発の雰囲気になってしまったところに、キョトン、と不思議そうに首を傾げて妃沙が言った言葉。
「両方いらしたら素敵ではありませんか。お客様の好みも様々なのですもの、様々な選択肢に応えることが大事なのではないですか?」
その鶴の一声に「それだーー!!」と全員が食い付いた。
そしてそこからの妃沙の活躍は凄まじく、立ち居振る舞いの特別講師として、和装部門の執事には剣道部で研鑽を積んだこの学園の副会長、東條 知玲。
洋装部門の講師には外国生活の長い生徒会長、久能 悠夜……と、何故だか理事長である結城 莉仁も協力してくれるのだと言う。
余談だが、妃沙としては悠夜に講師を引き受けて貰えれば良かったのだけれど、何処からかその情報が莉仁にも漏れ「年の甲だって馬鹿にしたもんじゃないぞ」と無理矢理に乱入して来たのである。
そしてまた、和装の所作は難しいという判断から知玲サイドに参加する生徒は限定されたメンバーとなっており、その大半が洋装部門への参加となってしまった為、悠夜一人では少し不安が残るという意味合いもあった。
なお、妃沙は洋装部門でショタ執事……美術部がデザインした所によると半ズボンにシルクハットという特別仕様の衣装になるらしい。
そしてもう一人の男装執事、遥 葵もまた洋装部門で、これまた美術部員が渾身のデザインを披露したキラキラしい軍服になるそうである。執事という設定は何処にいったのかと、その決定事項を聞かされた二人はジト目になったものだ。
「……ならボクも洋装にしてよ……。正直、袖を捌きながら給仕をする自信はないから……」
「いえ、充様。洋装は決定事項なのですわ! 今、決めるべきなのはその丈……丈なのです……!」
ギッと室内を見渡す妃沙。その周囲には彼女と嗜好(萌え)を同じくする生徒が集う。若干男子生徒が多いようだ。
「メイドと言えばミニ! 膝丈にチラリと覗くペチコート、そしてニーハイソックス! ここに白いエプロンを纏う様に何故ご納得頂けないのですか、ロング派の皆さま……!」
そうして妃沙が厳しい視線を向ける先には、なんと彼女の親友・葵の姿があったのである。
「お前こそ、何故ロング丈の奥ゆかしさの中にある慎ましい色気が理解出来ないんだ!? 和装でも洋装でも、コンセプトはクラシカルなんだぞ! 一ミリの肌の露出もないロング丈こそ乙女の嗜みだろう!?」
「相手が葵だろうとこれだけは引けませんわ! 良いですか、ミニ丈など若いからこそ許されるものなのですのよ!? お客様は萌えを求めていらっしゃるのではありませんか! 紺と白を基調にした衣装、ボリュームたっぷりなペチコート!
そして何より大切なのはニーハイ! ニーハイソックスなのですわ! ミニ丈だからといって露出で媚を売るようなことはしませんわよ! 見えそうで見えない、そしてその奥にあるものを想像させることこそメイドの極みではありませんか!!」
ぐぬぬ、と唇を噛み、珍しく睨み合う妃沙と葵。見れば、葵の周囲にはクラスの殆どの女子生徒が追随しているようである。
「着るのは充なんだぞ! 高校生男子が女装をするなら、身体のラインは出来るだけ隠した方がゴツさが緩和されるじゃねーか!」
「何を仰いますの! 男子だからこそ持ち得る引き締まった脹脛や足首、そして若干の力強さを感じさせる腕のラインがあるからこその女装なのではないですか!」
二人の主張を皮切りに、それぞれのサポーターから大きな声が溢れだし、もはや終息させるのは難しい程に喧々囂々な教室内で、一人、取り残された充はハァァ、と、本日最深の溜め息を吐いた。
「……どっちでも良いよ、もう……」
その肩にポン、と手を置き、彼を慰めてくれる存在はこのクラスには一人しかいない。
「……あー、まぁ頑張れよ、充」
心底同情してくれている親友・颯野 大輔の気遣いが嬉しくて、キュ、とその腰に抱き付く充。
充としては常に男らしくありたいのに、女装メイドなんていうそれとは逆の役割を与えられてしまい、少しだけ自暴自棄になってしまっていたので、大輔の気遣いが嬉しかったのだ。
……だが。
「……葵、大輔様が浮気を……」
「……うう、やっぱりアタシには妃沙だけだよ……!」
今まで激論を交わしていたというのに、次の瞬間にはコレだよ、と、大輔と、彼に抱き付いたままの充がハァ、と深い溜め息を吐いていた。
───◇──◆──◆──◇───
「それじゃ、洋装部門の研修、第一回を始めるぜー!」
きらきらしい笑顔で問答無用の美形生徒会長がそう言い放ち、室内からおー、と声が上がる。
なお、もう一人の特別講師である理事長の結城 莉仁は、どうしても抜けられない仕事が出来てしまったからと第一回は欠席していた。
妃沙のLIMEには大量の……そう、読むのに苦労する程の量の謝罪を送りつけて来ていた莉仁。どうやら彼も特別講師として文化祭に参加出来ることを楽しみにしていたようだ。
今年から着任したこともあり、こうした生徒達との交流をとても大切にしているのは妃沙も知っているので「第二回は絶対来いよ……待ってる」と送ったところ、それまで以上に熱量の籠もったメッセージが送り付けられて来て、面倒臭いからとスマホを放置して寝てしまったことを翌朝後悔したものである……何しろ、未読メッセージが両手両足では足りない程だったのだから。
「とは言え、俺一人ではちょっと不安もあるしな。今回は有名流派の師範代を両親に持ち、自身も幼い頃から華道に勤しんでいる生徒会の会計役員、月島 咲絢をゲストに呼んだぜ!
今回の執事喫茶のテーマは「クラシカル」なんだろ? メイド役の充はさることながら、そういう立ち居振る舞いは彼女から学べる事も多いと思うぜ……ただし」
パンパン、と悠夜が手を叩くと、研修の為に借りていた広めの教室の扉がガラッ開いて銀髪の、黙っていれば美形であり、そしてこの学園の書記を担っている三年生、真乃 銀平が入って来た。
既にイメージされた執事服を身に纏い、コスプレのつもりなのか銀縁の眼鏡までかけてキリッとした表情で入室して来る様に、室内からは少ないながらもキャッ、という声が聞こえて来る。
「咲絢は立ち居振る舞いは完璧だが、その言葉が圧倒的に足りないから伝わらない事もあるだろう。通訳兼アドバイザーとして、銀平も快く協力を申し出てくれたんだ。ありがとな、銀平」
……いや、それは月島 咲絢がここにいるからだろう、というツッコミを内心でした者も複数名いるが、確かに有名流派の家元にして後継者に指名されている彼は適任と言えるだろう。
もっと言えば知玲と共に和装部門に参加しても良さそうなものだが……そこはまぁ、察してあげて頂きたい。
「皆さん、俺も執事の経験はないけれど……我が流派の博愛精神と凛たれ、という気持ちを伝えられたらきっと大成功すると思うから、よろしくな!」
ニカッと笑って告げられる台詞、眼鏡と執事服という破壊力、そしてそれを告げる自信に満ち、それでいて何処か不安げな表情に一同がハッと息を飲む。
彼の実態を知るごく一部──妃沙、葵、充、悠夜辺りは笑いを堪えているし、咲絢は無関心という例外はあったけれども、概ね好意的に受け入れられているようだ。
だが、当の銀平も自分の評価は正確に受け止めているらしく、苦笑しながら言葉を続ける。
「華道の精神は華との対話だ。華の声はとても小さな声だけど、生命の声に満ち溢れてる。それに比べて俺達は人間だってことに少しだけ、胡坐をかいているよな」
フ、と自嘲めいた微笑みを落とすのは今まで自分が見て来た銀平だろうかと妃沙などは息を飲むほどだ。
だが、残念キャラからの脱却、ましてやこの場には一応は婚約者である咲絢もいるのだ、銀平が格好つけたくない筈もねーか、と妙に納得し、協力者の立場に廻ることにしたようだ。
そしてまた、妃沙を通して彼の人となりを知っている面々も笑顔でその言葉を聞いている。
「華道の真髄がこのクラスの役に立つって聞いて、俺はここにいる。正式な講師じゃないから今日限定になるかもしれないけど……だからこそ濃い話になるのは必至だぜ!」
オォーー!! という歓声が響き、熱量が上がる。真野 銀平と言えば、男女共に人気の高い生徒会役員なのでそれは当然である。
この学園の生徒会役員は、会長・副会長のみ選挙で決められ、後の役員はその両名が能力や人望、そして自らの希望があればそれを鑑みた上で選出されているので、一般の生徒が役員達の人となりを知れる機会はあまりないのだ。
ただし、今年度は会長、副会長からして非常に有名な人物であり、注目度も高かった為に、その選出されたメンバーについても感心を寄せる生徒は多かったし、選出されたメンバーも能力、家柄、容姿共に抜きん出ている生徒が揃っていたので彼らに憧れる生徒もまた多かった。
そんな生徒達の憧れ、生徒会役員、ましてや理事長自らがこぞって講師を勤めてくれるのだ、はりきるな、という方が無理な話だ。
「役員の皆さま、ご協力を賜り本当に有り難うございます。短い間ではございますが、最高の喫茶室をご提供できるよう、クラス一丸となって頑張りますわ!」
クラスを代表して、テンションの上がり切っている妃沙が声を発すれば、それに追随するようにして他の生徒達も「宜しくお願いします!」と元気に頭を下げる。
本当は少しだけ、何で自分が、という疑問を捨て切れずにいた充は、なんだかそんな自分が恥ずかしくなってしまった。
委員長がこんなんじゃ駄目だよな、と苦笑すると、妃沙の隣に立ち、真正面から講師陣に深く礼をする。
「生徒会長、真乃先輩、月島先輩、今日は宜しくお願いします」
「おー! 期待してるぜ、栗花落 充! 俺の取り巻きの子猫ちゃんたちも楽しみにしてたから、唯一のメイドとして、しっかり努めてくれよ!」
はい、と、迷いを捨てきった声で元気に返事をした充だけれど……次の瞬間には再び膝を突くことになる。
「ところで妃沙、メイドの衣装問題にはカタがついたのか? 俺の周囲でも物議を醸していたぜ。洋装和装、丈の長さや髪飾りに至るまで、人それぞれにメイドに抱く浪漫ってのは違うものなんだな」
「良くぞ聞いて下さいましたわ、生徒会長! 今回の華である充様には、二日間の文化祭の間に四着ほど身に纏って頂く予定なのですわ!」
フンス、と鼻の穴を拡げてドヤる妃沙を横目に、充はえ、とだけ声を漏らして目を見開いている。どうやら初耳だったようだ。
だが妃沙はそんな充の様子にを気にかけることもなく、瞳をキラキラさせて語り続けている。
「ロング対ミニの対決は両方を用意しようということで決着したのですけれど、それを報告致しましたら外部からも要望が上がってしまったのですわ。
中でも、充様のご家族と婚約者である詠河先輩の声は無視できないほどに魅力的な御提案で、クラス一同、全て見てみたいという結論に達しましたのよ!」
目を見開いたままその場に固まっている充をよそに、周囲のボルテージは上がる一方だ。
話を振った悠夜でさえ、どんな衣装が用意されたのか興味津々の表情で妃沙の言葉の続きを待っている。
「まず一日目、この日は校内のみの開放ですが、わたくしプレゼンツのクラシカルメイド、ミニバージョンを着て頂きますわ。午後からの執務となりますので、一日目はこれだけですわね。
二日目午前中、こちらは葵プレゼンツのクラシカルメイド、ロングバージョンで執務、午後は栗花落 那奈様、雫様ご提供の和装メイド……このデザインは当日のお楽しみ、ということでしたわね。
そして二日目夕刻は詠河 美子様ご提供の秘密衣装で撮影会を開催する予定ですわ! 何やら執務には向かない衣装だそうですので、この衣装の際は写真の撮影にだけ応じるように、とのことでしたのでその予定にしております。
こちらも詳細については当日まで楽しみにしていて欲しいとの事ですので、クラス一同、心から楽しみにしておりますのよ!」
そりゃ豪華だな、と顔を綻ばせる悠夜。良く見れば、こういう事には興味がなさそうな咲絢ですら瞳をパチクリさせて妃沙を見つめている。
そんな些細な表情の変化に人一倍早く気付いた銀平が、どうやら彼女の楽しみにしているようだと悟り、幸せそうに微笑んでいるのが印象的だ。
生徒一同はもちろん、キャッキャと楽しそうに語り合っている、そんな雰囲気の中。
「美子まで……なんでだよォォーー!!」
独り、孤独に苛まれて絶叫する充。
そしてその肩を優しく抱いてそっと囁くのは……もちろん、天使などではない。
「お諦めなさいまし、充様。この条件を飲む代わりに多くの高級食材の提供や他の生徒達の衣装などにもご協力を頂けるという念書を取り交わしているのです。ですから、これはもう決定事項ですのよ」
──良いではないか良いではないかと、街娘をクルクル回して悦に入りそうな表情の悪代官はもちろん……我らが主人公、水無瀬 妃沙、その人であった。
◆今日の龍之介さん◆
龍「なー充、頭飾りはホワイトブリムが良いか? それとも思い切ってヘッドドレスにすっか?」
充「……どっちだって良いよ、もう……」
龍「馬鹿お前、大事な問題なんだぞ!? もっと真剣に考えろよ!」
充「……じゃあブリムで……」
龍「そっか、やっぱそうだよな! クラシカルなイメージっつったらこっちだよな!!」
充「正直、君がそんなにメイドに萌えを感じてるとは意外だよ……」
龍「そうか? 萌えっつーか……どうせなら一番可愛い充を見せてェと思ってるだけだけどな!」
充「……君って時々本当に漢らしいよね」
龍「あざっす!」




