◆1.転生なんて頼んでねェ!
──思えばそれは、何の変哲もない日常の風景だった。
「龍之介っ! 早く! 行くよっ!」
「……うっせぇなァ、夕季……。俺はまだ眠いんだよ。……ったく、何で俺がお前の朝練に付き合わなきゃいけねぇんだよ。いい加減に部内の誰かを見つけて……」
「聞き飽きたわぁ、その台詞! こんなに可愛い女の子を未だ朝も明け切らない時間から一人で外に出して心配じゃないのかなぁキミは!?」
「寝惚け眼で俺が外を彷徨く方がヤバいっつの……って! 人の話を聞けっ! 手を引っ張るなっ!」
漆黒の髪をポニーテールに纏めた少女が、金色に染めた髪をツンツンと天に向けて立ち上げ、耳に幾つものリングピアスを付けた少年を引っ張って歩く光景。
楽しそうに笑う少女と、文句は言いながらもしっかりと制服に身を包み、手には弁当と思しき荷物の入った巾着──それも二人分が収まったそれを持ちながら歩く少年。
「確かに学校はちょっと遠いけど……あたしは朝のこの空気が一番好きだし! それに……」
「……ンあ? 途中で止めんじゃねぇよ。言いたい事があるなら全部言っちまえって昔から言ってんだろ?」
大欠伸をかました後の気だるい表情で少年が言い、少女の額にデコピンを贈る。
長身ではあるけれど細身な身体。釣り上がった瞳には何処か慈愛の色が灯り、不良めいた風貌とは相反してそのデコピンはどこまでもソフトタッチであった。
「……本当に言いたい事は、もっと準備して、言葉も選んで、最高のシチュエーションで言うんだもんっ! それに、その相手は龍之介じゃないんだからっ!」
頬を膨らませる少女。その頬は何処か桃色に染まっていたけれど……
次の瞬間、彼女の右手はドフッ! と音を立てて少年の鳩尾に綺麗にキマっていた。
「……っくぁ……、夕季、てめェ……力加減を弁えろと何度言えば……!」
「バス来ちゃうよ、龍之介! 早く、早く~~!!」
腹を押さえて蹲る少年に向かい、満面の笑顔で手を振る少女。
文句の一つも言いたい。
学校に着いた所で、俺は朝のHRまで机に突っ伏して寝るしかやる事がないし、そもそもこんなに眠いのはお前よりずっと早く起きて二人分の弁当を作ってたからだし、とか。
だが、どんな暴力を受けても、彼が女子に手を出す事は決してない。彼は見た目通りの不良という訳ではないし──ましてや相手は長馴染みの蘇芳 夕季なのだ。
──けれど、この日ばかりは、文句の一つでも言ってやって、その場に辿り着く時間を遅らせれば良かったと、後に彼は後悔することになる。
「龍之介、早く、早く~~!!」
停留所に立ち、笑顔で手を振る少女。
その後ろから、蛇行運転のバスが、近付いてくる。
圧倒的な質量の、動く凶器とも言えるその車体が段々と彼女に近付き──
「……夕季……!」
巾着を投げ捨て、その凶器から彼女を護ろうと、反射的に駆け寄る綾瀬 龍之介、18歳。
火事場の馬鹿力とでも言うべき人間離れした瞬発力を発揮し、幼馴染の彼女を抱き締めて地に倒れ伏す彼の上に──総重量8t以上の重さを持つバスが、倒れ込んで来たのだ。
飛び散る窓ガラス。
数少ないと言えども中に居た、乗客たちの悲鳴。
正気に還った運転手の絶叫。
車体がアスファルトに激突する、けたたましい騒音。
……そんな物も、おぼろげに覚えては、いる。
けれど、彼が最期に見たものは……
「……龍之介……! ヤダっ、死なないで……!」
大粒の涙を流し、額から大量の血を流しながら自分に縋り付く幼馴染の少女。
いつも綺麗に整えられていたポニーテールは乱れ、こめかみから流れる血と共にその漆黒の髪の毛が少女の口元に届かんとしている。
……こんなに乱れた姿を、今まで見せてくれたことなどなかったのに。
(──意識がなくなってく……あぁ、やべェな……俺は死ぬのか……けど……夕季だけ……は……!!)
そんな彼女の悲壮な表情を、朦朧とした意識の中で認めた彼は。
最期の意識を振り絞り、祈った。
(──嗚呼、神様仏様……! 俺はどうなっても良い、コイツだけは……夕季だけは……!)
神など信じない。自分の願いは自分の努力で叶えるもの。故に、奇跡なんか信じない。神様何ソレ美味しいの、と思う程に、信心の無い彼ではあったけれど。
そんなモットーを覆してまで……自分の軟な身体では守り切れなかっただろう、その幼馴染の少女の無事だけを、祈ったのだ、確かに。
信じていなかったくせに、こんな時ばかり都合が良いな、とは思う。
でも、最期の時くらい……願っても良いだろう? 神様、とやら。いるなら聞いてくれ。
──子供の時からの腐れ縁。目付きの悪さから度々因縁をつけられ、もう良いや、とグレてしまった自分の側に唯一人、変わらずに笑顔で接してくれていた幼馴染。
女だてらに剣道部の主将なんか努めていて、その技量は全国レベル。天才だと、人は言う。
けれど、こんな風に朝早くから登校し、一人で道場の掃除をし、毎日黙々と鍛錬に励んでいる事を、一体どれくらいの人間が知っているだろう。
周囲の人間は、彼女をクールだと言う。そしてその溢れる優しさに絆され、憧れている人間が少なくないのも、知っている。
けれど、自分の知っている彼女は、からかえばすぐ怒って手が出るし、自己中心的だし──そして、本当に良く笑う。
(──そんな夕季を知ってるのは俺だけだって、ちょっと優越感を抱いてたんだよな、俺は……)
……だけど、ごめん、夕季。もう俺は、お前のそんな素の表情を見守ってやることは出来そうにない。
視界は既に何も映さない。手足の感覚も、既にない。側にいる筈の夕季の姿も感触も、自分にはもう解らない。
だから今は、祈る事しか出来ない。
神様、どうか頼む。俺がいなくなっても、アイツが……夕季がいつもの笑顔をなるべく早く取り戻せるように手助けしてやってくれ、と。
(──夕季、言いたい事は全部言っちまえと言っていた俺が……でもお前には言った事がねぇよな。本当は……俺は)
言える筈もねぇよな。不良のレッテルを貼られても尚、変わらぬ笑顔を向けてくれた幼馴染。
今はもう見る事は叶わないけれど……誰よりも自分の近くにいてくれて……だからその笑顔を、どんな手を使っても守りたいと思っていたんだ、なんて。
(──言えるワケねぇよな。お前がずっと……だ、なんて……)
もはや、思考すら自分の思い通りには働いてはくれない。今、自分が何を考えているのかすら解らない、フワフワとした状態の中で。
龍之介は、最期の力を振り絞り、言った。
「……生きて……幸せに……ずっと、笑って……」
その魂の絶叫とも言える言葉を口にしたのを最期に、彼の意識は闇に落ちた。
「龍之介……!! 龍之介ェェェェーーーー!!!!」
もう聞こえない彼女の絶叫が振動となって自分を包むのを、何故だかとても心地良く感じながら。
その大切な彼女の額から落ちる血と涙の重みを感じ……嗚呼、生きろと、強く願う。
綾瀬 龍之介、熟年18歳。
現生での短いその寿命を、儚く散らしたその瞬間であった。
───◇──◆──◆──◇───
……気が付くと、全く知らない場所に、彼は居た。
視覚、聴覚、触覚、嗅覚。
人間の感覚は、生きているようだ。
……何も食してはいないので、味覚だけは確かめようもなかったけれど。
その感覚のうち、まず臭覚を刺激する、ムワッとした花の、甘い匂い。
それにつられて、視覚も周囲に向ける。
見たこともない……けれど、確かに綺麗だと言いたくなるような花々が一面に咲き乱れる野原。
こんなにも素直に、花を綺麗だと思ったのはいつぶりの事だろう?
一瞬の美しさを競うかのような花という存在が……彼は嫌いだった。
どうせならずっと、綺麗に咲いてくれれば良いのに。
心を尽くして世話をした月下美人──幼い頃に世話をしたその花が、彼の見ぬ間に花を咲かせ、一夜にして枯れ果てて……幼心に絶望を抱いて以来、その寿命の短さに、嫌気がさした。
ましてや綾瀬 龍之介──彼は、その目付きの鋭さにのみ注目され、何を言っても嘘と断じられ、何が起きても犯人は自分だと言われ続け。
(──グレるなっつー方が無理だし。花が好きだなんて知られたら権威も地に落ちちまうしな……)
そんな自分に、幼い頃から変わらない笑顔で話しかけ、クソッタレな世界に繋ぎ止めてくれていた彼女。
(──ここが天国ってワケか? ……なァ神様よ。夕季だけは助けてくれたんだろうな?)
そんな彼が見つめる先に、不思議な白い葉を湛えた、見上げる程に大きな大樹が──突然に顕現した。
色とりどりの花畑の中にあり、其処だけが何故だかモノクロであると思わせるような……けれども決して色を失った存在なのではなく、淡く光を放ち、圧倒的な存在感を持ってそこに唯、立っている。
(──でけェ木だな。白い葉っぱなんて見たこともねぇけど……ハハ、天国ならなんでもアリか)
その放つ光に、何故だか懐かしさすら感じ、龍之介は花畑の中をその大樹に向かって歩き出す。
確かに踏まれている筈なのに撓むことすらない不思議な花々。けれど、踏みしめる度にその香りが強くなるような気がする。
そんな甘い匂いに包まれながら不思議なその世界を歩き、やがて大樹の根元に辿り着き、ふと、その幹に手を添える。
トク、トク……と。
樹木にそんな胎動がある筈がない。ビクリ、と思わず手を離すも、不思議とそれは不快なものではなく……むしろ生まれる前に感じていたような懐かしさを伴っていて。
龍之介が再び、その幹に手を添えた瞬間──
『よく来ました、小さきモノよ』
女性の物とも男性の物とも言えない不思議な声が聞こえて来た。
……いや、正確に言えば、その声は周囲には響いていない。龍之介の頭の中に、直接語りかけているのだけれど……
(──うぉっ!? 誰だアンタ!? まさか神様ってヤツか!?)
焦ったように思考を返す龍之介の頭の中で、くつくつと笑う声がする。
存外茶目っけのあるその笑い声に、龍之介は思わず警戒心を解いた。
現世にある頃、夕季以外の存在の前では常に気を張り、睨みを利かせていた彼が、初めての存在に対してそんな気持ちになる事は珍しい。
……まぁ、ここは既に現世ではなく、相手もまた人間ではないので、現世の頃の彼と比べるのが適当か、と問われれば答えを出すのは難しい。
『私は神ではありません……そうですね、何者でもあり、そして何者でもない存在、とでも言いましょうか』
「イヤ、意味わかんねーし! 俺はそういう曖昧な答えが一番嫌ェなんだよっ!」
『……』
綾瀬 龍之介。
確かに彼はその外見から誤解を受け続けた為にグレてしまった男子高校生ではあるが、だがまた、思ったこと──特に嫌な物に対する言葉の反応速度は音速を越える程の速さを誇る。
自分の感情に素直すぎる性分がまた、彼を怖いものとして認識させてしまっていたのであるが……そんな事を彼は知らない。
そしてまた、相手を選ばない度胸の良さもまた、時には尊敬を、時には畏怖を抱かせるものであった。
『よく来ました、強きモノよ』
「わざわざそこからやり直すのかよっ!?」
『……』
綾瀬 龍之介。
彼はまた、ツッコミに対しても時に光速を越える。そしてその相手は──やはり選ばない。
『……フフ、アハ……ブハハハハッッ!!!!』
途端に響く、大音量の笑い声。
それを直接脳内で響かされた龍之介は、思わず耳を押さえるが──勿論それは無駄な行為である。
『良いですね、貴方。非常に面白い。そしてその魂もまた──人の世の闇を知りながら光を求めて止まない強きモノ。
先に送った魂と良く似た色をしているようです……確かにこれは、人間ならば惹かれて仕方のないモノでしょうねぇ……』
再び響く、くつくつとした笑い声。
口調を崩し、喜色満面といった態で呟くその言葉に、龍之介は少しだけ、不快な気持ちになってしまう。
「馬鹿にしてんのか。俺はそんな高尚なモンじゃねぇよ。気に入らなければ殴るし、興味がなければ何もしねェ。ただの自己中心的な不良だよ」
そんな彼の呟きに、フフ、と声が漏れる。
誰かと対面している訳でもないのに、プイ、とそっぽを向き、唇を尖らせる龍之介の子どもじみた仕草を見れば、つい微笑んでしまうのも仕方がない。
──例えそれが、『何者でもあり、何者でもない』という、超越者めいた存在であろうとも。
『貴方との会話は楽しいので、もう少し続けたいのですけど……そろそろ本題に入りますね……そうでないとお話が進みませんので』
なんだそのご都合主義は、と思う言葉は声には出さない。
だが、思考すらダダ漏れな相手にとり、それは無駄な抵抗なのかもしれない。
それに彼も、いつまでもここに留まるつもりはなかった。
自分は死んだのだ、地獄なり天国なりに送られるか、消滅させられるのか、さっさとハッキリして欲しかった。
綾瀬 龍之介。彼はまた、潔いまでの現実主義者であり、往生際も、とても良い男であった。
……けれど、その前に、どうしても一つだけ、聞いておかなければならない事が、彼にはあった。
「おい。お前が誰かは知らねぇが、知っているなら教えてくれ。
俺と一緒に事故に遭った幼馴染の女……夕季、蘇芳 夕季は助かったのか……?」
必死な表情の龍之介。
彼が最期に願った願い──それは彼にとり、絶対に叶えて欲しいものであったから。
『その答えはきっと、直に知る事になるでしょう。
……綾瀬 龍之介さん、貴方は確かにあの時死んだ。それは定められた運命の輪によるもので……私のような全知全能な存在を以てしても覆せぬものでありました』
自分で言うな。そしてそんな存在であるなら、今直ぐに教えてくれても良いだろ、という彼の言葉を無視し、声が響く。
『……私はねぇ、とても心が広くて優秀で……そして心を寄せた対象には限りなく優しくあろうと思っているのです』
声がそう告げた瞬間、香り立つ花の匂いが、そしてその景色が、段々と霞がかったようにぼやけていく。
「……ちょっ!? おい!?」
突然の事態に、流石の龍之介も動揺を隠せずに呟いた。
だがそんな彼の言葉もまるっと無視して、声が告げる。
『貴方のいた世界は、私の管轄ではない。だから、元いた世界に転生させる事は出来ませんけれど……私は貴方を気に入ったし、それ以上に、彼女の強い願いに惹かれた』
彼女って誰だ! 俺の事はどうでも良いから夕季の事を教えろよ、という叫びすら、笑って流される。
もっとも、今や彼の姿はもう、霧のように薄くなり、光に包まれ──段々とその身体が縮んでいっている。
『貴方の居た世界でいうライトノベルのような現実を、貴方に進呈しましょう、綾瀬 龍之介さん。
……己の命より他者のそれを願うその心根を、私はとても好ましいと思うから』
──今度こそ幸せを。そして、真実の愛を見つけて下さいね。
そんな言葉を聞いたのを最後に、龍之介の意識は朦朧として、光の奔流に押し流される。
眩い光の中で……龍之介は確かに聞いた。
『……私は貴方が好きですよ、龍之介さん……いえ、これからは妃沙さん、とお呼びすべきでしょうけれど。
どうかこれからは私の管轄する世界で、その愉快な日常を観察させて下さいね』
面白くて堪らないと言った態で告げられた言葉。
だがしかし、身体も意識も奪われてしまった龍之介には返す言葉すらなく──
──そしてその時。
綾瀬 龍之介という一人の男子高校生は、二度目の死を迎えたのである。
───◇──◆──◆──◇───
「……さ……妃沙……!!!!」
誰かが誰かを呼ぶ声がする。
瞼が重い。
そして身体中が、とても熱くて、汗でじっとり湿っていて、とても気持ちが悪い。
けれど……ああ、何故だろう、生きているという実感が、確かにある。
「……んっ……!」
軽く呟いて、その重い瞼をこじ開けた。
と、そこには、酷く憔悴した様子の中年の男女が映り込んでいて。
とりわけ女性の方は、素の状態であればとても美人であろうに、その顔は涙と鼻水でグシャグシャになっている。
だがそんな事より少し気になるのは……呟いた自分の声が、酷く幼くて甲高いものだったような気が……する。
「妃沙っ! ああ神よ、感謝致しますっ!」
女性の方が絶叫し、龍之介の身体をギュッと抱き締めた。
感じる、自分ではない人間の温もり。
……母親すら自分に興味を示さなくなって久しかった龍之介にとり、それは酷く久し振りの感触だった。
「……だれ……?」
何処からか可愛らしい女の子の声が聞こえる。
その声は確かに自分が抱いた疑問を問うていたし、ごく間近……まるで自分の口から出たような距離から聞こえた……ような気がする。
(──まさかな。自分が発した声である筈もねェ)
頭を振って、そんな有り得ない事実を打ち消す龍之介。
「……妃沙、どうしたの……?」
バッと抱き締めていた腕を離し、女性が驚愕の表情で少女を見つめると、コテン、と首を傾げる金髪碧眼の少女。何か不思議な物を見ているかのような視線で女性を見つめ返している。
だが少女の中の人──綾瀬 龍之介はこの時、未だ状況が全く解っておらず、自分が妃沙、と呼ばれた事にすら気付いていないようだ。
ひたすらに不思議そうな表情のまま周囲を見渡し、不安そうに眉を顰めている。
「……医師……!」
「高熱による一時的な記憶障害でしょう。大丈夫、目を覚まされたなら後は回復に向かうでしょう」
美人さんの傍らから、渋い男の声も聞こえて来る。
黒縁のフレームの眼鏡を掛け、立派な口髭を生やしたその人物は、真っ白な白衣を纏い、何処か安心したように微笑んだ。
(──おお、口髭が渋い。ロマンスグレーってヤツだな。俺も歳を取ったら、こんな渋い男になりてェな)
自分の置かれている状況すら忘れ、思わずそんな事を思ってしまう程に、壮年のその男性は渋かった。
……だが、果たして、今、気にすべきなのはそこなのか、という疑問は、この際置いておく。
彼にだって、今の状況は殆ど解っていないのだから。
「ありがとうございます、ありがとうございます……っ! 妃沙、私の可愛い娘! 本当に良かった……!」
女性に対し、ロマンスグレーの反対側でしゃがみ込んでいたのだろうまた別の男性の声が聞こえ、女性ごと龍之介を抱き締める。
存外強いその力に押し潰されそうになり、思わずぐぇっという声が漏れた──その声もまた、可憐な少女のものであった。
(──オイっ! 誰だか知らねぇけど、ちょっと力を緩めてくれねぇと、俺、また死んじゃうぜ!? んでもって、何だか不思議な事をほざいていたな。娘、とかなんとか……)
……と、そこに先ほどまで聞こえていたあの不思議な声が聞こえて来た。
『ごきげんよう、綾瀬 龍之介さん。無事に転生を果たされたようですね、おめでとうございます。
一応ご説明しますと、今の貴方の名前は水無瀬 妃沙。金髪碧眼、空前絶後の美少女ですよ! 私、気が利くでしょう?』
くつくつと笑う声。何だかとても楽しそうだ。
(──何だか知らないけど、この声の存在って、滅茶苦茶性格悪くねぇか……?
それと、俺が美少女とかそんな悪い冗談は止めてくれ。ラノベの世界じゃあるまいし、転生とか、そんな非現実的な事、そうそうあるワケ……)
『性格が悪いとは酷い言われようですっ! 貴方が真実の愛(笑)を見つける為には必要な措置なのにっ!』
(──ってオイ。真実の愛の後に(笑)つけてんじゃねーよ!)
……ツッコミ所はそこなのか。
尚、目に見えない筈の(笑)について彼が指摘出来たのは、確かにその声が告げた『真実の愛』とやらには意地悪めいた色が潜んでいたからである。
だが、そんな龍之介のツッコミすら聞き流し、声は更に衝撃の事実を告げた。
『私が出来るのはここまで。お名残り惜しいですけど、後は観察することで楽しませて頂きますので宜しくお願いしますね。私、『性格が悪い』ので、以降のお手伝いは遠慮しておきます。
あ、性別が変わっちゃったので、サービスで言語自動変換の能力を付けておきましたから、自由にお話下さって大丈夫ですよ!
……龍之介さん、どうか次こそ貴方も……そして彼女も幸せになって下さいね』
そんな言葉を最後に、声が掻き消えた。
後に残されたのは、確かに抱き締められているという実感と感触……そして美少女、転生、という有り得ない言葉。
相変わらず抱き締められたまま、ふと、自分のものと思しき手をじっと見つめてみる──白くてふくよかで、小さな手。
その手で今度は自分のものと思しき頬に触れてみる──慣れ親しんだ男子高校生の肌とはまるで違う、ぷにっとした感触が指を押し返して来た。
そしてその手を下半身に伸ばし、慣れ親しんだモノを確認しようとし──抱き締められたままだった為に叶わず。
だが、今までに確かめた自分の感触と声だけで、これが現実であると理解する。
(──転生? 俺が女に? オイ、マジかよ!)
そして龍之介は、思いの丈を声高に叫んだ。
「……冗談じゃねぇぞ! どうせなら性別なんつー大事な所は、そのまま活かして転生させろや、クソがっ!」
そう叫んだのだ、確かに。
だがしかし、周囲に響く可憐な少女の声は。
「……冗談ではありませんわ! どうせなら性別などと言う大切な所は、そのまま活かして転生させて欲しかったですわ、女神様ったらっ!」
そんな風に変換されて、言葉となって飛び出して来たのである。
(──自分の事女神様だなんて言わせてんじゃねぇよ、クッソがぁぁぁぁーーーー!!!!)
自分が少女として転生したらしいこと。そしてその言葉が自動変換されるという聞いた事もない能力。まるで馴染みのない、その言い回し。
だが、そんな事よりも先に反応した、ツッコミ。
綾瀬 龍之介。
彼の光速のツッコミはまた、時に斜め上を行くものであり──転生しても尚、それは継続しているようであった。
五話まで毎日更新します。
その後は月・水・金の夜更新の予定です。
尚、次回より後書きでは『今日の龍之介さん』をご紹介しようかと思ってます。
完結を目指して頑張りますので、お付き合い頂ければ幸いです!