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ウソつきは誰なのさ

2.






 先輩が中学一年生、流音君が小学四年生の冬。

 その頃、華音さんは既にメジャーデビューを果たしており、順調にファンと仕事を増やしていた。

 軌道に乗った現在では考えられないが、当時は絶賛売り出し中の新人。あちこちのライブハウスを回って営業したり、告知イベントを()ったり、音楽関係の偉い人にコネを作ったりと、多忙の日々を極めていたそうだ。

 とてもじゃないが帰省する暇なんてない。仇志乃家は、次男を欠く三人の男所帯で切り盛りされていた。当代として家を守る紫音さん。中学に通いながら家事をこなす先輩。そして、まだまだ甘えたい年頃の流音君。

 これも今では想像が付かないが、流音君、小学校ではクラスで浮いた存在だったらしい。

 家庭環境の複雑さは周知の事実だったから、先生達は彼を腫れ物のように扱う。一方、子供達は敏感で正直で残酷だ。そんな空気を嗅ぎ取って、何事につけ流音君をハブったり、からかったり、良くない意味で特別扱いしていた。

 そんな日常を、たぶん流音は、なんとかして変えたかったんだ。

 今はそう思う……と、先輩が口を挟んだ。


 冬休みも間近に迫ったある日だった。

 慌ただしく登校してきた女子達が、流音君の席へ来て、こう訊ねた。


「comaって、仇志乃君のお兄さんなの?」


 どこからか噂を聞きつけたのだろう。女の子は成長も耳も早い。この年齢でも、クラスの何人かはビジュアル系に興味があるのだ。

 しかもcomaといえば、最近デビューを果たしたばかりの超絶イケメン。おませな女子が夢中にならないはずがない。案の定、彼女達も熱心なファンだった(そのうちの一人は、現在も(けい)(けん)な信者として、精力的に布教に励んでいるという)。

 さて、この単刀直入な問いに、流音君は、どう答えただろうか。

 今、中学二年生になった流音君ならば、ただの噂だよアリエナイ~などと笑顔で流すはずだ。真相を明かしたところで、誰も得をしない。華音さんにも紫音さんにも先輩にも、何より自分に多大なる迷惑が掛かる。見返りが釣り合わぬ以上、可能な限り面倒を避けるのが彼の信条である。

 けれど、そのとき流音君は小学四年生だった。忙しい兄達、空々しい大人、辛辣なクラスメイト。周囲の人間は、ちゃんと自分に向き合ってくれない。そう感じていても不思議はなかったんじゃないか。

 きっと、寂しかったんだ。

 だから流音君は、こう答えた。


「うん! 僕のお兄ちゃんカッコいいでしょ!」


 女子達は、もう大騒ぎ。今度会わせてだのサインちょうだいだの、一斉に黄色い声を上げて流音君に群がった。昨日までのぼっちが一躍人気者。小学校では、希に起こる現象かもしれない。実際、これで済んでいれば万事平穏だったのだ。

 ところが間の悪いことに、クラスガキ大将がそれを聞いていた。


「ウソだ! そんなわけないじゃん!」


 彼の全否定を皮切りに、そうだそうだ、と取り巻きの男子達も応援に加わった。

 それでなくとも、普段から目を付けられている流音君のこと。今度は男子の黄色い声が、ウソつきウソつき、と大合唱を始める。あっという間に、教室は蜂の巣を突いたようになった。

 流音君は、必死になって反論した。


「う、ウソじゃないもん! ホントだもん!」

「じゃあショーコ見せろよ。ショーコがないとウソつきだ」


 タケシ君の謎理論(ある意味では真理か)に賛同した男子達も、証拠証拠と口々に流音君を責め立てる。小学校あるある嫌な思い出ランキング上位に入るだろう、あの胃が痛いシチュエーションだ。

 ここで泣かなかっただけでも、流音君は偉い。

 でも……。


「……いいよ」


 あぁ、流音君だって純粋な時代があったのだ。

 なにも生まれたときから狡猾な策士ではなかったのだ。


「華音兄ちゃん、クリスマスにテレビ出るんだ。生放送だよ。そこで僕の名前呼んでくれたら信じるよね? それって立派な証拠でしょ!」


 切羽詰まった流音君は、クラス全員の前で、そう宣言してしまった。


「おーやってみろよ! ヤクソクだぜ、ヤクソク」

「指切りしてもいいよ! 絶対ホントだもん!」

「じゃあお前ウソだったら針千本飲めよ!」

「いいよいいよ! ウソじゃないから!」


 話はクラス中に聞かれていた。こうなっては引くに引けない。そもそも流音君には、引く気も引く理由もなかった。comaが実兄であることは彼にとって当然すぎる事実であるし、ウソつき呼ばわりされることの方が理不尽である。

 それに、華音兄ちゃんはいつだって優しい。

 僕の簡単なお願いくらい、軽く聞いてくれる――。

 そう、思ったんだろうな。

 斯くしてその年のクリスマスは、流音君とタケシ君の決闘の日となった。


 家に帰った流音君は、すぐさま華音さんに電話を掛けた。


「あ、流音? 元気にしてる? 久し振りだね」

「華音兄ちゃん、クリスマスはテレビに出るんだよね?」

「うん。よかったら観てよ。ちょっとやかましい音楽だけど……」

「あのね、あのね。お願いがあるの」

「なんだい?」

「そこで僕の名前呼んでくれない?」


 えっ、と華音さんの声が曇った。


「タケシ君がウソつきって言うんだ。comaは僕のお兄ちゃんだって言っても、信じてくれないの。男子はみんな信じてくれない。だから……」

「え、それ言っちゃったの?」

「……ダメだった?」

「いや、うん、そんなことは……ない……ないけど……」


 うぅん、と大きく唸って、華音さんは言葉を繋ぐ。


「どう……かなぁ。えっとね、個人の名前を口にするっていうのは、バンドとしてはあんまり喜ばれないっていうか。偉い人がね、なんて言うかな。大人の世界ってさ、変な決まりがあって。俺としては呼んであげたいんだけど……」


 どうも奥歯に物が挟まったような言い回しだ。

 流音君は知っていた。次男がこういった口調で喋るのは、だいたいが返事に困窮したとき――相手の望む答えを提示できない状況――だ。

 これは考えていたより難しい依頼だったらしい。察した流音君は、いっそう熱を込めて懇願した。


「ダメなの?」

「いや、駄目って言ってるわけじゃないよ。ただ……」

「ねぇお願い! 今年はクリスマスプレゼントいらないから!」

「えっと……」

「ベンキョーも頑張るから。ピーマンも食べるから」

「うぅ……うぅ…………」

「華音兄ちゃん!」


 尚も食い下がっていると、受話器越しに、乱暴な男の声がした。早くしろとか、いつまで話してんだとか、スケジュールとか営業とか、流音君にはわからない用語をケータイが震えそうな勢いで怒鳴り散らす。


「……っはい、はい。いえ、弟で……はい、すみません」

「お願い華音兄ちゃん! 僕、ウソつきじゃないよ!」

「悪い流音、今ちょっと忙しいんだ。その件はさ、どうにか……はい、もう終わります……できるだけのことは……あっ、待って置いていかないでうん。するけど、うん。走る? 走るの? うん。ごめん、ごめん流音、また掛けるから!」


 ぶつっ。

 ツー、ツー、ツー。


「……華音兄ちゃん……」


 呼べども待てども。もう何も言わない受話器を、流音君は、いつまでも固く握り締めていたという。





                  †





 クリスマス当日。

 仇志乃家に、小さなお客様がやってきた。

 などと言えば可愛らしいが、なんのことはない。半分は審判員である。事の発端を作ったタケシ君を筆頭に、取り巻きのリュウちゃんとヒカル君、coma目当ての女子三人。およそ友達とは呼べない連中だ。

 まだ事情を知らない紫音さんは、それでも嬉しかったと述懐していた。流音君がクラスメイトを家に連れてくるなんて、非常に珍しいことだったから。

 玄関で出迎えた紫音さんを一目見るなり、女子達はサッと頬を赤らめた。

 ぶっちゃけcoma目当てで押しかけたのだが、まさかこれほど美形の兄がいるとは思いも寄らなかったのだ。同性として気持ちはわかる。わたしだって、初めて紫音さんに会ったときは爆発するかと思ったもの。

 関係ない話だけど、実はここで一人がcoma派から紫音派に鞍替えしていたことを流音君は後に知る。


「仇志乃君のお兄さんカッコいい!」

「きれいー! キモノ着てたね! なんかいい匂いした!」

「むしろ尊い」


 女子達に称賛されて、流音君はちょっと得意になった。すぐ調子に乗るのは、昔からの悪い癖らしい。


「えへへ、でしょ? いちばん上のお兄ちゃんなんだ!」


 男子達は、面白くない。

 そんなの見に来たんじゃねーし、と流音君を急かして、強引に家へ上がり込む。

 リビングでは、ちょうど先輩がケーキを焼いていた。


「あ、もうちょいで焼けるから。ゲームでもしとけよ」


 ぶっきらぼうに言う先輩だったが、顔はcoma似の美少年。女子達のテンションは更に爆上がり、中には写メを要求する不届き者まで出た。まぁまぁ、これも気持ちはわかる。中一の先輩、可愛かっただろうなぁ。わたしも写メ欲し……げふん。


「凄い! ケーキ焼けるの? スイーツ男子ってやつだ!」

「写メ禁止? どうしても? 一枚だけでも?」

「あの顔……料理属性……攻めと見せかけての受け……?」


 ちなみにここで一人が世音派に移籍。

 以来付き纏われて困った、とは先輩の談だ。


「三番目のお兄ちゃん。剣道強いんだよ!」


 やっぱり男子達は面白くない。

 せいぜい出された菓子をバリバリ頬張って、わざとらしくゲームや漫画の話などしていた。


 時刻は十八時五十五分。

 焼き上がったケーキに手も付けずに、子供達はテレビの前に集合していた。

 生放送は十九時から。華音さんが出演するのは音楽系のクリスマス特番で、その一発目という、大人の事情プンプンの構成である。売り出し中の人気バンドで一気に視聴者を掴む作戦だろう。

 そんなことなど露知らぬ子供達は、各自の期待を胸に開演を待っていた。パーソナルスペースなどガン無視で流音君を取り囲む男子達。無論、流音くんに「逃げられない」ためにだ。くだらないと呆れる女子達は、すっかり正座待機である。


「どんな気分だ? もうすぐウソつきがバレるぞ」


 タケシ君が、意地悪く笑う。

 リュウちゃんとヒカル君も、倣ってニヤニヤと流音君に視線を投げる。


「ウソじゃないもん……華音兄ちゃん、約束守ってくれるもん……」


 一分、二分。流音君は、固唾を呑んでテレビ画面に食い付いていた。

 どんな心境だったんだろう。想像するだけで布団に潜り込みたくなる。


「あっ、comaだ!」


 しばしの神妙な沈黙を破ったのは、ある女子の、悲鳴にも似た歓声だった。










 三曲のメドレーが終わって、リビングは再び静寂に包まれた。

 余韻もクソもなく短いコマーシャルが差し込まれて、程なく番組が再開。雛壇に座る出演者を横に、サングラスの司会者が挨拶を述べる。

 流音君はきゅっと唇を結び、眼を見開いて、地蔵のように動かなかった。

 軽妙なトークは、これっぽっちも耳に入っていないだろうに。


「はいウーソー! ウソでした~!」


 お調子者のリュウちゃんが、殊更おどけた様子でポーズを取る。


「すっごく優しい お兄ちゃん だね?」


 嫌味なヒカル君が、イヒヒと笑う。


「そら見ろ! やっぱウソじゃん! お前の名前なんか呼ばなかったぞ!」


 ガキ大将のタケシ君が、流音君の髪の毛を掴んだ。

 男子達は爆笑。流音君を取り囲み、その頭を、肩を、背中を小突く。勝ち誇っているものだから、遠慮がない。この辺の加減を考えられないのが子供ではあるが、それにしても彼等の言動は意地悪で、辛辣だった。


「ちょっと、もういいじゃない!」


 そのとき女子の一人が割って入り、後ろからタケシ君の頭を叩いた。


「ってぇ、なにすんだブス!」

「やめたげなさいよ! かわいそうでしょ!」

「あんまり乱暴すると先生に言い付けるわよっ」

「そういう攻め方は萌えない。ていうかない。地雷だわ……」


 なんとここへきて、女子勢は全員、流音君の肩を持った。

 イケメンのお兄ちゃんが気に入ったのか、comaを拝めて満足なのか、傷心の流音君に幼い母性本能が働いたのか。いずれにせよ、おてんばな一人を先頭に、鬼女板も真っ青な迫力で応戦を始めた。


「だってこいつウソつきじゃん!」

「もういいでしょ! そんくらい許したげなよ! 男でしょ!」

「そ、それセクハラだよ……」

「うっさい! このネクラメガネ!」

「学級会で話し合おうよ。前からウザいんだって男子」

「あーそれいいわ。先生に思いっきり叱ってもらおう!」

「ちょっ、もとはといえば仇志乃が悪いんだぞ! 変なウソつくから」

「まとめてショタサイトに晒す……特定……炎上……社会的に死ね……」

「イミフだけど怖ぇよお前!」


 古今東西、口喧嘩に於いては、男性は女性に敵わない。予想外の反撃を食らった男子達は、たちまち劣勢。たじたじと後退りを始めた。しかし彼等も男の子、プライドがある。このまま押し切られては、ガキ大将組の沽券に関わる。

 そもそも、さっきから女子がやたらに流音君の兄を褒めるのが面白くなかった。いじめられっ子のはずの流音君が、自分達より遙かに注目を浴び、チヤホヤされているのだ。根底にあったのは、嫉妬ではなかろうか。


「仇志乃がウソついたからだろ!」

「そうだそうだ、だいたいお前の兄ちゃん変だぞ!」

「いちばん上の兄ちゃんなんか、男のくせに髪伸ばしてさ! キモっ!」

「中学生の兄ちゃんも変だ! 男がケーキ焼くなんてダサいぞ!」

「っていうかあれフリョーだ。悪い奴だ。目付きヤベェし」

「着物の兄ちゃん、家の中で杖突いてたね。お行儀悪いんだよ」

「だからお前も変だ。弟なんだからな!」

「変態兄弟だ!」

「やーいヘンタイ! ヘンタイ! ヘンタイ!」


 途端、それまで沈黙を守っていた流音君が、タケシ君に掴み掛かった。


「ちがうっ! ちがうもん! ヘンタイじゃない!」


 ガキ大将の鼻っ面をぐいと引き寄せ、怒りの形相で睨み付ける。

 身長差のせいで、逆に覗き込まれるような格好になってしまうのが悲しい。


「キモくない! ダサくない! 不良じゃないっ! 紫音兄ちゃんも世音兄ちゃんも最高なんだぞ! 杖は仕方ないんだ! 紫音兄ちゃんは目が見えないんだ!」


 タケシ君は一瞬面食らったようだが、すぐさま本領を取り戻し、うるせーと流音君を突き飛ばした。流音君が、床に尻餅を着く。

 けれど怯まない。即座に立ち上がって、タケシ君の懐に飛び込んでゆく。

 これにて口喧嘩は終了し、代わりに殴り合いが始まった。取っ組み合った二人は互いを罵りつつ、拳を交わし蹴りを見舞い髪を掴み首を絞め、床を転げ回る。もう怪獣映画さながらの大乱闘だ。残された女子達もリュウちゃんもヒカル君も、呆気に取られて、ただ傍観することしかできなかった。

 そのうち、自室にいた先輩が、騒ぎを聞き付けてやってきた。

 中学生の兄貴が仲裁に入ったことで、勝ち目のない分を悟ったのだろう。タケシ君は捨て台詞を吐いて、玄関から飛び出していった。


「おぼえてろよ! このウソつき!」

「うーそつき! うーそつき!」

「針千本、用意しとくからね!」


 撤退する男子三人を追って、流音君は靴も履かずに玄関を駆け抜ける。


「二度と来るな! バカ! アホ!」


 既に小さくなった後ろ姿に叫ぶと、三人は、くるっと振り返って足を止めた。


「誰が来るか! ウソつき流音の変態家なんかに!」

「ヘンタイが感染うつるからな!」

「親の顔が見てみたいね!」


 言うだけ言って、素早く踵を返す。ギャハハと癇に障る笑い声が、十二月の暗い路地を遠ざかってゆく。白い息を弾ませて、流音君は拳を握る。裸足で踏み締めるアスファルトが冷たい。

 凍えるような寒い日だった。

 立ち尽くす流音君の視界で、大粒の牡丹雪がキラキラと滲んでいた。







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