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 待ち合わせの時間の10分前。啓太はすでに駅前に立っていた。時計を見る。ちょっと早く来すぎたかな、と苦笑いがこぼれた。

 花火大会当日ともなると、いつもの土曜日でさえ人の多い駅前は、すでに人でごった返していた。啓太のように待ち合わせと思しき人や親子連れも多いが、やはりカップルの存在が目につく。

 自分と同じくらいの年代のカップルが、仲良く手をつないで目の前を通る。その姿を目で追いながら啓太は人知れず小さくため息をついた。


 ――千夏が好きならもっと積極的に行動しなきゃダメでしょ。

 いつも麻里子に言われている言葉が脳裏によみがえると、啓太は眉をはの字に曲げた。


 どうして僕はいつもこうなんだろう。

 二人兄弟の次男に生まれた啓太は、優しい兄に恵まれてひたすらに優しく穏やかに育った。物心ついた時から何をするにも兄の後をついて回っていたものだから、周りとの接点はすべて兄任せ。また兄も優しかったので、引っ込み思案な啓太の代わりを快く引き受けてくれた。

 おかげで思春期になるころには立派な人見知りになっていた。もちろん人並みに恋もしたが、好きな子ができても話しかけることもできず、初恋は遠くから見ているだけで終わった。その後も啓太の恋はことごとく砕け散り、そのほとんどが啓太の性格ゆえの事とはいえ、この年になるまでまともな恋愛と言うものを経験したことがなかった。


 自分の前を何組ものカップルが通り過ぎるたび、啓太は羨ましさを覚える。ああいう普通の恋愛がしてみたいと思う一方で、好きな子に告白することもできない自分にはもしかしたら一生無理のではないかと不安になった。


「なにぼーっとしてんだよ」

 不意にすぐ目の前から声をかけられて啓太は思わず体を震わせた。

「そんなにびっくりしなくてもいいじゃん。誘ったのはそっちでしょ?」


 声の主の正体を確かめて啓太はほっとする。

「なんだ麻里子か」

「なんだとは何だ。せっかく時間通り来てやったのに」

 つんと口をとがらせる麻里子を見て啓太は笑みをこぼした。

 白のTシャツにデニム。ネックレスや指輪などの装飾品は一切なく、髪を後ろで一つに束ねた姿は普段と全く変わりがなかった。

「なに笑ってんだよ」

「いや、麻里子はいつもと変わらないんだなって思ってさ。花火大会だから浴衣とか着てくるのかと思ってた」

 何気なく言ったであろう啓太の言葉に、麻里子は思わず言葉を失った。同時に先ほどまで母親としていた会話が脳裏によみがえる。



「行ってきます」と玄関に出た麻里子を捕まえて母は「あれ? あんた浴衣は?」と不思議そうに声をかけた。

「浴衣なんて着ないよ」

「なんで? 花火見に行くんでしょ?」

「そうだけど、別に浴衣着るほどじゃないし」

「せっかく出しといたのに。なに? 彼氏とかじゃないわけ?」

「違うよバカ!」


「どうしたの?」

 啓太の声に麻里子はハッとした。気が付けば眉間にしわを寄せている。

「ゆ、浴衣とか着るわけないでしょ!」

 意図せず声が大きくなって周囲のざわめきが一瞬ぴたりと止んだ。多くの視線が二人に集中して消え入りたくなる。

「そんなに怒らなくてもいいのに」

「別に、怒ってないし……」

 視線が集まったのはほんの一瞬の事で、すぐに何事もなかったかのようにざわめきは戻ったのだけど、とにかくその場から早く離れたくて「早く行こう?」と促すと、啓太は怪訝な顔をしながら歩き出した。


 駅前を離れて川沿いの土手に出ると、まだ始まるまでにかなりの時間があるにもかかわらず、すでに多くの人でごった返していた。道の端には多くの出店が準備を始めていて、鉄板焼きの香ばしい香りや、わたあめなどの甘い匂いがにぎやかさに花を添えている。

 河川敷のほうへ視線を落とせば、多くの家族連れがブルーシートを敷き、大学生と思しき若者のグループがすでに酔っぱらっているようで大騒ぎをしていた。

「いい匂いだね。何か買ってく?」

 啓太は焼きそば屋の出店に目を奪われたまま財布を取り出しすでに買う気満々だった。

「いや、買うのはいいけど……焼きそば?」

「え? 焼きそば嫌い?」

「嫌いじゃないけどさぁ」

 あまりにも普通に尋ねてくるので麻里子は言葉に詰まった。正直に言えば焼きそばは嫌いではないものの、出店で売られている焼きそばには必ずと言っていいほど青のりがかかっていることを強く警戒していた。

 と言うのも、その昔高校生の頃初めてできた彼氏と友達カップル4人で、やはり夏祭りに初デートに行った時の事である。みんなで食べた出店の焼きそばにはこれでもかと言うほど青のりがかかっていて、それを食べた全員が歯に青のりを付けた状態で祭りを過ごすことになった。何より恐ろしいのが、その全員がみんな歯に青のりが付いていることを知りながら誰一人として言い出せなかったのだ。その結果麻里子は初めての彼氏の印象を今に至るまで歯についた青のりとして残してしまった。もちろん好きだったし、楽しい思い出も沢山あったはずなのだが、思い出すのは青のりだった。と、いう事は向こうのイメージもそうなっていてもおかしくはないのだ。要するにトラウマなのである。


「それよりさ、ここじゃ人が多くて花火もよく見えないでしょ? もっと見やすい場所に移動しようよ」

 さりげなく啓太の視線を誘導する。何かを買うにしても焼きそばだけは何としても避けなくては。

「まだ始まるまでには時間あるから大丈夫だよ」

「いや、でも早く行かないと場所無くなっちゃうかもしれないじゃない」

「そうかな?」

 のほほんと答えながらなお啓太の視線は焼きそば屋に向いていた。そんなに食べたいのか! と言いたくなるのをぐっとこらえて麻里子は一つ小さく深呼吸した。

「ほら、あっちのほうにもお店いっぱいあるし、何もここで買わなくても……」

 なんとか啓太の気をそらそうと他の店を指さすと、その人差し指の先に見覚えのある顔が見えた。二人がいる場所からは少し離れた位置にある出店の前で何かを買っているカップル。仲睦まじく寄り添うその女の顔に目を見張る。

 白地に淡い青で紫陽花の描かれた浴衣に長い髪を綺麗にまとめた姿は普段とまったく印象は違うが、幼さの残るその顔は見間違うはずがなかった。無意識に「あ」と声が出ていたことに驚いて麻里子はあわてて口を押えた。

「ん?」

 慌てて啓太のほうへ向きなおる。麻里子の目には啓太が視線を移すのがひどくゆっくりに見えた。見せてはいけないと思いつつもどうすることもできず啓太の視線は麻里子の指さす方向へ向いてしまった。


 がやがやとにぎやかな雑踏の中、二人の間には沈黙の時が流れた。時間にしたらほんの数秒であるにも関わらず、それはとても長く感じた。お店から受け取った袋を片手に、仲良く手をつないで若いカップルはゆっくりと二人から背を向ける。

 怖くて啓太の顔が見れなかった。果たして啓太の口がゆっくりと開く。

「んー、そうだね。移動しながら気になるものがあったら買っていこうか」

 そう言って啓太は麻里子ににっこりとほほ笑んだ。

「え?」

「ん?」

 啓太の顔は何も変わりがなかった。まさか、と麻里子は信じられない思いで啓太の顔をまじまじと見るが、いくら覗いてものほほんとした顔はやはりいつもの啓太だった。

「何でもない」

 意識して明るい声を出して、麻里子は二人とは反対方向へ足を向けた。


 麻里子には信じられなかった。本当に気付いていないのだろうか? あのカップル。女のほうは間違いなく千夏だったのに。






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