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#04 過ち

 (ゆら)はあれからずっと考え事をしていた。

 授業中も休み時間も一人で窓の外をじっと見つめて同じことを悩む。

 頭の中はそのことでいっぱいである。

 空虚(くうきょ)な空に答えを探しても、求めても何も返って来ないことなど分かっていた。

 ああ、今日も世界は同じような顔をしている。

 何にも気付いていないふりを決めている。

 平穏(へいおん)を装っている。

 こんなに大変なことが起ころうとしているのに。

 また誰かが過ちを犯そうとしているのに。

 誰なんだよ――……。こんなこと、二度も繰り返す奴があるかよ。

 知っているのだろうか。本当に大切なものを失ったときの大切な人の顔を。

 乾いた笑顔を向けられればどれだけ悲しくて辛いのか。

 せめて涙で頬を濡らしてくれればどれだけ嬉しいと感じたか。

 ああ、誰が悪いんだ――……?


 誰かが自分の名前を呼んでいる気がする。


 知っている、そんなこと。

 逃げた自分が悪いんだ。

 逃げたりしたから、きっとこんなことになってしまったのだろう。

「ユラ、おーい」

 揺をいくら呼んでも気付いてくれないので、隣の席の真子(まこ)は机を何度か叩く。

 その音にびくっと反応するとようやく自分の名前を呼ぶ声の主が真子であったことに気がつく揺。

「な、なに?」

「当てられてる」

 はっとして立ち上がり、部屋の照明を一切消してカーテンも閉め切り暗くした生物講義室の一番前でプロジェクターを使って授業をしている一年四組の担任教師――五島田雄大(ごとうだゆうだい)の方を見ると見事に目が合った。

 その寝不足らしい充血した目が一番後ろの席からでもはっきりと見えて、揺は背筋が凍るような何か恐怖感を感じた。

進堂(しんどう)君、この名称分かりますか?」

 雄大はプロジェクターに映し出された図を棒で指している。

(うわ……なんだこの気持ち悪いの……)

 揺は見たこともない謎の物体の図を目にして困惑する。

「マコ、あれ何? 幼虫?」

 思わず真子に小声で助けを求める。

「プルテウス幼生(ようせい)

 真子はノートをとりながらあっさりそう答えるが、揺には全く聞き覚えのない言葉であった。

(よ、妖精(ようせい)? なんで生物の授業でそんなファンタジーなワードが出てくるんだ……?)

「進堂君?」

 教室の一番後ろで困り果てる揺の顔を見て、雄大はもう一度名前を呼ぶ。

 揺はどきっとした。

 あんまり黙ったままでいると不審に思われる気がしたからだ。

 何故、こんなに暗い部屋の一番後ろで困り果てる自分の顔が見えているのかなど気にもしていない。

「プルテウス……妖精?」

 揺は真子を信用していない訳ではないが、自信なさげに答える。

「はい、正解」

(あ、ファンタジーで正解なんだ)

 揺はほっとして席に着く。間違えていることに気付かないまま。

 そんな揺をよそに授業はどんどん進んでいき、お(きょう)のような謎の単語の羅列(られつ)だけが揺の耳に入っては出て行った。

「今日の授業は以上です。机の電気スタンドはきちんと消しておいて下さい。二十分から終学活をするので教室で待機していて下さい」

 授業が終わったあとも揺はぼーっとしたまま教室に戻ろうとしない。

 指名されたときに張りつめた緊張の糸もすっかり緩んでしまったらしい。

「ユラ、帰らないの?」

「あ、ごめん……」

 揺は慌てて電気を消し、教室へ帰る準備をする。

「朝からずっとぼーっとしてたけど、何かあった?」

「いや、何でもないよ。気にしないで」

 そう言って、いそいそと教室に戻った。


 生物講義室に誰もいなくなったあと、雄大は暗い部屋でパソコンを開く。

 次のテストの答案を作るわけではなく、決して仕事の為ではない。

 動画サイトを閲覧しているのだ。

 そして、ある動画を開くと顔をしかめた。

 つい昨日投稿されたばかりでもう十万回以上も再生されているその動画は特別面白みがあるわけでもない。寧ろ、内容は恐ろしいものである。

「九月四日、一年千都を殺害する…………」



 揺の悩みはまさにそれであった。

 昨日、一目惚れに近い何かを感じた揺はつい、そのどこの誰かも分からない可憐(かれん)な少女をドーナツショップの二階の窓から目で追っていた。

 少女と目があってしまった揺は咄嗟(とっさ)に携帯電話を握り締め、目を()らした。別に何をするわけでもなく。

 その時にたまたま手が触れ、ネットに繋がってしまったのだ。

 それに気付かずに画面を見てみると、謎のタイトルの動画が再生され始めていた。

 揺はタイトルを見ただけでそれがいかに恐ろしいものかすぐに分かった。

 動画自体はずっと黒い画面のままで、マナーモードにしていたこともあり音も聞こえなかった。

 それでも内容を理解するにはタイトルだけで充分だった。

 それでも詳しく内容が知りたいと、揺は急いで家に帰って動画を見直した。

 わざわざ真子にばればれの嘘をついてまで。


『どーもー。ゴホッ……サグでーす。お久しぶりゴホゴホッ…………失礼。お久しぶりですね。しばらく休暇しててスイマセン。

 今日はこの場を借りて皆様に、ワタクシから伝えたいことがありまーす。

 簡単に申し上げると……殺人予告です。九月四日、午後三時にひせちーこと一年千都(ひととせちと)ちゃんを殺したいと思いまーす。

 コホン……ゴホゴホッ!……えっと、茶番はこのへんで。改めて言いますね。

 九月四日、一年千都を殺害する。以上でーす』


 音質は酷いものであった。

 最新のパソコンであるはずなのに安物のスピーカーで聴いているような音割れの多い耳障りな音。

 咳混じりの声から察するに声の主の方にも問題がありそうだが、それ以上に酷い。酷すぎた。

 声が酷い分、内容も残酷という意味で酷いものであった。

 大人気アイドルである一年千都の命が何故か狙われている。

 サグが動いているということは誰かが千都を殺してほしいと依頼を出したのだろう。そう考えるのが妥当(だとう)である。

 本来、サグは殺人を行うような集団ではなかった。しかし、一年前に起きたとある事件の犯人をサグと信じる者はそう少なくはない。

 そうなると勘違いした者がサグに本当の殺人依頼を出すのもおかしくはない。

 しかし、それは揺の悩みとは異なった。

 揺にはこの殺人予告に引っ掛かる点があった。

 一年前までのサグは犯行予告なんて一度も出したことがないのだ。

 告げるとしても標的にだけで、こんなに公に出すことはまずありえなかった。

 陰で依頼を忠実に遂行する――それがサグというものであった。

 今回の件がサグによる犯行ではないということは揺もなんとなくどこかで感づいていた。

 では一体、今回の件は誰の仕業(しわざ)なのか。

 そのことで揺の頭はいっぱいだったのだ。

 そして、最後の一文のそれまでとは打って変わった力強い声がいつまでも揺の中から消えないのだ。

「……とを殺害…………」

 揺は窓の外の青い空を見つめながら小さく消え入りそうな声で呟く。

「何か言った?」

「……え? いや、なんでもないよ! ホントになんでもないなんでもない!!」

 真子の問いかけに過剰(かじょう)に反応してしまう。

「いや、そんなに否定しなくても。余計に怪しく見えるよ」

「いやホントになんでもないから……ね?」

「それならそれでいいよ。何かあるとしても私に知られたら問題があることらしいし」

 真子はまるで揺が何を考えているのか全て分かっているようであった。

 それは声に出ている訳ではない。勿論(もちろん)、表情でもない。

 ただ、そんな雰囲気を揺に感じさせたのだ。

「もう黙ってても意味がなさそうなんだけど……」

「心配しないで。私は何も知らないから」

「ああ、知ってるよ。マコが何も知らないことを俺は知ってる。

 それに俺が知らないことをマコは沢山知っているはずだし、マコが何を知っているか俺は知らない。

 あと俺の知っていることが何なのかマコはきっと知らないよ」

 揺はわざと複雑な言い回しをして、流暢(りゅうちょう)に言葉を並べる。

「私とユラの関係なんて、そんなものなんだよ」

 今日も真子は冷たい。本来の暖かさを押し殺しているようだ。

 暖かさを包み隠して無かったことにしようとしているぶ厚い氷を溶かしてしまいたい。

 それなのにどうして(はば)まれてしまうのだろう。

 何故、人はサグを名乗りまた人を殺めようとするのだろう。

 揺にとってこれ以上、サグによる被害を出させる訳にはいかなかった。

 何かサグを止める方法は無いかと考える。

 犯人は日時は告げたが、場所を明確に提示することはなかった。勿論、犯人の顔は分からない。声も変声機を使っているらしい上に酷い音質で到底、特定することなど不可能である。

 ……何もすることが出来ない。

 このままではサグは第二の殺人を起こして、あの悪名を再び(とどろ)かすことになってしまう。

 今度、そんなことが起きてしまったら――

 どうなってしまうのだろう。

 街はどうなってしまうのだろう。

 世界はどうなってしまうのだろう。

 真子はどうなってしまうのだろう…………。

 なんとしてでも阻止したい。

 どうすればいいのか。揺は必死に考えた。

 真子を救い出す為だけに。



 三時二十分になると丁度、雄大は一年四組の教室に入ってきた。

 もう皆、分かっていると教室のカーテンは全て閉め切ってある。

 雄大はいつも窓の外でぎらぎら鬱陶(うっとう)しく輝く太陽を見て不機嫌そうな顔をする。

 そのわけは、彼の正体が闇夜に住まい、人間の生き血を(すす)って永遠に生き続ける――というイメージの強い想像上の生物とされている妖怪――吸血鬼であるから。

 しかしその事実を知る者はこの鳥津(とりつ)高校には存在しない。

 雄大が赴任(ふにん)して約半年経過したが、誰もそれに気がつかない。

 それは彼があまりに人間らしく、吸血鬼という自覚を自身もあまりしていないからだろう。

 そもそも鳥津高校程のレベルの学校に通う高校生の大半は、吸血鬼なんて信じてはいなかった。

「では、連絡をします。数学の課題の提出は週明けの月曜日です。来週の始めの生物は実験なので、チャイムが鳴る前に生物実験室に集合していて下さい」

 白衣を身に(まと)う雄大は充血して少し紅くなった眼でクラス中の生徒の顔を見ながら話をする。

「最後にもう一つ。今ネット上で悪質ないたずら動画が出回っていますが、惑わされることがないように週末を過ごして下さい」

 どうやらサグのことらしい。

 雄大はサグを知っているようだ。

 そのことに気がつくと、揺は雄大の方を見た。

 雄大は紅い目に一点の曇りも映し出していない。

 ある程度は話題になっているだけにそこまで驚くことでもなかったが、わざわざ注意まですることがどうも引っかかった。

 前回のサグの一件もその時こそ話題にはなったが、すぐに鎮静した。

 騒然としたのもほんの一瞬の出来事であり、ネット上の虚構(きょこう)の集団が現実に殺人をしたという突飛な出来事を信じる者は案外多かったが、自分には関係ないという振る舞いをする者がほとんどであった。

 今回の件も同様のはずだ。

 普通の人ならこんなこと、関係ないと素通りしていくだろう。

 気にして不安に駆られる者は吸血鬼を信じる者と同じくらい少ないことだろう。

「では今日はこれで終わります。さようなら」

 「「「「さようなら」」」」

 生徒が声を揃えて挨拶をすると、多くの者はいそいそと教室を出て行く。

 その行く先は部活動を行うそれぞれの場所であったり、バイト先であったり、自宅であったり――と様々だ。

「あー、じゃあ俺ちょっと先生に用事あるから先帰ってて」

「分かった」

 真子は何も疑うことなく教室を出た。

 その後、揺は教室を出ようとする雄大を引き留め、教室に誰もいなくなったことを確認して話を始める。

「どうしました、進堂君」

「まあ、()きたいことはいっぱいあるんですけど……。生物実験室ってどこなのか、プルテウス妖精とは何なのかとか。その辺はマコ……渡貫(わたぬき)さんに訊くんでいいんですけど。

 個人的に五島田先生に訊きたいことがあるんですよ、僕は」

 怪しく微笑む揺を見て雄大はどきっとした。

「訊きたいことって?」

「先生は何を知っているんですか?」

「何――って?」

「簡単に言うと、サグのことどこまで知っているのかと訊いています」

 揺の口からサグという言葉が出ると雄大は何かの確信をする。

「君、そっちの人間なんだ」

 雄大は揺が自分と同じ種類の人間であると感じ取った。

「どこまでって訊かれると困るな……。どこまでも知ってるって言えばいいのか……?」

「ということは、今回の犯人は五島田先生なんですか?」

「それは違う」

「本当ですかね……。新学期早々に“ゴートー先生”なんていう不名誉なあだ名をつけられたらしいじゃないですか。如何にも犯罪者って感じですよね」

 揺は雄大を疑った目で見ては何かを企むように意地悪な笑みを浮かべる。

「それは生徒が勝手につけたもので……。それに本当に俺は何もしてない」

「じゃあ、なんでどこまでも知ってるなんて嘘ついたんですか」

「嘘じゃない。俺はサグのことならきっと君よりよく知っている。ここだけの話、今回の件はサグの仕業じゃないらしい。あ、こんな話したら東京の情報屋に…………」

 雄大は急に血相を変え、その顔色は真っ青になっている。

 ネットの利用者で“東京の情報屋”という名を知らない者はいないくらいにそれは有名なのだ。

 最も有名で最も怖れられている存在。

 その反面、憧れを抱く者も多く、自分も同じような存在になりたいと考えるなりすましも多く存在している。

 そのハンドルネームは本体もなりすましも皆統一して“名無し”であり、本物の“東京の情報屋”が誰なのか見極めることは難しい。それを知る者もごく(わず)かだ。

 最も有名であり最も知られていない存在。

 それが“東京の情報屋”という者なのだ。

 そんな怖れられている存在の名を耳にしても揺は全く(おそ)れをなすこともなく平然としたまま、悪そうににやっとしている。

「そんなに怖がらなくてもいいと思いますよ。いくら情報屋だからってそんな些細(ささい)な情報一つがたかが高校生一人に漏れたくらいでは何もしないですよ」

「奴は――東京の情報屋はネット世界を丸ごと牛耳(ぎゅうじ)ってるんだ。いつどこで見ているか分からない。人命ごとき、簡単に奪いかねない……」

 そんな言葉を聞いても揺は全く動揺する気配すらない。

「まあ、それは絶対にないですね。現実で自分の思うことが出来ないからネットに逃げ込んで威張ってるだけですよ。僕は少なくともそうです」

 雄大の見る進堂揺という少年はどこかに闇を抱えていて、それでも精一杯元気なふりをしては押し潰されそうになるいつかの自分によく似ているような気がした。

「そうかもしれない。でも実際に殺人は起きた。君も一年前のサグのことは知っているはずだ」

 揺はどきっとし、胸が締め付けられそうになる。

 それは雄大も同じであった。

「……そのことなんですけど、マコの前では絶対に話さないで下さい。サグに関わること全部」

 そう言い残し、鞄のショルダーを握り締めて挨拶もせずに教室を立ち去った。

「そうか……。渡貫さんやっぱり……」

 雄大は何かを納得して、いつも肌身離さず持っている写真を見る。

 そこには若き日の――何も変わらない雄大と満面の笑みを浮かべる女性が写っていた。

 その女性は真子に酷く似ているのだ。



 真子はずっと校門の前にいた。

 揺には先に帰るように言われたが、早く帰ったところで何もすることがないので待つことにしたのだ。

 九月初頭はまだまだ真夏に入る。陽は高く、きらきら眩しく輝いている。五時を過ぎても夕方という感じは全くしない。

 時より吹く優しく心地良い風が真子の髪をなびかせる。

 さらさらしていて幼い少女のように柔らかなその焦げ茶色の髪は太陽の光を受けて(つや)めいている。

 そして真子はふと気がつく。

 今日はあの子、来てないのか……と。

 この時間帯になるといつもいる。

 四月からほぼ毎日、あの(あで)やかな黒髪を赤いリボンでポニーテールにして、有名な女子高の制服を身に纏う少女がここ、鳥津高校の校門の前に静かに立っていた。

 雨の日は雨傘を、今日みたいな晴天の日には日傘をさしていつも誰かを待っているらしい。

 その彼女が今日はいない。

 見当たらない。

 真子は別にその少女を知っているわけではない。

 ただいつもいる彼女がいないことがなんとなく気になるのだ。

 昨日の揺の件を気にしているのか――それは真子自身にもよく分からずにいる。

「あれ、マコ帰ってなかったの?」

 雄大と話を終えた揺が下足室から真っ直ぐ校門に向かうと真子が立っているものだから、揺は思わず驚いてしまう。

「うん。帰っても暇なだけだし」

 素っ気なく話す真子をよそに揺はどこか嬉しそうだ。

「最近は絵描いたりしないの?」

 真子は中学時代、美術部に所属していた。

 飛び抜けて上手という訳ではなかったが、何度かコンクールで入賞するなど実績を残している。

 バドミントン部とも兼部していて、かつての真子は活動的で人気者であった。

「お姉ちゃんのこと、思い出しちゃうから。忘れたいわけじゃないんだけどね」

 亡くなった真子の姉もよく真子と一緒に絵を描いていた。

 全然上手ではなく、揺の幼い弟たちの絵と見分けがつかない程であった。

 それでも彼女はいつも笑顔で楽しそうであった。

「そっか……。ごめんね、変なこと訊いちゃって」

「いいよ。トバリちゃんは絵、続けてるの?」

 揺の上の方の妹――(とばり)は中学二年生で漫画研究部に所属している。

 美術部と迷ったそうだが、どちらかというとアニメ風のイラストの方が得意だからと漫画研究部に決めたらしい。

 兼部という選択肢もあったが、自分には二つも部活をする体力は無いし、さすがに忙しすぎると一つに絞ったという。

「うん。なんか文化祭で売り出す漫画のネタを考えてるって言ってたなー。あいつ、去年の文化祭のときの漫画も面白かったし、ホントに絵だけは上手いんだよ。他はからっきしなのに」

「それはちょっと失礼なんじゃない? トバリちゃんだって努力してるんだから」

「努力しても出来ないものはあるんだよ。マコは何でもすぐに出来ちゃうタイプだから分からないかもだけど」

 揺は薄く雲が(ただよ)う夕焼け空を眺めながら呟く。

「私にだって出来ないことくらいあるよ。今まで頑張ってきたけどもう、出来ないのかもしれない」

「マコが弱音を吐くなんて珍しい。やっぱりマコは変わっちゃったんだ」

「昔からだよ。ずっと出来るものかって思い続けてる」

「ちなみに、そのマコが出来ないことって?」

「教えない」

 真子は素っ気なくそう答える。

 昔から自分は何を考えていたのか。

 あの日、あの時まで感じていた感情をこんなことになってしまった今でもよく覚えている。

 この感情だけはまだ真子の中のどこかに生き続けているようだと感じた。

 何にも分かっていないのに何でもやろうとする揺が――

 女々(めめ)しくて世話が焼けるけど頼りにもなる揺が――

 悲しくて辛くて仕方ないくせにずっと無理して笑顔のままの揺が――――

 会わなくなったあともずっと……ずっと……頭から離れない。

 そうしたらまた揺は真子のもとに帰ってきた。

 その時に気がついたのかもしれない。

 理由は今ではもう分からなくなったが…………


 ――揺のことが、好きなんだ。


「うーん……マコが出来ないこと……。思いつかないなぁ。勉強も運動もめちゃくちゃ出来るし、音楽の成績もそんなに悪くなかったし、絵は上手いし。料理は俺の方が出来るけど出来ない訳じゃないし……」

 真子のことを()(たた)えつつもちゃっかり自分の自慢を交えて話す揺。

「学校の勉強だけが全てじゃないよ」

 その言葉は真子の姉がよく言っていた言葉であった。

「マコの場合、意味が違うと思うけど」

「学校では教えてくれないこと、私は何も出来ない。全部、出来なくなっちゃった」

 揺には(うつむ)く真子の頬を涙が流れているように見えた。

 ありえないことなのに。

「やっぱり私がお姉ちゃんみたいに生きていくなんて、無理なのかな」

「無理して合わせなくてもいいんじゃないかな。マコとお姉さんは違うんだから、マコはマコらしくするのが一番だと思うよ」

「私らしく……。それってどうすればいいんだろ」

「それは人に訊くことじゃないよ」

「じゃあ、ちょっと考えてみるよ」

 と言って、分かれ道で揺と別れると真子は少し考えてみることにした。

 やっぱり昔から自分が何を考えていたのか分からない。

 気がつくと揺といつも一緒にいて、すぐに泣くし一人では何も出来ない揺のことがずっと気になって気になって――……。

 放っておけないやつで、小学生のときなんかはずっと自分に頼りきりだった。

 中学生になるとお互いに成長していったけど、それでも一緒にいた。

 幼なじみで唯一の親友。

 他にいたたくさんの友達誰一人にも話せなかったことも揺にならすんなりと話すことが出来た。

 特別な関係と言われればそうなのかもしれない。でも、友達の一人であることにかわりはなかった。どこかに基準がある境界線は越えることがなかった。

 幼なじみで唯一の親友。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 きっと自分はこの一線を越えたいと思っていたのだろう。

 この距離感がもどかしくてもどかしくて仕方なかった。

 揺といるときはどんなときでも笑顔だった。幸せだった。

 そんな時間を永遠のものにしたい。

 この気持ちをちゃんと伝えよう。

 そう決意した矢先のことであった。

 真子が心を失ったのは。

 揺への想いだけは確かに残っている。

 でも理由が分からない。

 何故、自分はこんなに揺のことを想っているか。

 自分はどうしたいのか。

 何もかも分からない。

 何故、揺の前ではあんなに笑顔でいれたのか。

 どんなに辛くても揺の前では笑顔でいれた。

 ――そう、あのときだって。

 真子は姉が亡くなったショックから立ち直ることなんて出来ない状態であっても、揺の前では笑顔であった。

 必死に無理して頑張って作った不格好(ぶかっこう)な笑顔。

 もうそのときには笑う理由なんて分からなくなっていた。

 中学校を卒業して揺と離れ離れになると、真子からは完全に笑顔がなくなった。

 本当に笑う理由がなくなってしまったから。

 そうなると真子の中にあった自分らしさもどこかへいってしまっていた。

 それは揺と再会した今でもまだ見つからないようだ。



 艶やかな黒髪のポニーテールが夏の夕陽に照らされて輝いている。

 その美しい髪を揺らして小走りに急いでどこかへ向かう少女――朝霧里桜(あさぎりりお)

 彼女は超名門のお嬢様校、一塚(いちづか)女学院に通う高校二年生。

 里桜は、自身は吸血鬼だという自他共に認める謎の少女――久遠寺(くおんじ)ダズンと同居していて同じ高校にも通っている。

 しかし、この二人が行動を共にすることは珍しく、この日も里桜は一人でいた。

 急いでいると、さらさらした焦げ茶色の髪の少女とぶつかってしまった。

「あ、ごめんなさい」

 少女は軽く頭を下げた。

 その後、頭を上げた少女の顔を見て、里桜はどきっとした。

 そうして逃げるようにその場を立ち去った。

 里桜は少女の顔に見覚えがあった。

 一番最近見たのは、昨日のことである。

 初めて見たのは――一年程前のことだっただろうか。正確には覚えていない。

 ただその少女に良い思い出はない。

 話したこともないし、少女の方は里桜のことをきっと覚えていないのだろう。

 あの素っ気ない態度からして少女は里桜に何の感情も抱いてはいなかったようにみえた。

 里桜も少女の顔に覚えがある程度で名前までは知らない。

 それでも少女には良い思い出がない。

 里桜が向かった先は、鳥津高校であった。

 門の前に立つと、日傘をさして人を待つ。

 純白のシャツに群青(ぐんじょう)色のネクタイを結び、ひざ下丈の紺色で無地のスカートという制服を身に纏い、黒い日傘をさす清楚(せいそ)な雰囲気を(かも)す里桜はその場に妙に浮いて見えた。

 それは周りを歩く者のほとんどが鳥津の生徒だからというだけではなかった。

 そして不自然なまでに自然にその場に溶け込んでいる。

 里桜の待つ人。それはただ一人、里桜が現在まで愛し続ける人――雄大だ。

「リオちゃん、今日は遅くなるからよかったのに」

 職員会議でいつもより終わるのが遅かった雄大は、教室での白衣姿とは対照的な黒いパーカーを羽織ってフードを被った姿で校舎から出て来る。

「私も文芸部の会議で時間とっちゃってたから」

「会議?」

「文化祭の作品どうするかって話し合ってたの」

「あー、もうそんな時期か……。高校の文化祭って何するんだ?」

 雄大は高校の文化祭というものをまともに経験したことがない。

 一年次は親友に振り回されてろくに店を回ることが出来ず、二年次は学校にほとんど登校していなかった為欠席だった。

 三年次は受験勉強一色でそれどころではなかった。

「えっと、学校によって違うと思うけど……うちの学校は初日はクラスで模擬店(もぎてん)出して……あ、この前言ったでしょ? うちのクラスはメイド喫茶するって。それで二日目は部活ごとに作品の販売とかかな。あとは、二日とも共通してステージを使ってライブしたりダンスしたりするよ」

「じゃあ、鳥津もそんな感じかな。多分、俺の高校もそんな感じだったような気がするし……」

 思い返してみると親友が楽しそうにはしゃいでいたことばかり頭に浮かんでくる。


 ――次はあそこに行こうよ!

 ――あっちのコーナー友達が店番してるんだー

 ――うちの部活のセンパイがライブするらしいから見に行こ?

 ――お腹空かない? ユーダイは何食べたい?

 ――あたしは、ゼッタイ焼きそば! ソースね。塩じゃなくて! これは譲らないから!


 テンション高らかに雄大の腕を引いて振り回した。

 常に一方通行で正直、迷惑だと思っていたときもあった。

 それでも雄大はずっと一緒にいた。

 何故か二人で過ごす時間が何よりも楽しいような気がしたのだ。

「そんな嬉しそうな顔してどうしたの?」

 懐かしい思い出に浸る雄大の表情は嬉しそうだがその反面、どこか悲しげであった。

「え、あ……いやちょっと高校のときのこと思い出してな」

「あの人のことでしょ?」

「あの人って?」

 雄大は照れくさくて(とぼ)けてみせる。

「ユウ君の好きな人のことだよ」

「俺に好きな人なんて……」

 そう言って俯く雄大。

「……俺は人を――人間を愛してはいけないから」

「それはユウ君が吸血鬼だから?」

「ああ。だから俺に好きな人なんていてはいけないんだ」

 雄大はある日を境に人を愛することを辞めた。

 吸血鬼である自分が人を愛せば、その人を不幸にさせるに違いない。

 それだけじゃない。その人以外の人も傷つけることになる。

 人を愛するからこそ人を避けなければならない。愛するという感情を押し殺さなければならない。

 それが吸血鬼になって今を生き続ける自分に科せられた運命なのだと雄大は受け入れた。

「あの人がユウ君のこと吸血鬼だって知っていて、それでも何もかわらずに接してくれていたのに?」

「迷惑をかけることにはかわりない。あいつには平和に過ごしてほしいんだ」

「だからこの街に来たの? あの人ともう二度と会わないように」

「あいつだけじゃない。本当はリオちゃんも危険な目には遭わせたくなかった」

 自分がいつあの衝動に駆られるか分からない。

 吸血鬼である自分の近くに大切な人たちをいさせる訳にはいかなかった。

 そう考えて故郷を離れて大都会の大学に通うことを決めたが、まさか里桜が同じ土地に来るとは思ってもみなかった。

 ダズンは得意の瞬間移動(まが)いの能力でよくやってきていたが本格的にこの街に住むと言い出したときは、まったくどうしたものかと雄大は頭を抱えた。

 いつもうるさくて吸血鬼のことをなんとなくだけ自分に教えてくるダズンからやっと逃れられると思っていたのに。

 自分が吸血鬼になってしまったことが、遠くに行けば嘘になってくれるんじゃないかなどと都合の良いことばかり考えて逃げ切ったつもりだったのに。

 自分がもとの人間には戻れないことくらい分かっていた。

 だからこれからは永遠に一人で生きていこうとまで考えていたのに。

 何もかもが崩れた。

 崩れてしまったからこうなってしまったのか。

 あの凝り固まった世界は変わり始めた。悪い――悪い方向に。

 皆、危険な方へ向かってくる。

 ――何故、こんなことになってしまったのだろう。

「私なら平気だよ。これは私の意志だから」

 里桜は天使のように微笑みかける。

 雄大があの時に見た冷酷な天使とはまるで違う。だがそれはどこか、冷ややかな少女――DCの中に見いだせたはずの暖かさを雄大に感じさせた。


 ――――これは私の意志……。あなたを助けたい……。


「それは俺が吸血鬼だからか?」

「違うよ。ユウ君が――ユウ君だからだよ」

「だからそれ、どういう意味なんだ?」

 この前も同じようなことを里桜に言われたが、よく意味が分からなかった。

「私は人間のユウ君も吸血鬼のユウ君も大好きだよってこと」

 微笑む里桜の髪をそよ風が優しくなびかせる。

 陽も傾いて二人の影を伸ばす。

 その影はどこまででも続いていそうだ。

「あ、そうだ! クオンちゃん待たせてるんだった。早く帰ろ?」

「待たせてるって?」

「クオンちゃん、話があるらしくてユウ君の家で待ってるの」

「って、は!? あいつ、今、俺の家いるのか!?」

「うん、そうだけど」

「まじか……」

 ダズンが自宅で一人、何をしているのかと考えると気が遠くなる。

 ベッドに座ってテレビに張り付いていてでもくれれば救いなのだが……。

「そういえば、昨日の二人、何か言ってた?」

 昨日の帰り道、どこかから視線を感じた里桜が振り返ると、二人の男女がドーナツショップの二階からこちらを見ていたのだ。

「あー、渡貫さんと進堂君のこと? 別に何も言ってなかったけど」

「よかった……」

 里桜はほっと胸を撫で下ろす。

「でもなんで? 目が合ったくらいでそんなに気にすることでもないと思うけど」

「二人はユウ君のクラスの生徒なんでしょ? だからユウ君が私みたいな高校生と一緒にいるのを見たら何か勘違いしているかもしれないと思って……」

「なんだ、そういうことか。それなら多分、心配ないよ」

 もしそんなことがあれば進堂揺なら間違いなくあの時言ってきたはずだと雄大は考える。

 どこにも掴みどころのない、どこかに闇を抱えたどこにでもいそうなあの少年、揺がただ者ではないとあの時直感したのだ。

 確実に過去に何らかの形でサグに関わった、もしくは現在も繋がっている人間の可能性が高いとみている。

「えっと、じゃあ……あの女の子、ワタヌキさん? 彼女ってどんな子?」

「渡貫さんは普通の子――じゃないな……。いや、別に変って訳じゃないんだ。とにかく成績優秀で素行も良好な生徒だと思う。ただ彼女、全然笑わないんだ。常に無表情でクラスでも浮いてるんだよな……」

 雄大は新学期が始まったときから真子のことを注目していた。

 他の生徒の群を抜いた成績で堂々の学年トップで鳥津高校に入学し、新入生代表で挨拶も務めた。

 それだけでも教員は皆、真子のことは一目(いちもく)置いていた。

 真子を一年四組――自分のクラスの生徒として初めて見たとき雄大はどきっとした。

 窓際の隅の席に座るその少女は凛としていて、光も何の感情も見えない瞳をしていたのだ。

 あの青白い凍りつくような――美しい氷柱(つらら)のような少女のそれによく似ている。

 それから数日が経つと、生徒たちのグループはある程度出来ていたが、真子は一人のままであった。

 いつの間にか何を思ったのか彼女には『ツララ』というあだ名までついていた。

 それでも真子は平然としたまま教室の隅の席で一人でいた。

 孤独に対する悲しみなど知らないようであった。

 逆に理解しすぎて何もかも無くしてしまったようでもあった。

 そしてそんな彼女を見ていると雄大は胸が苦しくなった。

 性格や雰囲気こそ正反対という程違っていたが、やはり思い出してしまうのだ。

 かつて雄大が愛し、愛された最後の女性のことを。

「じゃあ、男の子の方は?」

「進堂君は転校生で俺もよく分からないんだよな……。渡貫さんとは中学が一緒みたいで仲が良いらしいけど」

「あ、あの噂の転校生かぁ。ユウ君は高校を転校するってどう考えてるの?」

「やっぱり何かの訳があるんだろうな。それは人それぞれで、彼のは俺のとは絶対に違うはずだけど」

「ユウ君とクオンちゃん以外に吸血鬼はさすがにいないよね」

「まあ、なんせ絶滅危惧種(ぜつめつきぐしゅ)だからな」

 雄大は馬鹿にしたように鼻で笑う。

 高校二年生の秋頃、部屋に引きこもって苦しんでいるときに突然現れた赤茶色のツインテールの美少女――久遠寺ダズンは紅い目で雄大を見つめ、自らを絶滅危惧種だと言った。

 そうして雄大も自分と同じなのだと告げ、小瓶に入った水のように無味無臭の液体を渡した。

 雄大は恐る恐るそれに口をつけてみる。

 本当にただの水のような何の味もしないそれを飲み干すと途端に苦しみがひいていくような気がした。

 今もあれが何だったのか分かっていない。

 一種の毒か薬物だったのかもしれない。

 その謎の液体のおかげで雄大は立ち直るきっかけの一つを作ることができ、元の生活に戻ることが出来たのだ。今更、あれが何だったのかなどと考えても意味がない。

 そんなことより、かつての自分と同じような境遇の揺のことを考えずにはいられなかった。

 彼がサグにどう関わっているのか。

 ただのサグライダーという可能性も考えられるが、どうもピンと来ない。

 それにしては妙に何か知っているようだった。一年前のあの事件のこともどうやら普通よりよく知っているらしい。

 その上、東京の情報屋の名を出しても動じていなかった。

 誰もが恐れるあの東京の情報屋にも動じないというのはどう考えても普通ではない。

 もしかすると彼は東京の情報屋より恐ろしいものを知っているのかもしれない。

 大切なものを簡単に壊してしまうような。

 もしかすると彼は――――!?

「それじゃ、クオンちゃんと積もる話でもお楽しみ下さい」

 雄大の家に着くと里桜は笑顔で雄大に手を振り、角を曲がって自宅へ向かって行った。

 何故か憎めない夕陽を眺め、もう見ることの出来ない笑顔を思い出す。

 ああ、なんでこんなことになってしまったのだろう。

 全部自分のせいなのではないか。

 何故、あの時DCは自分を助けたりなんかしたんだ。見捨ててくれていたら……。

 見殺しにしてくれていたら、誰も不幸にはならなかったのではないか……?

 自分は何故、生きているんだ。

 何故、ここに立っているんだ。

 こんなに影を色濃く伸ばして――

 誰か、殺してはくれないだろうか。

 サグは、今回の犯人は自分を殺してはくれないのだろうか。

 殺しを辞めろとは言わない。ただ、死ぬべきでない命、生きるべき命を殺すな。

 殺すべきを――殺してくれ。

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