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その21 覇道 (4)

少ない雨

東光寺の一室に黙して座る

諏訪頼重すわよりしげの目には涙があった

前日

武田の新当主「晴信はるのぶ」と初めての会見をしたが



その威風堂々とした姿に「言い訳」が通用する相手でなかった事を改めて思い知った

若輩の新参者と見下してかかっていたが

その「性根」はがっしりとした家の大黒柱そのものだった

お家騒動という苦難を乗り越え

父親「追放」と言う過酷な試練の果てに就任した武田の主は正真正銘の強さを持っていた



「戦」も「はかりごと」も



ついに自分の謀が武田の入念に練り上げられた「知略」を上回る事はなく。。。

その「地位」を失い

家臣領民の多くを戦火に巻き込み



最愛の者たちからも引き離されてしまった


灯籠のない部屋

心は果てしなく暗い失念の海の中に沈ずみ

ここ何日かまともに飯は喉を通って行くことはなかった



思い出せば腹立たしい「謀略」

冷静に考える事が出来ていたのなら。。。。わかっていたハズの「謀略」


何度も床に拳をあてる

小さくコツン。。。コツンと

刻みつける

苛立ちを今は誰にも向ける事はできない。。。。己を貶める


いや。。。


もうとうに落ちてしまっている

このうえ

「見苦しい」足掻きを武田に悟られたくないから

目線を落とし静かに床を打つ


思えば。。。

あれは悪意をもった「謀略」だった

敵対していたハズの高遠といつの間にか手を結び諏訪を混乱に陥れた


だが「見切る」事はできなかった。。。最後まで頼重にあったのは「迷い」だった

「わからない」

言うほかないほど



心に迂闊さはあった

でもそれは。。

いや

それを信じない訳にはいかなかった

武田を疑う事は。。。禰禰ねねを疑う事に近く

それは頼重には。。。決して出来ない事だった


そのうえで

今の武田は絶対に諏訪を攻める事はない

諏訪には良き同盟者でいてくれなければ「困る」だろう。。

高をくくり

相手を侮ってしまった事



ゴツン。。。打つ手を強く叩きつけてとめた



認めよう

武田家新当主の力量を「はっきり」と見誤ったと。。。。


光の無い部屋に

雨音が響く


闇の雨。。。。


近づく夏祭り。。にぎわうはずだった大社おおやしろはどうなってしまったのだろう

諏訪は。。。

どうなってしまうのだろう。。


とめどない思い

自分に出来ることはなくなってしまった

なのに。。。。この「後悔」


ほつれた髷の毛を掻き上げ頭を両手で押さえた

やつれていく心

顔は青白い



何故



禰禰があれほど「兄と会ってくれ」と頼んでいたのに。。

会わなかったのか?

妻の助言を聞き入れなかった。。。うやむやに。。。ないがしろにしてしまった。。。


禰禰の占いは当たった「南の嵐」は武田の事だった

わかっていた

妻は武田ではなく「諏訪」を思って警告を発し続けていたのに。。


ちゃんとわかっていたのに。。。。




幽閉されてから

一度も禰禰に会う事は許されなかった

監視は厳しく。。。抜け出る事などできない


遮二無二

走って行きたい気持ちも。。。

今はなく。。。気力さえなかった



目を閉じ思い出す

諏訪から甲斐に向かう輿が

甲府で離れていくのを見ることはできなかった。。。。振り向いてしまったら。。きっと禰禰は泣いてしまう。。夫として毅然とした姿を



見ていてほしい


そこまで思い目を開けた


いや

だめだ首を振った

どんなに強がっても


自分が禰禰を思っていまや涙を止められない


「知略」の「戦」で頼重は「敗北」した。。。

結果はもはや

とりかえしのつかないところにきてしまっている


武将にあるまじき「涙」なのか

頬をつたい着物に降る涙

ダメだと

自分を律しようとすればするほど

あふれるものを止めようと

目を閉じても


愛する家族を思えば思うほど止まらなかった



「禰禰。。。。寅王丸。。。わしは会いたい。。。」


拳を床にぶつけ

こぼれる

涙とともに言葉を流した







「では。。。」


七月二十一日「雨」


夏の真ん中を揺らす雷雨の中

「自害せよ」との晴信の言葉を持ってきたのは

信虎に顔の似た弟の「信繁」とその家臣「諸角もろずみ」だった


信繁の目は何も「語ろう」とはしていなかった

二人は静かに会釈し部屋に入るなり


三方さんぽうに乗せた刃渡りを諸角の手から静かに頼重に渡した



「わしが死んだら諏訪はどうなる?」



頼重にも覚悟は出来ていた

昨日の晴信との会話でこの「戦」の責任をとるのは「頼重殿」であると

はっきりと言われていた


静かな間合いの中


諸角が返事した



「諏訪の地は満隣みつちか殿が統治しいずれ寅王丸様に引き継がれます」


老人の声は優しかった

この世の習いの最後を送るのは何度かあったのだろう

「見届け」の任にある諸角は

相手の心中も十分察し


なごりを残さぬように質問に答えた


「心配なさるな」


逝く最後の人に安堵を与える目で





「禰禰はどうなる?」


腹を斬る

もはや愛した妻に会うことはできない

ならば。。。。最後に思うのはその行く末。。。


「禰禰様は武田に留まられます」

「どうなる?!」


諸角の返答の向こう

背中越し冷淡な目線の信繁に頼重は少しだけ声を大きくして聞いた


あまりに冷たすぎる信繁の目が残す妻の事を不安にさせて

詰め寄るようにもう一度聞いた



「禰禰はどうなる!!」


信繁は眉一つ動かさず

諸角と同じ答えを返した


一瞬うなだれた頭を上げ

悲痛な声で続ける


「後生だ。。。頼む。。。禰禰に酷いことはしないでくれ」


頼重は目の前に座る諸角を飛び越え

信繁の肩に掴みかかった

老将はかなり驚いた様子であやうく脇差しに手をかけてしまうところだった


肩を掴んだ手は震えていた

目を見張る諸角に手で「待て」と示し寄りかかられたそのままの体勢で信繁は答えた



「寅王丸様のご生母です。。そのような心配はなさるな」


その言葉が終わらぬうちに頼重は

信繁の足下に崩れ

頭を伏した

打ち付けるように深く下げ。。。力の限りの「哀願をした」



「やさしい女なのだ。。。部屋には花をたやさぬようにしてやってくれ。。去年は夏に病になった。。身体を冷やさないように注意して。。。常に寅王丸の近くに置いてやってくれ。。頼む。。。。頼む。。。。」


信繁はただ見つめ返した

板間に頭をこすりつけるほど伏しているその肩を諸角がとめた


「諏訪殿。。。何も心配なさるな」


奥方にこれほどの情を示す彼の姿を諸角は「恥」とは受け取らなかった

自分亡き後の。。。残す者を思いやる気持ちは「恥」ではない

そんな胸に迫る思いで言った


「万事。無事。。。心配めさるな」


そのさしのべられた手に縋るように頼重は少し微笑みながら「あの時」を思い出すように言った



「禰禰は少し気の弱いところがあるから。。話しをするときは「屏風」越しに。。静かに優しく。。。聞いてやって欲しい」







止まぬ雨の下

戸を閉めた部屋の前

信繁と諸角は控え



部屋の中で独り

頼重は腹を切った

薄れゆく意識の中「辞世の句」とは別の言葉がなんども繰り返し息が絶えるまで続いた



「禰禰。。。近くいてやれなくてすまなかった。。。。禰禰。。禰禰」

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