その19 武田菱 (3)
「唐人なのか?」
甘利は聞き慣れない響きで
おそらく自身では発する事の出来ない音の名前をもつ老人に
及び腰で聞き返した
「いえ。。日の本の者でございます」
歯切れ良い声
ヤンソンと名乗った男は老人らしくない声
「日の本の者なのに。。。。聞かぬひびきの名前よな。。」
甘利は座ったままで
身体を反らし斜に顔をのぞきこみながら言った
滑稽な様子だったのだろう
老臣で「猛牛」ともあだ名される甘利の
腰の退けた対話は少なからず晴信を穏やかにさせていた
つい顔を綻ばせ
紹介した板垣に聞いた
「この者は「間者」なのか?」
板垣も甘利の様子がおかしかったのか
無言の状態ではあったが微笑ましい表情のままヤンソンに答えて良いと顔を見合わせた
ヤンソンは
一息,咳払いをしたの後
「私はただの「いくさ人」にございます」
「馬鹿な」
甘利は呆れたように即答した
理由はわからないでもない
片足を引きずった
指も揃わぬ男が「武」に秀でているとは思いがたい
むしろ
「逃げ切りの武人」か?
呆れた顔のまま当主晴信と板垣を見て言った
「悪ふざけはやめましょう。。。「戦」の話を進めとうございまする」
「戦の達人じゃ」
顔をしかめる甘利の言葉に「紹介者」の板垣がさらりと返し
そのまま続けた
「あらゆる「戦」の熟達者といってもいい。。。そうだなヤンソン」
甘利の冷ややかな目線をよそに
晴信に向かってヤンソンはこくりと礼をした
「どのような「戦」をしてきた?」
晴信の目は輝いていた
もともと「人好き」な心はわくわくしている気持ちを抑えられない
この一見寂れた「老人」がどのように戦ってきたのかを知りたい!
知りたくてしかたない
大きな体を前に乗り出し
ヤンソンの顔を正面からとらえ続けた
「遠慮なく申せ!」
歯抜けた口元をゆるめ当主に感心をもたれたことに喜びを表しながら老人は答えた
「生かすこと。。殺すこと。。作ること。。壊すこと。。計ること。。口説くこと。。あらゆる戦をしてまいりました」
「口説くこと。。。。?」
戦の話を聞こうと乗り出した晴信は「口説く」に反応した
男も女もこよなく欲する晴信の耳にその言葉がひときわ良く聞こえたのか
目を輝かせて聞き返した
「女を口説くのも「戦」か?」
「この世で一番難しい「戦」です」
晴信は膝を叩いて大笑いした
「まっまっことそうよな!!女も男もなかなかに心を開かん!!」
わざわざ
場所を変えてまでの密談だったのでは?
と
さらに顔をしかめた甘利に気がついたヤンソンは片目だけとはいえ真面目な顔に戻り言った
「そういう「戦」をいろんな「国」でしてきました。。。ちと長くなりますが手前の戦歴を語らせて頂きましょう」
晴信は気分良くそうしてくれと頷き
一同長い話に聞き入る事にした
ヤンソン.カーティケイヤは出身は
三河国宝飯群牛窪で
父の代から「今川氏」に仕えたと言う
子供の頃から海を見て過ごし身体を使った「戦」にでる事は「好き」ではなかったそうだ
十二で
今川氏牧野出羽守配下,大林勘右衛門の家に養子に入り
立身出世の近道を模索した
しかし
せっかく
今川配下の取り立ての良い家に入ったのにやはり
身体でぶつかり合う「戦」は苦手で
何かと逃げて回った
その一方で「兵法者」になる事に憧れ
書物にうもれ
見識を広めるために
ついに大林の家を二十歳で出奔してしまう
生い立ち以降のそこからの話は
晴信
信繁
甘利
板垣
が考えている家出物語の枠を大きく越えた
京の都に上り遊興三昧
とはいえ
乱世楽しむ場所は少なかったそうだ
ひときは目を惹いた貿易船に
その若い衝動は働いた
これがヤンソンの生きる道の大きな糧に変わっていく
「港に停泊していた南蛮船にこっそり乗ってしまって。。。。」
どこか近場の港にでもつければ
などと安易な気持ちで忍び込んだ南蛮船はそのまま日の本を離れてしまった
海を行く中
ただ乗りが見つかってしまったヤンソンは
そこで「ヤンソン」というあだ名をつけられ牛馬のように働かされたそうだ
何ヶ月かの航海で着いた先は
「神々の国でした。。。」
と
遠い目をした
「ムガール」という帝国の元
阿蘭陀東印度会社という商いの元締めがあり
その下で働く男たちと仲良くなり
日の本以外の見識を多く仕入れた
もともと
学ぶ事が好きだった
だから付属する労働も「勉強」のようなもので
その地のあちこちに出向き仕事に従った
「とにかく。。。広い!!何もかもが大きい!!そして「戦」の仕方も斬新でした」
大軍の馬を並べ行軍する隊列
平地での大合戦
寝る間など与えられないほど輜重使役に駆り出されながらも
見るもの聞くものドンドン吸収していった
まず見る
聞く
そして異国の文字を読み
忘れぬように書く
学ぶ
そんな事を二十年ほどして過ごし
今度は共に長く働いた仲間として阿蘭陀船に快く乗せてもらって日の本に帰ってきた
「神々。。。御仏の国か。。。すごいのぉ」
晴信もそうだが
甘利の目も輝きただ聞き入った
四方を山に囲まれた「甲斐」にとって海はまだ見ぬ地であり
いつか手に入れたい地でもあったが
その海を越え遙か向こうの他国の地踏んだ男の話に聞き入ってしまうのも無理もない事
「帰って最初にやったのが「戦」でした。。。海の向こうの「戦」の仕方どこまで日の本で通じるかを試しました」
経験を試してみたくなる
それを実践する
いよいよ出てきた「戦」の話に甘利は身体を前にだし
聞きこぼさぬ姿勢だ
「安芸の国にて仕官いたしましたが。。年寄りという事とよそ者という事で適いませんでした。。が兵卒指揮を任されの参戦でございました」
「数多の戦いの果て毛利元就殿と対戦いたしましたが。。。」
南に聞く大物大名の名だ
「どうであった」
晴信
甘利は「戦」の達人と紹介されたヤンソンの海の向この「戦」というものにかなり魅入られた様子で心を躍らせながら聞いていた
「惨敗でした」
ヤンソンはあっさりと。。。。
「勝利」ではなく「惨敗」。。。。
期待した答えとはまったく違った
先に聞いた
大軍団の戦を知り知識として持ち帰った男は結局日の本での実践では一戦も勝てなかったのだ
「負け戦。。。だと。。。」
甘利は首をふり青筋を立てながら
ギリギリと身体を前に伸ばし擦りつけんばかり顔をヤンソンの額に向け吠えた
長々話し込んだ結果が
達人どころかその風体通りの「敗残者」で
その敗北歴を聞かされ続けて。。。。
そんな会話に一心に耳を傾けた自分腹が立った
「貴様。。。。いったい何が言いたいんだ!!!勝ち戦の話じゃなかったのか!!!」
「負けました。。。負けてこのざまです」
そんな怒りの声に動ずることなくヤンソンは指を失った手をヒラヒラと振って見せた
その仕草に顔を真っ赤にした甘利は拳を握りしめ怒鳴った
「負け戦の話が何なる!!!」
「負ける事もあります」
激高する甘利をよそに晴信は冷静だった
板垣が無意味にこの「敗北」の男を連れてきたわけでないハズ
と
理解しながらも
あまりに
ヤンソンと甘利の言い合いが面白く大笑いしてしまった
晴信の大笑いに甘利はさらに激高して言った
「負け戦の達人など何の役にたちますか!!!」
「すまん。。。ハハハすまん。。。そんなに怒鳴るな」
後ろに転げるような勢いで大笑いをする晴信は口を堪えながら言った
「ヤンソンとやら。。負けたにしては気っぷが良いな。。敗北の先に何か見えたのであろう」
笑いながらも冷静に自分を見ていた新当主の言葉にヤンソンは静かな笑みを浮かべた
「その先。。。。話してみよ」
晴信は続けろと手を伸ばして言った