その2 傷跡(1)
真夏の山の残暑は
寺にいた頃のそれとかわりなかった
とにかく湧き上がる熱さに
城内の書物を読みあさっていた私は弱音を吐いた
「暑い」
額から頬に流れる汗を拭う
寺での奉仕をしていた時の方がきっともっと流していたハズと思い出して
安直に言葉をもらした事を少し恥ずかしく感じた
まだまだ修行がたらないなと
八月十五日
厳粛な雰囲気をぶち壊すような熱波の中
私は「元服」した
式の間周りを少し見回したが。。。。みな汗で。。。
なんだかもうしわけないような気持ちになりながらの元服だった
私の
名前は「長尾景虎」(なかおかげとら)と改められた
元服のおりの名前は
師,光育がつけてくれたそうだが
兄から手渡された「親書」には「影」の字が記されていた
手元にもったそれから顔を上げて兄に問おうと思ったが。。。
冷ややかなお顔からは返答をえられなそうでやめた
とにかく
これで正式に。。。大人として「長尾」の家のために働く一員になれたという気持ちで心は高鳴った
しかし
相変わらず城での母からの呼ばれ名は「トラ」だった
それは「愛着」なんだろう
離れていた期間の長かった母にとってきっと私はどこまで成長しても「トラ」なんだと
母には子供として想って頂ける事が嬉しかった
だから無理に名を改めてくださいとは言わなかった
母がそう呼びたいのだからそれでイイ
そんな灼熱の式から向こう
表だった仕事はなかった
でも
もう子供ではなく「長尾」の家に徒事する身になった事を思うにじっとはしていられなく
いつ何時,大事を手がける事になるかはわからないという緊張した気持ちを持ち続けたくて。。。。「修練」に励んだ
ただひたすら「武」に「禅」にと修練をつづけた
その一方で
遠ざかっていた「治世」とについて学ぶようにした
それまでは「治世」は「俗世」の仕事であったから
考えの縁の物であったけど
これからはそれも修練の一つとして学ばなければならないと思ったからだ
「兵法」については寺にいたときから学んでいたので
さらに「実践的な」ものとして城にあった書物を蔵で汗まみれになって読みあさっていた
そんな書物ずくめの日々
「直江実綱」(なおえさねつな)が
私のところに来た
その日私は気晴らしも兼ねて
一日「武」に没頭しようと。。。張り切っていた
とくに好んでいた
立禅(弓)に心ごと目を向けていて彼がすぐ後ろに立っている事に気がつかなかった
「みごとなものです」
遠矢を的に当てたところで声がかかってすぐに振り向いた
大柄な身体に大小の刀傷
着物を半身ぬぎ
鍛えられた腕は
自分の弓を準備して立っていた
笑顔でお辞儀すると
すっと引いた矢は吸い寄せられるように力強くに的にあたった
「みごとです」
私はあまり人の弓を見たことがなかった事もあり
あまり見事に的を射た矢に目を丸くした
「すごく綺麗な矢ですね」
彼は振り返ると
「いやいや。。。影トラ様の弓もみごとなもの。。つい心誘われわしも弓を引かせていただきましたまで。。寺で習われましたか?」
実直さが言葉になって出る男だ
意志の強そうな眉毛が。。。気に入った
「寺で修練しました!!」
私は元気よく返事すると
弓を置き小姓に茶を用意させた
「影トラさまは馬もうまく。。弓も素晴らしいですな」
顎髭を撫でながら直江の褒め言葉が続いた
照れる
いきなりそんなに言われても
「いえまだまだ修行の身です」
つい控えめに頭をかきながら答えた
「精進なさることに惜しみがない。。良いことです」
家臣「直江」の事はよく聞いていた
最初に使者として来たときから
次に会ったときに失礼がないようという思いからも
歳は兄と同じぐらい私の二十歳上
兄の腹心だ
城内の業務に長けており城のいろんなところで良く「見る」人物だった
茶を飲む
私をしげしげと見ていた彼の目に気がついた
「母上に似ていますか?」
私は少し含み笑いをもった聞き方をした
なにせ
参内から向こう会う家臣は必ずと言ってイイほど私の「顔」を
じっくりと見ては
みんな決まって
「虎御前様にそっくりだ」
と
答えていたから
ならば
自分から聞いたほうが早いか?と思ったのだ
「はい。。よう似ておられます」
「目ですか」
彼は私の言葉をきいてやっぱりと笑った
が
直江の答えは違った
「いいえ。。矢を射る姿が亡き親方様にです」
ハッとした
産まれた城にもどってきたのに
父の事はほとんど思い出す事もできなかった私は
初めて
父に似ていると言われ驚いた
「直江さまはよくしってらっしゃるのですか?」
身体を乗り出し食い入るように聞いてしまった
「共に馬を並べ戦場にでました」
知りたかった
父はどんな人だったのかを
私は「父を知らない」。。。。
「どんな人でしたか?」
素になってしまった私の態度はよほどおかしかったのか
直江の方が驚いた様子で聞き返した
「憶えていらっしゃらないのですか?」
一瞬の事だったが
私はそれを聞くことが「恥ずかしい」事であった事に自分を取り戻した
「いい。。いえ。。。幼かったので。。。あまり憶えて。。。」
恥ずかしかった
自分の父親をまったく憶えていないなんて。。親不孝もいいところだと
変に頭を掻く仕草でごまかしたかった
「そうですか。。」
聞けなくなってしまった。。。。
ちょっとしょぼくれた私に直江は一言だけ
「お父上様は強き男。。。越後をまとめるために働いた「戦鬼」にございました」
と
私の知らない父上。。。強き男。。。
「そうだ!!直江殿。。私に治世について教えてはくれまいか?」
忙しい男直江が父のことを知っていると思えば知りたくなる
無理強いして聞くより彼から色々学べばそのうち。。何かわかってくる
そう思う衝動を止められず
私は直江に「治世」の師事を仰いだ
早口でまくし立てるように言う私の姿に彼は少し笑ったが
「学ぶことのお手伝い。。。喜んでさせていただきましょう」
と答えてくれた
書で学び
さらに実践している彼に学ぶ
私は少しづつでも役に立ちたいという気持ちと。。。。
うっすらとしか思い出せない父について知ろうと努めたが
治世は学べども
あれ以降「父」の事については聞くことはできなかった
聞いてはいけない事のように感じてしまっていた
そんな日々の後
新年を迎えた頃
私に「長尾家」のための仕事がめぐってきた
それは
突然の嵐の中に私を連れて行く「旅立ち」だった