その13 晴と影 (8)
慌ただしい
が
「楽しい」
林泉寺に着いたのは昼時だった
住職は忙しい方だ
道すがらに話ができただけでも良かった
たくさんの知識を「御仏」の事を私にお話してほしかったが
仕方ない
まだしばらくは春日山にいるのだから
余裕をもって学びにこよう
師,は優しい微笑みで挨拶をして部屋にもどっていかれた
門をくぐった向こうでは
かつての仲間だった門弟たちが夕方に向けて右往左往していた
ワクワクする
そんな忙しくしている姿が私には「楽しく」てしかたなかった
抑えきれない気持ちで
台所仕事を手伝いにいった
ひさしぶりにあった仲間たちはいちおうに驚いていた
とくに
私の身の丈について
口々に感想を言ってくれた
その言葉の中に「チビ」と
「そんなにチビだったか?私は?」
「戦」続きの間,知らぬうちに成長してしまったから
いつまで「チビ」だったのか。。。。そっちを思い出す方が難しいと答えてやった
みんな大笑いだ
みんな良い仲間だ
私は「長尾」の家に戻ってしまい「武士」になったのに
昔と変わらず区別なく接してくれる
修行の合間に軽口をたたく
それでも真摯に祈り
仏神への道を求め続けた日々を忘れてない
それにしても
祝賀の季節は何が無くても忙しい
今年は雪が少なかったからまだいい
1月の雪かきは寺の坊主にとって一番の大仕事だ
私も10歳まではやっていた
汗だくになって
その後の「お清め」は爽快だった。。。。
そうだ。。。
ジンとよく競ったものだった
あっちの端からこっちの端。。
どっちが早く雪をのけきるか
勝てた事はついに一度もなかったけど。。。。懐かしい
少しづつのけられているお堂に向かう道の雪を見てそんな事も楽しい思い出として蘇る
一緒に家事をして掃除をして「禅」を組む
ただ
それだけの事に「心」は果てしなく満たされていた
跳ぶように過ぎる時間。。。。
私は「僧」になりたかったんだ
林泉寺に訪れた事で改めて心底そう思った
深く深く息を吸い吐く
「戦」など忘れ
心を穏やかにして「禅」の世界に入って行きたかった
すべてが静寂の仏閣の何もかもを愛していた
私の前にはその「道」だけあってくれればよかったと心から思っていた
その道からは「急」に分かたれた
「守護代,長尾」の将として「力」を持って国を守る側の者になった
そうなってしまった事
それを悔いてはいない
ココを出て行く時
師はそれを「御仏の意志」だと言っていた
私は戦う側だ
戦って国民を守る側
それこそが
御仏が私に示した「道」だ
今の越後に必要な仕事で
大事な「責務」だ
胸を叩き自分に言い聞かせた
闇が早く降りてしまう夕刻を待たず
城に向かって歩く
名残惜しくて何度も寺を振り返った
仲間たちが大きく手を振ってくれる
またこよう
ココが私にとっての「最後」の安住の地
ココが私の帰れる場所なんだから
そう決めて
早足で城道を歩き帰った
もどってすぐに母上のおられる屋敷に向かった
昨日は上座に座るお顔を少しみただけで終わってしまっていた
あんなに飲んで
だらしなく思われてしまっただろうか?
しかも
兄上には怒られてしまって。。。
でも。。
話したい事がたくさんあった
ひさしぶりに訪ねた「林泉寺」の事
おおよそ初めてだけど「着物」の話
それと
私の小袖を作るかなって。。。なんて顔するかな?
怒るかな?
いやいや
逆に快く
見立ててくれたりして
母上を少しは真似てうまく着こなせると思うんだ
そんなふうに考えると。。。小袖もやっぱり着てみたい
弾む気持ちで部屋に入った私は
すぐにそんな気持ちでいてはいけないと気がつかされた
座敷の一角に座す
母の表情は険しかった
それは灯籠に照らされているから
できる影とは違い
あきらかに「厳めしい」影を持っていた
「よく聞きなさい」
前に座った私に
他に誰もいない部屋の中を低く声は続けた
「今まだ「嵐」の中「戦」の世に身を置いている事を忘れてはなりません」
研ぎ澄まされた目,母の顔は微動だにしない
これは
あの時と同じだ
元服したときに
母に私は質問した,私は「女」ですか?「元服」してよいのですか?
答えはなく
ただ
「長尾のために。。。ひいては「越後」のために働きなさい」
そう言われた時と同じ
迫る感情
「これを」
目の前にもって来られたのは大小の中間ぐらいの大きさの「太刀」だった
黒革の鞘をもち使い込まれた色合いの太刀
受け取り
「刃」を見る 両刃造
方刃に名入り
「栖吉虎姫」
煌々と輝く白刃
太刀というよりは大きな包丁
「私の物でした」
母の言い方でわかった
これを私に譲ると言う意味だ
これは母が栖吉から嫁いだ時に持ってきた「太刀」だ
キリキリと心が痛む
手太刀ちを掲げ深く伏した
「戦え」無言の母は私にそう告げている
昼夜を問わず
祝賀に浮かれた自分を恥じた
その上
守る側の人であるべきなのに
己の心を満たしたいと林泉寺への「恋慕」した事を見透かされたようで
恥ずかしい
何をしている自分!!
私よりはるかに昔から戦ってきた母の方が「越後」の行く末に真摯になっている
何を呆けていた事か!!
「ありがたく頂戴いたします」
もう一度深く頭を伏した
「不穏な出来事がまだ収まっていないことを忘れてはなりません」
耳に響く声は「怒り」を十分に持っていた
誰よりも
「不安な出来事」に敏感になっていなくてはならなかった私
「栖吉衆」を率いた母の言葉は重い
父の背を守り
国政に憂い事なく専念する事ができたのに母の細心の心くばりがあった事を
それに呼応して思い出す
「黒田秀忠」の事
「黒滝城の事。。。忘れてはおりません」
あの時の事
あの時の秀忠を思い出す
この祝賀にも秀忠はきていない
不穏を正さねばならない
身の潔白を示すのなら「手紙」ではなく登城すべきだ
守護代様を謀ろうとしているのか?
優しいお沙汰に便乗したか?
どちらにしても
来なかった
何かが「ありうる」
状況にまだ私達がいるという事だ
怠ってはいけない。。。。
私は戦わなくてはならない「越後」のために
母の目
その顔に再び「弛まぬ」気持ちを深く胸に刻んだ
影トラ様の身長(藁)
後書きからこんにちわ〜〜
なんか中略,ウンチクのコーナーみたいになってますが
気遣いなく(爆)ネタバレは一切ないと信じていますが不要な方は読まないでください(藁)
この小説の中では
「他の侍女より頭半分大きい」
と書いていますが当時の女性の平均身長はだいたい153センチぐらい。。。らしいです(曖昧)
ていうか153もあったら高い方だという人もいまして
150センチ台だったのではと火星は読んでます
で
影トラ様ですが
現存する「上杉謙信公当代具足」からの測定でおよそ156センチぐらいの人だったのではないか?
と
言われています
だいたい
当時の男性の平均身長ぐらいに当たるそうです(曖昧ヲイ!)
女性からみたら「大きな人」という事にはなりますね
ちなみに
「お市の方」(信長様の妹様)「当代随一の美女」と誉れ高き女性は163センチぐらい
かなり長身の方です
今でいうならファッションモデルみたいな方だったのでしょうねぇ
信長様の家系は長身な方が多いようでご本人は167センチぐらいだったそうです
百姓の人に比べると食べているものも違えば日頃の武術を磨く訓練もしていた武士は身体もがっしりしていただろうし
大きくみえたのかもしれませんね
戦国武将で大きいのは「織田信長」配下加賀百万石を作った男「前田利家」180センチ
甥で有名な「前田慶次郎」は196センチ
同じぐらいの高さに「藤堂高虎」196
「斉藤龍興」195とかがいます
現在の人にしたってデカイよね
戦国武将でチビなのは「武田信玄」配下の武将「山県昌景」140センチ
これはかなり小さいですよね
また大物では「豊臣秀吉」154センチ
「徳川家康」158センチ
つまり「トラ」は秀吉より大きくて家康とはそんなに変わらないぐらいの人だったて事ですね
さて
ライバル「武田信玄」の背は?
最近の調査でわかったのは162センチ!!ぐらい(極めて曖昧)
デカイ入道様です
火星は信玄公と同じぐらいですが
みなさまはどの方と同じぐらいでしょうか?
自分の身長が有名武将と一緒ぐらいだと感慨深くなりませんか?
それではまた後書きでお会いしましょ〜〜〜