その40 開城 (2)
山に近づくほどの煌めく雪風の中「長尾景虎」は進んだ
大きく開け放たれた春日山の城門から向こうだれもが頭を垂れ「畏敬の念」の中で彼女の行軍を見守っていた
これより「越後守護代」となる女の姿は
誰の目にも異形であったが
街道に伏した少しのモノ達がチラリと仰ぎ見た顔は「美し」かった
天より降りた
鬼神。。。。そういうにふさわしい
美麗な顔。。。。鋭いながらも長い睫毛を持つ瞳。。。。風に揺れる豊かな黒髪
それは家臣一同が考えた事のない当主の姿でありながら
これより「天下」に名をとどろかす事になる国主の姿だった
「すぐには行かない。。。。しばし上杉様に片寄せさせて頂く」
馬上ゆっくりと前に進む影トラは隣をあるく侍従に小さく伝えた
目の前により大きくなる実城に誰よりも早く登りたかったがその心を
旨を抱くようにして堪えた
心はすぐにでも「母」と「兄」の元に向かいたかったハズだが
それでは今日。。。
ココに至るために道を開いて下さった「上杉守護」を蔑ろにする事になってしまう
「兄上からのお呼びが有り次第,登城する」
横に馬を歩かせる「直江実綱」に書状を改めると手渡した
見上げる春日の頂は白く曇っていた
白銀を運ぶ風の下
影トラの髪は緩くこぼれ揺らめいた
「戦」こそ避ける事はできたが
これから「越後国」の権威譲渡と。。。。「守護代」就任をどのように現すかが諸侯達の手前に示される儀式だった
前衛の軍団は総門をくぐったところで行軍を止めた
冷たい風
手を
指を滑らして絡める
「疲れた。。。。」
戦を避けた喜びとは別に
影トラの体には疲れが走り始めていた
それでも道を埋める春日山の住人達から総構えに配されていた兵達の手前。。。自分の疲労を揺れてでも見せる事はしなかったが。。。
股肱の臣である直江は理解していた
手渡された親書を持つと深く頭を下げ
「二刻後を目処に会見を致すよう必ず決めて参ります」
二刻(約四時間)あれば少しは体を休める事が出来る
家臣の計らいに素直に応じた
「頼む」
それだけを下知すると上杉守護宅に陣を立てた
その頃,虎御前は半ば幽閉の身となっていた
とはいえ
北の屋敷にこもったまま動こうとしない御前の周りに直江が与板から呼びつけた精鋭を並べただけの状態で
軟禁やら
牢獄やらという物騒な世界とは遠い状態の中にあった
風雪の舞う渡り廊下を
静かな足取りで白湯と飯の支度を調えてきた侍女は文台に向かい,姿勢正しく写経を続ける主の耳に
終局を見た「乱」の報告をした
「影トラ様は守護代様からの使者を受け入れ和睦を受け入れられたようです」
守護代晴景と影トラの和睦の報告がやっと御前の耳に届いた瞬間だった
侍女の言葉にも目もくれず
硯に向かい静かに写経をする姿から「怒り」は見受けられなかった
静かな風を取り入れる小さな窓の下で
鋭く尖った目は
結果には微塵の興味もなさそうにつぶやいた
「運命を先延ばしにしても,来るモノか逃れる術などない。。。。トラは真正面でそれと戦うと決めただけの事であろう」
運命と闘う者
今はまだ虎御前が示そうとするものが何かを見切ることは誰にもできなかった
だが
それは確実に向かってきている事だけは
誰の耳にも届いた
陣取りをした影トラが少しの眠りに入った頃
上杉に片寄せをしていた「麻」は長尾景虎の徒事者達に会っていた
京の都を習った書院の間には冷たい風と少しの花。。。雪が舞い降りて
一難を終わらせたばかりの麻の心にまだ冷たい影がある事を感じさせた
「守護代様のご処遇を。。。。影トラ様はどうお考えなのでしょうか?」
単刀直入な言葉は
疲れで少しひび割れた唇を小さく開けて聞いた
越後国主を退くと決めた夫の。。。これからの処遇は消して明るいモノでない事が「麻」の向かうべき次の戦いとなっていた
越後国の全土わ巻き込む事になったであろう
「戦」は避けられた
だが
明確な責任の問題はまだ誰にも課されていない。。。。。
それではココまで進軍してきた諸侯が納得するかは難しい問題だった
キレイに纏められた浅黄色の小袖の下
強く拳を握った麻は
自分が夫の全面に立って。。。。「最悪」と考えられる事態から楯となる覚悟で
影トラ軍,前陣を率いた将「本庄実乃」に聞いた
胴巻きをといた姿だが鎧直垂は付けたまま
「戦」の延長にいる武将達の真ん中に座した実乃は,面前に座る麻の疲労の濃い顔を見つめた
まさか。。。
ココで守護代の奥方と会う事になるとは思わなかった
逃がされたのか?
逃げたのか?
麻がココにいるという意味を知ったのはその後の事だったが
今はわからず
奥方の要求に対しては言葉を濁した
「まだ。。我らには何も決められませぬ」
「苛烈なる処遇でない事だけを望んでおります」
約束できない事に対して麻はただアタマをさげるだけだった
最早,夫は越後の守護代ではなくなってしまったのだ。。。
なれば
どんな立場にされてしまったのかさえわからないのだから。。。不安だけが閃光して
心に負担を掛けていることは確かだった
命だけはと。。。願う妻に諸侯はかける言葉を見失っていた
「ワシの処遇の事か?」
風雪と共に
沈痛な間を割って入った声
それに一同は驚いた
まだ一刻の時しか過ぎていない実城から下山してきた主「晴景」の姿に
板間に介した者達は驚きすぐさまひれ伏した
驚きは麻も一緒
まさかこれ程早くに夫と出会えるとは思っていなかったからだ
上座に向かう夫の顔を。。。。麻は。。何年も見ていなかったかのように追った
日の差す時間に夫と顔を合わせる事が出来たのは確かに何年かぶりの事だった
「苦労をかけた」
着座と共に妻の顔に向けて労をねぎらう言葉
「上杉様へ和睦の仲介を成してくれたこと。。。。礼を言う」
他に家臣達が並ぶ中で晴景は戸惑うことのない言葉で妻に礼を尽くした
その言葉に家臣達
実乃もまた少しの驚きを見せた
驚きの理由はそれだけでもなかった
どこか安らいだ表情の晴景は
自分にどんな処遇が与えられても受け入れる準備の出来た男になっていた
不安のない柔らかな滑舌が告げる
「室(妻)にはこの「戦」を機に宿下がりを出してあった。。。」
「殿。。。。」
自分の身に降りかかるであろう事態を想定している晴景は最後まで妻を守りたいという優しさを口に出した
室とはすでに籍はないというもの
繋がりをもっていれば
断罪に書される可能性があるからだ
だが離縁されているのなら
そのような非道に落ちる事は免れる
子も成さなかった正室を責める事は誰にもできない
「影トラ「殿」に会おう」
静かな覚悟に麻は首を振った
「最後まで」
その言葉を晴景は遮った
「もう。。。。十分にしてくれた。。。。勘気して離縁を申しつけた事をもったいなく思うほどだ」
晴景の目はどこまでも優しい眼差しのまま
自分の最後に付き合う事はないと妻を諭す
「ワシのためにそうしてくれ」
「イヤです。。。」
二人の間には静かな時間が流れる
否定を口にした麻を晴景は叱らなかった
「最後と言われるのならば。。。最後までご一緒させてくださいませ」
「わしで良いのか?」
お互い心に決めた人であった事を確認する言葉の前
並んだ武将達は誰も何も言わなかった
「貴方様でなくては。。。」
麻の細い指。。。その伏した手に自分の手を重ねた晴景は
「わしもそなたでなくてはならぬ。。。」
一陣の風の後
その声は部屋に割って入った
「長尾「喜平次」景虎」にございます」と