その38 月と星 (10)
滑りを含む熱の風の向こうに姿を現した「影トラ軍」
広がる原野に横一文字整然と配備された篝火に定実は唸った
「すばらしい」
行軍がココまで行き届いた列を成しているのは
指揮者の並々ならぬ「力」を現している
それを一目見た事で気が付けた事に驚きと。。。。素直な感想をもらした
風は冷たい朝が近づくほんの少し前の這うような寒さの中で
軍団の足音は大地を叩き
熱く揺れている
定実は額に手をあてた
憶えのある威容
かつて
春日山に自らが立てこもり「為景」と戦った
あの日の明け方
目が覚めた時には総構えから山裾に至るまで整然と並んだ「鬼の軍団」がいた
あの時と同じだ
冷たい中にある風さえもが軍団の指揮の中にある
走る大地の鼓動さえも鬼の手の中にある
同じ景色
自分の記憶を確かめるように額から鼻柱までをゆっくりと撫でてみた
「まさに為景の軍である」
多くの長柄を前に圧巻の行軍をする軍団
これがこのまま春日山にぶつかれば。。。。あるいわ
など
すでに結果も見えたもの
耐えられる訳がない
ココまで「戦」という熱を封じ込めた軍団
それが発露された時に起こる「力」の前に春日山が赤く燃えるのが目に見える
この軍団はそれほどに盛況であり
風の動きにも
雨の動きにも
けして歩幅を変えることなく突き進むであろう
勝てるわけがない
落胆を越えた諦め
定実は目を細めて迫る軍団を見つめた
「ココでお待ちください。。。ワシが繋ぎをつけましょう」
小高い丘にたった定実の従者として付き添った中西は慌てた様子で言った
手綱から手を離し主の前に座して
「このまま行くのはよろしくありません」
覇気強気軍団は目の前に見える「障害」に容赦はしない
中西はそれを肌で感じていた,故の忠告にもにた進言だった
だが
遠くを見つめていた定実の態度は変わらなかった
「いや。。。。このまま行こう」
「しかし」
馬の
手綱を自らの手で引き,制止の手を出す中西に告げた
「中西。。。既に影トラ殿の目にワシは映っておるであろう」
主の顔を直接見るなど身分違いである中西だっが
この時は定実の顔を。。。。少しだけ見た
定実の目は真っ直ぐを見つめている
真っ直ぐ。。。。。
平野の
行軍の真ん中を行く者を
一頭の馬に髪をなびかせた「鬼神」
「あれにみえるが影トラ殿であろう」
少しだけ首を伏し中西に聞いた
「おそらく。。。。」
ただの一騎で進む将の姿
それに向かい定実はゆっくり前に出た
「止まれ」
哨戒はするなと言っても横一面に並んだ軍団が注意を怠る訳にはいかない
私の目線の前
遙か向こうに現れた「影」に
馬廻りの伝令が現れた
空が薄墨の幕を上げ始め,代わりに紫の敷布が現れた時だ
秋山史郎の兜には秋穂の露がびっしりとついていた
それほどにこの行軍は「慎重」なもので合ったことわ現している
「影トラ様!前方に」
私の馬の前に座し進言する言葉を避けた
心はもうきまっている
「止まれ!」
誰の意見にも揺るがぬ意気でココにきた。。。今更「慎重論」など聞く耳など持てない
ついに「兄」のまたは春日山の。。。。何らかの意志がココまでやってきた事に手を挙げた
「全軍止まれ!!」
私は怒りに満ちた顔をしているに違いない
見下ろす秋山に命じた
「速やかに軍団を止めよ!」
言葉少なく自分の意志を目に宿らせて命じた
秋山は良く私の心を理解していた
「はっ!」
すぐさま馬を駆ると,私の後ろに構えていた馬廻り達が各軍団に向け走って行く
鳴り響いていた足音
大地を打ち叩き進んできた者達の音は少しずつとまり
平野を埋めていた鳴り物の掠れる音も静まる中
今一度,私の元に戻った秋山が聞いた
「前方の者!ワシが見て参りましょう!」
だが
私は許さなかった
「良い。。。。アレは私に用があるのだ」
直感
アレこそが私の「運命」
これより先の道を示す者。。。。。
私の言葉に抵抗の顔色を見せた秋山に重ねて告げた
「誰も前に出るに!!」
そういうと馬を走らせた
今こそ私の前に置かれた「運命」と向かい合おうではないか。。。。
少しの高揚感とともに私は前へ
前へ向かった
定実の前
軍団の周りに馬廻りの者たちが速やかに動作を起こして行く
「止まれ!!」
「止まれ!!」
伝令達の怒声に原野を踏みならしてきた部隊は動きを止めて行く
揺れる笹の穂達が風を止めるがごとく
小高い丘から見える図としてこれもまた「驚愕」のものだった
五千の兵たちは座ることはなく
「構え」の状態のまま見る間に行軍を止めた
「美しい。。。。」
馬さえ恐れを成し首を震わした「音」が鳴りやむ中を進む
ただ感心の言葉を漏らしながら
定実は進む
「中西。。。。もうココまでで良い。。。主の元に戻れ」
ココまでの道程を徒もした「忍」に定実は優しく微笑んだ
「しかし。。。。」
「もう良い。。。。後はワシが影トラ殿と会うだけだ」
優しい声と顔
うらはらに覚悟を語る言葉に中西は戸惑った
影トラは苛烈な人物だ。。。。今更「守護」が出張ったところでそれを「許すか?」という不安
そんな不安を今,吐露しても事は戻らぬ所まで来ている事に
春日山の方角をかえりみた
。。。。。
「守護様!!暫しお待ち下さい!!!」
かまわず前に進む定実の手から手綱を奪うと中西は控えて続けた
「間に合いました。。。。。」
取られた手綱と中西の視線を定実は追う
目わ細め煙る秋の霧と,紫に変わる空の下
草を割り馬の蹄の音が高く響いてきた
今まで歩いてきた道に。。。。影が揺れる
「直江か?」
中西は緊張に張りつめていた己の胸から深い息を吹き出した
らしくない緊張を纏ったと,自分に対して苦笑いを浮かべながらも
元主に対しても義理を通せたことに
心に少しのゆとりを持って
「直江様です。。。。間に合いました。。。春日山は守られました」
走る影
直江はあっという間に定実の横に馬を着けた
「間に合いました。。。」
すぐさま馬を下りた直江は「守護上杉」に伏して挨拶をした
「守護代長尾晴景様は守護上杉様によるご仲裁に伏して従います。。。。どうぞ!!」
手に握られた「和睦」の書
休むことなく走り続けてきた男の背中には湯気が立ち上っていた
「直江。。。。良うした」
この夜
長い一夜を
長尾の多くの者達が戦った
最初はすり切れてしまう程に「切なく」「儚い」糸は女達の手によって紡ぎ出され
今最後の「希望」に託された
各々の希望と紙一重の「野心」を刹那に交わしココまでやってきた
意気を切らしたまま深く伏せた直江に定実は礼も込めてもう一度言った
「まこと大儀であった」
そういうと一番に気に掛けていた事を聞いた
「直江。。。我が姫はどうなった?」
吹き出す汗の顔のまま直江は守護に対して落ち着いた声で
「代理様にありまして。。。守護代様をお救い下さいました。。。まことにありがたきこと」
「そうか。。。」
定実はやっと振り返った
長い道のり何度も「妻」の安否を気遣った
紫色に変わった空の下に少ない篝火と共に見える春日山
その上
さらに上を
あけの明星の光を受け,白く輝く月と星
「ようやっと。。。月は星に会えたか。。。。良かった」
妻,実が想いを成就させた事に安堵した
同時
涙がこぼれた
日陰者。。。。。そんな守護ではあったが
天女舞う夜の世界を照らす者
我が月である妻が見失ってしまった「星」を探す事が出来たことを心から祝福した
と
同時に迷いが吹っ切れた
「ではワシも最後の仕事に参ろう」
行く道を定めた守護の顔は厳しいものではなかった
最後
これを成さねば紡がれた糸は無駄になってしまう
前を進む定実に直江も従った
目の前に制止した軍団
その前を悠々と進み出る影トラに向かい歩を進めた