その38 月と星 (8)
「しんえん来たり」
乱の瞳は光を宿したまま体をヒラリと返す
虎御前の手は早かった
左にて刀を携えていた侍女の方に向くなり柄に手を掛けた
風の隙間をピタリと合わせるように
無駄のない動きと共に
舞うように衣は波打つ
時はゆるりと周り
実は目を閉じた
これ宿命
これこそ宿命と
那由他の時をへてもきっと交わらぬ二人の業。。。遙かな想いと願い
それを叶えるために
御前は断ち切るために
実は終わらせるために
「南無三」
手を前で祈りの形に合わせた実の首に
届くべき斬激は
長い一瞬をへても振ることはなかった
代わりに瞼のウラにあった月の光は消え。。。。闇が覆っている事に気がついた
静かに開けた目の前にあったのは
実は自分の前の影
顔に驚いた
「晴景。。。。。」
実を覆うように前に立った姿
目を閉じ
実の体の全てを守る両の腕
止まった時の中でそれが「凶刃」から自分を守るためになされれた事と気がつく
「いや。。。やぁ。。。。」
実の目は呆然とした
守る。。。。
絶対に「我が子」を守る。。。。
その心でココに走ってきたのに
何がために
何がこの命を奪うか?
最後の祈りは「怨念強き」虎御前に勝利を与え
自らの前で。。。。。この子の死まで見なくてはならない。。。。
「晴か。。。。弥六郎!!!」
首に手を回し揺さぶる
「いやぁぁぁぁ!!!何故私の命を。。。。おとりなりませんか!!!何故!!この子の命を!!。。。。お願いこの子の代わりに。。。私を殺して。。。。。」
「そのような事。。。お言いにならないで下さい」
それは
目を閉じていた晴景の声だった
きつく結んだ瞳の奥に光る涙を隠したまま
「貴女がワシの前から消えてしまうなど。。。。そんな事は。。。。」
「あっ。。。ぁぁ弥六郎。。。」
しがみつく実の前
晴景は母の体を支えてしっかりと立った
「弥六郎。。。。」
実は立ち上がった晴景の後ろにもう一つの影がある事に気がついた
その男の手は
柄を握った御前の手を抑えている
同じように全ての侍女たちの周りに「侍」達が詰めている
何が起こっているのかを理解出来ない実の前
虎御前の前を遮った男が声を挙げる
「虎御前様!!長尾守護代家を想い,守護代様お諫めのための「自刃」相成りません!!」
ざわつく侍女たちの口から
男の名前が漏れ聞こえる
「芝段蔵。。。。」
忍びの女たちにとってその名は脅威か
みな体の動きを硬くする
長尾家筆頭家老「直江」に使える「軒猿」の中においてその名を知らぬ者はいない
凍り付いた場の中,段蔵は周りに睨みを効かせながら続けた
「虎御前様「自刃」と成りますれば。。。「影トラ様」もまた果てられるご覚悟にてココは思いとどまってくださいませ」
段蔵の手に抑えられた柄頭はピクリとも動かない
その上鍛えあげられた男である段蔵には一部の隙もない
周りを囲む「与板衆五十騎」の男達もまた「侍」であり「忍」だ
虎御前の目は段蔵の胸の位置を睨んだまま動かない
標的のあった場所に視線を残したまま。。。揺らぐことがない
ただ
静かな呼吸が聞こえる
「虎御前様。。。。。どうか。。。平に」
御前の隣に配している「楓」は段蔵の脇に小太刀を向けたまま固まっている
額をすべる汗の中
少しの笑みと
小さな声で
「ご下知を」と
彼女たちの覚悟は決まっている
このまま戦っても討ち取れるのは「段蔵」だけかも知れない
それでも彼女は御前の願いに殉ずる事を示したのだ
対峙するお互いの間に決死の息の音だけが聞こえる
「もは。。。。よいわ」
ため込んでいた息を深く吐き出すと虎御前は睨み続けた相手から顔をそらした
そのまま背を反らせて月に顔をあげ
手を刀から離した後
無造作に手を左右に振り
気が抜けたようにその場に座った
それを合図に侍女たちもまた凶刃を袖に戻し座った
共に顔を下げ「抵抗」はなかった
静寂の「戦」は終わった
侍女たちの警戒を緩めず段蔵だけはそのまま後ろに控えた
「御前様の深きご配慮。。。。「影トラ様」にも伝わりましょう」と
残念とも無念とも,どちらにもとれぬ顔のまま御前は沈黙し
ただ
遠くなってしまった獲物だけを見つめ続けた
間を割った段蔵に代わり光育が進み
御前の真ん前に座ると言った
「御仏に殺生を願われたわけではありますまいて」
御前は鋭い目の中に何も写さず首を傾げて見せた
最早返事はなかった
「戦を止めに参りました」
評定の場に移った実は息を整えた静かな声で晴景に告げた
部屋には二人しかいなかった
晴景の配下「近習」はみな彼の命令により出払っていた
その事が晴景の「死」への覚悟を如実に現してもいた
「品」だけ襖の横。。。廊下に守りとして残り
後の者は大きく部屋を取り巻くように守りについていた
下座にある晴景は首を振った
「もう覚悟を決めている事です。。。。この首がなければ「乱」は収まりませぬ」
「いいえ。。。「戦」は止まります。。先ほども申したように。。」
言葉を遮るように晴景は手をあげた
「どうか。。。屋敷にお戻り下さい。。。後の事はワシに任せてください。。決して上杉様に累が及ぶ事無きよう致します故」
「いいえ。。。帰りません。。。。「死」しても帰りません」
「代理様!!」
実は立ち上がった
もう何も自分を止めておける鎖など無かった
どうしても。。。今まで越えられなかった
幼い頃から
いつも「御簾」に。。。。たった一枚の御簾という区切りの向こうでしか会うことのできなかった息子に
今
自分の足でそれを越えんが為に
御座を立ち放った
「赤心に区切りなどありません」
歩を進めるたびに己を縛り付けていた物を捨てた
笠を捨て
顔を現し
今日までの日々
己の心まで区切っていた御簾をついに越えた
「これ以上の「戦」。。。私が許しません」
月明かりに照らされた。。。。母の顔には涙が
晴景の顔は
「貴方が死ぬのならば。。。。私も共に参ります」
目の前
それは憶えのある「扇」
美しい指
整った眉
悲しみの目
歪む視界の中で問うた
「何故。。。ですか。。。。」
蘇る思い出の中,晴景は声をつまらせながら頭を下げた
男の肩は震えている
その肩を実は覆うように抱いた
「同じ想いを。。。貴方に同じ想いをさせてきた私を許して欲しいからです」
抑え続けていた二人
「長尾」のため「上杉」のために
自らの生きる意味を捨ててしまっていた「実」
堪えていた感情
「長尾為景の直流」という名のための戦い
誰にも頼れぬ守護代
孤独に苛まれ押しつぶされていた「心」の主。。。。「晴景」
晴景はそのまま伏した
伏して声を殺して涙した
実も泣いた
「母はココにおります。。。ただただ貴方を抱きしめたくて。。。ココまでやって参りました」
長く言うことのできなかった愛を。。。言葉を
遠かった苦難の日々は吹き飛ばされた
廊下に座した品も泣いていた
「お頼みします。。。死ぬなどと言わないで。。。」
何度も晴景の背中をさすり
叩いた
それは四十年をへた母子の抱擁だった
触れる事のできなかった
我が子の痩せた肩を何度もさする
この肩で背負ってきたものを。。。共に受け止めるために
「母も共に戦ってあげます。。。だから「戦」を止めましょう」
「わかりました。。。。」
下げた頭の下
見せれぬ涙のまま晴景は全てを母に託した
小さな声で初めてそう呼んで
「母上に。。。すべての事お頼みいたします」
春日山の二つの命は散る事なく止められた
それが御仏の示した「解決への糸」
女達がつなげた「糸」だった
紡がれた「救い」は。。。。。。最後の「戦」に繋がれた
「影トラ」の前に