その38 月と星 (6)
春日山の内部に巣くった「刃」となった女はユラリと回廊の影から姿を現した
前を歩く侍女二人
その女たちより少しばかり身丈の高い彼女は
いつものように揺れながら声なく口を笑わせていた
影は一群をなして静かに近づいてくる
真ん中を歩く主を守るように
少なくとも六人の侍女を従えている
万全の状態で抜かりなく謀を進めた。。。。その結集が今目の前にある事に虎御前は笑っていた
長きにわたった
「祈り」と「願い」を成就させるべく。。
静かに手を挙げ前の二人をのけると
一人晴景の前に進み
いつになく明るく陽気な口調で聞いた
「逃げぬとは。。。。重畳」
声は女のものだが
語りは「武士」のする言葉
「逃げることなどありません。。。目の前にある「戦」から守護代であるワシが逃げるなど」
虎御前は笑っている
そんな形式張った「謙遜」などもはや笑い話にしか聞こえないのだろう
左後ろを歩く侍女の手には。。。
朱色の柄をもつ刀が用意されている
「戦鬼」であった父の時代。。。。春日山周辺の野武士を狩って歩いた「牙」だ
「荒々しき鬼の妻」は満足そうに続けた
月は薄い靄の中から少しずつ事の成り行きを見守るように顔を出し始めている
「そうよな。。。逃げるなど言語道断。。。。守護代たる者「最後」の責務を果たさずして死ぬことなど。。。。」
最後の。。。「責(責任)」
それは
とりもなおさず「首」を求めているという事
星明かり
少しの光に見開かれた目は遠慮なく輝いていた
「首など。。。。さし上げましょう。。。ただし少しばかり聞きたい事がありますが。。。よろしいか?」
晴景の態度は落ち着いていた
間を伸ばし「何か」を待っているという感じではなかったし
それこそ
後顧の憂いなどないよう虎御前は屋敷の周りを固めているから余裕の顔で顎を上げた
言葉はないが
それを了解と理解した晴景は聞いた
「ワシ亡き後の守護代は。。。。「影トラ」ですか?」
「そうだ」
簡潔な返事
それ故に迷う事なく信じてきたとも言いきれた
答えはわかっていたが念を押しただけの晴景は卑屈な笑みのまま質問を続けた
「その「願い」はいつから。。。。」
「あの子が生まれし時から」
下らぬ質疑を断ち切るように
虎御前の返事は早かった
揺れる体と右に傾げたままの顔は睨みつつけたまま
だが
晴景は退かなかった
「何故?影トラなのですか?」
「何故?」
いつもなら弱腰
いや
自分と問答する事から逃げてきたハズの晴景の質問に
それでも
そんな態度さえも恐れぬ御前は口の右端を上げて笑いながら答えた
「影トラこそが。。「栖吉」の。。いや親方様(為景)の正しき血であるからだ。。。わかっていたハズであろう?」
狂気の目は晴景の中にある「血」さえ見抜いていた
だが
その目の威しにも晴景は動じなかった
これが最後の時であるのならば。。。。。聞き逃して後悔する事のほうがよほどに残念な事だから
絶対的優位の虎御前の前
死の前の問答に晴景は研ぎ澄まされていた
「影トラは。。。。産まれたとき「禍々しい塊」といわれた者。。。。違いますか?」
虎御前の笑みは止まった
質問を止めた晴景の目が己の中の何かを見ようとしている事に気がついたから
そして質問の内容はいままで。。。。長く「禁忌」とされてきた事だった
微妙な虎御前の揺れを晴景は見逃さなかった
「人食いの鬼。。。。。」
「たわけた事を。。。。。」
白い息を。。。。静かに吐き出しながらも牙は怒りに震えながら答える
緊迫する間をついに月が照らし出す
顔を月の柔らかな光の下に現した二人は
柔らかな世界とは別の。。。。まさに「武」の者の持つ間の中にいた
一線で命を絶つ間合いの中
晴景の問いは止まらなかった
自分を追い落とす者が「鬼」か「仏」なのか。。。。。それを知ろうと狂気の糸をたぐりよせる
「産褥の床に。。。。千切れた赤子の手足が転がっていたと」
まるで
古来のおとぎ話の中にある「鬼」の伝承のような言葉がならぶ中
虎御前の顔は見る間に「鬼」と変わるが
けして泡立つ事なく質問に答えた
「神を「器」に修めるには人一人では足りぬ事。。。。ただそれだけの事よ」
「影トラは。。。。二人いた?」
最後の一線が喉を裂く前に
怯まず質疑を続けた晴景を虎御前は笑い飛ばした
「凡庸なり晴景。。。。それが「ただの男」の限界だ!!」
そういうと左手を軽く振った
合図に敏感に左に控えた侍女が。。。。赤い刀を差し出した
「もう良かろう」
体を返し刀の柄に指を滑らせた虎御前
晴景はそれでも聞こうとした
「影トラとは?鬼か?仏か?」
「力だ。。。。御仏を守し力なり」
見向きもせず断ずる
さすがの晴景もあきらめた
質疑の半分もかなわなかったが「力」は確実に虎御前の元にある事だけで良しと思うほかない
小さく息を吹く
死ぬ覚悟はとうに出来ていた
だがそこにけたたましい足音が割って入った
「おやめ下さい!!!」
声は荒い息とともに回廊を慌ただしく走ると
虎御前と晴景の間に飛び込んだ
「綾。。。。。」
打掛の前もひらいたままの綾は緊迫した二人の顔を交互に見ながら大声で
「双方。。。。ココでお引きくださいませ」
晴景を背に
母,虎御前を睨むとさらに続けた
「母上の仕方は間違っております。。。そのような仕方で「影トラ」を守護代になど。。。誰も従いません!!」
虎御前の顔は晴景と問答していた時以上に鋭くなった
「たわけもの。。。。。」
唸るような声が響く
侍女の一人が慌てて綾が走ってきた回廊に目を向ける
「萩は。。。」
「はっ。。萩には我が侍女二人の相手をして頂いております」
上がりきった息を整えながらも
泡立つ事なく母と対峙しようとする綾は皮肉を込めて返事した
回廊の向こうには虎御前の侍女である萩が見張りに付いていたが「綾」の登場と二人の侍女に羽交い締めにされて今も格闘していたが
それはココから見えなかった
「母上。。。。このような恐ろしい事はおやめ下さいませ」
片手をあげ
もう片方の手で晴景に。。背を向けたまま
「兄上も。。。今更争って何になりますか」
決死の綾の前
虎御前の顔は怒りに満ちていた
「。。。。「道理」のわからぬ馬鹿娘が。。。。」
刀の柄に手を掛けていた虎御前の眉は吊り上がり月の明かりに照らされていた
軋むように歯に力が入った顔に
やはり「綾」は娘,恐れる事なく「仲裁」を続けた
「話し合いましょう。。。。「戦」は止められます」
「止まるものか」
怒を含む虎御前の声に
綾は真っ向逆らった
「止まります!!」
大きく逆らった
だが
確信。。。そんなものはなかった
実際に「麻」が上杉守護に話しをつけられたかもわからない中ですでに事は急転し始めている
どんな事をしても止めほうが「大事」であるという心が綾を突き動かした
一歩前へ
「麻様が上杉守護様にお頼みしてこの「戦」のご仲裁に向かっておられます。。。。「戦」は。。。「影トラ」は必ず止まります」
妻,麻の名に晴景は驚きをこぼした
「麻が。。。」
もれた声に綾は晴景に振り向いて言った
「麻様は。。。。兄上様に生きて欲しくて。。春日山を降りられたのです。。「上杉様」が必ずこの「戦」を止めてくださ。。。」
言葉は途切れ綾は崩れた
綾の首筋には手刀が音もなく振り下ろされていた
目の前に星が走り
急な緞帳が引き下ろされる中
切れ切れの声が呼ぶ
「母上。。。。」
綾の背にはピタリと虎御前の侍女がついていた
「申し訳ありませんでした」
「楓。。。萩は?」
少し大柄で
虎御前と身丈も同じぐらいだが細くはないしっかりとした体躯。。。だが冷徹な瞳は信心する主に忠実に細く残酷な光をみせている
楓と呼ばれた侍女は綾の気を奪い崩れさせた後,虎御前の前に控えて
「侍女二人も打ち据えておきました」
その動きは鋭く俊敏だった
晴景にはこの「女」が「忍」である事がすぐにわかった
「たわけた娘が。。。。戯言を」
「殺したのか?」
綾の騒ぎに苛立ったままの虎御前の前に立つ楓に晴景は聞いた
「殺しはせん。。。たわけでもあれど。。娘でもあるし。。。」
無口な侍女の向こう
今日のために話しつづける御前
「今日の血は。。。。晴景。。。オマエだけで十分だ」
これほどの騒ぎの中でも揺るがぬ「願い」にそって動く虎御前
「さあ。。。終わろう。。首を頂こう」
満月の下
狂気の主と晴景は回廊の真ん中で向きあった
足しようの騒ぎはあったが虎御前の変わらぬ顔はうっとりとした目つきのまま今度こそと手を刀に伸ばした
「控えよ。。。。虎御前!!」
それは市女笠をかぶったまま対屋の渡りから声を響かせた
そして
その声を虎御前は良く知っていた
「。。。。。。」
沈黙の中
晴景をかわし虎御前の前に表れたのは「実」上杉守護代理だった
「なんの騒ぎか解りませんが。。。。。控えなさい」
実の声は震えていた
それは
急ぎココに走ったからではなかった。。。。
宿命の相手
実の後ろには光育も控えていた
本来なら虎御前の引き留めのために前にでるハズだった光育
しかし
綾の大声で事態が危険な方向へ加速している事に実の足は真っ先に走った
走り
宿敵である女の前にたってしまっていた
対峙してみて
初めてその狂気に満ちた目に。。。。震えたのだ
「春日山が大事の時。。。。。何があったかは「知りませんが」。。。。」
今までの「怒り」を越えた色に染まる御前の瞳
揺れていた体はピタリと止まり
周りに従う侍女たちは小袖の中に手を隠した
晴景は慌てた
「上杉様!!」
しかし実は動かない
ましてや目を反らしたりもしない。。。。
反らしてしまえば次に見えるのは「闇」かもしれない
「武人」の間合いに入ったまま
お互いうごかないなかで。。。。。告げた
「無礼あろう。。。いかな非常な時といえ私の前に立ち続けるわ。。。。無礼なり」
実は今初めて「命」を賭けていた
己の魂を失っても晴景を守るという決意の元に
微動だにしない意志が大きな声で怒鳴った
「控えよ!!!虎御前!!!」
一陣の冬を誘う風の下
虎御前はふらりと揺れた
揺れたままクルリと実に向かって背を向けたまま
一人として上杉に控えぬ侍女たちに小声で命じた
「もう良い。。。みな殺してしまえ」
怒りは冷徹に殺害を命じた