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その38 月と星 (5)

実城(本丸屋敷)周辺は。。。。気持ちの悪いぐらいの静けさの中にあった

「火災」の報告が入った後

邸内は一通り「改め」が行われたため夜分深い時間にもかかわらず「綾」は起きていた


それは

覚悟


この一連の騒ぎを起こしている張本人を知る綾の覚悟が時を待っていたからだ



「参りますわ」


邸内の人手はすっかり出払っており

角部屋にいた監視役の「坊丸」の姿も見えなくなっていたのは先ほど年若の侍女「土岐とき」に確認させていた



「本当に行くのですか?」


静まりかえってしまった屋敷の様子は異様だった

だから

いくら熟年になり

数多の困難に対する所作が出来ている侍女とはいえ「恐怖」を感ぜずにはいられなかったのか

土岐の母。。。共に上田から付き従った「はつ」は思いとどまるようにと何度目かの問いをしたが

綾の心は決まっていた



「私がやらなければ。。。誰が出来るというのですか?」


綾には「覚悟」と「責任」があった

「ご仲裁」のためにただならぬ恥辱をうけながらも,城を降り自らの勤めと「上杉守護」の元に向かった


「麻」に対する。。。。。「責任」


小さく襖を開けた

一度に開けてしまうには。。。寒すぎる

切るような風が舞っていた


深く息を吸い

心細さ増す闇の向こうに鎮座する「母,虎御前」との対峙に気持ちを引き締めさせていた

綾は目を凝らし回廊の向こうを見つめた

この奥屋敷。。。北の間に母は二十年近く

父を亡くしてから住んでいる


そこにどんな想いを募らせ

どんな「怒り」を実らせていたのか。。。。

襖にかけた手が震える

綾の体は心意気とは別に。。。。震えていた


父を亡くしてから。。。母はいったい何を思って。。。。



「戦い続けていた母」



綾は目を閉じた

自分が「上田長尾」に輿入れする事が決まった時の事を思い出した

無口な母の顔には「怒り」で溢れていた

あのころ

まだ「少女」だった綾は「春日山」を離れたくないと泣いて晴景を責めた

苦渋の守護代は「決定」を覆すことはなく

苦悩に満ちた顔だけをみせて部屋に戻っていった後



母はズイとそれを渡した

綾の帯に掛けられた「小太刀」

それは

言葉の少ない母が

「敵の元になど行きたくない」とただ駄々をこね泣いた自分の頬を張り差し出した物



「女もまた。。。戦わねば。。。。この乱れた世を生きてはいけぬ」



生きろと差し出された言葉は

今こそ綾の心に深く刺さっていた事を示していた

戦い続けた母に

皮肉とも言える「反抗」で「戦う」


「母上は。。。。正しくありませんわ」


決意を小太刀に,添えられた手で伝える


今ひとつ襖を開けながら

歩を進めた綾は春日の山

その頂から遠い空に顔を上げてみた

空は。。。。


まだ星も見えぬ闇の元

霞のように揺れる月の影


身動きとれぬ「人質」であった母の「謀」はただひたすら


深く

深い闇の作る水の下に流され続けていた

そして

それは未だ

夜を照らし続ける月の元に晒されてはいない



訪れる朝に。。。。

それはどんな形として現れるのだろうかと



「参ります。。。。」



せめてもの警戒のために侍女の装束に身を改めた綾は

まだ見えぬ「謀」の闇に足を進めた

その時



「共に参ります」

初は襖を開けながら立ち上がった

綾は首を横に振った


「いいえ。。。良いのですココにいなさい。。これは「栖吉の。。長尾の家」の問題。。。「上田」から来たオマエ達には。。。」

「だからこそ。。。お供いたします」


綾は母の事をよく知っていた

もし

引き留めが「勘気」に触れればその場で斬られる可能性だってある


母はそれほどに「祈り」

それほどに「願って」きたのだから


「生きて帰れないかもしれないのでよ。。上田から来たオマエたちを巻き込むわけには参りません事よ」


強気に引き離すように言うものの

綾の手は小刻みに。。。震えていた

その細い指先を。。。手を初はそっと握った


「何をおっしゃいますか。。。上田長尾家うえだながおけ長尾政景ながおまさかげ様が奥方。。。綾姫様を一人で「戦」に向かわせたとあっては。。。上田の大殿様(長尾房長(政景の父親))に顔向け出来ませぬ」

「そんな事はもうよいの事ですのよ。。。。政景様だって。。。今は」



自分で言葉に出して終いながらも綾は寂しさに胸を締め付けられ俯いた

愛した夫は。。。。今どうなっているか

生きていて欲しい

そう願いながらも。。。。願う心に訪れる揺れを律する事のできない自分を情けなく思って


そんな綾の着物の襟を正しながら

初は微笑んで答えた


「上田に。。。。若殿様(政景)の元に私が必ずお届けする。。。それが「初」の勤めにございます。。。そう信じてくださいませ」


綾の元

初も「戦」に赴く覚悟を決めていた

後ろに立つ娘の土岐も共に

まだ「夫」を持たぬ土岐は。。。。幼いながらの顔に涙さえ浮かべながらも

綾の打掛を運んだ



「寒くなってまいりましたから。。。「打掛」を。。。。堂々と参りましょう」


上田の女たちもまた。。。覚悟に絆を固め前に進み出した






実城本丸屋敷には誰一人という姿は見えず

ただ

風の音だけが回廊の間を走り抜け

冷えた音を小さく響かせ泣いていた


本城より右手におりる「対馬谷」の端

倉近くからの「不審火」はココからよく見えた

だから

多くの人手が割かれ火を消す作業に移っていた



誰もいない評定の間に「晴景はるかげ」は一人

鎧直垂よろいひれたれに亡き父の陣羽織を着け座っていた


数珠に手を通し祈るように床机に座る姿には

「病んだ守護代」の姿は微塵もなかった

むしろ

神々しささえ伺える

整った眉

閉じられたままの切れ長の目

やせた面立ちではあったがそれ故に研ぎ澄まされた男らしさ


「父上の「希望」。。。。。そうでありましたね」



静かに唇は動き

評定の間の上座に置かれた「為景ためかげ」の位牌に向かい晴景は話しかけた



かつて。。。。

山のように大きな男だった父が座した場所に

対面に座る晴景は「会話」を続けた


「大変申し訳なく思っております」



悔恨

「越後」に対して尽くすという

父からの使命を果たせなかったこと



「わかっていながらも。。。。自分を律する事はできませんでした」


右手に握られているのは。。。凶刃ではなかった

晴景の手にあるのは艶やかなる


衵扇あこめおうぎ


望まれなかった「生」

長尾の家を継ぐにふさわしいのかという資質を疑われ続けた少年は

一心に父親の姿を追った

だが


人の心というものに伴って

同じく「越後」という地に。。。。何度も裏切られ続けた

それでも

自分を支え共に戦った者たちのためにもと


だが

いつしか心は疲れ。。。。怒りと苛立ちと。。。。自らわ律して「和」を重んじる事はできなくなってしまった




「至りませんでした」




至らなかったのは。。。。

晴景の明晰な頭脳にはかつての執政の道程がしっかりと刻まれていた

逃げることなく

それでも「争いという血の道」ではなく

できうる限りの「和」を求めた


だが

乱れきったこの世に。。。。


「力。。。。」


直江は。。。。影トラの持つ光の中に「希望」と

それを推し進める「力」を見た

未だ「戦」という絶対の力が必要で

「血」を流す覚悟が必要で


ただ動かず床机に座したままも

何度も己の眉間をさすった



「戦う事から逃げた」

それは逃げたくて逃げてしまったわけではなかった

晴景の生い立ちを疑い

「力添え」を拒みただ「結果」だけを望んだ諸侯。。。国人衆。。豪族。。。地侍

孤立無援の守護代

父のツケまでもを背負い戦ってきた

「直江」を「斎藤」を使い


削られる心と体を。。。。惜しむことなく捧げたハズだった

なのに

「戦う事」ができなかった守護代

己の周りに「希望」を推し進める「力」を得ることの出来なかった守護代


声を大にして。。。。

「何故共に戦わぬと」。。。。。



晴景は首を。。。少し振った

詮無きこと。。。。


「何者であろうと。。。この首を獲りに来る者を恨みはしません」




時は移ろい

「希望」を手に入れた諸侯たちがこの春日の山に詰め寄ってきている



「影トラ。。。。。」



晴景は「あの日」の事もよく覚えていた

「戦鬼為景死去」に「守護代」の地位を継いだばかりの晴景の元にあったのは「脅威」ばかりだった

春日山という堅固な守りの中にあって

目に見える場所にまで「威し」を掛けてきた「親族衆」


三条長尾の俊景としかげ

春日山近くに巣くう魔物の親族達の中「具足」に身を包み

父上の葬儀の中に敵がこようものならば「鬼」となって戦う覚悟だったが

あの日

届かなかった警戒の手の下に起こった事件の中で



久しぶりに見た「妹」影トラ



あの時には影トラを一目見たときに


きっと。。。いつかこの「獰猛なトラ」によって自分が追い落とされる日がくるだろうと予感した

返り血をあびたままの「清浄なる目」

何故斬らなかったのかと自問してみる

晴景は斬らなかった

見るも恐ろしい光景の中にいた影トラを




「父上。。。私こそ。。。影トラに,希望見ていたのだと思うのです」




扇を開き位牌から顔を隠しながら晴景は。。。穏やかに微笑んだ

本心だった

「力」に希望。。。。

血の池に佇む「狂気」の中に晴景は小さいながらも輝く「希望」を

誰よりも早く見いだしていた


だから

「戦」に向かわせた

虎御前の「元服」という言を聞き入れ

「力」を。。。。解きはなった



希望は大きく羽を伸ばし

「戦」の大地に舞い降りた

瞬く間の「炎」に何することなく「敵」はなぎ倒されていき

かつて晴景を脅かした「三条」を壊滅に追いやり

時を読むことの出来なかった,たわけ者の「上田長尾の政景」までおも打ち破った



後一歩で「越後」は一つになる



そこまで「龍」は駆け上ろうとしている



晴景は床机から立ち上がるとヒラリと舞った


「今宵は私が舞いましょう」


穏やかな笑みと共に

長身の体は軽やかに舞った

「最後の仕事」への手向けと,横一線にフワリと浮いた扇は美しく舞う

滑らかな線を描く

軽やかな舞


晴景は

評定の間の襖を静かに開きクルリと体を回した

眼前

春日山城下。。。。府内に迫る「トラの篝火」


海原に孤独に浮かぶ城に迫る。。。。。波のように揺れる

その時

冷たい風の中に。。。。

鼻に届く。。。良く知った香のかおり


晴景は理解していた

誰が最初にココに来るかを



「やはり。。。。。貴女が来ましたか」


回廊の端に現れた影は揺れながら

月の見えぬ夜の下に

鋭き凶刃の光の中で微笑みながら答えた



「今こそ願いは叶う時なり」


いつもの冷たい声

なのに燃えるように熱い牙を宿す狂気は少ない星明かりの下に顔を見せた




「虎御前」

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