その38 月と星 (1)
上杉の屋形の中は
春日山の頂近くで起こっている「火災」の騒ぎに準ずるかのように慌ただしくなった
定実は手際よく下男たちに指示をだし
春日山の状況を細かに調べるよう放った後,妻の実,麻,それに光育を連れ奥の間に戻った
「御前(虎御前)が動いているのは。。。。確かなのだな?」
もはや上座も下座もなく円座に座った妻と麻の顔を交互に実ながら定実は聞いた
さきほど目眩をおこし,回廊で崩れてしまった麻は自分の,のど元を苦しそうに抑えたまま返事した
「はい。。。ですが城の方では「綾様」が虎御前様をお止めすると。。何か別の事では」
力ない言葉は縋る木を探すように震える
その答えを定実は「断じた」
「いや。。。御前と考えねばならん」
目覚めた定実は「戦」の感をしっかりと取り戻していた
何か別の事であって欲しいと。。。。甘い考えを持ってしまったら
この火急の事態を見過ごしてしまうからだ
実際に事は容赦なく「加速」している
どこにも「余白」は無いのだ。。。。止まってしまった流されてしまう状態
「なれば今すぐにでも登城いたしましょう!!」
秋の風の中に焦げた城の匂いが吹き込む
その匂いに心を泡立たせた
実はいても立ってもいられない,立てたままの片膝は小刻みに揺れ浮き上がり出しているが
頃の中には「恐れ」がいっぱいに。。。溢れ出しそうで
震えている
その膝を定実が押さえつつ
「いや。。。今すぐには御前も動くまい」
「殿!!」
焦りに口を挟もうとした実の前
指を立て「冷静」を取り戻すように定実は指示した
「この時間に「火」を掛けたと言うことは。。。」
定実の隣に座し
先手を討ってきた「虎御前」を誰よりもよく知る光育は答えつつ,額を抑え己の能に残っている「戦い」の手順を探し出す
「虎御前は。。。武人」
彼女を思い出せば浮かぶ者は「刃物」というほどに強き意志の御仁
何度もの対面をしている
相対する女をただの「女人」をと軽んじる事なく考えた
これは「将と将」の策謀戦
妥協無き意志の元に。。。。。すでに始まってしまった「戦」なのだと
慌てる周りに反し思考の闇に沈み
「戦」の糸をたぐる
同じように定実も押し黙り目をつむっている
女二人が手を握りあいお互いを「恐れ」から支え。。焦りを隠せず震える状況の中
男たちは冷静に「事」の中身を一つずつ探り出していた
「事を起こすのは。。。「明け方」にありましょう」
指折り物事の展開を考えていた光育は,定実の顔を見た
考えられた答えに目を伏せたまま定実も頷き
深い息を吐き出しながら光育に問うた
「この火は。。。。影トラ殿にも見えたであろうからな」
「どういう事にございましょうか?」
何もわからないまま。。。
そんな不安を抱えたままではいられない
実は男たちの会話の間に入った
涙を浮かべた目で自分を見つめる妻を,諭し労るように肩を抱いて
「報告でな,影トラ殿は明日には府内に到着すると言っておったであろう。。。何事もなくとも明日にはココに来る影トラ殿の目に,この火が見えたのならば,最早止まることは出来ぬ。。「必ず」戦闘の陣形を持ってココに詰めて来る」
実は今ひとつわからないと首を傾げた
「つまり。。。絶対の「対陣」を決定するための「策」だったのだ」
夫の説明をうまく理解出来ない実はただ悲しくて顔を下げた
その姿に光育が代わって答えた
「代理様。。。春日山で「何かが起こっている」。。。この火が見えることで影トラ様は元より多くの諸将が我らと同じように「心を騒がせている」。。。わかりましょうや,彼らの心にもまた「明日が終わりの戦い」である事を決定ずけるための火を虎御前様は打ち上げたのです」
「そうなれば。。。どうなるのですか?」
春日山に登った「火」によって警戒色を強めた影トラ軍が「戦」の終着を自分たちの手でとろうと前に出てくる事はわかったが
それが何に繋がっているのか。。。
未だ実達にはわからなかった
肩を抱く夫は妻の顔を見つめながら話を引き継いだ
「つまりじゃな。。止まらず春日山の真ん前まで軍団が来てしまえば,春日山も総構えから外塀に守りの兵を配さねばならなくなる。。。そうなればおのずと「実城(本丸)」の守りは薄くななろう。。。御前はその期を狙っている。。。そういう事じゃ」
本丸の守り。。。。晴景の近くが手薄になるという言葉に顔を上げた
光育は話しを砕いて聞かせ続けた
火という狼煙は
目の前まで来てしまっている両陣営に「和睦」を持たせぬために働くかも知れない事
「不審火」に春日山の動揺は隠せない
当然,さらなる防備に動く
夜を徹しての
一方。。。。目の見える所までやってきた影トラ軍も火を見て動く
春日山に「異変有り」と読んで
しかも「不審火」であるなら必ず攻撃陣形でくる
そんな陣営を見れば春日山の陣も「迎え撃つ形」を取らなくては成らない
総構えから向こう
全面に立って
だが
数は圧倒的に不利な春日山
全面に相対する軍団に向かう人数を配するために動き出せば。。。。。当然「隙」ができる
大将晴景の周りは。。。。。
その時を虎御前が狙っているのでは
恐ろしい結論
「どうしたら。。。。」
導き出された展開にあまりにも残酷。。。実は力を失い夫の手から崩れた
その背を支えていた麻も同じく体を伏せてしまった
だが
力を失った背中を夫は叱咤し腕を引き上げて
「姫よ!!我らはさらに鋭く「刻」を縫うように戦わねばならん!!こんなところで伏せて良いのか?」
心を叩く言葉
それでも「絶望」を先に感じてしまった実に力が戻らない
「晴景を見捨てるか?!!」
定実は意志強くさらに実の体を引っ張り上げた
華奢な妻の体は大きく震えたまま
涙を零して答えた
「いやです。。。。助けを。。。。」
小さく首を振る妻に定実は顔をしっかりと見据えて
「ならば我らの出来ること。。。役割を迅速に決めねばなるまいて!!」
「出来るのですか?」
「我らが晴景殿を。。。しいては「越後」を救う最後の一手」
夫の強い言葉に頷く
時を惜しむよう光育が「策」を広げた
「私たちの「戦」は「止める事」これに尽きます。。。。難しい「戦」ですが。。。今は我らにも勝機が見えます」
光育は小さいながらも春日山全域を映した地図を広げながら
「火が立ち上がった事で城方は「混乱」と「疑心暗鬼」に満ちております。。事。。城内は皆「誰が火をかけたか?」という恐れを持っています。。。この中を我らのように「身分確かな者」が意志強く進めば。。。みな我らに「希望」を見ましょう」
光育の指が図を指さした
実城
総構えの前
そして二の丸
「止める方達。。。。一人は「晴景様」,一人は「影トラ様」,そして「虎御前様」です。。。この内の一人でも止める事ができなければ。。。。我らの負け。。。「越後」の敗北となります」
晴景の説得
影トラの説得
そして虎御前を暴挙から離し制御する事
「影トラ様の説得は。。。。。守護様にしかできませぬ」
「わかっておる」
光育の指示に定実は,大きく頷いた
実は驚いた
晴景の説得を夫がしてくれるものと思っていたからだ
その驚き開かれた目に光育が答えた
「影トラ様の後ろには「打倒守護代」という思いを一丸とした諸将たちが控えています。。。これらの者たちを納得させるには「守護様ご本人」が「和睦」の使者として赴くしかないのです。。。。それに今の「総構えの門」を開ける事が出来る方がいるとするならば。。。やはり守護様。。。「上杉様」しかいらっしゃいません」
実以上に定実が深く息をつく
「力無き守護じゃ。。。門を開けるのは難しいやもしれぬが。。。この命をかけてやってみせよう」
綿密な計画
手を回しての下ごしらえなど出来ないほどに急を要する戦い
「魂」でぶつかって行くしかない
「命」を賭けて
「私が門をお開けします!!」
「命を賭ける」という悲壮な言葉を口にしてまでの覚悟を示した定実の前
実同様にへたり込んでいた麻が跳ね起きて続けた
「私は。。。「手形」を持っております!それで門は必ず開きます!!」
「手形?」
「そうです元々私達は上杉様の元についてから。。。。その後に府内の外にある尼寺に向かう予定でしたので。。。。外に出るための「手形」を持っているのです」
麻の言葉に定実の目は輝き立ち上がった
「心強い。。。でわ,ワシがそれを預かり門に向かおう」
「いいえ!!私も一緒にまいります!!」
麻は強く意見した
「この手形は晴景様が私に書いて下さった物です。。。私がおらねば門を守る「水丸」に話しが通りません」
気弱な姿ながらも,己の夫を想う心で気丈に立ち上がった麻に定実も良しと唸った
「麻殿。。。。。糸は紡がれましたな」
「はい」
細く。。すり切れそうだった希望の糸が確かに繋がり始めていた
「では虎御前様は。。。。愚僧がお止めいたしましょう」
光育もまた
「武人」である虎御前と対峙する心を告げた
幾度も
幾度も虎御前を「窘める(たしなめる)」機会を得ながらも出来なかった光育
だが今ならば強い絆を繋ぐ「力」として「命」も賭けられた
「幸いにも「参内願い」を頂いております。。。。城には問題なく入れます」
「待って下さいませ。。。。それでは晴景は誰が止めるのですか?」
各々が立ち上がり行動に入ろうとする中。。。。まだ立つこともままならない実は聞いた
「姫よ。。。そなたが止めるのじゃ」
定実の言葉に実は大きく首を振った
「無理です。。。。いいえ無駄にございます。。。私の言葉などあの子に届く訳がありません。。。どうか。。。貴方様が」
懇願する実に定実は近づくと目の前に座った
「いいや。。。。そなたの言葉でなくては止められない」
「無理です!!」
首を振り
目を伏せる
実の中にはあの時の事が蘇っていた
この「戦」が始まってしまった時の事
「討伐は決定であります」
戦いの始まりを伝えられた日
悲しげな目で
「母を知らぬ」と告げた我が子
あの時。。。。
とめられなかった。。。。
言えなかった「母として」息子の行く道が良い道でない事を示してあげることが出来なかった
言えなかった
「いいえ。。。出来ません。。。今更,私の言葉など。。。どうして通じましょうか。。。」
涙の顔を両手で押さえた
その手を定実が引きはがし額を打ち付けんばかりに顔を近づけると力強く問うた
「聞こえぬか?弥六郎の声が?」
「弥六郎」。。。。。
御簾越しに。。。。毎年
謹賀の祝。。。
夏の祭礼
秋の祭り
祈祷に
多くの季節を「あの子」の成長を見つめるためだけに登城した
為景の後ろに座し
触れることも出来ない場所にいた「弥六郎」に一度だけ。。。。都から届けられた「唐菓子」を手渡した
御簾の前に少しおどおどした様子で座り
小さな手を滑り込ませてきた時
初めて。。。。。
我が子に触れた
「よい子ですね」
堪えきれない想いで
名乗る事の出来ない中で精一杯の言葉をかけた
「「越後」の母上様。。。そう思うてよろしいですか?」
幼い弥六郎はそういうと微笑んで見せた
「温かい匂いがするので。。。つい。。。そう言うてしまったことお許し下さい」
あの日の夜
涙が枯れるほどに泣いた事を思いだした
弥六郎。。。。晴景は。。。きっと知っていた
自分が母である事を。。。。
「ああっ。。。。。聞こえます。。。あの子の声が。。。。」
止まらぬ涙
夫の温かい手が触れる。。実の涙の頬を支えて
「そなたが受け止めるのじゃ」
定実の隣に麻も並び実の手を取った
「母上様。。。。お頼みします。。。晴景様を助けて下さいませ」
麻の手は震えていた
どんなに自分を叩き。。。。恐怖を押し込んでいるのか。。。
細かった希望に縋ってココまで来た「娘」は母の手をしっかりと握った
「私だけでゆけるのでしょうか?」
実城(本城)に一人で行く事は守りのない状態
虎御前に返り討ちにされる可能性だって否定できない
足は進めどもと。。。。。
そんな不安を打ち消す声が
庭から発された
「我らがおります!!!」
そこには
「品」を中心に彼女の一族が整然と伏していた
「我らが必ずや守護代様の元に代理様を送り届けます!!」
一族郎党みな鉢巻きをし「戦」に赴く支度を調えた姿
「品」もまた面布をとり「傷」を見せたまま
「この傷に。。亡き母と共に,我が一族の全てを持って「代理様」を守ります」
力強き共達の前,定実は妻を支えながら
「品はそなたの「忠臣」。。。もはや何も迷う事はなかろう」
みなが揃っていた
夜の中
眠らぬ力となり全ての糸は紡がれた
後は「希望」を引き上げるだけ
夫を見あげ実は願うように
祈るように告げた
迷う心を今一度律すために
「私の声は。。。。。届きましょうか?」
「届く。。。必ず届く。。。姫よ。。そなたの想いを,心を,その全てを持ってゆけ」
定実は実の手をとり立ち上がらせた
満面の笑みで優しく
「早う。。あの子を抱きしめてやれ」
そういうと妻を強く抱きしめた
「そして全ての事が終わったら。。。舞を馳走しておくれ」
「はい。。。」
「さあ!!各々参ろうぞ!!!時が我らに有利であるうちに!!」
虎御前とは反対の「力」
守る戦いに絆を強めた「定実」「実」「麻」「光育」
今
水面下の「戦い」は佳境に加速を始めていた
「何故。。。。燃えている?」
私の前には
戦の篝火が軍団に行き渡った事を報告する者たちが伏していたが
そんな報告よりも聞かねばならぬ事だった
「何故?春日山が燃えている?」
柿崎の城を出て半日
前線に絶つ私の後ろ「攻撃陣形」のまま今も微速な行軍を続ける
目の前に見える「炎」
私は無用に苛立ちを表さず
ただ拳だけを強く握り
秋山に聞いた
「わかりません。。。ですが早馬をだして」
泡立つ心を自分で口に出した問いを
膝に振り下ろして止めた
「何も。。。調べなくて良い」
正面。。。。
月の無い空の下
煙が闇に新しい「黒色」を与えている空を睨みながら
自分心を抑えるのと同じ事を軍団に聞かせた
「誰も動くな。。。。明日になれば府内は真ん前だ。。。。攻撃陣形を崩すことなくただ我に従い進め。。。その時に自ずと答えはでる」
自分を律しながら
私は覚悟を決めていた
もし
春日山で「母上」が良からぬ行動をとってしまったならば
その時は私は死をもって報いる事
もし
「兄上」が「母上」に良からぬ行動をとってしまったのなら
「長尾」を。。。春日山を滅ぼすという覚悟を
私「長尾影トラ」の名の下に「乱」の根元を絶つ事を
見えぬ月に誓った