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その37 女 (3)

評定の間に伏したままの墨染めに御簾を上げた上座から定実は声を掛けた


「よう来てくれた」


質素な木綿の着物に身を包む大柄な「坊主」

主の「戦」に置いては「献策」を立て

治世の時に移れば「市井」のありようなどをつぶさに上申する


御仏への勤めを国民くにたみに施す者としての仕事に徒事し続けてきた男「天室光育てんしつこういく」はすでに眉も白くなってはいたが

衰えることのない鋭さと輝きをもつ目で,久しぶりの「戦」を前にして生気を蘇らせた定実の前に顔を上げた



「蟠り(わだかまり)は。。。解けましたか」


開口一番に出た言葉に定実は苦笑いした

「何もかも。。。よく見通しておるの」


「不躾な事でした。。。しかしそれが私に課せられた仕事でもありました故。。。お許し下さい」


老齢の二人はお互いの顔を見合わせて苦笑した

天室光育

無き親方「為景」の父「能景よしかげ」が作りし長尾家菩提寺の現長


表向きは


だが

長く続いた越後の戦乱に中できれい事だけでやってこれた訳ではなかった

林泉寺に入る前からの市井に向けた「諜報活動」と「情報操作」

一刻も早く「為景ためかげ」の治世の元「越後」が統一される事を望みに知恵を絞った「戦い」があった

しかし

国民の思う国造りのために行われてきたとしても。。。。やはり闇の部分


相対する者の「闇」を知る必要もある

そう言う意味では腹を探り合った二人


そして

定実も上杉のための「闇」の者たち,間者として「軒猿」を使っていた

支配者だった



そんな二人がなんの「間」も入れずに面と向かい合うのは。。。少しばかり気恥ずかしい想い。。。そして流れた時間と。。人というものが真実を知る事を,面と向かって知る事を「恐れている」生き物である事を感ぜずにはいられなかったのか。。。。

遠慮の入った言葉をかわし合ったが

今回はすでに時が無い事も手伝い

お互いが。。。言葉を探し探り合う事なく,自分の言わんとしている事を口に出した



「そちが来ても。。。ワシは動かぬつもりであった」


定実は「当初」の本心を素直に告げた

権力をあれこれと剥奪された守護に

いまさら「仲裁」という大仕事を頼み込む守護代の一派に思うことなど腹立たしい事でしかない


光育を見ながら額に扇を当て

「頭に苛立ちがあった」という仕草

コツコツと頭を叩いて見せた


自分たちの都合の為だけに「幕府」からの任命を受けている「守護」を利用しようとするなど

「無礼」であり

現状の立場で考えれば「守護代」に顎で使われたと言われる「笑い者」の役でしかない


だから

どれほどに守護代の信任が厚く「戦」を。。。。この未曾有の「長尾」同士の戦を止めるための使者として

光育が伏して頼んでも,話すつもりさえなかったのだが




「戦」の中身を大きく替えたのは「女達」だった

ただ

ぶつかり合う戦いなら

「利益」や「利害」を求める男たちの戦いならば



「どうとでもなってしまえ」



そして勝った者がまた「守護」をいいよう「囲う」のだろう

卑屈な思いに沈んでいたが

そういうものを度外視した「絆」で目が覚めた

「愛する者」。。。。「慕う者」にこんな戦で死んで欲しくないと願う気持ちが細い糸として紡がれ

自分の元に運ばれ,強い願いとして伝わった時


それにより

愛した「妻」の本心に触れる事が出来たときに,蟠りは壊され心模様は変わった


立ち上がり

縁側近くに歩を進ませた定実は秋の風を受けながら

柔らかな態度で告げた


「今は御坊ごぼうが来てくれてよかったと思っておる」

背中を向けたままではあったが

落ち着いた対応のまま光育の参上に礼を述べた


「ありがたき言葉にございます」

「守護として出来る事をいたそう」


多くを語らなくとも力添えを約束出来るほど余裕のある定実に光育は会釈するとさっそく「策」を話した


「明日の朝,寅の刻には実城へ参内したいと思うております」


それはギリギリの時間だが

定実も賛成した


今や夜の警戒であちらこちらと兵らが走り回り「危機」で心を高ぶらせている者たちの間を縫っての登城はあやうい行動だ

ならば朝早く

引くに引けない守護代に最後の機会であると「和睦」を促した方が得策であると光育は続けた


「わしとそちで諫められるか?」


定実は噛み合い事態を悪化の一途に辿らせた「晴景」の強硬な態度を気にしていた

「まだ。。。両陣営とも向きあっているだけです。。。。まずは「兄らしく」刃を治めて頂くためにも。。守護様の力添えは強い味方となりましょう」


光育の深い思慮。。。。

孤独な城主である晴景の味方が「守護」であるとするならば

最終的には心も従いやすいというものという意見に

定実も同意した


「きっと。。。晴景殿も。。。眠らぬ夜を過ごしている事だろうの。。。。」


用意された白湯に少し口を付けた光育の前で,定実は春日山の頂に向かって目を向けた

「影トラ」米山峠柿崎城にて陣立て。。。。

あの報告から一夜として眠らぬ城には多くの篝火が焚かれ

風のざわめきがごとく

城詰めの男達の声。。。足音。。。武具の擦れる緊張が流れ続けていた


そして

それは今日さらに大きなさざ波としてあちらこちらを走った

夜半から目の前に現れた「篝火」に

全ての緊迫は大きな山となって迫りつつあった




「光育よ。。このような事態となった今だからこそ。。。隠すことなく聞きたい事がある」


杯を片手に見えぬ星を探していた定実は立ったまま光育の側を見た

戦に望む覚悟を持つ目が戻る

柔らかだった守護の態度はきつく尖った



「影トラ殿。。。。あれはいったい「何者」だ?」


「何者。。。とは?」


光育の表情は一瞬で曇た

答えあぐねるような質問に。。。。いや探られたくない何かにか眉間に太く皺を寄せた


「光育。。。影トラ殿が誕生した頃にはワシの元に「忍」はおらず。。ただ噂に聞くばかりの者だが。。。。。どれも「突拍子もない」噂ばかりでな。。何が,かの者「真実の姿」なのかが見えぬのだ。。。。見えぬまま「和睦」を成す事は出来るのか。。不安でな」


探るような定実の言葉に光育は目を伏せたまま答えた


「ご心配には及びません。影トラ様は文武に優れた御仁にございます。。。守護様のご仲裁には必ず従いましょう」

「文武。。。。」


定実は光育の目の前に腰を降ろすと

顔を近づけ声を小さくして耳打ちするように聞いた


「おかしな事よな。。。。影トラ殿は「女」であろう?何故に文はともかく武に優れる必要があったのか?」


「影トラ」という人物への確信

中身を知ろうとする定実の問いに光育は顔をしかめた

その姿に定実はもう一度立ち上がって




「あれはなんだ?「ただの女」ではあるまい」




多くの噂があった誕生前。。。。為景は虎御前の腹に宿ったその子を

「御仏に選ばれた子」と称した

なのに

誕生と同時にその言葉は聞かなくなった

当初は産まれたのが「女」であった事への意気消沈というものかと,「家督」の相続「家名繁栄」という意味では

自分と同じように「子種に恵まれぬもの」と為景をほくそ笑んだ定実だったが


すぐに他の噂が使いから知らされた


「鬼の子」「狂い童」

喜ばしくもない「名称」が次々と挙がる

産まれてから向こう見られる「奇行」の数々

とても「女子」を表すのにふさわしいとは思えない。。。。。むしろ

まるで

春日山に住まう全ての者が「恐れている」ような,あだ名



「光育。。。そなたはあの雨の日。。。影トラ殿を林泉寺に迎えた。。。「女子」であるかの者を寺へ迎えたな。。。「異常な出来事」だったハズだ」



長尾家の菩提寺である

女人を禁じているわけではないとはいえ,寺に住まわすなどという事は「異常」ともいえた

定実の話しを頭を伏したまま聞く光育


「異常は続いているとワシは感じている。。。「女」である影トラ殿に数多の将が付き従い春日山を追い落とす「力」とまでになった。。。それがあの「篝火」でもあるとも見える」



定実は噂と。。。それに添うべく正確な情報を入れるために常に屋敷に「物売り」を出入りさせていた

だからこそ

「負けぬ戦」を続ける「将」に対する「脅威」をしっかりと感じ取っていた



「女の所業とは思えない。。。。文はもとより「武」に長ける者になる女は。。いる。。いくらでも,だがそれは「個」としての存在として見る事はできても。。。。軍団を率いるほどの「力」には成り得ない」


女城主という存在があったとしても

女将というものが成功を収める事はない「板額御前」ごとく

武勇に優れても「人」の上に武で座る事が出来ぬのが女の宿でもある


「影トラ殿。。。実は「男」なのか?でなければ「越後」の強者つわものたちをあれほどに容易に従わせる事は出来まいて?」


腕を組み,月の無い闇の庭を見渡す定実


「影トラ殿が何であるかが解らねば「和睦」は難しいとワシは考えておる」



この「戦」は「和睦」というもっとも難しい

「戦わない」解決を必要としている

なればこそ相手が「正体のわからない者」というわけにはいかないという定実の言葉は正しかった

促された問いに答える光育


「影トラ様は。。。トラは。。確かに「ただの女」ではありません」


「では。。。。噂通り「心」に鬼を持つ者なのか?」

「いいえ違います」


光育は顔をあげると定実の立つ縁側の方を見つめた



「御仏に選ばれしお方にございます」



定実は驚いた

「御前の言葉ではないか」

影トラ出生前から。。。為景の後妻である「鬼嫁お虎(虎御前)」が言い続けた言葉は「狂信」とも思える繰り言だったからだ


「私は。。。影トラ様を寺に預かりお育てした身にございますれば。誰よりもお側に仕え,誰よりも言葉をかわし。。そのお心を見て参りました。。あの方は御仏に選ばれたお方と。。。。信じております」



光育の口からもたらされた答えが,虎御前の言葉と同じである事以上に。。。「信じている」という強い信念を見せられた定実は



「そうで。。。あるか」


そう答えるのが精一杯

後はただ静かな時間が残った

空は深い闇に。。。。月を溺れさせ


今,波は



「申し上げます!!」


二人の男が沈黙の間に入ってどのくらいの刻が廻ったのか

静寂を打ち破り縁側に立つ定実の前に使いの下男が伏した

「何事」


息を切らした下男は伏せ,肩を震わせながら


「春日山に火が上がっております!!」

「何!!」


下男の言葉に定実と光育は声を合わせた

即座に

定実は屋敷の廊下を急ぎ足で周り春日山の見える場所に向かい

光育もさらにその後を追った


上げた顔の向こうに見える城の中

本丸,二の丸より下の三の丸馬櫓あたりに確かに火が見える

明らかに屋敷と櫓が燃えている規模だ



「どうなっている」


目を見張る二人の男の後ろに駆けつけたみのりその後ろのあさは火を見ながらその場に崩れて


「虎御前様。。。。。」


実は自分の後ろ。。力無く伏せてしまった麻を支えながらも

未だ城には宿敵ともいえる「女」がいたことを思い出した

「虎御前!」


「これは御前の仕掛けたものと?」

定実は燃える櫓を睨む妻に聞いたが実はわからないと首を振る

その後ろで

細い声が途切れながらも苦しみを



「虎御前様は晴景様を。。。。ああっ。。。私。。。もう」

声を詰まらせながら火を見つめる麻


「麻殿!!御前は何をしようとしている!!」

定実は麻の細い肩を揺さぶった

「麻殿!!」


「虎御前様は晴景様を。。。この「戦」の騒ぎに乗じて亡き者にしようと」

麻の背中を支えた実は吠えた


「そんな事!!!絶対にさせぬ!!今より登城して虎御前を成敗してくれましょう!!」



女達が息巻く中,定実は冷静さを失わなかった

品共々血の気を登らせた実に光育が告げた



「それは出来ませぬ」

「何故!!最早虎御前の謀反は我らの知るところに」

声も高く抗う妻の肩を押さえ今度は定実が答えた


「今。。。両陣営がすでに向きあってしまったこの状態の中で「虎御前」が討たれる。。。そんな事になれば「影トラ殿」を止める術が無くなってしまう」

「どうして!!」


「この夜の事を誰がどうやって影トラ殿に告げる?我ら上杉だけが知っていたとてどうにもならぬ事」


実は思い出した

いかに自分たちが力無き者であった事かを

麻と共に隣に崩れた

「では。。。どうすればよいのですか。。。。どうすれば。。。あの子を助けられるのですか。。。」

二人を支えながら

春日山に赤く燃え上がった火を見ながら定実は光育を呼んだ



「一刻の猶予もないが。。。我らに出来ることをまとめねばならぬ!!」


月の見えぬ空は大きな波乱の波を起こした

夜は眠らずの「戦」を起こしたのだ

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