その36 運命 (9)
「麻」が上杉定実の屋敷の正門を通されたのは,夕暮れも近づく刻だった
春日山を下った時間から一刻半を門の前で待たされ続けた
忙しく動く番兵や使いの者たちの「好奇」の目にさらされ
激しく舞う砂埃の中でも麻は黙して上杉邸の門が開かれる事を待ち続けた
夕刻近く
何度も出入りをしていた「物見」と思われる痩せた男が
渋い表情の上「不満」を顔に表したまま麻を呼んだ
「守護代様の奥方。。。。どうぞお通り下さい」
棘のある言葉
通りに面した屋敷の前
少ない侍女を連れた麻に対する「嫌味」である「守護代の妻」とはっきりと呼び立てて
門を通らせた
くぐった門内には
何人かの物見が
外と変わらぬ忙しさで行き来をしており
麻の目の前を「無礼」を知った上で走り回っていた
誰も挨拶もしない
「上杉様も。。。「戦」の行く末を見極めようとしておられるのでしょうか?」
屋敷の中の激しい往来に,宮地が麻に耳打ちした
騒がれるばかりで相手にもされていない麻を気遣って口を開いたのだが
良い言葉が浮かばなかったのであろう
麻はただ頷き
無用な口を挟まないよう注意した
「まだ。。。門をくぐっただけです」
だが
注意しながらも周りをしっかりと観察し
越後守護,上杉定実が「戦」に無関心でない事を理解した
この屋敷の「主」である「守護」が「戦」という事態に対して「機敏に」動いている事を肌で十分に感じた
周到な守護の態度に
暗い息を一つ落とす麻
春日山から下った「総構え」の町はそこかしこと兵が走り回るため砂埃にまみれ
久しぶりに二の丸の屋敷以外の「外」に出た麻の呼吸を苦しくさせていた
細かく澱み吹く砂の風が
麻の細くなってしまった体を。。。
息を蝕み「使命」の重さに倒れろと何度も誘っているようにも思えた
そんな自分の内にある弱気を振り払うように
目を曇らすために刺さった砂を拭う
使命を。。。。
はっきりとした態度で
「綾」から受け取った想いを。。。。。やっとココまで持ってきた想いを告げねばと
身なりを正した
「こちらえ」
門内に通された後「待合いの部屋」に入ることも許されず
ずっと中庭に立たされていた麻に,女房装束をまとい,顔の片方に「面布」を着けた女が呼んだ
額に「怒」を隠さず剣を立てた女は
来る「客」に対しての不遜をわざと見せて
ぶっきらぼうに手で指し示すと,屋敷の廊下を歩き広間に案内した
「やっとでございますね」
部屋に通された麻に付き添った侍女の「宮地」が砂埃をかぶり
すっかり色をくすませてしまっていた麻の着物を静かに叩き(はたき)ながら
待たされ続けた「不満」を注意を受けてはいたが「不憫な主」に代わり愚痴った
「私達は重大な「お知らせ」に参ったと申しておるのに。。。それに守護代様の奥方に酷い扱いです」
その言葉に広間の中程を仕切る御簾の前に座った女房の目は鋭く尖った
麻は口を慎むようにと自分の口元を抑え宮地の気持ちをたしなめて言った
「静かに。。。。そんな事は今「大切な事」ではありません。。」
もちろん麻にも待たされた時間に不満ではあったが
入り口を通ったところで「目的」が達成されたわけではない。。。
ココの広間に付いた事で「使命」が果たされたわけでもない。。。
「これからです。。。まだこれからが大切なのです」
麻の忍従の言葉に宮地は自分の発言を恥てすぐ後ろに下がった
秋の小涼しい風が通る部屋
京の都で仕立てられた「御簾」がかけられた奥にはまだ誰もいない様子だった
こじんまりした庭園に鈴虫の声が響き
前庭にあった忙しさは音をひそめる
静かな空間
ただ時間が過ぎる中,涼しいはずのその場で麻はじっとりとした汗を額に浮かべながら黙して待った
「守護様のおなりです」
それは
夕の空の終わりが見え始めた頃だった
薄められた墨のような闇がやって来た頃
御簾の後ろに「実」は座した
座してすぐに忌々しげに言った
「よくもまた。。。恥じる事なくココにやって来たものにございますな」
麻は実の入室に頭を下げたままだった
上げて良いと言われる事もなく
いきなり「嫌味」を食らわされた
「会うつもりはありませんでしたが。。。。」
いつになく「怒り」を露わに語る「上杉守護代行」の実の前
麻のただ伏している姿は「火に油」でしかなかった
「面を上げよ!!」
普段なら自分から誰彼と話しかける事のない実だったが
今は自分を律する事ができなかった
沈黙を守りながらも顔を見せた「晴景」の嫁。。。。
春日山から一人。。。。。夫を置いて逃げてきた女
御簾で分けられお互いの姿が見えない状態とはいえ。。。。
実の苛立ちは十分に外にまで音として感じられた
開き。。。また閉じられる扇の音で。。。。
顔を上げた後も何も言わない麻に「話せ」と言えないまま実は荒げた声で聞いた
「家臣の戦に巻き込まれ迷惑を被っている「上杉」に,自分だけ助かろうと逃げてきた女が何用か!!」
どこかで区切りをつけて相手の用向きを聞かねばならないのに。。。。
罵声が止まらない
「恥知らずにも程がある!!!いやしくも春日山の主の「妻」であるなら。。。。夫と共に死ぬと何故言わなんだか!!」
実の甲高い大声は屋敷の広間に響き渡った
だが
御簾の前に並ぶ女房はそれを止めようともしない
むしろ麻を。。。己が主が言う言葉のままに蔑んだ目で睨んでいた
「共に死ね事が最良では無かったからでございます」
麻は初めて口を開いた
小さな声で
実に比べればまだ遙かに年若いハズの麻の顔はあまりに弱々しく。。。そして若さを失っている
それでも
苦心の胸中に語ろうとする声を女房が遮った
「それで自分だけ逃げてきたというのか!!!こんな不躾な妻を持って守護代様も不憫というものよ!!」
女房という立場。。。。守護代の妻と比べるまでもない侍従の者の非礼
主の心中を察した「品」は扇を打ち据えて御簾の中
怒りに震える実に言った
「こんな無礼な妻。。。この上杉に置くことなどあってはならないと思います!!私が追い出してさし上げます!!」
そういうと失われそうになっていた「優雅さ」を取り戻し扇で顔を隠して言った
「早う。。。ココから立ち去れ!上杉に迷惑を持ち込むでない」
「待ってください」
食い下がるにも,か細い麻の声に今度は実が告げた
「助かりたいのならば「林泉寺」に行けば良い。。。我が女房「品」が申すように上杉に迷惑を持ち込むでない。。。そこで存分に救われよ」
上杉守護のあまりの仕打ちに
麻の侍女,宮地は体を奮わし悔しさを現し
伏したままの目から涙がこぼれしていた
沈黙が刺さる広間の中
冷たい風が走る
「おっしゃりたい事は,それだけにございますか?」
静まった場に細いながらもはっきりとした口調が「反抗」を告げた
麻の声は相変わらず細い
なのに揺るがない「想い」に押され毅然としている
「無礼な。。。」
扇で顔を隠していた品はそれを震わせながら主に変わって怒鳴った
「早う出て行け!!」
「いいえ出て行きません。。。。助けて頂かねばなりませんから」
「浅ましい。。。。」
麻の毅然とした態度での返答に実は唸った
「己が救われたいために恥も知らぬと言うか!!そうまでして助かりたいのか?」
「はい!!助けてくださいませ!!我が夫。。。「長尾晴景」を救うためにごお力をお貸しくださいませ!!」
その言葉に目の前にいた品は目を丸くした
御簾の中の実も「晴景」の名に怒りが止まった
だが
次に沈黙は続かず
麻は今まで消えてしまいそうに細かった声を張り上げて懇願した
「この戦で夫が亡き者に成らぬ為にも。。。。どうか。。どうか。。。上杉様のお力添えを頂きたいのです」
「それを言うためにココに。。。」
驚く品の答えに
罵倒を我慢し続けてきた宮地が辛抱堪らず涙ながらに割って入った
「春日山は今,全ての門を閉ざし誰も出入りする事の出来ぬ状態です!唯一この「手形」が上杉様の元まで来る方法でございました!。。。。我が姫は。。。春日山から下るときも。。。不躾な妻と罵られ。。。長尾の恥さらしと罵られ。。。そんな心ない言葉を受けながらも。。守護代様の事を第一に想ってココに参ったのでございます」
「宮地。。。」
自分より大きな涙声の宮地を片手で麻は制した
だが宮地の感極まった想いは止まらない
「殿様(晴景)を思うて。。。ココまで恥を忍んでやってきた我が姫に「守護様」とはいえ。。あまりにございます。。。。酷うございます」
「宮地。。。」
麻は心優しい侍女,宮地が自分を想って飛び出てしまった事を理解しつつも
彼女の手をにぎり
「心静かに」と抑えた
麻の態度は最初から「忍ぶ想い」を保ち冷静であった事に実は気がついた
「そのために山を下りられたのか?」
実の声のほうが震えた
夫を想い「恥」さえも厭わずココにきた麻を責め続けた事が。。。。急に「浅ましい」く思えた
「麻殿。。。」
心を正しこの才女が持って来た「願い」を聞かねばと
実も己の心を改めた時
さっきまで静かだった庭が騒がしくなった
足音も高く走る者は広間に容赦なく滑り込んできた
「見苦しい!!」
品は自分たちの騒がしさを棚に上げて,顔を出した下男に怒鳴りつけたが彼は必死の形相で一礼すると告げた
「申し上げます!!!只今府中より北東,前数里の場所に。。。「篝火」が」
「篝火?」
広間に集まっている女達は各々聞き返した
「篝火がどうしましたか?」
「一線に並び揺れております!!。。。。その数「千以上」。。」
「それは何じゃ?」
誰よりも実はわかっていた
だが聞いた
そうでない事を願って
だが下男の顔色は悪く。。。。答えは決まっていた
それは。。。ついに目に見える所までやってきたのだ
「影トラ様率いる「軍勢」と思われます」
持っていた扇が実の手からこぼれ落ちた
震える指先は「恐怖」に痺れそれを支える力を失った
それでも
痛む胸を押さえ
「門を。。。固めなさい。。。努めて「上杉」は家臣の「戦」に関わる事はないと。。。」
「守護様!!!」
呆然としながらもやっとで指示を出す実に
驚くほど大きな声で麻が言った
「お願いです!!もはや躊躇している時間はありません!!どうかお力をお貸しください!!」
騒ぎの大きくなる屋敷の中
喧噪に負けぬ声がよけいに実を焦らせていた
「麻殿。。。。今の上杉には幕府の威光の下。。戦わぬ事ぐらいしか出来ません。。。力など私には」
御簾の中,落とした「扇」に視線を向けたまま
力無き自分達を守る事に専念する事を。。。
「いいえ守護様。。。貴女様でなくては晴景様を止める事は出来ません!!私は。。。貴女様が「どなたか」存じた上で。。お頼みしているのですから!!」
乗り出した麻の真剣な顔に
実は御簾の中であったのにかかわらず。。。慌てて扇を拾い顔を隠した
「何を言って。。。」
「守護代様の兵が総構えに弓隊を並び始めました!!」
二人の女の対峙を割るように矢継ぎ早な知らせが入る
「ええい!!やかましい!!守護代奥方様!!今日はもう退かれよ!!」
麻の危険な発言に品は,報告を重視してなんとか退出させようと叫んだが
迫る危機に麻は黙らなかった
「今こそ!!!「情愛」をお示しください!!それによってこの「戦」をご仲裁へとお導き下さい!!」
「黙れ!!」
品はもはやこの場で「そのようなこと」をぶちまけられてはと,立ち上がり力で麻を追い出そうとした
その時
「騒がしい。。。。報告が聞こえぬ」
声の主は実の後ろいた
「貴方様。。。。」
実の背筋は一瞬で凍った
恐る恐る振り返る
そこには夫,「上杉定実」が立っていた
定実は,実の横に座ると静かに。。。。太く抑揚の聞いた声で
「暫時報告を持って参れ」
命じた
下男は一礼するとけたたましく廊下を走っていった
「すみませぬ。。。このような時間に騒ぎを。。。お体に障ってはいけません。。。どうぞ」
焦燥した実は声を震わしながら定実の手を引こうとしたが
定実はその手をしっかりと握り自分の膝の上に置くと言った
「さあ。。。。話しを聞こうではないか」
その目は深く
黒く
威厳に満ちたものであり
見る物に「畏れ」をいだかせる強さがあった
実は「皮肉な運命」を深く感じ。。ただ黙した