その36 運命 (5)
「それで僕を拒絶したつもりなの?」
その声は四方からこたせまするように私の頭の中に飛び込んできた
私が今いる場所は「闇」の中
宙に浮かぶような
闇の湖水近くに私はいた
周りには何もなく空は赤く血の色のようで。。。。星もない薄暗い場所だった
「ココは何処だ。。。。」
私は誰に聞くでもなく周りを見渡しながら遙かな闇に向かって尋ねた
最初に耳に届いた声は。。。。返事をしなかった
目の前の遙か向こう
闇の中にさらに暗く。。黒くそびえる山が見える
どこかで。。。見たことのある山
それに向か一直線の道が現れる
今一度自分の事を思い起こした
冷静に。。。物事を慌てて進めてはいけないと
まず自分状態を確認し直した
身なりは。。間違ってはいない
整った直垂姿に脇差しの小太刀。。。。
この姿は間違っていない
だけど正しくない
私はついさっきまで「戦場」にいたはずだ。。。。。何故ココにいる?
指先を何度か動かし「夢」か?「幻」か?感覚を確かめる
ココは戦場じゃない
頭を振り残っているハズの前の出来事を探した
さっきまで。。。。。
私の目の前は。。。。
金津と言い争い
対面に姿を現した春日山に牙を剥こうとしていたハズだ
「何故だよ。。。後少しで春日山だったのに?。。。まったくやっかいだな「女」の体ってのは。。あれさえなければ巧く事が運んだのに。。。」
それは小さな形で私の前
一本の道の前にあらわれた
あの雨の日「神鳴」の時に話しをした小さな影は苛々した口調で私を責めている
「何があった?」
現状を確かめたかった私は影に向かって聞いたが
やはり苛立っているのかそっけない返事をよこした
「倒れた。。。。「血」が出て倒れたんだよ。。。はあ」
「血。。。。」
「女はやっかいだ。。。まったく。。」
最初気が付けなかった「血」の意味が理解できた私は急にはずかしくなった自分の腰あたりを確認するようにさすった
痛みはない
「ココは私の「夢」の中。。。だな」
少し赤くなった顔を毅然とした態度で隠すようにして私は影に問うた
不思議と
影に対する恐れはなかった
ただ「彼」が私の中に住んでいて
こうやってたまに話しをする存在である事がわかってきたからだ
「夢。。。ねぇ。。。」
影の口元は少しだけ
ぼやけているが見えた
幼そうな口がそれに不似合いな卑屈な笑みを浮かべて私に聞いた
「目を覚ましたら。。すぐに春日山を攻めよう」
「そのつもりはない」
私は「金津」に鬼のような形相で言い争った事をしっかりと思い出していた
「感情」に揺らされ
あの時は
「春日山滅するべし」と声高く叫んだが
今は遙かに冷静だった
私の「拒否」の即答に
影は歩を進めながらせせら笑って言った
「攻めないと。。。。長尾が滅びるぞ」
私も前に進みながら答えた
「ねい言(媚び,へつらう言葉)には乗らないぞ」
私はこの「影」を自分の心の「もっとも弱い部分」だと思った
だからこそ
「凶手」により物事を解決する方向に自分を導こうとする
時に正しく間違った判断をするこの「ままならぬ心」と対話する事を大切だと思い始めていた
「僕はオマエの「影」じゃないぞ」
そんな私の心を内を見抜いたかのように「彼」は笑いながら答えた
「どうやら。。。トラ。。。オマエは僕を,オマエの心が作り出した「何か」だと思っているようだが。。。。それはまったくの誤りだ」
小さな影の姿はぼんやりとしたままだが
「子供」の姿に間違いはなかった
そんな者が
まるで
いっぱしの「男」のように私に言う
あざ笑うように言う
そのまま
私の前
彼の後ろ
私達を繋ぐ一本道の向こうにそびえる「山」を指した
「春日山と戦しないと。。。晴景はおろか「おトラ」まで失うことになるぞ」
「そんな事にならないように,手を打っている」
そうだ
私は気を失う直前になんとか「親書」を書いた
それを春日山に届けるように「段蔵」に渡している
こんな争いは無益だ
話し合う事で回避できる「争い」だ
私は両の手を腰にあてて
政治的な大人の話に「感情論」を持ち込もうとしている「おそらく」自分の心である子供に諭すように言った
「戦は終わる。。。もう争いはない」
「わかってないな」
急に影は高笑いをした
赤い舌を伴った口がはっきりと見えた
「トラはまったくわかってない。。。さっきも言ったように僕はオマエの「影」じゃないし。。。オマエの脆弱な心でもない。。。トラの考えはまったく甘い。。。そんな心持ちで「米山の峠」に立ったのか?」
子供の声
少し甲高く
少し気に触る声は。。。。私の事を遙か高みから見下して言った
「トラは「晴景」と話し合うために「米山の峠」に立った?。。。トラ,米山の頂に「長尾守護代旗」を立てたとき。。。トラはこの「戦」の全ての責任を負う者になったんだ。。。。その事に気が付けなかったのか?」
「責任?」
小さな影は私の前で止まり揺れながら言った
「トラ。。。オマエのしでかした「戦」の大きさにまだ気がついてないのか?」
そこまで言うと「影」は赤い空を映していた湖水に向かって指をさした
「なんだこれは。。。。。」
そこに写っていたもの
柿崎の城に集まる「軍団」
猛る諸将たち。。。。
「トラ。。。「守護代晴景」と相対するもう一つの頂点に立ったオマエが「戦」を拒めばどうなる?。。。。結果は「長尾滅亡」最悪しか残るまい」
私は影を見た
笑う口だけが続ける
「それにな。。トラが「戦」をしないと言っても。。。。ヤツらは「春日山」を攻めるぞ。。。。弱った守護代にトドメを刺す最大の機会を誰も逃そうとはしない」
「親書が出して。。。」
「晴景は拒否する」
私は影の足下に膝を落とした
湖水に移る男たちの猛る姿と気勢は春日山に向かっている
鬼の拳を高々と挙げ
いまや遅しと怒号を響かせ
「どうして。。。。。」
私の言葉に影は顔をあげ
後ろに見えた巨大な山に向いた
「トラ。。。。オマエが先頭に立って戦わない限り。。。ヤツらの反の気を抑える事はできない。。オマエは今まで誰もすることのできなかった「戦」に勝ってココまでやってきた。。。戦うしか道を切り開く事は絶対にできない」
影はもう一度私のほうに向き直ると
右に大きく首を傾げてみせた
「おトラを見殺しにするつもりか?」
「母上。。。。」
「戦え!!戦うんだ!!そうしなければ弱り切った長尾一族は全て滅ぶぞ。。。オマエが戦わねばみな「滅びる」のだ!!」
そういうと急に私から離れた
私は急いで手を伸ばし彼を掴まえようとしたが
掴む手は空を触れて空振った
「待て!!!!」
ただ彼は笑う
消え入るような姿のまま笑う
私は混乱していた
何故彼はこんなにも事の運びに詳しいのか?
何故
私に戦えと言い続けるのか
「何でだ!!何故私が戦わなければならないのさ!!!」
叫びに彼は止まった
「戦いたくないのか?」
「当たり前だろ!!!どうして私が戦わなければならないのさ?」
影はとまったまま私の叫びに
「怒り」を露わに答えた
「だったら。。。なんで僕を殺した!!」
伸ばしていた手が止まった
心を刺されるような言葉
「殺した。。。。。君を?私が?」
怒りの声はうまく返事の出来なくなっている私に叩きつけるように続けた
「トラ。。。。オマエは。。。僕を殺した。。。。殺した!!!」
影の目が靄に隠されたままの表情の向こうで赤く光った
「君は。。。。。誰?」
私にはまったく憶えのない姿の彼
いつ
いつ私はこんな幼子まで手に掛けてしまったのか?
「君は。。。。」
影は靄を突き破って私の顔
真ん前に体を滑り込ませ
初めて顔を見せた「影」
それは。。。。。。
その顔は。。。。。。
「僕こそが「トラ」だ」
私?
私が私を殺した?
闇は弾けた
私は苦しみの叫び声を上げて飛び起きた
目の前は「雨」。。。。?
頭からどっぷりと水をかぶっている?着物をさわり周りを目だけで睨むように確認した
屋根のある部屋の中で。。。何故に雨?
「も。。。申し訳ありません!!」
私の隣に侍女が手桶を転がしたまま驚いてひれ伏していた
微かな痛み
跳ね起きた時に手桶に頭をぶつけて。。。。水をかぶった?
自分の「冷静」を認識するために慌てず周りを見る
息を整える
「ココは何処だ?」
激しさの混ざった声に侍女は余計に萎縮して額をすりつけるように伏して謝り答えがでない
苛々しながら他を見回すと
戸口の前に見知った姿
大柄な体ながら落ち着いた動作の女
猪も少なからず顔に驚いた様子があったが
苦笑しながら,侍女に
「さがりなさいな」
と指示をして
私に話しかけた
「急にお体を起こされましたから。。。ぶつかってしまいましたわ」
手ぬぐいを私の髪に乗せると
気まずそうに下がっていく侍女に
「替えの支度をしてきなさい」
努めてなのか?静かに命じた
「猪。。。ココは何処だ!!あれから何日たった?」
怒した私の声に猪は,顔に苦みを浮かべながらも
しっかりとした声で猪は答えてくれた
「ココは柿崎様のお城。奥の間にございまいす。。。おトラ様は「米山の戦」から今日で三日。。。眠っておられました」
「三日。。。。。そんなに。。。。」
たった今。。。。わずかの時間の間で見ていた「夢」はそれほどに長かったのか?
急いで体を起こそうとしたが
腰に鈍痛を感じ立て膝の状態になった
「まだ。。。まだ「穢れ」が終わっておりません。。。馬の鞍が真っ赤になっておりましたのですよ。。。戦が続いた事でお気ずきでなかったようですが。。体を厭うてくださいませ」
私の肩を支える猪に
私はそんな余裕はなかった
夢の中
鬼と化して「春日山」に殺到するための気勢を上げていた者たちは。。。ココにいるのかを知りたかった
「外はどうなっている!!!「戦」は!!「和睦」の返事は!!」
私の矢継ぎ早な質問に
障子の向こうに座していた男が答えた
「戦の支度は調っております。。。。敵陣の前での長の居眠り。。影トラ様はすっかり「大物」にございます」
「実乃。。。。」
敵陣という言葉
「守護代様は「和睦」を拒否されました。。。」
立ち上がっていた膝が崩れた
声もでない
ただ夢の中「彼」の言った「正論」が頭の中に蘇る
「我らと一戦交える覚悟にございましょう」
障子越し多数の人の気配を感じた
私は痛みをおして立ち上がった
「夢」は現実と符号していく
猪は慌てて小袖を肩にかけた
鎧の音が整然と並んでゆく気配
兜を手元におろし控えた姿が私には。。。。もう見えていたが
「覚悟」を。。。。。
猪に襖を開くように目で指示した
開かれた戸の向こう
かつてより「長尾」に仕えてきた多くの家紋たちの元にさらに連なる「国人衆」の者。。豪族の者たち
「春日山と最後の一線交える準備は整ってございます」
実乃の言葉以上に「覚悟」の目が私に集まっている事に気がついた
私が戦わなければ。。。。これ程に集まった者たちにどうして「戦」をするなと言える
彼の言葉がこだまする
「オマエが先頭になって「戦」をしなければ。。。最悪の結果しか得られない」
目眩を起こしそうな痛みの中。。。。「夢」から冷めた「悪夢」の前で私は逃げ場を探した
それはまだ陽の昇る事のない黎明の中で始まっていた