その36 運命 (4)
「斎藤朝信が「直江」の命(命令)を受けて林泉寺に訪れたのは夜半を十分に回った頃だった
二の丸屋敷から身動きのとれない直江に変わっての推参
本来なら「芝段蔵」という右手ともいえる男がいるのだが
それが今は惣門に足止めをくらったままという状態
守護代説得のために政の相談役ともいえる「天室光育」に登城を促すための「手形」を渡すため
信頼に足る者を使わすために頭を悩ましていた所を「斎藤」が力を貸した
「両手が無くとも「足」としてぐらいはお手伝いできましょう」
直江という「要」の必要性を良く理解していた斎藤の判断だった
昼間はひっきりなしの喧噪を作っていた「守護代所属」の武士達は城の各所に各々で陣を構え
「夜襲」に備えてこそいるが
心中がおだやかでない事は「物見」の落ちつく事なく動く姿だ垂れの目にもよくわかっていた
「長尾影トラ,米山峠に陣を構える」
この報(報告)があって二日目。。。。。
「守護代」の討伐令発令の後怒濤の日々の果て
苛烈に突き進んできた軍団が沈黙を守もりながらも「春日山」に睨みをきかせている状態は
なかなかに耐え難い沈黙だった
その沈黙の中
春日山に詰めている「直江」をはじめ「慎重論」により事の収集に努める者たちは日夜の間を問わず働いていた
「何故動かぬのでしょう?」
林泉寺内,奥室「天室光育」の部屋には小さな灯りが心許なげにつけられていた
少しの風で消えてしまうのではないか。。。。そう思われる火の姿は。。。
今の春日山の実情を如実にあらわしていた
斎藤の質問に
光育は「希望」とも言える答えを返した
「守護代様との「和睦」をお望みなのでしょう」
柿崎に負けぬ剛の男「斎藤」は
見かけは「為景」にも通じる「鬼の顔」を持つ
体にも惜しむことなく「戦」で働いた証明ともいえる傷は多く
みるからに「鬼人」ではあるが
直江は元より多くの重臣たちに,信任されるほどの慎重さも備えた武人だった
深く繁った髭の中にある顎をさすりながら「光育」の返事に斎藤は溜息をついた
「それは今。。。一番遠い希望ですな」
「しかし。。。それが「トラ」。。。いや影トラ様の望みでありましょう」
春日山は困惑していた
そこに詰める大半の者たちが「雲行き」を読めない状態だった
守護代晴景の決断は。。。。
まったくもって
自分自身に「不利」なものだった
春日山は確かに越後随一「難攻不落」を誇る城ではあったが
現在城に詰めている兵員は「千」に届くことはない
かたや
影トラの元に集う者たちの数は無責任な情報を半分差し引いた数だとしても「三千」はいる
「晴景様は。。。。どうしておられましょう?」
深く曇った表情で
春日山の迷いを背負った斎藤に光育は尋ねた
「一昨日の「籠城」宣言をなさってからは「近習」を通してでしか,我らにはお会いになりません。。。」
現在の春日山の守りの大半は「守護代近習」とその一族の者たちによってなされていた
城内二の丸から向こう「守護代」の部屋に近寄る事は「重臣」と言えども晴景の近習を通さねば話しは出来なくなっていた
「ご登城の手形をお持ちしました。。。。こんな時にございます「直江様」だけでは城内の取りまとめだけで手一杯。。。守護代様に「諫言」する事のできる方として。。。是非に」
政の相談役でもあった光育
斎藤の胸元から出された「手形」を見ながら
静かに頷いた
「出来うること。。。お手伝い致しましょう」
手形を受け取りながら
苦悩する重臣に聞いた
「影トラ様からの「手紙」がきてはおらぬのでしょうか?」
「いいえ。。。実は親書事態はすでに「直江殿」の手に。。。」
「惣門。。。。ですか」
惣門。。。光育の眉間にも苦悩の皺が浮かんでいた
斎藤はその顔に向かって頷いた
「今回の事については守護代様のご指示が早く「直江様」旗下の者たちの手から書状が渡る前に門を閉じられてしまい」
「どうにもならぬ騒ぎの中で「影トラ様」の書状だけが早々と手元に届いた。。。。という事になれば「春日山の番人(直江)」の身も危うくなる。。。。という事ですな」
「まったく。。。。ご察しの通りにこざいます」
惣門
それは春日山の総構えのもっとも大きな門の事
「戦」という非常事態に対していつもなら守護代の判断は「直江」との審議によって採決されて発される。。。。。
だが
今回は「影トラ対陣」の報(報告)が届いた時にそれは発された
直江とはなんも問答も相談もなく
守護代自らの命(命令)にて即座に門は閉じられてしまった
直江の方にどんな心算があったのかはわからないが
「影トラ」の元に二年も徒事した直江には「反旗」の嫌疑が少なからずあった
春日山の中身は「緩慢」とした政の中でそれなりに「腐っていた」のだ
この非常の時に「直江」をけ落とし自分ならば「守護代様」に要理な条件で「講和」をできる。。。
などと,のぼせ上がった者が出ても不思議ではないし
また
逆もあった
晴景を闇討ちにしその「首」を持って「影トラ」に臣従しようとする者の気配。。。。
それらの者を抑えるためにもすぐに手元に「和睦の親書」があるなどとは言えなかったのだ
「和睦」よりもまず内側から崩れてしまいそうな春日山を律する事が最重要な任務になったからだ
「我ら。。。。後手に回った「戦」はあまり経験にない事。。。ましてやこれは「頭の戦」。。。影トラ様もそれを見越して米山の峠にて動かず。。。そう思っておりますが」
斎藤の願うような理想論に「風」が答えた
「それは違います」
その声に姿はなかった
斎藤は目を尖らせアタリの気配を読んだ
「誰だ。。。。」
声は闇の中から静かに聞こえた
「芝段蔵にございます」
見渡す部屋の中に姿は見えない
灯されていた火は少しだけ揺れその身を躍らせる中から声はする
「惣門の前に待機していたのでは?」
斎藤は見えぬ影にむかって聞いた
「実城には迂闊に近寄る事は出来ませんが。。。。今日はここに斎藤様がいらっしゃたのでご挨拶に参りました」
斎藤の顔は強張った。。。。
こじゃれた問答の声は深く気に触った様子で念を押した
「惣門の守りは守護代様一のお気に入り「水丸」だぞ。。。夜とはいえ危険な事を」
尖り始めている斎藤の声を割って光育が穏やかに段蔵に尋ねた
「影トラ様はどうしておられるか?」
光育の質問に斎藤も下らぬ心配をやめ続いた
「そうだ。。。どうして米山から動かないのだ?」
影のままの段蔵は少し間の後返事した
「ココまでの道程は「強行」でした。。。。お疲れになられ。。。その「体」の事でお休みになられているからです」
「休息を取っておられるのか?。。。。。反旗の者たちを招集しているのではなく?」
動かぬ影トラの陣には「戦の大局」に面してやっと腰を上げた「国人衆」や「豪族」たちが「勝ち」を相伴しようと集まっている
という「噂」が
あの無責任な報告につながっていた
影トラが招集しているのでは?
そのために米山にて足を止め沈黙を守っているのでは?と
「集まっているのは。。。。各々の「都合」による判断で,です。。。ですが陣を動かぬ理由は休息を取られていらっしゃるからに相違はありません」
「それはあまり良い報告ではないな」
斎藤の顔は赤く「怒り」に染まっていた
深く一息つくと
闇の中から会話をしていた段蔵に怒鳴りつけた
「貴様。。。。いったどこにそんな余裕がある!!勝敗が見え始めているこの時に。。。今まで腰をあげなかった者たちが「反旗」を「正義」として掲げ始めているんだぞ!!!影トラ様がどんなつもりで「休息」を取られているのか?それはワシには理解できないが。。。。近くに仕えていたのならば!!この非常の事態がわかろう!!疲れた?だから休んだ?その沈黙が事態を悪化させている事になると何故わからんのか!!」
闇の間に登楼の火は激しく揺れた
答えられない闇に向かって斎藤はもう一度怒鳴った
「直江殿がどれほどの心を砕いてこの春日山を支えておられると。。。それを右腕とも呼ばれる貴様が。。。理解できなかったとはいわさんぞ!!」
声は静まりかえっていた寺の中に響いた
怒りの斎藤に目で光育は沈黙を促した
余裕のない事態。。。。。
どこから崩れてしまっても不思議でない春日山を支える男の苦痛を斎藤は代弁した
「惣門は。。。。。開きませんか?」
段蔵の声にも苦痛が見えるようになっていたが職務に忠実である事が他の言葉を発せさせず
実直にただそれだけを聞いた
「今は無理だ」
斎藤の即答
「このままいけば。。。。惣門が開かれるのは「戦」の時だ!」
吐き出される言葉には苛立ちと。。。。苦痛が混ざっていた
「その時はこの「愚僧」が。。。影トラ様の前に立ち。。お止め致しましょう」
頭を抱えた斎藤に光育は自分の覚悟を告げた
「今はただそれしかお約束できません。。。そのように直江様にお伝え下さい」
斎藤が帰り本堂の仏間に移った光育は
まだ
返らなかった「影」に聞いた
「トラは。。。。。「穢れ」で体を休めたのですかな?」
段蔵は言いにくかった事実を素直に光育には告げた
「はい。。。おそらく政景様とまみえた時にはそのご様子だったと」
光育は御仏に向かって合わせていた手を下ろした
「戦は。。。。戦どのような様にありましたか?」
段蔵は僧侶である光育が戦況の状況を知りたがっている事に少し驚いたが「何かの」助けになるのならという思いもあり話した
「栃尾城砦の合戦」
「米山峠の合戦」
どれも
あまりに血なまぐさく
「残虐」な「戦」だった
光育は目を閉じただその内容を聞いた
「トラは。。。。どんな様子でしたか?」
祈る手に力がこもっているは闇の中からでも確認出来た
「最初はかなり,お心を乱してはおられましが。。。。「戦」も回数を重ね心も強く成られました。。」
「陣江はどうしておりますか?」
段蔵は光育が愛弟子たちを心配している事と理解した
「陣江も影トラ様を支え間近で働いております」
「そうですか。。。。。」
そこまで聞くと後は沈黙を守った
影である段蔵はその闇の中にまた気配と姿を消し。。。本堂から消えていった
静まった本堂の引き戸を開け光育は空を見た
美しく浮かぶ月
「今となっては。。。。ジン。。。オマエがトラの近くにいる事だけがこの「戦」の行く末を決める「希望」だ。。。。その心でトラの。。。トラ達の心をどうか支えて欲しい」
風は冷たく吹き込み登楼の火を消した
だが
光育の合わせた手の中の「希望」は消えてはいなかったが
それは少しの風で吹き消されてしまうほどに小さな炎に等しかった
だからか
光育の手はきつく結ばれ
祈りの中に「希望」を灯していた
しっかりの手の中に守られて。。。。。