その36 運命 (1)
その日の夕餉の刻になって
いまさらのように遅い「報告」は「上杉定実」の屋敷の元にやってきた
「騒動」は
朝も暗い刻から,「越後」でもひときわ静かな「府内」に不似合いな「人声」が響き渡り
尋常でない数多の「気勢」に
本所に座して「品」の報告を心待ちにしている「実」は目眩を起こした
「長尾政景殿,米山峠にて栃尾衆率いる「影トラ」殿に大敗」という驚愕の報告
冬の近づける風。。。。
熱く逆上せてしまうような「焦り」を振り切ることはできなくなってきていた
実は額を抑えて考えた
あの「猿楽」の騒ぎによって決まった「討伐」という戦
その「総大将」長尾政景が春日山にて陣ぶれの声を挙げたのは
一月と少しぐらいの時だったハズ
あれから今日までの間
たかだか四十日あるかないかの間に「戦」は始まり。。。終わった
それも「守護代軍敗退」という驚くべき結果で。。。
何故。。。。
実は敗北の理由を探そうと色々な事を思い直すために,目頭を親指と人差し指で挟み考えた
あの「政景」が。。。何故「負けた」?
猿楽で見た政景は晴景よりも立派な体を持ち「無骨」で「力」に優れている姿だったのに。。。。
肩も背中も顔さえも「武」の嗜みをぞんぶんに現していた
なのに
負けた。。。。。?
何故
若輩の「影トラ」に後塵を期するような事になるか。。。
目眩は頭痛に変わってきていた
何処をどうして。。。
あれほどの数の兵を率いて出陣していった
自らを「力の守護代」になるとまで晴景にかまわず豪語していた男は敗れてしまったのか
栃尾衆などいくら数を集めても「千」もいかないはず
長く「定実」の代理を務めた実には
兵の「数」ぐらいなら
どの豪族,国人が多く抑えているかぐらいはわかっていたが
やはり「戦」の中身までを理解する事はできなかった
代わりに思い浮かんだのは。。。
何度目かの溜息
思い浮かんだ「最悪」を振り払った
初めて。。。。晴景の前で泣いて。。。泣いて「討伐」を拒否した時。。。。
自分の中ではこんな結果が見えていたのでは。。。。実は肩を深く落としてしまった
何故あのとき
ただ泣くでなく。。。もっと強く「拒否」し「阻止」する事が出来なかったのか。。。
いや
泣きながらも
それを「否定」したくなかったのだろうと思い返した
もし「討伐」を「上杉」の意志で止めてしまったのならば。。。
その時も「この結果」が自分に突きつけられていたに違いない。。。。
守護代に力無し。。。と
実は床の
板目をただ呆けたように見つめ続けた
屋敷の周りが未だ静まらぬ「喧噪」の中にある
深く息をつき
不安で沈んでしまいそうな
顔をあげ
気を取り直すように
御簾の間から遠くに浮かぶ月を見たが
良い思いに繋がる事はなかった
月に思い出されるのは。。。。「罪」な日々ばかりと。。。。
もう一つ
思い出したくはなかった
あの日の事
たった一月前の夜
あの満天の月を背に
口元の笑いに「狂気」を感じさせた女
「虎御前」は言った
「貴方の「子」の命も頂かねば気が済みませぬわ」
首を振った
何故
そんな恐ろしい事ばかりが自分の頭の中に残ってしまっているのかと
まだ。。。。政景が敗れたと聞いただけなのに。。。
鼓動を早め痛みを繰り返し打ち付ける胸を押さえた
「早く。。。。この事態の真実を伝えて」
頼むように
祈るように
月に向かって伏した
「体を厭いなさい」
身を丸め伏していた実の背中に,優しい声がかけられた
「あなた様。。。」
御簾の後ろに入る襖に手を掛けられる者など「彼」しかいない
心を痛め
顔色を悪くしている妻の肩を「定実」は優しく抱いた
「騒がしい事は。。。もうよくわかっている。。。明日になれば「何が」起こっているかを知ることもできよう。。。今日は冷える。。もう休みなさい」
実は首を振った
優しく自分を包む「手」を握って
耐えられない気持ちで
その場に伏した
「申し訳ありませんでした。。。。長くあなた様の「代理」を勤めさせて頂いておきながら。。。このような「不始末」が起こってしまう事を止める事,出来ませんでした。。。」
頭を擦りつけるように自分の前で嘆き
謝る妻に
定実のほうが小さく首を振った
「実。。。いや姫よ。。。ワシが健老であったとしても。。。うまくはいかなかった事であろう。。。そのように顔を隠さないでおくれ。。」
伏せたままの妻の肩に手を置いた
挙げた顔には堪えていた涙が
「どうなってしまうのでしょう」
実の目の前に座った定実は月を見あげながら
「わからぬ。。。」
庭先には。。。あの炎の日を越えてきた「梅」が静かに佇んでいた
定実は視線を落としその梅を見ながら
隣で不安に身を震わせている妻に言った
「わからぬが。。。直にわかる。。。それを「覚悟を持って」知るために休まねばなるまいて」
実の肩を引き寄せた
風は冷たく。。。。ただ透き通るように輝く月を美しく揺らしていた
実はその月に。。。。己の「罪」をただそれだけを思い出すばかりだった
「為景。。。。。」
弱り切ってしまっていた
実を女房達に頼み
寝所に戻った定実は一人
登楼に火を灯すと小さな神棚の前
没落し消えていった「上杉」の名の位牌の前に座り
妻に向けていた
穏和な表情を脱ぎ捨て。。。。その「名」をつぶやいた
「オマエの望んだ「大器」がついにココまで来た。。。。。どおする?」
数珠に手を通す
いつになく自分の感覚が尖っている事が。。。。定実の体に。。。。「怒り」が蘇っている事がわかった
「長尾は。。。。滅びる」
数珠を鳴らす
静かに何度も
手のひらに。。。じっとりとした汗
もう一度
思いを固めるようにつぶやく
「晴景は大器にあらず。。。。鬼の「力」を継いだのやはり「影トラ」だったな。。だがその力も。。きっと多くの「将」たちに「翻弄」されている事であろうな。。」
実とは違い
かつて「戦」の中に生きたことのある定実には「政景」の敗北がこの後の「越後」にどんな事態を及ぼすかを即座に理解していた
「守護代の力は「確実に」弱った」のだ
自らが嗾けた「戦」に負ける
その後にくるものは。。。。。おそらく「落日」だ
目を閉じ
きつく手を合わせ。。。。位牌に伏した
剣の立った額をさすりながら
「為景よ。。。。それは。。。誰の望みかのぉ。。。」
今は「誰が」どんな「望み」でこの「戦」に君臨しているかがわからないが
「長尾」が窮地にある事は絶対だった
だが定実に何か出来ることがあるわけでもない
もはや「囚われの守護」にどんな「力」が残っているのか
「身の内から滅びるか。。。。」
悲しい言葉ではあったが。。。同情しているわけではない事は声よりも顔。。。鋭くなった目が語っている
思い出せば
「上杉守護」をないがしろにした「男」
何度もの反抗の結果「幽閉」という恥辱を賜った事
許せぬ事で一杯だ
定実は近くに置いた急須から白湯を少し口に含んだ
渇く喉
苦しみの日々をまき散らしそうになる言葉を抑えるためか?
老いた自分の体に「火」を注ぎ込むように
「オマエは。。。。。我妻を。。。。」
白湯の杯を投げた
「怒り」という感情が白髪になった自分の頭にしっかりと残っていた事を確認したかのように
もう一度深く息を吸った。。。
そして
「晴景は。。。。」
喉にまで登った想いに
きつく目を閉じた
夜は深く暗く
ただ月だけが「あの日」のように高く輝いていた
そんな静けさの日々はこの夜で終わる。。。。
嵐は来てしまったのだから
実の願いを軽く吹き飛ばし
定実の予想した中身が知らされたのは。。。。。翌日の昼であった
府内の総構えに情報を求め走らせていた「品」が下男二人を連れて戻ってきた
顔には疲労が現れそれ以上に青ざめた様子で
躊躇しながら
御簾の中に座す実と定実に告げた
「戦になります」
一声に返事を無くし呆然としてしまった実の隣にしていた定実が聞き直した
「誰と誰が戦うのだ?」
質問に品はうつむいた
定実にはもうわかっていた
自らの主である実を思って言葉を発せられない品にかわって
「守護代殿と,影トラ殿が戦うのだな」
「残酷」な宣告
夫の口からとはいえ
知らされた「真実」は実の中で思い描かれていた最悪の展開にしっかりと突っ走っていた
「いや。。。」
胸を押さえ
その場で崩れて伏した
「どうして。。。。どうしてこんな事に。。。」
すでに涙の混ざった声に品はなりふり構わず御簾の中に上がり肩を支えた
「政景が負けた今。。。。それを嗾けた守護代殿が無傷ではいられまい。。。」
自分のとなりで泣き崩れた妻を見ながら,定実は品と共に情報を集めていた下男たちに聞いた
「今。。現在,両陣営はどうなっておるか?」
主の質問に下男たちはゆっくりとそれでも正確に知る限りの事に答えた
「現在「影トラ様」は柿崎城に本陣を構え「反守護代の御旗」として多くの国人衆や豪族を終結させております。。。数は五千とも。。。六千とも。。。」
「対する守護代様の元には。。。私兵と共に「馬廻り衆」集め五百に満たない数にございます。。。」
絶望の色だ
春日山および府内には「越後」の諸豪族ならび国人衆の長たる者たちが集まっているハズだ
なのに
守護代に組みする者の名が挙がらない
「やはり。。。そうなってしまったか。。。。」
前日の政景敗退の報告から定実には結果はわかっていた
だが実は「願っていた」そうならぬ事を
声をあげてむせび泣く妻
「姫よ。。。」
定実の問いに実は顔を上げた
目には溢れ出した涙
目には。。。。。すがる心が見えた
夫を見つめる「助け」を求める目は
それでもきつく自分を律したかのように告げた
「このような。。。。事態になりまして。。。申し開きもありません。。。この上は「上杉」の屋敷をお守ります。。。どのような事があっても何人にも。。。上杉に刃向ける事のないよう。。。守りきってみせます」
そういうと肩を支えていた品に指示した
「屋敷の全ての門に閂を打ち。。誰も入らせてはなりません!!上杉を守り「家臣の戦」などに一切関わってはなりません!!」
そこまで言うと
定実の前にもう一度深く頭を伏せた
「許して下さいませ。。。。。私の力至らずの結果を。。。どうか。。どうか。。」
震える。。。。細い肩
年老いてなおの苦難
定実は左手にかけていた数珠を握った
これが「運命」。。。。
今はただ
涙に打ちひしがれ
声も霞ませてる
妻の肩を優しく撫でる事しか出来なかった