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その34 牙 (2)

開けられたままの襖

綾姫が矢の勢いで飛び出したままの間

どこかにぽっかりと穴の空いた景色の中に浮かぶ「梅」の木

まわりには木々はなくただ一つだけ

寂しく広い庭に立つ


それは

かつて晴景が奥方「麻」を労って「植樹」したものだが

今は「守護代」晴景の孤独な姿を映しているようにも見えた


緩やかな風,間を静かで冷たく流してゆく



「和睦しない。。。。というのですか?」


直江の

目の前に座っている晴景は外の静けさと同じぐらいに静かだ

どんな威しにも微動だにしない

まるで彼自身が「木」となり移り変わる季節を眺めるように

この「喧噪」を見ている

しかし

やはりただ世の中を達観した「古木」ではない「晴景」


中身に「怒り」を満ちさせている


静かなのに「怒り」に染まる目は隠せていない

だからといって急に自分の表情から冷静さをうしなうような真似はしない


「怒り」を露わにしなくとも

じわりと滲み出る「苦悩」を面に秘め沈黙を守る晴景にむかい努めて同じ口調で直江は続けた


「それは得策とは言い難いものです」


今までどおり

理詰めで話す

今の二人はどちらも「中身」の感情を面にだす事なく,揺れもしない

動かぬままの間に少しだけ聞こえる「虫の音」


朝日の下に消えていく名残の音の中

晴景はやっと問いに答えた



「得?。。。。誰にとって「得策」なのだ?」


「守護代様。。。。あなたに「得」ひいては「越後」にとって有益である「策」を奉ずるのが家臣であるワシの勤めにごさいましよう」


直江の

気迫は言葉と「声」そして「目」に強い意志をやどせらせて向かい合う晴景に告げる

が。。しかし

絶対に伝わっているハズの「気合い」に今日の晴景は揺れない

はぐらかすように

薄い唇の

口元を少しだけ笑わせてみせる



「言うてみよ。。。。その策」


余裕?

直江は勘ぐりながらも,迫る時と戦う自分の「策」を奉じた

だいたいの事は先に言ったのと同じだ


このたびの「戦」は「長尾政景ながおまさかげ」の「手柄取り」に焦った間違い

守護代である晴景が政景を「嗾けた」のは事実だが

「栃尾」との「戦」を望んでいたわけではなく「疑い」にかかった「事実確認」のための話し合いにての「調停」を願っていたとする


「影トラ様には「政景様」の行為はまことに遺憾な事であるとおっしゃればよろしいのです」


要は

責任の転嫁であるが

この「戦」の勝敗は上田長尾に言い訳を作らせないほどの大きな失敗になっている

「無謀な戦」で弱り切った「上田長尾」は「程度」守護代が提示する条件をのまざる得ない

その条件は

「春日山」に「参勤」する事。。恒久的な「和睦」の証として

それまで守護代に逆らい「参勤」もしなかった政景は自ら出張って

自ら「墓穴」を掘った

都合の良い自分のための「戦」に大敗を喫した


それは隠すことのできない「負け」で

その負けによって周りに「弱み」を見つけられてしまった上田が「存続」するためには

無条件にでも「春日山」と手を結ぶことしか残っていない

それを「否」と

いまさら言い逆らっても

まわりにいる「諸侯」が納得しない


「上田長尾の処遇」についてはこれでなんとかケリをつける事ができる

というか

さしもの直江をもってしても。。。。



これしか「策」が浮かばなかった



事態は引くに引けないところまできてしまっていたからだ

直江の「謀」の「速度」を上回った「影トラ」対応は,今まで「右往左往」しているだけだった「越後」の諸侯の足並みを強制的に揃わせてしまった

いや

いやおうなく揃わざる得ない激しい「嵐」となって目の前までやってきた

しかし

揃った足並みの「諸侯」が目指しているものが

「影トラ」の求める意志とは一致していないのが大きな問題だった



「打倒守護代」



噂に振り回された「守護代」をこの時に屠ってしまおうと考える輩がいないとは言い切れないほどの切迫した状況

「敵」が「守護代様」なのでは?と

事態が変換されてしまっているのが現状だ



本来なら

最初から「政景」が「戦」で苦戦する事は見越していたとして

負けても数で勝る「軍勢」に食ってかかる事はなく「持久戦」に入るだろうと読んでいた

その間延びした「戦い」の合間を縫っての「策」があった

「影トラ」と「政景」の両者を「調停,和睦」させる事。。。



そういう大きな仕事を都合良くこなす

二つの長尾の頭を抑える事のできる者として

誰が「越後」を統べる「守護代」なのかをはっきりさせたかっただけなのだが

そんな余裕はなくなっていた


そんな中でも

できうる事をした

「宇佐見」を遠ざけ

「米山」までの争いを手中の駒として。。。。計れるハズだった


だが


あっけなく「政景」は敗れた

それもほんの一時の間に

「守護代」が「越後」のためを思って。。。。

などという良心的な「根回し」は間に合わなくなってしまった



直江は一通りの「策」を目の前で静かに聞く晴景に伝えた


「そんなにうまくいくか?」

「うまく運ぶためにも。。。。「上田長尾」に腹を斬って貰わねば成りません」



「越後」全土を巻き込んだこの「戦」で「詰め腹」を斬る者が必要

文字道理の「切腹」ではなく

「大敗」にうちひしがれた心にさらに「臣従」せよ!という楔を打ち込むという詰め腹



「この機会を「良い方向」に使わねばなりません。。。「長尾守護代家」を盤石とするためにも「上田長尾」には責任を取って貰わねばなりません。。。。そう上で「影トラ様」と和睦し晴景様の「権威」を」




「それが優良な策なのか?」


念を押すように「策」を語る「直江」に晴景は言葉を遮って聞いた

「これにて国内が静謐に返るならこの上ない上策とぞんじますが」


「そうか。。。。」


つまらなそうな返事

影のかかった目には高く空を見あげた



「その「策」の中。。。。ワシはどこにいる?」


現実に差し迫っている出来事に終始していた直江には溜息程度に返された言葉の意味がわからなかった

そのせいか少し驚いた顔になっていたのを晴景は卑屈気に笑いながらもう一度問うた


「その「策」にワシは必要なのかと聞いているのだ」

「守護代様があるからこそ調停という手を打つことができるのです」


時を惜しむ直江は二の句を告げぬ早さで言葉をかえしたが

やはり晴景の心が揺れている感じはしなかった

むしろ

一本筋の通ったものを持っているからか

冷静だ



「直江。。。。オマエが守護代であったのなら。。。。」


上座にすわったまま

明け放たれた庭の向こうに目をむけたまま


「それがどんな出生であれ。。。オマエであればみなが納得した事であろう」

「何を言われますか!!」


寂しげにかげる目はけして直江の顔を見ようとはせず

ただ

空に問いかけるように続けた





それは「昔」の話し。。。。



「あの頃。。。。まだ父上がご存命だった頃。。。オマエも,わしも傍らにて「戦」の日々を送ってきた」


事態を早く取りまとめたいという思いはあったが

直江は逸り始めていた気持ちをぐっと堪えた

相手の話も聞かねば

晴景の「心内」もなだめなければ「策」を成功に導くのは難しいと考えたからだ


「オマエは。。。。父上のお気に入りだったな」

「よくしていただきました」


戦鬼為景いくさおにためかげ」は

古い重臣たちばかりに囲まれて「政」や「戦」に邁進したわけではなかった

古きも新しきも織り交ぜ

あらゆる年齢層の者たちを分け隔て無く

自分に仕えさせた


「戦」だけに重きを置くのであれは「宇佐見」のような男を徴用すればよかったのに

それをしなかった

むしろ戦が激しければ激しいほどに「年若」の者たちと共に前に進み

自らが先頭に立って戦う姿を見せ続けた

その傍らに直江を。。。そして晴景を横に置いていた




夕闇の近づく陣

あれは「戦」の中での事だった


「まめだな。。。」


まだ顎に髭ももたなかった晴景は一段落付いた「戦」の合間を縫って「軍学書」を読みあさる直江に言った


「わしは。。。戦う事で「心まで」。。。手一杯だ。。。他の事など考えるなど。。。とてもできない」


初陣以来

晴景は自分にかけられた「ある疑い」を晴らすためなのか?

遮二無二戦っていた

「噂」



「為景の実子ではない」



豪放で知られた為景はそんなくだらない事と言い捨てびくともしなかったが

晴景の心がそれに苛まれていた事は直江には良くわかっていた


夕日に照らされた陣幕の片隅

本陣に居場所をみつけられない「鬼」の息子は直江の横に座った


「親方様(為景)から。。学べと頂いた本ですから」

「そうか。。。」


晴景は直江ほど体格に恵まれた男ではなかったが「戦」での働きぶりはすざましかった

だけど。。。どこか「投げやり」な戦い方で。。。「命」を晒した姿は見ていて痛々しささえ感じられた


元来

性質優しい晴景に「戦」は不似合いだった

その優しい顔が溜息をつき,暮れてゆく空を見ながらこぼした



「オマエが。。。。オマエが父上の「息子」だったのなら。。良かったのになぁ。。。」



直江は。。。簡単に答えられなかった

「戦」のたびに猛るように「前線」に飛び出し若き日の「戦鬼」を演じていく晴景

そうする事でしか「実子」である事を証明できないと思っている姿が。。。。悲しく見えた


「オマエは文武に秀でた男だ。。。父上もその事を好ましく思っておられる。。。いずれ養子にでもなったらどうだ」

「そんな事は考えた事もありません。。。ただ仕えられる事が喜びにございます」




「それはいかんな」


その声は陣幕の後ろからした

酒の壺を持った為景に二人は立ち上がって礼をしようとしたが


「かまわん!!無礼講だ!!」

そういうと自ら二人の目の前に腰を降ろした


「実綱!!ただ仕えるだけなど!!小さな事を言うな!!」

大きなお椀にも近い杯になみなみに酒を注ぎながら「鬼」は言った

話しを聞かれた事で少し肩をすぼめてしまった直江は困ったように

酒を貰いながら


「いえ。。「長尾家」に仕えられる事を。。全てを喜びとしております!!」

「かっかっか!!心がけはいいな!!だがもっと!!もっと大きく学べ!!」


豪快な笑い声

今回の戦は。。。。勝てた訳ではなかった

疲弊している陣内にあればこそ為景はいつも「強い姿」を見せ続けていた



「晴景!!」


同じく大きな杯を渡され酒を煽っていた息子をつかまえて

「明日からは「政」を学べ!!そして二人でこの「越後」を支えていけ」


「父上。。。。」

「このたびの「戦」で大方の仕事は片づいた。。。。「戦」ばかりが「守護代」の仕事ではないからの!」

夕日を浴びながら顔の斬られ傷をさすった「鬼」は直江の肩をつよく引いた

そして晴景の肩を掴み寄せた


「オマエ達は。。。ワシの。。「越後」自慢の息子だ!!」


射す夕日の煌めき

赤く黄金の輝きの下「戦鬼」は目を細め

息子を慈しんだ

何度も肩を叩き

心を勇気づけた



「晴景。。。オマエは越後の「真ん中」にいて政を行え!実綱。。。それを支えていけ!!」


それが

為景の願い

晴景の心に残る「父の姿」だった






「あれから。。。。ワシとオマエは各々の「戦」をしてきた。。。。ワシは「政」に。。オマエは「戦」と「謀」に。。。」


朝の日差しが板間に差し込む

十年。。。。。年を経た二人は向きあって話しをしていた


「至らなかった事は認めよう」


至高。。。そんな「政」が成されているのならこんな「乱世」はありえない

どこまでを「越後」に尽くす事ができるのか

二人ともが「希望」を

手探りで

深い闇の覆ったこの地で探していた


言葉をなくし沈黙する直江に晴景は聞いた


「影トラに「何を」見た?」


真っ直ぐな視線は直江の心を射抜いていた




「希望」




直江は首を振った

「影トラ様は守護代様の「お役に立ちます」。。。。それだけの「力」を見る事はできました」

「謀は巧くなったが。。。嘘は下手だな実綱」


晴景の目は優しかった

微笑む顔で直江を見ながら。。直江の隠した「言葉」を見つけていた


答えられない

言葉を連ねる事はむもはや無意味

晴景は相手の「心」を手に取るように知る事のできる「守護代」なのだ



「希望を見たであろう」



冷たい風は

細く部屋の中に流れ込み




去来するものは。。。



晴景は腰に差していた扇を持ち顔の前で開いた

直江の答えがどれほど「良心的」であっても

もはや受け入れる事はできなかった

細い指先が扇を一枚ずつ開く



「戦も政も。。。。「中身」は一緒だ。。。。」


区切りをつける声

そう言うと顔を隠した



「和睦はしない」

はっきりとした意志がはなたれる


「何故ですか!」


艶やかな扇の向こうに隠されていた「怒り」は急に燃える炎がごとく立ち上がった

丁寧で,か細かった声はなりをひそめ

「戦」で発せられる「強い」響きが唸る


「妹の勝利に乗って行う「政」に誰が従うか?」

「勝利ではなく。。。手違い。。。上田に」


「くどい!!」


怒りは,けして顔を見せようとはしないが

十分に伝わる「気」を声にのせ発しながら直江の「願い」を断ち切った


「守護代である自分の吐いた命(命令)をもう一度飲み込み知らぬ存ぜぬなどと。。。そんな恥知らずな「策」の真ん中にワシは立たんぞ」


煌めく扇の向こう

「怒りの炎」は熱く燃えた


「水丸!!!」

それまで黙し晴景の後ろに控えていた彼はすぐに返事した

「はい!!」


そして晴景は続けて己の近習たちを呼んだ


「坊丸!!藤丸!!時輔ときすけ!!智徳ちとく!!」


呼び出された名の下

近習たちはみな即答する

いつの間に部屋の前に並ぶ彼らの姿に直江は驚いた

すでに纏われている具足姿の「いくさ人」


かつては「衆道」のために置いていると思われていた「美童びどう」達だったが

今は

勇ましき「武士もののふ」となっていた



「春日山並びに府内の全ての門を閉じよ!!ワシの命(命令)あるまで開ける事はならん!!」


「どうするつもりですか!!」


立ち上がった晴景の足下に直江は顔を上げ

仰ぎ見るように聞いた


扇は顔の前からさらに高くにあげられ

この戦いを高々と宣言した

「戦」に赴く

強い目は輝いて答えた


「春日山にて影トラを迎え撃つ!!」


晴景は敢然と牙を剥いた

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