その32 狐火 (1)
激震が
越後各所に激震という熱い熱を帯びた言葉が発せられたのは
守護代軍の後退によってもたらされた
「これで我らにつくか。。。春日山につくか。。。みな決断せねばならなくなりました」
燻る砦前の炎の終わりを見ながら酒を煽る私に実乃がいつも以上に険しい表情で床机に座ったまま「絶滅」という景色を眺めて酒を飲む私に告げた
「覚悟はできていたのだろ?」
実乃の報告ではなく
肉の燃える悪臭の風が向かう側に私は目を細めて答えた
実乃の問いは愚問にしか聞こえなかったからだ
今更そんな事を注意する。。。今更。。。苛立ちを憶えた
「どちらにつくか?」
飲み干した杯を手の中で回しながら思った
そんなどっちつかずな態度。。。。
日和見
けして己が立って国をまとめていこうとはしない
「戦」も「治世」も
「誰かが。。。。こうしてくれるのを待っていたのだろう」
実乃に向き酒を注がせながら笑って聞いた
「違うのか?「力」でねじ伏せてくれる者を待っていたのだろ?」
「力で。。。。」
困惑の顔をする実乃
私は自分では笑っているつもりなのだけど。。。
いや
きっと眉間に「嫌悪感」をいっぱいにだし笑っていない目で口元だけを緩ませている
そういうバラバラの壊れた表情になっているのだろう
酒を注ぐ彼に
「どっちが強いから。。。。「今日は」こっちにつこう。。。明日はあっちが強そうだから。。。あっちにつこう。。。そんな日々は終わる」
注がれたばかりの酒を一気に飲む
まだ落ちた櫓あたりに火は踊っている
がれきの間
何に掴み出されたかったのか?焼けただれて物言わぬ形になった「手」たちが空に向かって伸びている
守護代軍から切り離された「亡者」たちの目は哀願で満ち泣き叫んでいた
あっちに戻れないから。。。
こっちに入れてくれてとそうやって泣き叫びながらも。。。
天に帰った
骸はそのなごりのように手だけを高く伸ばす
音を無くした死に体。。。。
すすけて焦げた身体から煮立った目がこぼれ落ち
何も映すことの無くなった窪みはそれでも流れる雲を追っている
耳に聞こえるのは
炎が何かを弾けさせる音。。。だけども炎の下には人という物はなかった
あるのは炙られた悪臭を放つ「かたまり」だけだ
しずかにあちらこちらと目を反らさず眺める
オマエたちは。。。私にそうしてもらいたかった。。。。
この悪政続く大地より天に返して欲しかった。。。。
だから私はその願いに。。。。こたえた
「政景。。「守護代軍」はどうなっている?」
実乃の後ろに戻ってきた段蔵の影に私は話しかけた
「信濃川を渡りました。。。」
「渡って。。。どうなった?」
「戦」を知っている者なら川を背負ったまま陣を立てたりはしない
だからといって本拠地である「坂戸城」に戻る道には「栖吉衆」が陣を構えている
栃尾と栖吉の挟み撃ちに会わぬようにするには。。。川を渡るしかない
「残勢力三千。。。。中西の仕事が功を奏しました」
「それは良かった」
守護代軍に兵卒として入り込んでいた中西はずっと「噂」を流していた
「長尾影トラは向かってくる者に容赦を示さぬ武人。。。。」
だけど
「歯向かわなければ。。。何もおこらない」と
そしてヤツらは目の前で「惨状」を見た
渡河する前は四千強はいた部隊
櫓の崩落で少なくとも二百が死んでいる
その後の後退戦でさらに百
だから本来なら四千五百は残存兵力としていなくてはならない部隊なのだが
「噂」であった私の「戦」を目の当たりにした農民や「集兵」の者達は
「死ぬ仕事はしたくない」
夜の闇と川の音を使って。。。。逃げたのだ
「みごと作戦どおりになりました」
実乃は地図を台の上に開きながら
きっとつまらなそうにしている私に
「どういたしますか。。。このまま逃がしますか?」
鼻で笑って段蔵に聞いた
「後詰めはどうなっている」
陣幕の向こう側
臨戦態勢で控えている段蔵
「中条殿。。準備は整っておるとの事で。。抜かりはありません」
「良し」
立ち上がった
「今夜信濃川を渡る。。。よいな!!」
手をふり指示を他瀬下わたしに実乃は驚いたように食いついた
「しかし。。。未だ守護代軍の方が数にて優勢でございます!危険では?」
「危険など無い」
平然とした顔で
私は濁らぬ言葉で言う
「焼き付いた護摩の火。。。。今更逆らえる者などおらぬだろうて」
「中郡の各将。。呼応を示す者もおります」
「戦いたいならば黙ってついてこればよい!」
今更
手順を踏んで私と共に戦いたいなどと言う者は。。。あの火の中でどっちつかづの己を悔やんで天に昇ったものたちと何がちがう。。
「越後」の為に戦う心があるのなら「無言」で我に従えるハズだ
「春日山の状況もわかりません」
「春日山には未だ今回の「戦」の事。。。報告されておりません」
慎重な思案を巡らす実乃の声に段蔵が答えた
「戦目付「柿崎景家」様の報告は直江様にこそ届きますが。。。守護代様にまでは届きません」
「。。。しかし」
不安は。。誰にだってある
実乃は慎重に事を運びたいと思っているらしい
「実乃。。人は愚かだ。。あれほどの「火」を目の当たりにし己の浅はかさを知ったしてもその「火」が消えてしまったならば。。。また同じ愚かさに染まる。。。昨日の今日。。未だ拭えぬ護摩の火を心に焼き付けた今こそが戦う時なのだ」
いつの間にか
陣幕に集まっていた者たちを前に
「敵に時を与えたりはしない!!今宵川を渡り戦うのみ!!」
戻らぬ戦。。。それだけの事を伝えると私は夕暮れに包まれ始める砦の戦場を見回した
残った火がまだ燻っている
まだだ
まだ
私の心に燻ったものを払拭するためにも戦わねばならん
指示の後各所に者どもが散っていた
私の後ろには近習とジンが残っていた
「怖くは。。。ないのか?」
控える者たちと同じく低く身を伏したままの状態でジンが私に問うた
「怖い?。。。「戦」がか?」
「戦も。。。目の前で農民を焼き殺す事も。。「畏れ」なくして出来る事なのか?」
「恐れなどない。。。これが私の「戦」だ」
私は振り返らなかった
ジンがどんな顔をしていたかを。。。。知りたくなかった
「言ったことではないわぁ!!」
守護代軍が栃尾の「奇策」にはまり後退したと言う知らせはすぐに「黒川清実」の元に届いていた
晴景の父。。。為景の代から守護代家を支えた小男は飯台を蹴り倒すと「火急」の用向きをしらせた「間者」に聞いた
「負けたのか?」
歯に衣着せぬ率直な言葉
中年の頃を越えすこしばかり恰幅もよくなった黒川は爪を噛みながら上座から睨んでいる
「いえ。。。一時後退したと。。。信濃川を挟みにらみ合いの状態になる事でありましょう」
物見から「戦」の報(報告)を聞き冷静に吟味した返事だったが黒川の逸る気持ちを抑える事はできなかった
「だから。。。。負けたんだな!緒戦に?そう聞いているんだ!」
白黒がはっきりしていない「戦」はない
黒川は立ち上がると間者の前に進んだ
当主の接近に
急いで伏せた彼の耳に小声ながらすごんだ声は
「とりあえず。。。退くなんて「戦」はないんだ。。政景は負けた。。。そういう事だな?」
己の理解を伝えると
片手に持っていた徳利をそのままあおった
「影トラぁ。。。。」
酒の息を吐き出しながら屋敷の襖を蹴倒した
驚く近習に間者の顔を振り返って確信した黒川は大声で
急に笑った
「カカカカカ。。。たわけ者の政景!!だがそれでよい!!」
そのまま庭先に勢いよく徳利を投げると続けた
黒川は元より晴景寄りの武将だったが
「守護代」の地位を政景にとられる事をよしとはしていなかった
だからこその守護代軍の敗北
ココで大きく功績をあげればおそらく政景と同等の地位は確保できる上に領土の拡大も望める
政景が勝てなかったのは天恵だったのだ
「戦だ!!戦だ!!支度いたせ!!これより守護代軍を助け「栃尾」を!!影トラを挟み打つ!!」
明朝をまたず二つの軍団は慌ただしく動いた
だがそれは二つに留まった事ではなかった。。。情報を手に入れた「全越後の者」たちにとってついに白黒をはっきりと決めるべく「戦」が始まったのだ