その30 鼓動 (7)
「影トラ。。。。か?」
馬上から砦を睨んだまま
政景は横に控えている老臣「国文佐渡守」に聞いた
白髪の老臣は目を細め
若殿である政景の睨む先に立つ「女」をじっくりと見て答えた
「影トラ殿本人にございます」
実のところ
政景は今まで「影トラ」本人を見たことがなかった
だから虎御前の面影から遠目に見える顔を伺い「確かに」似ているか?という思いはあっが
確信には至れなかった
逆に国文は「黒滝征伐」の時に枇杷島の近くを走り抜けていく軍団の先頭を走る影トラを見ていた
「間違いないな」
政景は決して目を離さぬ態度のまま
強く念を押した
国文は今一度「女」を見て
己に納得したのか頷きながら答えた
「相違有りません」
と「確信」を伝えた
その答えに
政景は睨んでいた目を緩ませた
厳めしい表情
身構えたままの心意気の国文に明るくなった声で答えた
「では話しをしてやろう」
顎を突き出し
言うと陣営から自ら馬を乗り出した
顔からは今まで持ち運んできていた苛立ちがなくなり
憑きものがとれたように「笑み」が浮かんでいた
「さすが若殿。。。。ココにきてもお慈悲を見せられるとは」
勝六をはじめ近習達もともに前に進んだ
勝ち馬気分を味わいたいという矮小な心がそうさせているのか
みなずいぶんと横柄な歩き方だったが
「お待ち下さい」
政景の馬の手綱を国分が強く引き歩を止めた
「危のうございます」
政景は大きな手でそれを遮った
「心配するな。。。。」
尊大にして心が躍る
当然と言えば「当然」
ゆうゆうと軍団の間を割って馬を進ませる政景は己の勝利と「次期守護代」としての威厳を見せつけるように
胸をはりこの年に新たに作らせた濃紺に紅さす鎧を見せた
「勝利」を確信して
飛び出してしまいそうな自分を抑え
ゆっくりゆっくりと砦に向かった
「笑い」を抑えるために顎を押さえて砦前に立つ赤い打掛姿の女を見て思った
「戦鬼の魂を継いだトラ」
「栃尾の城に住まうトラ」
噂はいろいろとあったが
「戦」を仕事とする者たちの中にあったのだから
この状況も真っ先に理解できたという事だろう。。。
どれほどに男達に持ち上げられて「戦」に勝ちを呼び込んできたとしても
これほどの軍勢を見たことはなかった事だろう
もし戦えば今まで影トラがしてきた「戦」。。「小競り合い」などというものですまない事は一目瞭然だ
さしもの影トラも五千という大軍団に怖じ気づき。。。
いやいや
本庄実乃。。。。「栖吉」を味方に必死に晴景にたてついたが。。。無駄な事だったな
勝てないという事をやっと悟ったか
影トラにもそう諭したのだろう
だから鎧もつけず
「ただの女」として打掛姿で自分に跪き「命乞い」をしに来たと
鼻で笑う
主君の笑いに同じように勝六は言う
「しょせん。。。女でしたな。。。つまらぬ戦になってしまいましたな」
そんな勝六達の態度を苦々しく身ながら国分は手綱を放さず
「今しばらくお待ちになり使者をお立てになにるなり。。。影トラ殿をこちらに呼びつけるにりした方が良うございます」
歩を進める馬の上で未だ心配を隠せず「女」に怯えろと言う国分に政景は怒りを感じたが無視した
それでも引き留めようと駆け寄る国分は声を抑えて言った
「あせってはなりません!!影トラ殿は「戦」を良くしてっております。。。だから」
「心配ない!!女ごときを恐れ呼びだてすればそれこそ「威厳」に関わるわ!!」
国分の忠告を断ち切る
自分を「若い」と諫める者が気に入らない
しかし
怒鳴りつけるだけでは若い「気短者」と思われてしまう
少し声を弛め手綱を国分からふりほどいた政景は振り向かず続けた
「確かにこんなつまらぬ終わりになってしまって。。わしも残念だ!!「戦」がしたいという国文。。そちの気持ちもわからんではないがココでお開きだ。。。取り越し苦労は無くなった」
そこまで言うと大きく手をふり全軍に向かって吠えた
「聞け!!全軍!!事は片づいた!!これにてわしは「越後守護代」となる!!」
「あれが「本当」に政景殿なのか?」
砦の門を開けた
丘陵地帯の上に座すこの門から見渡す大軍の中
周りに十人近い近習に守られた姿
紺の中に紅を交えたやけに派手な具足の男がすぐに目に入った
その男の大声は私にもしっかりと聞こえていた
あんな厚顔無恥な発言をこの場でできる者がそうだとは思いたくなかった
「となりにいる白髪のほうが政景なのか?」
「いいえ。。となりは重臣「国文佐渡守」でありましょう」
いぶかしげな
私に状況を迷わぬよう的確に教える段蔵にもう一度聞いた
「じゃいつ政景殿は越後守護代になったのだ?」
私の横には黒の鎧に身を固めた「ジン」は「さあ」と肩をすくめ
段蔵は軽く返した
「今では?公言してましたから」
二人は顔を見られている恐れがあったので阿吽の「惣面」でがっちりと固めた姿だ
段蔵は
苛立ちで打掛の中で拳を握りしめている私に気がつき
すぐに口調を改めて
「そういう早合点する気楽な「男」という事は良くわかったと思いますが。。」
くだらない注意をした
「何で笑っている?」
向かってくる彼の笑みは私の苛立ちに拍車をかけていた
段蔵にもの聞く声は十分に不機嫌だ
「会見」を望んだのは私だが
近づく政景殿の顔にその「価値」は薄らいでいた
薄ら笑いをうかべたまま顎を突き出した不敬虔さかげんは最早目を凝らさなくても見える所に来ていた
落ち着こう
すぐに「勘気」に逸ってはいけない
今日は何度も息を改める事になりそうだ
フウと一息
空を見た
今日は晴れる。。。しかし天高く
澄み渡る「凍えた」青は今にも崩れ落ちそうなほどに不安定だ
きっと「雨」は来る
青い空のうえに朝日が高く登って行く
さあ
「長尾影トラ殿か?。。。ずいぶんとめかし込んだ姿で見違えたぞ。。。もちろん姫様に会うのは初めてだがな」
仰ぎ見ていた顔を下ろした
私を呼んだ男は一軒もないくらいの位置に馬上のまま続けた
「良く聞けわしが「これから」越後を統べる守護代の任につく貴様の「兄」にもあたる長尾政景だ。。。トラ姫。。頭が高いひかえろ」
揺れる。。。軽々しく軽薄な声の主に視界が揺れる
闇の声の言うとおり
「許すな」と言う声が告げた通りだ「彼は正しいのか」。。。。
それはもう聞くまでもない
正しいわけがない
何を思って自ら「守護代」であるなどと。。。。なんと恥知らずな
張りつめていた気持ちに「魔」が
私は着慣れない打掛のせいでこってしまった肩を扇で叩きながら
つまらなそうに答えた
「いつ守護代に?そんな話しは聞いておりませんが?」
私の返答に馬上で顎を突き出したままに政景殿は顔色を曇らせた
主君の顔色に忠実な犬が吠える
「女!!不敬であるぞ!!義理の妹という温情に預かっている事を忘れてはならん!!控えよ!!」
具足に傷の一つもない。。。。
阿呆鴉。。。。
はやし立てる駄犬の群れの頭。。。。政景は
見下すように私に言った
「影トラ!!オマエのしでかした不始末を成敗する事で晴景殿より「守護代」の任を譲り受けたのだ。。。わかったか?」
言いだしの口調こそ荒かったが
なんとか「体裁」を繕いたいのか最後は少し抑えて「無礼」な言葉を締めた
扇を開き臭ってくるのではないかと思う「無礼」を煽って
馬鹿馬鹿しい。。。。
鼻で返事した
「不始末?不始末とは?」
本当ならこんな問答は今すぐにでも断ち切ってしまいたかったが
彼の「義」の無さが路程した今
私は「戦」に望まなければならない
この尊大で不遜なる男を「無駄」に知る必要もあるのだが
なにより上から見下した態度で話しをされるのには腹が立つ
「馬から下りられよ。。。話しをするのならそれからだ」
扇をたたみ顔をさした
腰を据えて戦わねば。。。
どこまでこの男が「あがく」のかを見てやろう
面前の
政景の顔色はあっという間に一変した
それに乗じてさらに犬たちは吠えた
「早う頭をさげよ!!!」
「女の分際でなんと不遜な!!!殿の情を無為にされるおつもりか?」
躾も悪いな。。。。
私はゆっくりと首を動かした
阿呆どもの甲高い声で頭が痛い
なんだって最初からそんな見下しきった態度がとれるのか?
どうせ私が。。。大軍に恐れをなし「命乞い」をしにきた。。。その程度に思っていた。。。
そんな「女」から
馬から下りろと「叱責」されるなど。。。考えた事もなかったのだろう
鼻息を荒げ
牙を剥きそうな表情で私を睨むが白髪の家臣に宥められる事でやっと気持ちを整えたか?
「オマエは。。。裁かれる身だぞ!!女!!頭を下げろ!!影トラ!!」
怒鳴りつけた声の前
またもつまらなそうに答えた
「何を裁くのですか?ひょっとして打掛を着ている事をか?」
羽織った打掛をフワフワと動かして見せたままピクリともしない私に政景の目は何かを探している?
「オマエは。。。虎御前にそっくりだ!!母も立場をわきまえぬ「戯れ言」を口走りよおったが。。。」
なるほど
母上にも。。。何か叱責されたのか?
少しだが揺れる身体
右に首を傾げてみせる
目を見開き
「我が母上にまで「注意」をされたのにこんな騒ぎを起こしに来たのですか?」
わざと顎あげて高飛車に言って見せた
より研ぎ澄まされて政景をにらみつけて
勢い刀に手をかけそうになった彼に私は身体をズイと近づけた
斬れるわけがない
こんな
大儀も正義もない男に私が斬れるわけなどない
そのまますぐ真ん前で
「そもそも裁かれる理由がない。。何より私は守護代様の言う事に忠実に働いてきたのだからこんな「非礼」を受ける言われもない。。。。むしろこのように大挙して「栃尾」のみならず越後に混乱を起こしているあなたにこそ。。。裁きが必要だ!」
開いていた扇を閉じ
そのまま政景の鼻先に向かって指した
「あなたに「義」はない」
背中を向けた
鼓動は心地よく身体の中に鳴り響いた
「お引き取り願おう」
「影トラァ!!!」
「何だ」
あからさまな勘気を起こし唾を吐き散らし
顔を真っ赤に染めた政景に向き直り
あえてもう一度聞き返してやった
「何だ」
今更何も話すこともなかっが。。。
「きっきっ貴様の置かれた立場というもの。。を。。」
「ハァ?」
馬からずり落ちそうなほどに身を乗り出した政景に言った
「さあ「戦」だ。。。。。そうだろう?」
首をユラユラと揺らしながら私は笑っている
目はきっとうっとりとしている
「戦」だ
「正気か?影トラ殿!!」
政景を抑えていた老臣が主よりはいくぶん冷静さをもって私に詰め寄った
私は
きっと嬉しさを表してしまっいるソレは相手にとってどう見えるのだろう
とりあえず
扇で顔を隠した
「政景殿に義は無い。。。。これ以上「越後」を乱す事を私は許さない」
「オマエがその乱れの元!」
見苦しいほどに呂律が回らなくなった政景は
従う老臣は元より近習たちにまで肩を押さえられながらも吠えた
「私は守護代様の命(命令)にしたがって「越後」に平安をもたらすために戦ってきた。。あなたは乱れを呼ぶ最たる元凶だ!!それを私が許す事はない!!そして貴方のこの愚行を許した守護代様にもこの乱れの果てに何を望んでいたかを聞かねばならぬ!!」
晴天の下。。。私は満面の笑みで言った
「さあ。。。「戦」だ。。。さあ。。「死合い」ましょうぞ。。。」
この愚か者を叩きのめすために。。。心は定まった