その30 鼓動 (1)
長尾政景は苛ついていた
つい先ほどまではまったく間逆の陽気な状況だった
大軍団は元より
自分の近習たちを十人も引き連れ大声で「勝ち戦」を語っていた所だった
兵員については坂戸はもとより守護代の元にいた馬廻り以外の旗本衆まで借り
集兵によって千近い人足を集められた
大戦の「総大将」としては十分己の武威を示すことのできる数だ
およそ五千の大軍団。。。。。
これほどの規模での軍団を動かす事ができたのは先代では「戦鬼為景」以来誰もおらず
そういう意味あいからも自分が「次期守護代」としてふさわしい軍団の長である事に満足出していたところだった
が
坂戸を出てから二日ぐらい行軍の中を勇み足でいた政景は共に従った老臣に呼ばれていた
苛立ちの元。。。
「兵糧?」
意気揚々な気分での行軍が後二日もすれば栃尾に入るという場所まできた陣内に厳めしい顔を揃えた「重臣」たちの前。。。。
呼びつけられた政景に打ち明けられた問題
「現状にて後。。二日分は有ります」
家老の「樋口兼村」は台帳を見合わせながら答えた
「二日?何故そんなに少ないのだ?」
大軍勢である
それなりの「台所」を持っていてしかりのハズだったが
坂戸城が支度出来る数を上回っていたのだ
「急な戦支度にございました故。。。。兵を集める事はできましたが兵糧は。。。」
樋口は冷静に己の意見を述べた
多くの兵を要した戦にもっとも必要とされるのは「小荷駄」に代表される輜重部隊だがこれほどの大所帯にかかわらず「守護代軍」のもつ部隊は五百を満たない数
「そもそも日取りの問題にもありました。。。この「収穫期」の中では石高の算出もできません。。。そんな状態なのにて軍役の分を差し引く事は無理でありました」
人の動く軍団には頭で考える以上に「物」を食う
兵を集め
近習を呼び揃えいい気になっていた政景にはまだ理解が及ばない話だった
陣幕の中
樋口とは向かい座に座った老将「国分佐渡守」にも痛い話しだった
かつては「為景」と戦った事のある男は春日山の番人の事を思い出していた
「直江実綱」
春日山ならそれらの仕事を一手に引き受ける「男」
晴景の治世が危ういながらも「戦」を手法とせず成り立って来たのは彼のように「戦」に必要な「数」を一手に任せられる男がいる事に寄るからだ
老将は顎髭を引いて見た。。。
数こそ立派なこの軍勢には。。。
その「数」を仕切る者がいない。。。。
事
「食」の切り盛りのできにない軍はうまみが薄い。。。腹の虫というものに集められた「兵」は敏感に反応する
「食」の確保は大いに士気にかかわる問題だった
「栃尾の畑からとればよかろう」
慎重な面持ちの二老に政景は腰掛けたまま考えていた調達法を告げた
「。。。。見あたらないのです」
「食」の問題を安直に考えていると思われる政景に対して国分は釘刺すような目線で続けた
「栃尾の領内は目の前ですが。。田畑は全て刈り取られ兵糧となる物を見つける事が出来なかった。。。。と「影」からの報告を受けております」
政景は驚いたが
顔に出てしまった自分の焦りをすぐに隠した
「凶作だったのか?」
「いいえ。。。凶作であったという報告でははありません。。刈り取られて「そこ」には何もなかった。。。。という事です」
国分は戦が決まってからすぐに
栃尾に幾人かの「影」を働かせてはいた
だが任務の内容は栃尾が「戦」の支度をしているか?どうかに重きをおいていた事もあり
田畑の様子などそれほど気にもとめていなかったのだ
だが。。。考えればすぐに解ること
まったくそれがなくなってしまうなどと言う事は絶対にない
収穫は。。。あったハズだ
「現在栃尾領内での刈り入れ待ちの田畑は無いという事です」
政景は扇を腰から抜いてとりあえず「考え」ているが。。。
およそ良い考えはうかばなそうだった
若殿の困惑顔を見ながら「樋口」が口を開いた
「坂戸に引き返す事はできぬども。。。ココを本陣に構えた方がようございます」
身長である事を進めたのは中井外岡
政景の守り役である白髪は
老臣たちの意見をまとめようと口を挟んだが
政景は扇を台に打ち付けると怒鳴った
「そんな事ができるか!こんなところまで来て。。それこそわしの沽券にかかわるわ!」
声は荒れていたが
外の近習たちに騒ぎがしれるのを抑えた
程度の反論は織り込み済みだった国分はさらに叱咤しようとする中井を抑え冷静に提案した
「ではとりあえずです。。寺社の蔵を開けさせましょう」
「ダメだ!!」
即答
政景はそれには同意できなかった
腰を浮かせる勢い国分に顔を向けてきつく続けた
「絶対にダメだ!!!また。。。。父上の時のように寺を敵に回したくはない!!」
真っ赤な顔の若殿
樋口や中井には政景が「寺社」の蔵を開けることに反対する理由がわかっていたが
国分は「戦」を仕事とする流れ仕官だ
「戦」をうまく運ぶことの方が大切だった
「兵糧がなければ。。。。兵が弱ります!」
「ダメだ!!何か他の方法を考えろ!!」
そこまで言い切って口をきつく結んだ
政景は自問した
今それをする事はできない
「守護代」の地位が懸かった「戦」だ
大いに誰もを納得させる物が必要で
小事で己を貶めたくはない
「後二日。。。」
もはや進言の余地がなくなった間に樋口はもらした
後二日で栃尾の領内に入るという事は一日で敵もココまで討って出てくる。。。そういう危険な場所にまで来てしまっているという事に気がついていながらも
その重大さがまだわかっていない若殿に閉口した
「それより影トラからの返書はまだこないのか?」
沈黙に耐えられなかったのか
あやうく握りつぶしそうになった扇を腹に戻し
やっとで学んだ忍耐を働かせながら控える中井に政景はいくぶん声色をよくして聞いた
「未だ返事ありません」
溜息を吹き流すように中井は答えた
国分も樋口も顔を曇らせたままだ
政景は
眉間をさすりながら。。。。またも黙ってしまった
「開城せよ」
坂戸から兵を挙げてほどなく政景が影トラに宛てた手紙の中身を要約するならそれだけだった
妻。。「綾」には耳が伸びるほどひっぱられながら
「お願いですから影トラを酷く扱わないでくださいな」
と
頼まれていた
肝心な母親である「虎御前」からはなんの嘆願もなかったが
可愛い妻の願いもこの事業で叶える事ができてこそ「次期守護代」と認められる一つの手腕ともおもえ
温情的に手紙を送ったのだ
「何故。。。。返事をしない。。。」
うなる。。。。
前途洋々にみえた行軍にはすでに暗雲がのしかかってきいてた
「戦」の中身について政景の知識は付いていけなくなっていた
ただ
心に残るのは「力」だ
泣き言など言えない
今更「晴景」に兵糧の問題が。。。。など言えようもない
声高らかに春日山を出陣した自分は強い男でなくてはならないのだから
その大いなる意志を邪魔する
「兵糧」の事も「影トラ」の事も。。。。。
まったく腹立たしい以外なにものでもなかった
「何故だ。。。」
一方の問題
肝心な影トラからは何の「連絡」もない。。。。
連絡を。。。返事を返さない無礼に腹が立っていた
間を取り持ってやろうという温情を働かした自分に対しひれ伏しても良いぐらいで
そのために「早馬」がきてもおかしくないとさえ思っていた
会ったことがないとはいえ
綾が懇願するほどの妹の事とおもえば。。。。晴景のようにいきなり「剃髪」しろなどと言わず
城を明け渡せと
「優しく」書いてやったのに。。。。思えば思うほど腹が立つ
険しい表情の主に中井は今ひとつ気がかりになっていた事を尋ねた
「栃尾城の動きも気になりますが。。。栖吉が少しも動かない事も気になりませんか」
政景は立ち上がった
大きな体に腕を組み並ぶ白髪たちの前で少しだけ顔をゆるませて言った
「。。栖吉。。。そうだ明日は栖吉に兵糧の供出をさせよう。。。何逆らいはしない綾からの手紙が効いているハズだ」
影トラに穏便な処置を。。。
という綾の願いの時
政景は次の一手がひらめいていた
やっと自分に廻ってきた天運が良い策を呼び出したとも思えた
「栃尾の仕置きは守護代様の命(命令)によるもので政景様が行いますが事を荒立てないためにも。。。影トラの処置を穏便に済まして頂くためにも栖吉は騒がぬように。。。重ねてお願い致します」
栖吉の大御台「秋明院」は綾にとっては「祖母」にあたる
いまや年寄りになりそれでも栖吉を守る彼女にとって
孫の頼みを懇願と
同じく孫娘トラの助命に文句を言いはしないと読んでいた
事実この翌日栖吉は「兵糧」の供出を承諾する
しかしこれが影トラの「策」の一つである事には気がつけなかった
またもう一つの過ち。。「秋明院」。。。彼女がどんな女なのかは。。。政景夫婦共々全然理解していなかった
「静か過ぎます。。。栖吉は危険では?」
国分は未だ「参戦」を表明しない「栖吉」は不安であるとして戒めを口にしたが
政景には「心配事」しか口にしない国分との問答が憂鬱になってきていた
口をまげて皮肉を言うように返した
「オマエは良く知らぬのであろうが栖吉など今は「長尾」という血族の名をもつだけで「力」にはならん。。。為景に恭順を示して以来逆らった事などない」
「しかし。。。黒滝の一件以来影トラ殿に寄り戦っております」
「だからなんだ?そうだとしてもこの五千を「軽く」出せた我らに逆らう気になるか?。。。。それに守護代軍に「援助せよ」との手紙も綾から受け取っているハズだ。。もし逆らう気があるのならすぐに手を出してくるような「癇癪持ちの女」なんだろう?」
政景は「噂」だけの「秋明院」の事を樋口に聞いた
中井は自分の守した若殿の軽口に顔をくもらた
五千の兵は出陣こそしたが。。。軽く動いているわけではないという事実を政景が認識していない事己の力不足さえ感じていた
樋口は口封じの状態になって黙ってしまった国分のかわりに問うた
「栖吉から兵糧の供出はさせましょう。。しかし輜重部隊を我々の隊に加えるのは。。。危険ではと」
「栖吉は逆らわん!!」
可能性として。。。
栖吉が「逆らうのでは?」という思いはあったが綾の「力」と春日山の威光を信じていた
心配性な老臣に思わず声を荒げた自分を首を振ってなだめた
それでも。。。。大きな体の方は
忙しなく揺れ焦りを隠せてはいなかった。。。だから自分の「気短」な所を隠したいと顔を背けた
今度の戦は。。。
自分の手の中で全てのことがうまく転がしてやらねばと。。拳を何度も握りかえした
出陣を早く決めた事などを
「若さ」と「焦り」であるとなども「今更」「老臣」に言われたくもなかった
「勝つ」事だけを考えて。。。
白髪の彼の方にむいた
「心配しても始まらん栖吉の睨みは「父上」に任せてある」
陣幕から向こう
もう一つの山陰を越したら見えるであろう栃尾城に顔を向けた
後三日もあれば城は真ん前だ。。。
こんなところで作戦を立て直すなどと停滞はできない
「迅速な勝利を」
忙しなく「戦」の感覚を探すために動いていた手をきつく結んだ
「どちらにしてもだ。。。待つ事はできない影トラの返事が無くても栃尾は攻める。。。もちろん五千もの軍団に歯向かうアホとは思わんがな。。。」
国分は物事を深く読もうとしている
「しかし。。。」
「政景様のおっしゃるとおりです!!」
振り返った
そこには陣幕をめくり政景に共をしてきた年若い近習達が立っていた
色とりどりの具足に身を固めたまだ若すぎる傷のない肌の男たち
「老臣の方々の心配ももっともなれどこの数をもって逆らう者など越後にはありますまい!!」
「気持ちで負けてはなりませんぞ!!」
口々に「勝ち戦」という返事を投げた
政景はその言葉に背を押されたように
未だ慎重論を崩さない老臣に告げた
「勝つのだ。。。勝ちに行くのだ」
まるで
自分に言い聞かせるように
その後ろを近習立ちが歩く
「政景様。。。。もうじきに守護代様になれますなぁ。。。。」
「守護代」。。。。そうだ
待って。。。待つことは。。。。出来ない
目前にせまった「勝利」と「守護代」の地位。。。。。鮮やかにこの手に入れるためにも留まる事は出来ない
政景は意を決して歩き
陣幕を開け家臣一同と戦目付として参戦している「柿崎」たちを前に大きな声で号(号令)した
「明日栃尾の領内に入る!!!影トラからの返事がない限りは栃尾の「謀反」の気がなくなったわけではない!!各々気を緩めず押して参ろうぞ!!」
そういうと自分の近習立ちを引き連れ己の陣所に向かった
その後ろ姿を見ていた国分は樋口と中井に告げた
「勢いだけではなんともなりませぬ。。。。念覚寺には。。。。私が「良い方向」で話しをつけておきましょう」
兵糧の問題を解決する策
樋口はただ深く頷いた
中井も頷くと
「事後の方はわしが処理しておきましょう」
と
恥ずかしそうに頭を掻いた
「そのまま来るらしいな。。。」
夕暮れ時
政景たちの陣幕からつなぎを持って来た男は社のうしろで水を飲みながら
「あの大将。。。やっぱり「戦」わかってねぇよ」
段蔵に負けぬ皮肉で報告を続けた
近くを流れるわき水の棚で段蔵は手を洗いながら聞いた
「兵糧の問題はどうなった?」
槍を投げ出し具足をゆるめながら男は答えた
「大将(政景)は領内に入ったら「乱取り」で難を凌ごうって思ってたみたいだが」
ゆっくりと
社の木に寄りかかったままの段蔵の顔はにやけていた
明後日栃尾に入ってもそこに「兵糧」はない「乱取り」できる物もまずは無いからだ
「目の前にぶら下がった「餌」で寺社に手は出さないか?」
「餌」。。。晴景が与えると言った「守護代」の座
段蔵は持ってきていたにぎりを男に放り投げて続けた
「今年は豊作だったから。。。このあたりまで刈り入れるのは骨だったぜ」
にぎりを受け取った男は大笑いこそしなかったがそうそうと囃すよに笑って
「迅速が身に付いていて良かったって事だな。。。ふぅ。。。飯もうまい」
にぎりをほおばったって
「予定どおり明日栖吉は兵糧を提出するそのための人足五十も準備はできている」
飯にがっつく男に段蔵は指示を確認するように続けた
「抄造。。引き続き内定を頼む。。明日からは「栖吉衆」と合流。。中身の撹乱も。。。頼むぞ。。。くれぐれも気をつけてな」
抄造は自信満々で頷いた
「こんな所まで出てきてオマエこそ。。。着けられるなよ」
段蔵は口だけ形で笑って
「余計な心配はいらん。。。まずココで勝つ。。。それが大切な事だ」
風に揺れ落ちる木の葉を手の平に拾い背を向けた
「わざわざ死地に来るとは哀れなり」
米を逃さぬように指まで舐めた抄造は「何か」の匂いに気がついたか鼻をつまんで見せて立ち上がった
「柿崎様は目付の仕事がある事で先陣はされない。。。ていうか「疑われて」いるから後衛の中程にいて身動き出来ない。。が。。。影トラ様に一言。。。「大暴れ」してくだされ。。。だそうだ」
それだけ言うと放り出していた槍を担ぎ夕闇に紛れ陣営に帰っていった
段蔵もまた闇に紛れ栃尾に向かった
その社に国分の放った「影」の者の二つ死体があったのは誰も気がつく事はなかった