その26 激流 (5)
つやは涙の目を拭って布団から起きた
今朝「夢」を見た
あれは。。。母だった
大きく手を振って自分に「逃げろ」と叫んでいた
闇の中
野武士たちが松明を次々と家に放り込んでいた
焼け出された者たちを容赦なく斬り
女を捕まえようと走り回る下郎達の顔は赤い鬼に見えた
あの日。。つやとその母は完全に「運」に見放されてしまっていた
よほどの用事がなければ村に来る事などなかったが
親子二人
近づく冬の備えを得るために収穫の手伝いをしにあの廃屋の社から村に出かけた。。。。
「逃げて!!!つや!!!逃げて!!!」
着物をはだけさせ
狼藉の手を逃れた母は必死につやを逃がそうと叫び続けた
その後ろを狂気の刃が高く卑下たる笑い声をあげて追い
母を蹴飛ばした
目の前で母は男たちに押さえつけられもみくちゃにされ
泥にまみれながらも必死の叫びを続けた
「逃げて!!!」
悲痛な叫びの母の視線の向こうに見えるつやに下郎は舌なめずりをして刀を担いで近づいた
その足に母はすがりつき懇願した
「やめて!!つやに手をださんでよ!!」
闇の力は己の快楽に忠実だ
赤鬼の足に絡んだ
母の腕は斬られ身体から離れた
降る血にまみれ両の腕を失いながら
苦痛と悲痛
言葉にならない叫び声が懸命に「逃げろ」と連呼する
でも。。。。母は
そのまま
男達に
刺し殺された
口から血を溢れさせ
泡をはき出し
涙の目は。。。。。つやにただ「逃げろ」と告げて絶命した
つやは村の爺に抱えられ血のたまりに沈んだ母を声を無くして見ていた
「かか様。。。」
三の丸の雑兵長屋
誰よりも早くに起きたつやは飯の支度をしていた
二日前。。。。やたろーと段蔵の会話を聞いてしまったから。。。
深く眠りに入る事ができなくなってしまった
だから
朝霧のかかったようにぼんやりと。。。しこたま考え事をためた頭が
変な「夢」を見せた思った
「戦」が近づいている
やたろーの会話からそれはわかった
そんな事はココ栃尾に住むようになってから何度もあった事だ。。。なのに
怖い
いつになく慎重な言葉運びでしゃべっていたやたろーの姿が闇に消えていってしまいそうに見えた
身体が震えた寒さだけがそうさせているわけではない
怖くなって
あの日の事を心が思い出させて「夢」を見た
落ち着かない気持ちを祈りによって抑えるために
首に下げていた守り袋を出した
釜戸の上に親指と小指の大きさの仏像「とと様」が作った家族の姿に手を合わせた
耳に触れる
つやの耳たぶには飾り石が両方ともあった
黒く輝く石
父の国では「女の子」が誕生すると最初のお祝いにこれをつけてもらうらしい
それは母から聞いた
母も同じように耳に石をつけていた
「御仏様の耳についてるのと一緒やねぇ。。」
優しい手
おそろいになった耳を触り合った
父との出会いも母が聞かせてくれていた
「とと。。。」
つやは。。。父の事をあまり憶えていなかった
声も
顔も霞のようにしか思い出せない
つやが二つの時に他界したから
だから母が聞かせてくれる話が全て
料理の手を細々と動かしながら思い出してみた
つやの父は海の向こうの国から来た人
「西班牙人(イスパニア人)」
名前を
「エンリケ」と言った
船が難破し海岸にやっとでたどりついた父を介抱したのが母だった
異国の色白。。。天狗の鼻をもつ男をつやの母は驚きもしないで
献身的に怪我を癒し世話をした
母を見初めた父はこう言ったと
「とと様はわしを見てゆうたの。。。オルテンシア。。って」
言葉はたどたどしく通じなかったが気持ちを深く通わせた父との生活を。。自分が大切にされた事をたくさん笑って話してくれた母
父を亡くしてからも笑顔を絶やさず優しく思い出を宝に生きてきた母子二人
「とと様がくれたつやの名前はね「ロサ」っていんだよぉ」
「ロサ」。。。。
イスパニアに咲く花の名前
「つやはきっと美人になるってゆうてた」
握り飯をまとめたところで涙がこぼれた
あんなに優しかった母。。。優しかった両腕無惨に切り落とされ突き刺され「戦」で死んでしまった
栃尾を襲った三条衆の「作戦」の一つとしてなんのいわれがあってか?
簡単に殺されてしまった
今また「戦」が近づいてきてその事を思い出してしまった
調理の手を止めた
こんなに不安
心が割れてしまう。。。それほどに身体を震わす恐怖
涙がたくさん溢れて。。。。両手で顔を押さえた
「いやだよ。。。いやだ。。。」
夢に出た母のお告げが
栃尾の仲間たちの行く末を不安にさせて。。。つやは震えた
釜戸の前でしゃがみこんで。。。。まだ眠っているやたろーとその仲間たちに気づかれぬように小さく泣いた
だけど
弥太郎はその姿を布団から少しだけ顔をだして見ていた
見て
何も言わなかった
栃尾衆は昼過ぎまでの間で今までの倍の早さの作業で蔵入れを続けていた
昨日夕刻に山上の屋敷から降りてきた実乃から
「戦」が近い事を告げられていたからだ
このたびの「戦」は大きく近隣の領主足並みを揃えての戦になるであろうから遅れを取らぬようにとの通達だった
ただ「相手」については依然と漠然とした言いようではあったが
「戦」慣れしているうえに
影トラの「神速」の動きをよく知っている栃尾衆にとってそれはどうだって良いことだったかのように作業が進められていた
いつだって迅速に動ける事が身に付いていた事で
今は黙々と作業が続けられていた
「ジン。。。オマエこの辺に縁者はおらんか?」
急を要する事態に備えるため
番所の方に手伝いに降りてきたジンに弥太郎は俵を二抱えも荷車に乗せながら聞いた
汗まみれの顔をしかめたジンは
久しぶりに顔を合わせた弥太郎の「変な」質問にやはり忙しいから背中合わせで答えた
「いないよオレは親も知らないんだから」
「そぉか」
大男は肩を落とし溜息をついた
荷車に走れの合図をしてジンは振り返って聞いた
「どおした?まだ人手が欲しいのか?」
汗を手で払い落とし
一息つきながらとなりに腰を降ろしたジンに弥太郎は困った顔で周りを見回し
つやが隣の曝書の奥の部屋で仕事をしている事を確認してから耳を寄せて言った
「つやを預けたいんだぁ」
「つやを?何で?」
ジンにしてみれば意外な言葉だった弥太郎はつやの事を実の娘のように可愛がっている
手放すなんてあり得ないほどの溺愛ぶりなのに
見つめていた目が
つやの姿から離れて
秋空の高い青を追う弥太郎の顔は悲しそうだ
その目が静かに伏せられて
最初に会った時のように少しづつしゃべった
しゃべりながら
もう一度。。同じぐらいの歳の女衆たちと仕事をしているつやの姿を。。。。追う目
「今度の戦はデカイ戦だぁ。。。もしもの事があったら。。。つやだけはなんとかしてやりてぇんだ」
戦が近いのは聞き及んでいたがまさか「常勝」の栃尾について今更弥太郎にそんな弱音を吐かれるとも思っていなかったジンはそれこそ困った顔になってしまった
言葉を探すほど
「大丈夫だろ。。。今までだって栃尾は勝ってきたんだ。。。トラが負ける事なんてないんだろ?」
実際の戦には参戦した事のないジンには計りかねるものだったが
弥太郎の項垂れた姿をみるにこんな安い言葉は気休めにもならないと気がついた
「なぁ。。ジン。。。オマエ武士なんか辞めて。。つや連れて。。」
「弥太郎?何いってんだよ!!」
さすがにジンも弥太郎の雰囲気から何かを感じ取った
その時だった
番所の前を大声で突っ切って馬が飛び込んできた
「前あけろ!!!あけろ!!」
荷車の出た間を馬は容赦なく駆け込もうとしたがさすがに無理と判断したのか馬の体をあげて止まった
「何やってんだ!!あぶねえだろ!!」
表の人足を仕切っていた善治郎に大声で飛び込んだ男は手綱を渡した
「段蔵?!」
息も乱れ着物もガタガタな姿になって入ってきた段蔵はジンの声の方に共に座っていた弥太郎に枯れた声で叫んだ
「実乃様を呼んでくれ!!」
弥太郎の顔色が変わる善治郎に実乃を呼びに行かせた
事態が急変したのだ
「すでに進軍が開始されているだと!!」
段蔵の到着に息を切らし屋敷から下ってきた実乃は怒鳴った
未だ荒く息するほど身体を揺らし持ち直せない肩に掴みかかった
「遅れているのではなかったのか?!!」
声を取り戻せない段蔵は首を「否(否定)」と振り
肩を掴んだ実乃の手を掴み返して掠れた声で答えた
「春日山の旗本衆二千を率いて「長尾政景殿」が坂戸に向かっています」
「向かっている。。。。」
呆然とする実乃を前に段蔵はその場で伏して続けた
「後詰めには守護代様の近習衆率いる約千が明後日出立。。。坂戸城には「報奨金」による集兵が掛けられており。。現在千の兵が。。。集まっております」
言葉をなくす衆目
弥太郎も善治郎も。。。ジンもが愕然としてうごけない中
危機の報告を聞いたつやは。。。。
走った