その25 二人静 (5)
あの後
喧噪は向かい合う荒神の二人を家臣達が止めるという事態で終着した
腰を据え低く構えた為景を「直江酒椿」とその息子「実綱」
そしてまだ年若の近習「本庄実乃」が止めにはいり
上段に構えたおトラの身体を侍女の「萩」が必死に止めた
実自身は
中庭の騒ぎに気がついた「品」に引かれ足早にその場を去る事になったが
振り返り
扇越しに感じたものを見た
「目」
御前の目は篝火に照らされ赤い縁取りに飾られ血の涙を流したまま。。。
物言わぬまま
静かに睨んでいた
あの目があの日と変わらぬ眼差しで御簾の奥に座る自分を見ているところで思い出に区切りがついた
「あの時。。。あなたを仕留め損ないました。。。。」
恐ろしきを意に介さぬ言葉
実の正面に戻った虎御前は。。
さも
残念な事であったという態度にしては軽々しい動作。。首をカラカラと左右に動かした
忘れる事に専念してきた出会いを鮮明に覚えていた虎御前。。。
実は。。。
忘れてしまいたかった事を相手の言葉の礫によって深く思い出す事になった
打ち下ろす冷たい雪を呼ぶ風
静寂の部屋の中は明け放たれた窓によって灯りを失っている
闇の中を止まる事なく歩き回っていた御前は実の正面に近づいた
「では。。。今日。。私を仕留めると良い」
ユラユラと揺れる御前に実は覚悟を告げたが
返答は笑いだった
笑いながら御前はまたも実の御簾の真ん前身体が触れてしまうほど近くに歩を進め青色に金糸を織り交ぜた打掛を開いて見せた
「まこと残念。。。刀を持っておりませぬ」
「手でもよかろう。。。それほどに深き情念であるならこの首を折れるであろう」
悪ふざけか
自分を見下したまま目の前に立つ御前に実も強気で言い
扇を閉じそのまま自分の首筋にあてた
「そのような事はもはや無意味にございます」
相手の覚悟を機敏に感じたのかつまらなそうに御前は返答すると
その場に座った
「では家中を乱すような発言は控えなさい」
覚悟を決めた実は恐れることを止めて
座った御前を叱責した
御前は揺れる
揺れたまま答えた
「貴方と私で決着をつけるなど。。。そんな安いものではないから。。。。無意味と申したのです」
狂気は揺れたまま不敵に話しを続ける
「貴方の「子」の命も頂かねば気が済みませぬわ」
実は愕然とした
そしてそれを止めたいがために自分を「仕留めよ」と言った事が見透かされていた事に気がついた
「子の「命」。。。。」
「あの子」の。。。。
口元を隠した言葉は震えてこぼれる
それを聞き取られまいと掬おうと扇を開く
やはり
虎御前は気がついていた
「よく似ておられますな。。。。」
月の光に照らされた御前の顔は冷静な言葉運びとは違い「怒り」に満ちていた
「何の話しを」
よろめく言動の実のごまかしに怒りは飛び出した
「ゆるさんぞ。。。「私の為景様」を誑かした腐れ女め!!」
実は泣きそうになった
涙をまたも零してしまいそうなほど胸を締め上げられた
今この場から
救い出されたい。。。いや逃げてしまいたい
心は鞭打たれ。。。千切れそうになった
あれは「過ち」
でもその時には死ねなかった自分
時は
時に必要な使命を与える
その使命に答えるために必要だった道程
あの時は
そうしなければきっと死んでしまっていたであろう。。。。
それでも
明日を生きることさえ苦しみ捨てられた花のままではいられなかった自分だ
虎御前がこの世に生を受ける前に。。。。上杉と長尾をつなぐ役目を受けた自分に科せられた試練を
「役立たず」。。。
自分を罵った者たちの言葉が頭の中に戻る
今また言葉は姿を変えて自分を罵っている
身体が前のめりに崩れた
髪がこぼれ落ちる
すでに櫛の幾束かに白いものが混ざり始めている初老の自分が未だ若き日に犯した「過ち」に苛まれる日がこようなどとは。。。思いもよらなかった
御前は立ち上がって帰りの戸口に向かった
「われは決して負けぬ。。。決して貴方を許さぬ」
「待ちなさい。。。。虎御前。。。」
胸元に登る痛みを必死に抑えて御前を呼び止めた
「だからと言って。。。今長尾の家を騒がす事が正しいと言うわけではありますまい。。。今だからこそ守護代に従い国をまとめる時でありましょうに。。。そのためになら私はいくらでも罵倒もうけましょう。。。だから」
哀願に近い声
もう何も掻き乱してほしくわない。。。
倒れ込みそうな身体を震わしている実に御前は冷たく言い放った
「越後守護代の職。。。腐れ女の「子」に勤まると?」
闇の雲に月は隠され顔を照らす光は消え
わずかな星の輝きが御前の瞳に光りを与えて輝かせている
まるで猫の目のように
「為景様だけでは足りずその職さえも我から奪おうとするとは。。。あつかましい!!」
全てを奪った?
私が貴方の?
「簒奪者」と
実は目からの涙を止められなかった
自分こそ。。。。全てを奪われてきた側の者「舞」を奪われ
生きる道を閉ざされ。。。。
その中で必死にもがいた結果に「あの子」はいた
だけれど許されてはいなかった「親」として相まみえる事は叶わず顔を見ることもできなかった
幼い乳飲み子だった。。。小さな手にさえ
触れる事もできなかった
耳元を離れなかったあの子の。。。産声。。。
だからこそほんの少しでも「あの子」の力になりたかった
それによって。。。御簾越しであってもあの子の成長を見られる事が生きていく糧だったし
そうしていく事が上杉と長尾をつなぐ仕事の
実の原動力だった
のけぞり牙を見せる御前を見返した
虎御前。。。。同じぐらいの苦しみの中にいたのか
自分事で精一杯生きてきた報いなのか
今初めて相手の事を考えた
栖吉の。。。一族全て命運を背負って為景に嫁した
幼い姫君
そこでどんな愛情をはぐくんだのかは。。。
わからない
でも
「私の為景様」
その言葉で十分
妻であったこの人を心を苦しめていた事
「虎御前。。。それでも今は晴景殿しか守護代の任をこなせる者はおりますまい。。。職を奪うと言われども。。。そなたが守護代になるわけにもいかぬであろう。。」
そうだ
今。。守護代の地位を「上田」の長尾に任せたとてまたも「混乱」を引き起こす事は必至
ましてや実家を見放した「上田長尾」に守護代職を与えるなど虎御前自身が許すまい
その上で
虎御前が守護代になるなどあり得ない事だ
思わず御簾をあげてしまいそうになりながらも
破裂してしまいそうな自分の心を両手で押さえながら一生懸命に説いたが
御前の返答は驚愕のものだった
「長尾家の。。。為景様の正統なる嫡子は「トラ」しかおらぬ。。その事をお忘れになってほしくはないですな」
「影トラを守護代に?」
驚き
行き交った声が一瞬にして凍る
「影トラは女です。。。そんなものにはなれません」
「成ります」
まるで当たり前のような返事
そんな事があるわけがない。。。。今までにも例がないし実には考えよらぬ答えだった
驚きで言葉を続ける事が出来なくなってしまっている実をよそに
戸口にたった虎御前は両手を広く空に向かって上げて牙を隠した口は大きな声で笑った
「あの子は御仏に選ばれた子。。ただの「人」にあらず!!!」
自信に満ちた顔
あれは為景に「大器」であると言った時の表情と同じ。。。
しかし
為景はその存在を「禍々しい塊」と称していた。。。
災厄は好事と紙一重。。。
見る者の目によって事態は大きく違ってくる。。。そういう事なのか?
戸口の向こうに消えていく御前に。。実は問うた
「影トラとは。。。何者?」
闇の雲間から蘇った月の光に照らされた顔はうっとりとして言った
「我が身から出でたる「御仏」を守りし者なり!!」