その25 二人静 (1)
「高き月に。。。何を思い出されましたか?」
錆びたはずの過去の淵に溢れ出した「罪」に溺れてしまいそうになった実の意識をすくいあげたのは虎御前だった
刺すような声は大きく鋭い目と相まって狂気を感じさせずにはいられなかったが
滲み出るを通り越しあからさまに香るほどに漂う「敵意」で実は自分を今生きる場所に戻った
キリキリと痛むほど。。。締め付ける
「敵意」の眼差しには遠慮などない
あのまま過去に立ち止まっていたら間違いなくこの狂気に飲み込まれてしまう
姿勢を正し扇で顔を隠すと
改めて聞いた
「私が。。。。あなたから「何を」奪ったというのですか?」
背筋を走る冷たい感情。。いろいろな想いは未だ脳裏を過ぎようとはしていない状態
指先まで伝わろうとする「過ち」への糸を止めるがごとく
もう片方の手で揺れを制する
部屋の中。。。
座ることなく歩き続ける虎御前は明け放った窓の下。。月を背に答えた
のけぞった姿勢
歯ぎしり。。。
憤怒を隠さぬ顎をあげた角度から実を睨んだ
「全て。。。。」
小さな返事
爆発を抑えるための「焼け石に水」の音が返ってくる
「私が。。。。何も知らないとでも。。。今も思ってらっしゃるのですか?」
確信に触れようと御前の身体はユラリと揺れる
脅し?
実は冷静に考えた。。。
美麗な瞳を細め沈みかかった思い出を冷徹に読み返す
。。。。
過ちはあった。。。。
だが
それは虎御前がこの世に出でる前の話し。。。
「あの子」が産まれた二年後に虎御前は産まれている。。。
「あの過ち」を知る者は。。。為景と自分。。。そして品だけのハズ
そのうえで今は為景がいないのだから誰が。。。。
扇の間から御前の顔を見た
虎御前。。。為景の後妻
まさか?
為景が。。。。それは「おぞましい」
首を振り自分の頭に登った答えを否定する
それはない。。。
為景は「武人」だ
女の過ちをわざわざ後妻に話すような事はしない
御簾の中囲われた中の実を眺めていた御前が話しかけた
「あなたの顔は。。。。よく憶えています。。。。」
実の背筋に雷が落ちた
虎御前。。。事「おトラ」が為景の後妻として栖吉長尾から春日山に入ったのは
実様が春日山を去ってから十年あまりを過ぎた頃の事だった
栖吉長尾は当主を亡くし
家督は側室腹の男子が継いだばかりだった(後の景信)
動乱続きだった越後で「長尾」は結束しなければならない状態にあった
苦渋の選択
栖吉の長尾家ももはや一党だけでは立ちゆかない状態にあった
為景に下らず自らの家。。「栖吉長尾」を守護代家にするという夢は絶たれたに等しかった
弱る力に為景から「強い」絆を
という提案を受け入れ正室腹の女子を「嫁」という絆として差し出したのだ
それが「おトラ」だった
そのころ。。。。
守護上杉定実は。。。。すっかり地に落ちた守護としては「お飾り」に成り下がっていた
定実と実が求めた「橋渡し」という願いは叶わなかった
それどころか定実を「利用」し所領を頂こうとする豪族たちにより翻弄され続け
ついには「幽閉」という憂いにもあい
長尾家の目の届く屋敷に留め置かれていた
酷い扱いを受けることはなく
それなりに整った屋敷での暮らしが続いていた
京の都の女御とのつながりをもつ「上杉正室」の顔を立てた形だった
春日山の麓での生活
為景の「後妻」の話しはすぐに実の耳にも入っていた
ずいぶんと「変わった」女だと
「刀を持って城の周りの野武士狩りを先導していました」
屋敷から出ることのできない定実と実のために
頼まれ物の「唐菓子」を取りに
外に出かけて「噂」を拾ってきた品は身振り手振りをしてみせて実に言った
「姫なのに?」
三十を越し妙齢な歳になった実は「都」の女房装束を纏っていた
姿は未だ「美しく」透き通る白い肌と憂いを帯びた目は儚く散った最後の母の顔にそっくりになっていた
箱庭を御簾の中から眺めて思い浮かべた
「幽閉」。。。
内心は争う事から切り離されたこの生活を悪くもないと
定実は長い「戦」と古傷で身体の具合を悪くする事が多くなっていた
それでもなお「抗う」ように戦おうてする姿は実にとっては「悲しみ」でしかなかった
もう
野心も野望もいらない。。。
ただこの人と静かに生きていきたいと心底思っていた頃だった
「そうです!!まだ歳は十三で。。しかも二月前に姫をお産みになったばかりだとか」
品は京の女御から送られた菓子の箱を開けて色紙を並べながら言った
十三歳。。。
昔自分もさほど変わらぬ歳で定実の所に嫁した時の事を思い出しながら聞いた
「どんな感じの方?。。。お綺麗なの?」
女が鎧をつけ刀を持ってあるくのは珍しくもないが。。。噂になり人が騒ぐぐらいだから
鎧の上に乗っかった顔は美しいのか。。。はたまた為景に見合うような大女なのか。。。と思ったのだ
包みに菓子を分けながら品は首を振った
「こう言ってはなんですが。。。綺麗という感じの方ではなかったですわ」
言いながら艶やかな西陣の綿布で隠した左頬の傷を撫で
「目の大きな。。。身体の細い。。。」
と
色紙に包み小分けにした菓子を元の箱に戻しながら思い出した事を並べていった
その特徴の最後にあげたのが
「恐ろしい感じ。。」というものだった
「恐ろしいだなんて。。。」
あまり女には形容されない印象につい顔を見合わせて笑った
見てみたい気にもなった
年若い後妻。。。。どんな女なのか。。。
しかし囲いの生活をしている自分たちにそれは叶わぬ事。。。。
それが叶うのならば。。。「あの子」を見る事も。。。
脳裏によぎった「儚い希望」
扇を舞わし空に払った
この時は虎御前と会う事など考えにも登らない事だった
それから六年後「運命の皮肉」は起こり。。。。実は虎御前と為景存命の最後に出会ってしまった
あれは。。。。
虎御前が三番目の子を産んだ時の事だった
何しろ「噂」の絶えない「懐妊」だった
「御仏に選ばれし子」
という大きな名目をもった子が産まれた翌日
城下の屋敷に為景がなんの連絡もなしに表れた
それも実の住む北の屋敷の庭に
篝火に照らし出された為景の顔には刻み込まれた刀傷とも苦悩によって産まれた深い皺ともいえぬ「老い」が十分に表れていた
「こんな刻に何ようですか?」
雪の積もった箱庭
一月の冷たい風の中に大男は佇んでいた
くたびれた顔は酒の壺を片手に縁側に腰掛けながら答えた
「オマエの勝ちだ。。。」
そう言うと酒を煽った
御簾からはけしてでないように為景のすぐ後ろまで近づき座った
「何の話しですか?」
声に軽い苛立ちを混ぜて聞く
迷惑な事だ
ココには定実の少ない配下と品の一族。。そして自分しかいない場所だ
与えられている場所なのだから文句を言うのもおかしなものだが
強いて言うのなら為景にこんな夜更けに来て貰いたくはない
実は溜息を深くつき早めに用件を聞き出そうと質問した
「私は何にも勝ってなどいません。。。静かに生きるのみです」
実に歓迎されない事は承知の上の為景は壺を下ろすと
「わしは家督を譲る。。。「晴景」に」
と答え続けた
戦いに明け暮れた「戦鬼」はもう望む物がなくなってしまったと告げ
背中を丸めながら御簾の中に向かって言った
驚くべき宣言だった
まさかという表情を読まれたのか
「晴景を助け越後を統べろ。。。」
と鬼は告げた
隠居すると
為景は
為景の姿は疲れていた
「晴景殿に家督を譲るのですか?」
「そうだ。。。わしにはついに「和子」は出来なかった。。。今や晴景がいる事が「宝」だ」
感慨深い。。。つまり今度の子も「男」ではなかったのだ。。。御簾越しではあったが二人とも寄り添うように沈黙を守った
山から緩やかに吹き下ろす風に雪が舞う。。。
「それでいいのですか。。。。?」
実は耳にささやくように聞いた
「それだけしか。。。。もうしてやれん。。。。」
戦鬼は寂しそうに答えた