その24 月華 (8)
たった一夜の出来事で自分の生き方が「より良く」変わってゆく。。。。
そのぐらい鈴姫にとってあの「夜」の出来事は「一大事」だった
だが
それが大きなうねりのなかにあった小さな「波」であった事に気がつかされた時。。。。
朝露に消える「夢一夜」
長尾の屋敷に戻った鈴姫を待っていたのは
温かい家の者たちの手ではなかったが
かわりに
出戻りの娘を叱る父も
失敗した「謀」をあざ笑う親族もいなかった
「長尾能景の死」
待っていた事実
それは「長尾家当主である父の死」だった
帰り着いたときは何が起こっているのかわからなかった
ただ
家中の者たちでさえ鈴姫にまともに挨拶をする事ができないほどの騒ぎになっていた
戦支度の男たちと
飯炊きの侍女たち
走り回る小姓に近習たち
事が「急に」おこり何もかもが動転している事は一目でみてとれた
「当主」の「死」によって家中が騒がしくなっている事はわかった
でも。。
「父」が死ぬ?
疲れた頭を振った
そんな事をどうやって信じたら?いや受け止めたらいいのか?
品と
ともに身体を引きずってかつて自分がくらした奥向きに歩きながら「父」を思い出した
自分を「貢ぎ物」に使った父は恨めしい存在であり
顔もみたくもない人になっていたが。。。。
二度と会えぬ人になってしまうなど「論外」の出来事だった
「嘘」に違いない。。。
溜息まじりの声で
品の顔を見て鈴姫は己に言い聞かすように力無く言ってみたが。。。
母たちの部屋で「死」は現実のものだったと理解した
「剃髪」した姿
髪を落とした母
そこに並ぶ「父」の正室と側室たち
全ての女たちが菩提を弔うための「勤め」の姿で鈴姫を睨んでいた
「死」の現実とともに「夢」は終わった
ボロボロになった身なりとはいえ戦火から落ち延びた娘の姿に母が与えたのは
殴打だった
「この。。。たわけが!!!」
座敷から鈴の姿を見つけたとたん
荒々しい足音で走り寄ったのは側室だった「実母」
渾身の力で鈴の頬を張り倒した
勢いあまって
着物が乱れたが気にもしない様子でそのまま飛びかかると悲鳴にも近い大声で罵倒した
「たわけ!!たわけ者が!!!」
やっとで帰った我が家で。。。。
涙がでるほど
会いたかった母の出迎えは。。。優しい腕の中に抱かれるではなく
目もくらむ平手で打ち据えられ
痛みに驚く間もないほどにもその言いぐさに両膝をついて絶句した
「なんのために「上杉」に嫁に行ったのか?何故大殿(能景)に悪しきが迫っていた事をしらせなんだか!!!この馬鹿娘が!!!」
止まらぬ殴打はいつしか握った拳に変わって
傷ついた鈴の身体を容赦なく叩き続けていた
抵抗できなかった
優しかった母が目を真っ赤にして自分を叩くなんて思ってもいなかった
鈴姫の膝は崩れたまま呆然としている身体を母は泣きながら何度も叩いた
その場にいた
品はいたたまれなくなって身体を前に入れ自らを楯にして言った
「堪忍してくださいませ。。。姫様にもわからぬことでございました!!」
品は振り下ろされる手に顔を向けて叩かれながらも
母のあんまりな出迎え。。仕打ちに目を開き呆然とし心を凍りつかせたままの鈴姫を守って答えた
その返事にあくまで平常心を保とうとして
座敷の真ん中で事の成り行きを追っていた「御台様」がため込んでいた苛立ちをあらわに言った
「役立たずが。。。」
殴る手は止まったものの
「刺す」視線は全て鈴の心を貫いていた
母も。。。。正室の御台も。。。その他の側室たちも。。。。
夫を失った苦しみという「憎悪」を鈴にぶつけた
「上杉に嫁したのならその動向をうかがえた事であろうに。。。」
「嫁いだのに。。。「我が儘」を言って閉じこもっていたからであろう」
父の寵姫たちの目は怒りと「涙」に染まっている
愛するがあまりの「憎悪」は女たちの悲しみの形だ
止める事などできない「はけ口」にされた
鈴姫の心は混乱のまま闇夜の中に引き戻された
身体の各所が「上杉」での辛い日々を思い出した。。悲鳴をあげ疲労を呼び起こした
心を締め上げる圧力によって今までたもっていた気力は脆く崩れた
「母上。。。。。」
涙と
とものにこぼれる声
震える唇でこの「罵倒」の嵐からの助けを懇願をしたが
母の目に光る涙は「無情」だった
「馬鹿娘。。。。オマエが大殿を見殺しにしたのじゃ!!死んで詫びよ!!!」
鈴の願いに対する答え「死ね」と母は脇差しを渡そうとした
品は必死に頭をさげた
「お願い致します。。。姫様はまことに何も知らされてなかったのです!!」
だが
母は聞き入れなかった
おそらく。。。。夫,能景が亡くなった時。。。正室から共に横に並んだ側室たちに至るまでにどれほどか責められたのであろう
「武家」の女は「お家」のために生きている
「長尾」を守れなかったのなら何のための「政略的婚儀」
上杉と長尾の関係をもっと理解させておかねばならなかった
教えておかねばならなかった母にはそれは不測な出来事になってしまっていた
母にもわからぬ事が多すぎた
嫁したのならば「上杉」に染まりもしよう
だが
目の前にいる娘は何の責務も果たさなかった「愚か者」でしかない
静かに「平静」に
脇差しを鞘から抜くとそのまま鈴姫に突きつけた
「死ね。。。今すぐ死んでしまえ」
そのまま刃物を目の前に投げた
「はよう。。。死ね」
涙を流した母は鈴を許そうとはしなかったが
覚悟を決めた発言に。。。。。己の死さえも浮かんでいた
暗闇。。。。
鈴姫にはもうどうにもならない自分の立場に申し立てのしようもなかった
上杉と長尾の関係など知りようもなかった
自分に求められている事は「ただの」子作りかとくらいにしか思えていなかったのが本音だった
突然起こったこの「戦」の中身をまだ何も知らない
何故父が死んでしまったのか?
それが自分の不出来の責任なのか?
いきさつは何もしらされていないのに目の前にあるのは
またも「死」だった
冷静に。。。麻痺し始めている感情を整理してみようとするが頭の中は混乱であふれかえっていて無理だった
ただそこまで責められて思い浮かんだのは
「舞」を奪われ
好きかもわからぬ男に身体を捧げた。。。。自分の「価値」は?
その男の実家が自分を殺そうと攻め立て
生きて長尾に戻って来た。。。。今。。。。
母達に「死ね」と迫られている
脇差しを拾ったそして深く後悔した
こんなに「辛い」生き筋しか残ってなかったのなら
何故あの炎の中で死んでしまわなかったのだろうと
思い出もなにもかもを吐き出しからっぽになった心は切っ先を喉に向けて進ませた
「死んだら。。。浄土の天女たちと舞えるかしら。。。。」
つぶやいた声は品には聞こえた
「私もご一緒します。。。また姫様の舞が見られるなら辛くはありません」
鈴姫の拾った脇差しをともに手を重ねるように携えた
鈴が喉を突いたら
返すその手で自分の喉を貫くために
「品。。。嬉しいわ。。。」
「はい」
二人は覚悟を決めた
そしてふりかぶった
「勝手な事を進めては困ります」
振りかぶった鈴姫の手は降りてこなかった
脇差しの刃を止めたのは「為景」だった
張りつめた奥の部屋鈴の最後を見届けようとしていた御台たちは目を覚ましたように為景を見た
取り付かれたように「死」を迫っていた女たちは我に返り
みな為景にひれ伏した
細い鈴姫の手を近習たちが抑えた
「鈴姫は現在長尾に身を寄せてはいますが。。。未だ「上杉守護」の「妻」である事を忘れてもらっては困る」
声は威圧的に伏せた女たちに釘を刺した
「長尾守護代家の新当主」は慄然としていた
誰もそれにさからう事はしなかった
「死ね」という騒ぎが静まりかえっり止められたとき
鈴姫の目の前にいた母は力が抜けて膝をついた
身体は震えていた
求めるように手をのばし鈴の肩を初めて強く抱きしめた
霞んで消えてしまいそうな泣き声を上げながら哀れな娘にしがみつくように抱いた。。。
「鈴。。。鈴。。。。」
鈴姫はすでに声もでなかった
ただ為景の言葉をうわごとのように復唱した
「未だ妻。。。。」
苦しみの涙に「理解」は追随する事はなかった
深い悲しみと混乱が疲労をおしよせさせそのまま母の手から崩れ倒れた
仰向けに倒れた身体を
顔の傷を布で隠した品が名前を呼んで揺さぶる
記憶の果て
遠くに聞こえる声。。。。
意識は遠く。。。。闇の縁に落ちてゆく
「どうなって。。。しまうの?」
絞り出したやっとの声。。。。
精一杯の質問を残したまま眠りの中に目を閉じた