その24 月華 (1)
「何故あんな事を言ったのですか?」
荒れ狂った足取りで部屋に帰った夫の後を追わず
母の後ろに付いて歩きながらも「真意」を計りかねた綾は何度も同じ質問を繰り返していた
「猿」
虎御前はそう言って
晴景と政景を愚弄した
猿楽の「中」の話しだ。。。
と
否定する事はできないほどはっきりと「悪意」が感じ取られるほどの態度だった
とにかく間を取り持たぬば。。
綾はそれだけを考え母の部屋に一緒に入った
「母上お答え下さいな」
部屋に入り
着物を正しながら座った虎御前のとなりに顔をつきあわす形で綾は座った
御前は深刻な顔で自分を覗き込む綾を無視した
付き添いの侍女「萩」が
灯籠を持って入り
薄暗かった部屋をほんの少しだけ明るくした
照らし出される母の顔は少しも悪びれる事のない顔
いや
いつもどおり
無口で座った目
「母上。。。」
「くどい」
眉をしかめた綾に冷たい声が返った
御前の声には「怒り」と「苛立ち」が混ざっている
普通の侍女なら
いや「男」であってもそんな声を聞いたら怯んでしまうだろう
しかし綾は実の娘。。。
そこは退かず
気持ちをさらに引き締めて聞いた
「黙りません。。何故にあのような事されるのですか?このままでは「影トラ」の立場を悪くしてしまうだけではありませんか?」
あんな「愚弄」
あの発言で「人」として扱われているのは「影トラ」だけだった
教養が有ろうが無かろうが
今の「越後」の状態を理解している者がきけば誰の耳にもあきらかな「罵倒」だ
綾には影トラが可哀想にしか思えなかった
何故「女」の身で「戦」仕事に徒事せねばならなかったのか
何故「母」がそれを望んだか
常々思っていた事
その「母」の提案の果てに
今や「守護代」に「敵」とまで思われてしまっている事が可哀想でならなかった
「母上。。。」
「お屋方(為景)の後を継ぐ正統なる「守護代」があんな猿どもではない事を改めて教えたまで」
綾に向き直った母の顔は苛立ちで満ちていた
目に揺れる「炎」
ただの「戯れ言」で言った訳ではない
「父上の後は晴景様が立派に継いでおられるではありませんか」
綾にも少しはわかっていた
父,為景が亡くなってすぐに自分は「上田長尾」に「人質」として嫁がされた
その事を母が「力無き守護代」と晴景を罵っていた事を
その後もフラフラしたあやうい駆け引きの上にこの「越後」が成り立っている事も
でも
だから「ダメ」な事でしたなどと言えるわけもない
「政」は男達の仕事なのだから
綾の脳裏の考えを見透かしたかのように虎御前は
首を右に傾げ
「笑った」
牙を剥くような冷めた口元は「嘲り」を止めようとはしなかった
「晴景が立派?バカげた事を。。。。寝ぼけているのか?綾」
そう言うと爪を噛む仕草をした
指を何度か口元に持ってはやめる「興奮」しているのがわかった
こんな母を見るのは本当に久しぶりだった
「興奮」は
そのまま激情に直結している
母の姿は会話のたびに「恐ろしさ」を増していたが
それでも綾は続けた
「晴景様のお力だけでは難しかった事も多かったのでございましょう。。故に我が夫が「お手伝い」に参りました。。力を合わせて「越後」をより良い国とするために」
真顔の説得をする綾の顔を虎御前は静かに。。目を見開いて聞いた
哀願の表情にも近い娘の言葉が終わると
急に
手を伸ばし肩を掴み
己の顔をグイと近づけてしげしげと綾の顔を見まわした
「綾」
「はい」
「綾」
「はい」
掴んだ肩を突き放した
揺れる
虎御前はいつもの独特の仕草でゆらりゆらりと身体を揺らした
「母上。。。」
心配そうにする綾を見もしなかった
御前は笑っている
口を開け
天井を見ながら
揺れながら
「ハハハハ。。。。ハハハハ。。。。」
「母上。。。」
虎御前は手を挙げ綾の言葉を遮った。。と同時に立ち上がり
よりいっそう声を出して笑い
庭向きの戸の方に歩きながら言った
「晴景がどんなに知恵を絞り「守護代」に居座ろうとしても。。政景がその隙を狙って力で「守護代」になろうとしても。。。まったく無駄な事だ!!」
力強く
音高く
戸を開けた
山からの冷たい風が灯籠の火を一瞬にして全て消した
窓から向こうには深淵の月が高く姿を現している
御前は手を開き「月」の力を招き入れた
月の光に浮かび上がる目には確かな「狂気」が宿っていた
「為景様の後を継ぐのは「トラ」以外おらぬ」
綾は愕然とした
なんとおそろいしい事を言うのかと耳を疑った
そして
素早く返事をした
「影トラは「女」です「守護代」になどなれません」
反抗の声を上げた娘に
虎御前は振り返った
見覚えのある影
綾は自分が震えている事に気がついた
憶えている影
それは
かつて「戦」をしていた頃の母の姿
血塗られた「刀」を横に
神仏に一心の祈りを捧げてきた母の姿
自分が
世にもおそろいしい存在と対峙している事に気がついた
顎を上げ見下した態度で御前は吠えた
「女?。。。。。。馬鹿が。。。。あれは。。。あれこそが「御仏」に選ばれた者「ただの男」が敵う相手ではないわ!!」
響く罵声に
綾の目は涙ぐんでいた
止まってしまいそうな呼吸を制して
震える声で。。。。聞いた
「影トラは。。。いったい「何者」なのですか?」
産まれる前から言われていた「御仏に選ばれた子」
出生の時から父に恐れられた「魔物の子」
そして思い出す「雨の日」のあの出来事
「我を恐れよ」。。。。。
幼き日の影トラの不敵な言葉。。。。
「何者?」今はそれだけ聞くのが精一杯
肩を落とし怯える娘の前で
虎御前は静かに数珠を通した手を重ねて答えた
「あの子は御仏を「守る」者なり」
祈る顔は「冷静」だった
二人の権力者が退出し虎御前が満面の笑みと冷ややかな笑い声を残して消えていった
後の場に残ったのは「混乱」だった
直江は晴景の後を追ってその場からすぐに消えた
政景も真っ赤になった顔のまま粗々しい足音を立てて消えていった
後ろを上田から来ていた重臣たちが追い
ざわめきの中
残された実は御簾の中で呆然としてた
こんな事を
こんな時に。。。。
「何故。。。。」
口からこぼれるのは「疑問」の言葉
あの時
振り返った御前の目は確かに実を見ていた
少しの笑みを浮かべ
晴景を見てはいなかった。。。。。
「実様。。守護代殿は勝手に退出してしまいました。。。我らも帰りましょう」
考えで頭をいっぱいにしていた実に
お付きの女房が不機嫌そうに話した
当然といえば当然。。。。守護に挨拶もせず自分の機嫌にまかせて出て行ってしまうなど。。
家臣達でさえその事を忘れてしまっているかのように「大騒ぎ」だ
女房の不機嫌さで
己の平静さを取り戻した実は
「いいえ。。。帰りません」
落ち着いた態度で言った
そのまま
女房を近くに寄せ命じた
「虎御前を呼び出しなさい」
このまま帰るわけにはいかない。。。。このまま「乱」を起こしてはいけない
それは治世を思う者の勤め
名ばかりとはいえ「守護」の勤め
屋敷の部屋に足を進めながら天を仰いだ
月は高く煌々と輝いていた
何故か深く心を痛めさせた
見覚えのある月の夜
長い夜は続く。。。。長い苦痛の夜が続く