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Dragon Eye第二篇 星の音色と白の神話  作者: 星白明
一章 1.奇跡の御子
8/13

-1- 聖衣を纏う者

 そういえば、ドラゴンの背中に乗せてもらうのは久しぶりだった。

 カーレンの漆黒の体躯に跨り、突き出た鱗に掴まりながら、ティアはそんな事を思っていた。


 眼下を流れる景色は(はや)い。先ほどまでは見渡す限り一帯が海だったが、今は既に緑に覆われた平地――大地が大半を占めている。点々と、たまに見かける町らしき白いものを見て、それが海岸沿いにあったりすると、あれは自分が幼い頃を過ごした場所だろうか、と思っていた。

 身寄りもなく、幼かった頃のティアが、孤児として十三、四の頃まで育ったのは港町だった。カーレンと出会った――というより、いろいろあって再会した――場所もそこだ。

 もしも彼が外に連れて行ってくれなかったら、あの後自分はどうしていただろう。

 想像もつかない。

 つかないほど、今と昔の自分はかけ離れているのだと、ふとした瞬間に思う事がある。

 だが、きっと、もっと、今の方がティアの世界は大きくて楽しい。掛け値なしにそう思えた。


『もうすぐハルオマンドの近くだ』

 響くようなカーレンの声が聞こえた。

「……うん」

 頷く声は、自分で思ったよりも低く、静かだ。


 中央大陸から送られてきた自分宛ての手紙を、たすき掛けにした鞄の上から押さえる。ティアをこの地へと誘うだけの衝撃を与えるのに、十分な威力を手紙は秘めていた。

 必死に宥めてくれたベルやカーレンのおかげで、いきなり飛び出してしまうという無鉄砲な事にはならずに済んだ。それでも抑えきれないほどの動揺と激情がその場に残った。

 居ても立ってもいられないティアを見かねて、カーレンが、自分がマールウェイに行くついでにティアを送ると言い出したほど、その姿は見ていられなかったらしい。

 ともかく一日待ってから、カーレンはエルニスとベルだけを伴って、ティアを乗せてマールウェイへと向かっていた。


『カルス山脈の(ふもと)辺りで降ろす。そこからハルオマンドに入ったら西に向かえ。王都ラベニスタを回って、大公領直轄のオリスヴィッカまで南下するといい』


 ティアは少し目を丸くした。

「人里が近いわ。大丈夫?」

『むしろ尾根にでも降ろしたら、山を下って平地に出るだけで一週間近くかかるが』

 そもそもおまえ、生き残る自信があるんだろうな。

 言われて、ティアはう、と詰まった。

 北大陸のクラズア山地で半月耐えたのだからそれなりに可能だろうが、かといってそれだけ旅程を延ばすほどの忍耐が今の自分にできるとは到底思えない。

 それに、姿を晒す危険さえ冒してここまでしてくれるというなら――申し訳なくて何も言えない。

 はー、と息を吐く音に、溜息を吐いてしまったようだと気付き、ティアは唇を引き結んだ。

 いけない。こんな事で心配をさせれば、カーレンがマールウェイでの集会に集中できなくなる。



 ……と、思ったのだが。

 予告通り山の麓に降ろしてもらった時にも、大きく溜息を吐いてしまった。


「……本当に大丈夫か?」

「……ん、大丈夫よ」

 わざわざ人化してやってきたカーレンに聞かれて、ティアは苦笑した。

「山脈のこっち側に降ろしてもらえただけでも十分よ。ごめんなさい……いいえ、ありがとう、カーレン。同じ中央大陸でも、少し回り道しないといけなかったんでしょ?」

「……まぁ、別にこれくらいは大差ない。だが、本当に大丈夫だろうな?」

 言ったカーレンの頭を、べしっとベルの手がはたいた。

「あんたいい加減にしときなさい。気持ちは分からないでもないけど、さっきから『大丈夫か』だけしか言ってないわよ」

「だが、」

「やめとけってカーレン。おまえ、いくらティアがあの時取り乱したからって、過保護にも程があるぞ」

「……」

 副長にまで諌められ、カーレンは押し黙る。憮然とした様子で顔を背けたのを見て、ティアは首を傾げた。

 とにかく大丈夫だともう一度念押ししてから、エルニスに向き直る。

「そっちこそ、マールウェイに三人だけで行っちゃうの?」

「あんまり大人数で行っても仰々しいからな。普通、側近とか信頼できる奴を数人伴って行くんだよ」

 エルニスが言って、肩をすくめた。

「とはいえ、俺とベルだけっていうのは、さすがに少なすぎだ。普通は五、六人単位だよ」

「……他のドラゴンは?」

「いない。いや、いると言えばいる。向こうに、マールウェイの方に派遣されているクェンシードのドラゴンが三人ぐらい――」

 言って、エルニスはふと口をつぐんだ。隣で、ベルがふぅ、と遠い目で溜息を吐く。

「――っていっても、その三人がどうかって、それは勘定には入れられないのよね」

「え?」

 聞き返すと、だからね、と苦笑が返ってきた。


「要するにこれは、長の面子と矜持の問題なのよ」


 ベルに言われて、麓から続く平原を眺めているカーレンをきょとんとティアは見つめる。

 物思いに耽るような紅い眼差しは、どこを見ているのか全く分からなかった。

 と、その双眸が動いて、カーレンは踵を返しながら、流れるような動作でマントを捌いた。

「――そろそろ、行くぞ」

 言った瞬間、カーレンの姿はその場からかき消えていた。

「はいよ」

 返事をしながら、エルニスがティアの横を通り抜けた。

「じゃあな、ティア。危ない事には首を突っ込むなよ」

「それ、いつも私が首を突っ込んでいるみたいじゃないの!」

 抗議すると、エルニスに続いて地を蹴りながら、ベルはからからと笑った。

「違うの?」

「違ったんだな」

「違うわよっ!」

『――いずれにしても、』

 カーレンの声が頭上から響いた。

 漆黒のドラゴンが、空からこちらを見下ろしている。

『無茶はするな』

「……カーレンもね」

 分かっているとでも言いたげに目を瞑り、黒い翼が広げられた。

 あっという間に強風を巻き起こし、蒼穹の彼方へ消えてしまった三体のドラゴンを見送ると、

「――さて、と。私も行かないとね」

 ティアは自分に言い聞かせるように独りごち、踵を返して、西を目指して歩き出した。


「三年前から溜まりに溜まってるのよ。度肝を抜いてあげるわ、」


 ――、と名を呼んだ。

 ひょっとしたら、もう持ち主さえいないかもしれない、名前を。



□■□■□



 クロッドがハルオマンド公国に入ってから、旅はさらに一週間ほど続いていた。

 一言でいえば、疲れる旅だった。

 例えば、ルディの坑道での話だ。

 カルス、並びにイディエ山脈は、中央大陸の北西部を縦断し、隣り合う二つの大国の国境ともなっている場所だ。

 そんな山脈を貫く坑道は、伝説通りに蛇が掘ったのではないかと思うほどに巨大な、真円の長い穴だった。おそらく直径は、人の背丈の優に五倍はあっただろう。

 時折大昔の魔術の痕跡らしき灯りを見かけたりもしたが、この坑道、とにかく暗い、寒い、冷たいの三拍子が揃っていた。

 公国からやってきた時にもここを通ったというレダンが魔術で光を灯して先導し、エリックが細やかな気配りや注意などをしてくれたのだが――、


「あ、エリック。そこ段差があるから気を付けてやってくれ」

「だそうだ、アストラ」

「あ、はい――ひゃあぁあああっ!?」


 だからといってアストラがすっ転ぶ回数は減る訳でもなく。


「っと」

「あ……す、すみません、クロッドさん」

「おまえが毎度失敗するのはもう織り込み済みなんだよ……」

「あうぅ」


 へたっと耳を伏せる少女がいたかと思えば、後ろでは、


「フュー、大きな石があるから滑らないようにね」

「えっと……この段差は?」

「降りなさい。自力で」

「……えぇと。ルミナさん」

「行けるわ。私が行けたもの」

「…………おまえは鬼か? どう見てもそいつの身長の四倍はあるだろ」

 自分も魔術で降りたんだから、手伝ってやれよ。


 クロッドから見ても不憫だと思うような、優しさなのか厳しさなのか分からない理不尽な仕打ちが行われていた。


 行程は一日半ほどで終わり、後は坑道を出て、ひたすらに山を下り、平野を歩き続ける事三日間。天候に恵まれたのもそうだろうが、イウェンの町で心配したほどアストラはか弱くはなかったようで、音を上げる事もなく黙々と歩き続け、逆に何がそんなに楽しいのかと思うほど、いつもにこにこ笑っていた。

「だって、楽しいんですよ。見た事のない草木が一杯生えてるし、空気の匂いも全然違うんです」

 ぴくん、とフードの下では耳がせわしなく動いている。

 しかし――それはどこを旅した場合にも同じような感想を抱くものではないのか、とクロッドは思った。

 きっとこの女はどの世界であろうと、初めての場所ではこんな風にのほほんとするに違いない。

 呆れながら、さらに歩いて歩いて、その日の夕方に、舟に乗る予定の川沿いの町が見えた。



「――ふむ」

 そして、レダンが財布の中身を確かめながら唸ったのは翌日。川を渡って、舟を降りた時の事だった。

「残りはエルト銀貨にして三枚、小銀貨が八枚か。どうだろうね」

「まぁ、大体は予定通りだな。旅費は十分足りている。宿に拘らなければ、野宿と半々で行けるだろう」

 船頭に金を支払い終えてきたエリックが、レダンの隣から覗き込んで言った。

「それか、期間を短縮するか、だ」

 一つ息を吐いて、レダンは財布をエリックに放り渡した。

「ところで、そちらは大丈夫なのか」

 声が飛んできて、クロッドは顔を上げた。

 一拍おいて、首を横に振る。

「全然ダメ」

「う……す、すみません。ちょっとまだ、ふらふらします……」

「ちょっと、大丈夫? 吐くなら川に吐くのよ」

 ルミナがうずくまるフューの身体を擦る。

 要するに、船酔いだった。

「どうせ食欲がなかったんだから、中なんて空だろ」

「クロッド」

「はぁいはい」

 髪を掻き上げながら、クロッドは顔をしかめた。

「アストラ、おまえは?」

「私は大丈夫ですよ? お舟でもぷかぷか浮いてるって楽しいですね!」

「……よし、元気だな」

 ぱっと笑みを咲かせたアストラに、クロッドは静かに頷いた。

「クロッドさぁあん……!」

 アストラの抗議の声は聞き流してレダンに向き直ると、大人組は二人揃って苦笑していた。

「フューには悪いんだが、一難去ってまた一難、かな」

 レダンがまだほろ苦く微笑んだまま、親指で後方を指す。

「乗り合い馬車はいけるか? 慣れないと尻が痛む事になると思うが」

「……う……」

 エリックの言葉に詰まる少年を見下ろし、ルミナがぽんぽん、と適当にその頭を叩いた。まだまだフューの受難は続くようだ。

「でも、ラーニシェス領のオリスヴィッカといえば、ハルオマンドでは旧王都ラベニスタと同じくらいに栄えている都よ。ここも主な交易路の一部だし。まだ道は綺麗に整えられているわ」

 一応は慰めになる言葉だった。クロッドも正直、あの硬い板の席に腰を長く落ち着ける気にはならない。それが悪路ならなおさらに。

「そういえば、石畳を敷いたのは先々代のラーニシェス大公だったかな?」

 レダンが言いながら、小銀貨を二枚ほど財布から取り出した。

「どうでもいいけどな。揺れはしても、砂利道じゃないだけまだマシだ」

 クロッドは言ってから、ふとアストラを振り返った。

「おまえ、フードは大丈夫か?」

「あ、はい。ずっと深く被ってるんで、ずり落ちる心配はありません!」

 ただ、とアストラの笑みはやや引きつったものになった。

「ちょっと、怪しい人になった気分が続いてます」

 クロッドはアストラの足元から頭の天辺まで眺めてから、ぽつりと言った。

「間違ってはいねぇよな」

 異世界の住人など、こちらにしてみればそれだけで十分不審人物だ。マントとフードを引っ被っていたら、それはもう、立派に後ろ暗い所がある人間にしか見えない。幸いにも、純白という色と質の良い布地が、いくらかその雰囲気を緩和してくれてはいたが。

「ほら」

 手を差し出すと、きょとんとアストラは目を瞬いた。

「……何でしょう?」

「馬鹿」

「ふぇっ!?」

 急に罵られて動揺する彼女の手を取ると、クロッドはすっぱりと、


「おまえは放っとくとまた馬車の手前で転ぶだろうが」


「……そうでした」

 若干しょんぼりと肩を落として、アストラは呟いた。


 何もなければいいが、とクロッドは思う。数年前にこの国で起きた政変は、さほど国内情勢を悪化させる事なく短期間で終わったというが、それでも空気が妙な心地がした。

「……何かありそうだな」

 ぽつっと零した言葉だったが、ルミナがそれを拾っていた。

「あなたもそう思う?」

 肩を並べてきた彼女は、秀麗な眉を潜めて言う。

「『匂い』ってするものよね。誰かが、何か考えているような……でも」

「レダンやエリックじゃない」

 クロッドは首を傾げた。

「むしろ、馴染んでない。外からの奴だろう、どうせ」

 否定こそしなかったが、ルミナは呆れた様子だった。

「そこまで分かると、もはや野生の勘ね」

「野生?」

 クロッドは呟いた。

「野生なんか、この姿の時はほとんど忘れてるもんだぞ」

「じゃあ、いつ思い出すの?」

「……飛ぶ時、かね」

「ふぅん」


 どちらにしても、一騒動が起こりそうな予感はしていた。





「……おい」

「何」

「起こったぞ、面倒事」

「みたいね」

 ルミナは隣で軽く、退屈そうに欠伸をした。

 実際、退屈ではあった。馬車は立ち往生していたのである。

 とはいえ、ハルオマンド公国の中でも大都市に近く、往来も激しい方の街道である。ルミナが言っていたとおり、道は石で舗装して整備されているので、道の穴に車輪がはまる事もない。ましてや賊に遭遇する危険性は、あってないようなものだ。馬車を止めるのは道を横切る羊ぐらいだろう。

 しかし、クロッドらが出くわしたのは羊ではなく、羊よりもよほど厄介で面倒な集団だった。


 ――騎士団である。


「……たくさんいますね」

 反対側に座るアストラが驚きも露に呟いた。

「そこしか気にならないのか、おまえ」

 呑気過ぎないかとクロッドは呆れた。何も言わないフューは、クロッドとルミナの間に挟まれて、小さくなって息を潜めていた。三人がいるのは馬車では右端の方だったが、更にその前にエリックとレダンが陣取り、時折油断なく目を走らせている。妙に緊張している二人と少年だが、フュー以外はあくまで気持ち程度の変化だったため、一週間以上共に行動しているクロッドやルミナ、アストラにしか分からない。



「普通の騎士じゃない」

 レダンが胡乱な目で彼らを眺めながら言った。

「あれは聖殿騎士団――聖教の総本山、ゲッヘンブルグを護る精鋭揃いだ」

「何でまた持ち場にいないんだよ」

 大人しく総本山にすっこんでいればいいものを、とクロッドは毒づく。今の状況以上の面倒は御免被りたい。

「たまにこうして、各地に異端の気配がないかを探るんだ。……慣例みたいなものだけどね。今じゃ中央大陸のほとんどの国に聖教が広まっているから」

「よくやる……」

 呆れかえって、それしか言葉が出なかった。

 だが、実際形骸化していても無理はないのだろうとも思った。

 象徴として崇めるのは実際に歴史上存在した人間だ。どの神や聖霊が遣わしたかを論じる必要はないと信徒らは口を揃え、実際に聖教側もその辺りを改めさせる気はないという。何をせずとも、聖人エルドラゴンの名は他大陸でも広く知られているほどの名前なのだから、権威を広められればそれでいいのかもしれない。

「聖殿騎士団は聖教の中の奇跡と言われていてね。上層部が腐敗しているにしても、珍しい事に、将軍格まで敬虔な信者たちで構成されているんだ。狼藉はないし礼儀正しいしで、皆がありがたがるが、代わりにこちらにとっては厄介なんだな、これが」

 レダンが言ったこちらとは、施政を行うラーニシェス大公側にあたるのだろう。

「いろいろ後ろ暗い部分もあるって?」

「無い方が逆に気持ち悪いけれどね……まぁ、そうでない事もあるさ。地方による」

「ちなみにそっちは?」

「最近までは何もなかったんだが、」

 言いながら、レダンが体を更にずらした。フューが騎士団から完全に見えなくなる位置関係になった事に気付いて、クロッドは目を僅かに大きくした。

「今はちょっとね。彼のフードを被せてやってくれないか、クロッド」

 言われた通りに少年の顔を隠すと、クロッドはエリックを見やった。

「こいつ、本当に何なんだ?」

「……『聖衣を纏う者』は、奴らに見つかるとまずい」

 エリックの答えは、確かにその通りだった。

 目と髪の色は生まれついたものであるが、望んで得たものでなくとも、聖都では彼らはそこに居るだけである程度の尊敬を受ける。取り外しもできない稀な聖色。纏う者は、聖殿騎士が保護して都市に連れて行くというのだ。

 だが、どう考えてもそれ以上の理由がある。これは、あからさまだ。

 フューを見ると、彼は小さくなったまま、表情無く視線を下に落としていた。

「フュー」

 クロッドは、そっと少年を呼んだ。

 彼は、鮮やかな色の瞳でこちらを見上げた。

「……クロッドさん」

 言ってから、フューは笑う。

「そういえば、まだお礼を言っていませんでしたね。……ありがとうございます。クロッドさんに会って、僕はイウェンの町ですごく助かりました」


 ……それは。


 少し、違う。


「馬鹿。おまえも馬鹿決定」

「え」

 フードの上から小さい頭を鷲掴みにすると、クロッドはぎりぎりとゆっくりフューの頭を締めた。

「痛い痛い痛い」

「馬鹿だからだ」

「訳分かんないですクロッドさん」

 一通り少年を苛めてから、クロッドは溜息を吐いて後ろを向いた。馬車の中も騎士団の姿も視界から締め出して、たまに木の生える草原や延々続く道だけを見る。

「……あなたの気持ちも、分からないではないわよ」

 ルミナの声がした。

「私も時々、この子やアストラの時に似たような事を思ったから」

「……私も、ですか?」

 アストラが、確かめるような調子で訊ねた。

「ええ。あなたもよ」

 少女は答える。

「だってそうでしょう? あなたは明かして、フューは隠させられているけれど、どっちもどっちで似てるわ」

 言って、ルミナは僅かに微笑んだようだった。

「ひょっとすると、立ち場まで似ているのかもしれないわね」


 ――隣でフューの身体が強張ったのを、クロッドは確かに感じた。


「顔の確認をしたいんだって?」

「変な事するわねぇ……」

 馬車の中で誰かが言ったのが聞こえて、すっと身の内が冷える。

「……一応、これはまずいのですよね?」

 アストラがフューを気にしながら呟いた。

「だろうが、どうしようもない」

 少なくとも、今までのフューやエリックらの態度を考えると、騎士団に見つかってしまえば尊敬を集める程度に終わりそうにない。

「この辺りで、異端の物語を語り歩く人間がいると聞いた。見目について情報がある。確認をさせていただきたい」

 白に金の縁取りの刺繍という団服を着た騎士が、馬車に寄って言った。

 上手い事を言ったな、とクロッドは思う。

 レダンとエリックは顔を見合わせ、眉を寄せている。やはりフューが騎士団に見つかると困るのだ。

「……ねぇ、クロッド、まずいというなら、あなたもアストラもまずいんじゃないの?」

 ルミナが囁いた。

「アストラは耳がある。あなたはよく見なければ分からないけど、目が普通の人間じゃない」

 気付かれれば詰問を受けるのは目に見えている、とルミナは言外に示す。

「どうしろって?」

「任せて。あの騎士、ちょっと女ったらしっぽいのよ」

 言われて、クロッドはルミナが示した騎士の顔を見た。

 薄い茶色の髪に、少し垂れがちな緑の目。髪自体は短く刈り込んでいるので優男という雰囲気は駆逐しているが、クロッドは妙に、騎士の男に胡散臭いものを感じた。

 レダンは敬虔な信者が多いと言ったが、それは裏返してみれば、そうでない者もいるという事。

 ルミナの言う事も微妙に信用ができないのだが、それでもクロッドは自分の勘と合わせて判断して、「分かった」と小さく呟いた。

 ルミナは何気ない動作でレダンとエリックに近づいて、同じような提案を二人にした。彼らもクロッドと似たような反応をしていたが、やがて小さく頷くのが見えた。

「うまく行かなかったら、その時はその時で、立ち回りを考えておいて」

 小さく片目を瞑り、にっと、ルミナは相変わらず人形顔に似合わない笑みを浮かべた。


「ねぇ、騎士様」


 まさしく鈴の転がる凛とした声で言いながら、ルミナが馬車の乗客の間から身を乗り出した。


「異端のお話を語るその人、どのようなお話をなさるというのでしょうか?」

 ぬっと現れた美少女に騎士は一瞬目を丸くしたが、すぐに目尻を下げた。

「異端の話は、異端の話です。私どもも話については聞き知った程度ですが、――」

 小首を傾げたルミナにじっと見つめられ、騎士は一瞬言葉を切る。

「お話しましょうか?」

 声に気持ち、熱が籠もる。

「えぇ、是非とも」

 甘い声でルミナが笑った。


 怖い。


 クロッドは総毛立った。

 豹変ぶりに唖然とするアストラとフューもそうだが、レダンとエリックの二人もまた、狐につままれたような顔をしていた。


 異端の話というのは、騎士が言うには、聖戦時代についての話らしい。

 世を救った聖人が、実はとある少女に恋をしていたというのである。

 ここまでなら何の変哲もない、聖書に付け加えられた誰かの挿話だ。

 しかし、その少女が問題であったという。少女は敵方の――つまり、世界を当時荒らして回っていた悪魔、ドラゴンらに、ある村から生贄として捧げられていたというのだ。

 ドラゴンによって穢れた身である者を、間違っても彼らを敵とする聖人が想い人にする訳がない。聖人を貶めるための異端の仕業だとして、騎士団は話をしたその人間を追っていた。

 騎士の話を、最初は面白半分に聞いていた馬車の人間らも、なるほどと頷いていた。

 顔を見て回るための口実としては、妙に真実味がある。

 ひょっとすると、騎士が言う異端の話自体は本当に流れているものなのかもしれない、と、気を取り直したクロッドは思った。

「ところで、お嬢さん、お名前は何と?」

「ルゥナというの」

「ああ、確かに。貴女の声に相応しい名です」


 ……誰かこの会話を終わらせてはくれないか。


 思ってみたものの、ルミナはフューを隠すためにこの役を引き受けている。

 我慢のしどころだ、とクロッドは深呼吸をして気持ちを落ち着けていた。

 だが、救いの神というのは現れるものらしい。

 いや、この場合は疫病神なのだろうか。


「どうです、宜しければ行く先のオリスヴィッカで、また我々の巡回の折々の話など」

「まぁ、素晴らしいお話がたくさん聞けるのでしょうね」

「それはもう。私テミス・ストフィクが保証いたしましょう」

 胸の十字剣に手を当て、おどけて一礼してみせた彼の肩に、ぽん、と手が置かれた。

「テミス……おまえ、女を口説くのはほどほどにしろと言ったはずだ」

 同じく、聖殿騎士団の団服を着こんだ男が、テミスと名乗った騎士に呆れた様子で言った。

 よく見れば、男は騎士団の中で一人だけ、青いマントを羽織っている。他の騎士は皆左肩から片側に同じ色の布をつけているのだが、マントと呼べるほどの幅はない。

 隊長格か何かだろうか、と思っていたクロッドの脇で、フューが小さく息を呑む音が聞こえた。


「アラスタ……?」


 思わずといったように漏れた擦れ声に、クロッドは片眉を上げる。知り合いなのだろうか。

 クロッドが思う傍らで、アラスタという騎士と、テミスの会話は続く。


「何ですか隊長。俺はこのお嬢さんに自由時間の予約を申し込んでいるんですよ」

「今はそんなことをしている暇があったらきっちり件の人物を探してくれ……」

「本当にね」


 ……ちょっと待て、とクロッドは首を傾げた。


 今、さり気無く第三者が会話に乱入した気がする。

 はっと振り向いた騎士らだけでなく、ルミナまでもが弾かれたように顔を上げた。

 クロッドもまた目をやると、いつの間に近付いてきたのか、青毛の馬に跨がった若い男がこちらを見下ろしてゆるりと微笑んでいた。

「私の領有内で娘を口説くとは、聖殿騎士団も暇が多いようで結構な事じゃあないか。別に禁じている訳でもないが」

 平和で何よりだ、と闖入者の声は穏やかに、しかし確実に毒を含みながら続く。

 目を瞬かせるクロッドらの前で、エリックがほう、と溜め息を吐いた。

「助かった……」


 見るからに上等な乗馬服を纏っている所といい、エリックの独白といい。

 クロッドの中でうっすらと予感がした。

 彼は、もしかすると。


「旅の帰りでね。馬上から失礼するよ、聖殿騎士団。今年もよくぞ我が領土まで足を運ばれた」


 唖然とする一同に対し、明朗な声が可笑しがるような響きを含む。


「……『げ』っつっても良いんでしょうかね、隊長」

「それは俺の台詞だ……」


 騎士らの密かな会話は、クロッドの耳にはしっかり届いた。おそらく間近にいたルミナにも聞こえただろう。

「何者だ?」

 騎士の一人が怪訝な声を上げたが、テミスに握り拳で潰される。

 アラスタが溜め息混じりに、頭を振り振り呟くように告げた。

「第二十一代ルヴァンザム・ルーベム・エル・ラーニシェス大公爵……代々本名・御年不明はいつも通り。なぜ当主全員が奇跡のように同じ顔なのか知りたいものだが、」

 アラスタがちら、とラーニシェス大公を見やったが、大公はにっこりと無言で笑うだけだ。この様子では、彼には答える気は全くないのだろう。

 そして腹の裏はきっと黒いに違いない。故郷にいる好好爺を始めとする老獪な長老どもよりは、そうあからさまでもなさそうだが――気付くとしっかり手の上で転がされていそうで、その点では彼らと良い勝負か。

 ああ、また面倒事の気配がする。

 ますます引き返せる気がしなくなってきた所で、クロッドは大きく嘆息した。


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