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Dragon Eye第二篇 星の音色と白の神話  作者: 星白明
序章 2.ウィルテナトでの再会
6/13

-2- 馬鹿騒ぎ

「…………」


 そのドラゴンは、退屈だった。


 岩棚の上からぼけっとウィルテナトの外を眺めているものの、相変わらず、今日も山の腹を撫でていくのは雲か風ばかりである。たまに白い雪肌を転げ落ちる黒い点は、遠目には分かりにくいが、ただのはぐれた魔物だろう――いつもの事だ。

 最も、まれに真上から降ってくる事もあるので油断はできないのだが。


 守り役だったドラゴンが長へと転身したために、こちらに回ってきた役。しばらく当番制だったそれが、いつしか自分の担当になっている。

 というものの、実に張り合いのない毎日で、今日もそうであるはずだった。


 だが、そんな彼の耳は、妙な異音をとらえた。


 かりかり、と、氷を削るような音がする。

「……?」

 異常に気付いて振り返ると、それは初めは小さな音だったが、だんだん大きくなってくるようだとドラゴンは気付いた。かりかりが、がりがり、しまいにはごりごりという音になっていく。

「!?」


 そして――彼は目撃する。

 魔物が絡み合った黒い塊が、見上げた先の斜面のはるか向こうから滑り落ちて来ていた。

「――っ」

 過去にも例を見ない珍現象に、一気に顔から血の気が引いた。


 この時ドラゴンが取った行動は、極めて自然なものだった。


 逃げるのでもなく、攻撃するのでもなく、混乱と恐怖のあまり、必死で咆哮し。こうして、ドラゴンの里の玄関口で起きた異常を知らせたのである。



□■□■□



 ぼろり、と。

 突如としてウィルテナト中に響いた大音声に、唖然としたベルの口から魚の身がこぼれおちた。地面に落ちる前に、すかさずエルニスがひょいと摘み取って口に放り込む。

 隣人の密かな悪事に構う余裕もなく、ベルはぽつりと言った。

「……何事?」

 未だに続く仲間の咆哮に、咄嗟に立ち上がっていたカーレンは、瞬時に人型から漆黒のドラゴンへとその姿を変えていた。ベルや子供たちが何を言う暇もなく、一瞬で湖の上を飛び越えて岩棚へと急行する。ひとつ遅れて、翡翠の体躯を走らせ、エルニスが後に続いた。

「何!?」

「見たい!」

「私も!」

「行こう!」

 呆然としたままのベルを置いて、口々に叫び駆けだした子供たちは、次の瞬間、カーレンによって固化された湖畔の結界で、激しく顔面を強打していた。

「「「「…………ぅう」」」」

 そろって脳天からひっくり返った子供たちを見つめ、小さく呟いた。

「……あんたたち、馬鹿ね」

 長ともあろうドラゴンが、不用意に守るべき群れの傍を離れるはずがないのである。その点、随分とあの幼馴染も長らしくはなったのだろう。

 何はともあれ――自分は完全に出遅れた訳だ。

 さて、とベルは立ち上がり、至極あっさりと結界をすり抜けて、自らもワインレッドのドラゴンへと変化した。


『そんな大事にはなっていそうもないんだけど……見物にでも行こうかしらね』


 子供らの恨みがましい視線は、見て見ぬふりである。



□■□■□



 岩棚の上に一飛びでやってきたカーレンは、すぐに絶叫していた仲間の姿を発見した。顎を一杯に落としている上、目は驚愕に引き剥かれている。何らかの原因で混乱の最中にあると察して、彼が見ている方角へと目をやった。そして、反応に困り、目を細めた。


 ……何だ?


『――おい、何だあれは!?』

『知るか』

 追いついたエルニスが背後から怒鳴るが、カーレンは首を振る代わりにそうぼやいた。


 理解不能だった。


 なぜウィルテナト近辺に住んでいる魔物の群れが、わざわざ一塊になってこっちに突進してくる。しかも『転がる』のではなく『滑ってくる』形で。


 来るものは仕方がないが、それにしても不可解だ。

 どうするか、と軽く思考を巡らせた後に、カーレンは小さく溜息を吐いた。人型に一旦戻り、腰に巻いた革紐に手を這わせると、三本の漆黒の太い棒を探し当て――肘から手の先ほどの長さのそれらを、軽く中に放り出した。

 適当にその内の一本を掴み取ると、横に振る。空気を切る音と同時に、残りの二本が、ばらり、と無数の鱗へと変じた。

 魔物の塊は、こちらにぶつかるまで残り数秒程度、といったところか。

 目測で大体の時間を区切り、鱗から変じた剣を構える。

「とりあえず……右に放るか」

 ぼそりと呟きを漏らすと、エルニスが混乱したままのドラゴンの首をさっと引っ掴んで、カーレンの左後方へと避難した。

 視野の端でそれを確認してから、カーレンは頃合いを見計らって、


「――待って! 待ってお願い! 今切るのは駄目ぇえええ!」


 塊が少女染みた声で叫び、下から爆発を起こしてぽーんと空高く跳ね上がる。確実に、怪現象としても許容できる範囲を超えた。

 唖然とする前に、聞き覚えの有り過ぎる声に動揺して、カーレンは思わず剣を取り落としていた。結局、魔物の塊はカーレンらの頭上を楽に飛び越えて、雪の上に重々しい轟音を立てて突っ込んだ。

 そして。

 見上げると。


「――あ」


 奇妙な既視感を覚えた。

 何か、数年前にも似たような事を経験した覚えがあるのだが――。

 それが記憶の中で蘇るのと同時に、カーレンは無意識に腕を広げ――懐めがけて降ってきた人型の何かの強烈な体当たりを喰らい、派手に雪の中に埋もれた。


「――ぉお。おーおー。大丈夫か? カーレン」


「……何とか、な」

 息が詰まる。喘ぐように返すと、ざくっと砕けた雪を踏み分けて、人型をとったエルニスが半眼で覗きこんできた。

「全く、何だと思ったら――」

 呆れた様子で吐かれた独り言。

 その続きを引き継ぐ訳ではなかったが、溜息交じりに呟かずにはいられなかった。


「――おまえか」


 問われて、腕の中の人物が頭を持ち上げて首を傾げた。と同時に、さらりとその黒髪がカーレンの腕に落ちた。

 見つめ返してくる丸い黒目には、人となりを表すかのような柔らかな光が宿り、最後に見た時にもまして澄み切った色が美しい。

 背も容姿もずいぶん成長したらしく、顔立ちには以前のあどけなさが欠片ほどしか見受けられない。すっかり年頃の娘と呼んでいい外見に変貌していた。

 それでも、自分が見間違えるはずがない。

 五歳という幼少の頃から知っている。以降何かと見守ってきた彼女の面影が、しっかりとその中には残っていたのだから。


 そんな少女、ティア・フレイスは、こちらの言葉にこもったものの多くを理解すると、あはは、と誤魔化し笑いの声を上げていた。


「――久しぶり! カーレン!」

 喉元に擦りつけられた頭のこそばゆさに目を細める。首を仰け反らせると、カーレンは鼻から嘆息した。

「……ああ……三年ぶりだな……ティア」

 それに――と、カーレンは離れた所の魔物の塊をちらりと見て、内心で付け加えた。

 またいろいろな意味で、大物に成長してきたようでもある、と。

「もう十七か? 背が大きくなったな、おまえ」

 しかし、彼女は気持ち、不満そうにカーレンを眺めていた。

「……それしか言う事がないの?」

「……他に何か言える事があるのか?」

 しばらくお互いにじっと顔を眺めていたが、ティアがかくんと肩を落とした。

 エルニスが冷めた瞳でこちらを見た。

「諦めろ、ティア。そういう奴だ」

「……そういうドラゴンだったわよね、そういえば」

 こういう自分に理解できない話の時は、無視するに限る。

 ティアごと上半身を起こして雪の上に手をつくと、少女は文句を言いながらカーレンから離れて、魔物の塊へ向かって歩いていった。途中で立ち止まって、思いついたように、近くにひっくり返っていたそりの様子を調べ始めた。どうもあれで魔物を運んでいたらしい。

「それで」、とカーレンは尋ねた。


「――後ろのアレはおまえの仕業か?」

「ウィルテナトのみんなへのお土産なのよ。仕留めすぎて食材として余ったのもあるけど。団子にしたら、運んでくる途中でこんな事になっちゃったの」


 改めて、魔物の塊――ティア曰く魔物団子を見やると、どうも先ほどの衝撃で縄が切れたらしい。ばらばらと山が崩れたような形になっていて、牛の形をした魔物の他に、ところどころからなぜか人型の黒い足が突き出しているのが見えた。

「ヘクスはいいが、ヒュロウまで一緒というのはまずいぞ。あれは肉が筋張っていてあまり美味くない」

「あら? あ、本当。ヒュロウが混じってるわ……上級を三十匹仕留めろって言われていたのに」

 振り向いてティアがぼやいた内容に、横にやってきたエルニスが眉を潜めた。

「仕留めろ? 誰から言われたんだ」

「義父さんよ?」

「義父さん?」

「ロヴェの事。弟と旅の初めにそう呼ぼうって決めたら癖になっちゃって」

 ティアが何でもなさそうにそう告げた。

 彼女はそう言うがロヴェはカーレンの実父だ。もちろんその正体は『ドラゴン』であり、間違っても『人間』ではない。

 それがどうして父なぞと呼ぶ気になったのだろうか。

「……おまえ、カーレンの義妹か何かになるつもりか?」

「そんな気は全くなかったけれども……やっぱりそうなっちゃうのかしら?」

 エルニスとティアの会話を前に、カーレンは思った。

 その前に、まず人間の少女がヘクスを三十頭も仕留める事自体が異常だろう、と。

 間違っても素人がぽんぽんと倒せる魔物ではない。

 それを三年で可能にしたとは、一体ティアにどんな『教育』を施したのだか。今後ロヴェには一度会って問い詰める必要があるな、とカーレンは内心で呟いた。

 さて、改めてティアの方を見ると。


「きゃぁあああっ! ティアじゃない!? やだ、久しぶり~! 三年ぶりよね!?」

「ベル!」

「もう何この子! 可愛いっ、可愛すぎる! すっかり女の子になっちゃって、本当にティア・フレイスなの!?」

「ベルこそ。しばらく見ない間に綺麗になったんじゃない?」

「あははは! 分かる?」

「分かる!」


 ……いつの間にかやって来ていたベリブンハントが、ティアを独り占めしていた。

「……あいつら何の会話をしてるんだ?」

「気にするな」

 下界をぶらぶらしていた時に、ああいう女同士の再会のはしゃぎ様は星の数ほど見て来ている。

 興味深いのは、百年経ってもどこでも同じような会話ばかりだった、という事だろうか。

 カーレンは首を振りながら続けた。

「昔聞いた受け売りだが。あれに水を差すと百年恨まれるらしい」

「……そうか」

「ああ」

 ドラゴンにしてみれば百年という単位はそれほどでもないが、人間ならばほぼ永遠と言って良い意味合いでもある。その辺りの話はエルニスも慣れてきたらしく、『放置するべき』と正しく意味を理解して、未だに自失状態のドラゴンを正気に戻しに行った。

 一方で、残ったカーレンもまた手持無沙汰に感じたために、横の花が散る如き空間を無視して、魔物団子の処理に取りかかる。

 今日はおそらく大宴会だろうな、と、ウィルテナトの習わしを思い返してぼんやり考えた。



□■□■□



 とはいえ、少女の土産物の末路は圧巻の一言に尽きた。

 一頭だけ混じっていた大熊の魔物を見て、クェンシードの女勢はぎらっと目を光らせた。その手に爪やら刃物やらが光るのを見て、男勢がたじろいだほどである。

 ものの数分で大熊をただの肉塊へと変貌させ、更に切り刻んで食肉へと解体していく様はもはや神業。

 残りのヘクスやらヒュロウやらは、普段魔物狩りに出ている連中が駆り出されて運び、女たちによってがりがりと使えるものとそうでないものに分別されていく。

 しかし、腐っても相手は魔物である訳で、食べ難い部位である骨でも、薬となる部分はしっかりと回収されていた。

 昔、育ての母が――まぁ、その、かなりえげつない――言うにも困る代物を常用の傷薬に投入しているのを目撃してしまい、随分と衝撃を受けたものだったが、今となってはこちらも作る側である。

 そんな事をぼんやり考えるのは、カーレンもまた、今まさに大鍋の上で混ぜ棒を握っているからだった。


「何で俺がこんな事やってるんだ?」

「言うな。仕方がないだろう、数が必要だったのは事実だ」


 隣でぼやいたエルニスに、反射のように返す。

 材料は常に新鮮である事が求められる。

 薬を作る手が足りない。そう言って、大鍋を掻き回すのに現在の長と副長が駆り出されるという事態になっていたのだ。

 湯気は立つ癖に煮えない深緑色の水面を眺めていると、鍋の外から覗き込んでいるティアがふーん、と呟いた。

「何だかそうしてると、噂に聞く(まじな)い女みたいね。毛皮のローブが似合ってるわ」

「あれも魔術師の類だろう……若干人に言えないようなものを扱ってるだけで」

 カーレンは溜息をついた。混ぜ棒を鍋の端にひっかけると、ティアに指摘されたローブを彼女の頭から被せる。陽光に反射して、銀の毛がふわふわと品のある艶と輝きを見せた。

 彼女が寒そうに見えたのもそうだが、台に乗って、鍋の上で湯気を浴びるのはかなり辛いのである。ローブの下から現れたシャツをばたつかせても、ぼとぼとのそれに湿った空気が入るだけで、カーレンは熱のこもった息を吐く。

 すっかり赤く火照った顔から汗を拭いながら、エルニスが呻いた。

「御袋の苦労が分かる……息が詰まる。こんなの毎回やりたくねぇな」

「昔教えられた時にも同じ事を言っていなかったか」

「そうだっけか?」

 言っている隣で、クェンシードの女が一人やってきて、無造作に抱えていた籠からヒュロウの内臓をぼんぼんと鍋に投げ込んだ。

 目を丸くして様子を見守っていたティアは、わ、と声を上げる。

「すごい色……蒼になった」

「血液に含まれてる成分が、もとから入っていた薬草に反応するんだよ」

 笑いながら説明するエルニスに、ぼそっとカーレンは指摘を入れた。

「焦げ付くぞ、副長」

「おっと、俺とした事が。最後は中火だったか、長?」

「とろ火」

「了解」

 軽く手を振ると、鍋の下で勢いよく燃えていた炎が下火になっていく。

「……炎に特化してるって、便利ね」

 ティアが感心したように呟くが、エルニスは片眉を上げた。

「湯袋代わりに使われるこっちとしちゃ、堪ったもんじゃないぞ」

 横の会話を聞いていたカーレンの頭に、この冬のエルニスの姿が思い起こされた。

 身を屈めてティアに近づくと、こっそり囁いて教えた。

『実は、子供らに暖を取られてしょっちゅう埋もれていた。……笑っていいぞ?』

 思わずといった様子で、少女はぷっくり膨れた頬と口元をローブで覆い隠した。


「カーレン、エルニス。薬ができたら向こうで肉食べるわよ! もう焼いてるって! ティアも見てないで早くこっち来なさいよ!」


 ベルの声が飛んできた。

「別に肉はたくさんあるし逃げんだろ」

 ぼそっと呟いたエルニスの声がどうやって耳に入ったのか、離れた所で叫んでいたベルが眉を潜めてやってきた。

「何言ってるのよ? 酒がなくなっちゃうじゃない」

「おまえ、この前酔い潰れて俺が介抱する羽目になったの忘れてないか……?」

 エルニスとのやり取りに、ティアが苦笑した。

「相変わらず、ベルって……」

「大酒呑みだな」

「樽二つ開けられるあんたに言われたくないわよ」

「え!?」

「……三つだ」

 ぎょっと目を瞠るティアの前で、憮然とした面持ちでカーレンは訂正を入れた。

「肉は七つぐらい確保しておいてくれ。食べる」

「エルニスは?」

「俺も七つ」

「……私、一つ食べられるかどうかも怪しいんだけど」


 一抱えほどもある肉の塊を指差して、ティアが小さく主張した。


「何気の小さい事言ってんのよ!? 三つは食べなさい! 出るとこ出ないわよ!?」

「無茶言わないでよ!?」


 騒ぎ出した女二人の横で、エルニスがじっと自分の恋人を見ている事に気付き、カーレンはその視線の先を追う。

 腰……か、胸元か。毛皮のコートに隠れて見えないが――きっと、ベルの服のその下は、などと考えているのではないだろうか。

 あっさり邪推すれすれの見当をつけて、カーレンはふっと目を伏せる。


 初めて自分の上に落ちてきた時のティアの細さと、今回二度目――いや、三度目か――の時の腰つきの感覚を比べてみて、気付いた。


 痩せ細った細さではない。しっかりと肉というものが付いて、その上で女らしく締まった感じだ。

 どちらにしても、あの子も随分と育ったのだな、と――娘の成長を知った親のような、妙に複雑な気分になった。


 少し目を離している隙に、エルニスが止める間もなくベルが早速酒に走り、ティアまで巻き込まれそうだという事に気付いたのは、それからしばらく後の事である。



□■□■□



「あっはははははははは!」


 ジョッキを空高く掲げて高笑いするベルの声を聞きながら――カーレンは少し、頭を抱えていた。


「……悪い。この間久しぶりに人里に降りた時、いくつか相当きつい酒を仕入れた覚えがある」

「いい。どうせ酒が良かろうが悪かろうがああなるのは時間の問題だからな」

 ベルがいつ倒れるかとエルニスがそわそわするのを横から眺めつつ、カーレンは横で擦りついてくるティアを呆れた目で見やった。

「こちらもどうも間に合わなかったな」

 ふぬぅ、と訳の分からない唸り声を漏らしてもたれてくる少女に、思わず溜息が零れる。

「酒に弱かったか、おまえ? 前に宴に参加した時は普通に乳割りを飲んでいただろうが」

「おい、よく見ろカーレン」

 横からエルニスが指摘を入れた。

「ティアが飲んだその酒、おまえでも樽一つ半が限界の種類だ」

「ああ……『魂入り』の」

 ベルも、よくもそんなものをただの人間である彼女に飲ませたものだ。

「ほら、もう飲むな、ティア」

「ん、でもせっかくもらったしぃ……」

「いいからこっちに寄越せ。残りは飲んでやる」

 ぐだるティアの口を適当に黙らせ、半分に減った杯を力の入らない手から抜き取った。そのまま一気に煽って中を空ける。

 しばらく半眼で様子を眺めていたエルニスが、言った。

「おまえ、もう親だろ?」

「この子の故郷でもよく言われた。別に世話焼きではないし、ティアもしっかりしているはずなんだが……妙な所で昔から手がかかる」

 だが……丁度いい事もあるものだ。

「言いながらちゃっかりひざ掛け代わりにするなよ、おまえも」

「もう子供の体温ではないのが残念だが、それなりに温かいからな」

 膝の上にぐでっと半分潰れたティアの身体を預けさせておいて、カーレンは脇に置いていた肉をかじる。

 周囲からの疑わし気な視線についてはこの際無視を決め込んでいた。

 カーレン・クェンシードが一時期は育てた子供であり、何かと目をかけてきた『寵姫』である。傍に侍らして何が悪い、と開き直っているのもあったが。

 一族の連中の真ん中で騒いでいたベルの声が、ここにきて急に大きくなった。

 何やら口上を述べているらしい。

 ぼんやり聞いていると、どうもティアが話題に上っている。

 歓迎の音頭を取るとかどうとか――そうこう言っている内に、ベルは酒を威勢よく撒き散らしながら、杯を再び空へ突き上げた。


「でーわっ、三年ぶりにやってきたぁーティアにぃーっ!?」


 完全に出来上がっているな、とカーレンは苦笑し、ティアの頭上で同じように杯を掲げた。

 とはいえ、もう既に杯は乾いているのだが。


『お帰り! 久しぶり!』


『 乾杯! 』


 がっぱん、と豪快に杯と杯がぶつかり合い、そこら中にきつい果実と酒精の香りが充満する。

「語呂良し!」「それもまた良し!」とどこかから合いの手が入り、喧しくて仕方がない。


「ついでにぃー!?」


『早くくっつけ! 自覚しろ!』


『 特に副長とおまえ! 』


「ってちょっとぉ!? 私とエルニスじゃなくてぇー――ってティア、笑わないの!」


 膝の上でへらへらと笑っていた少女は、慌ててカーレンのローブをひっぱり上げて口元を隠す。

 さっきから一度も上着を返してもらっていない。酒で体を温めなければ寒くて仕方がないのだが、仕様がないと許していた。引っぺがすのはもちろん、一緒に包まるような気も起きない。


「もういっちょ!」


 ベルが泡を食っている間に、別のドラゴンが中心に躍り出る。

 待っていましたとばかりに、全員がニヤリと笑ってカーレンを見た。

 さすがに何やら予感を覚えて、カーレンは白い目で一同を見やる。


『長! 早く女! 先越されるぞ!』


「余計なお世話だ……」


 嫌な予感に、咄嗟にティアの耳に手を被せて蓋をした。


『 むしろいっその事、そこのをまるっと! 』


 ――それは少し斬新すぎる。


「……、」

「下世話過ぎるだろ、おまえら」

 何も言えなくなったカーレンの横で、エルニスが呆けたように呟いた。

「焼き入れるか?」

「いや……」

 言いたい事は多々あるが。

 ただ、耳は塞いでおいて正解だったようだ。

「……え、今の何ー?」

 ティアの声で、何とか気を取り直した。

 杯を置いた右手が何となく手持ち無沙汰だ。いくらか手を彷徨わせた後、隣の皿に積んである果実の酢漬けを摘み上げながら、

「仕様もない言葉を聞いて、耳が腐るといけないからな」

 何より精神的にもよろしくはない。

 だが、これが気に入らなかった周囲から大不興の嵐が起こった。


 ……とはいえ、さすがに、次の一言には物申したのではあるが。


『 このむっつりが! 』


「くたばれ馬鹿共」


 びしっと弾いた果実の酢漬けが、見事音頭を取ったドラゴンの額に命中した。

 昏倒するドラゴンを見て、途端、周囲がどっと爆笑する。

 無礼講にも程がある。


 ティアも本格的に酔いが回り始めたようだったため、ローブで改めて少女をぐるぐると巻いて抱え上げ、立ち上がった。

「そういや今日のティアの寝場所、どうするんだよ?」

 エルニスに言われて、やや考えた。

 何だかんだで、肉を解体したその場で宴に移行してしまった。正面玄関の岩棚から多少は奥に入った所だが、客人用の館よりは屋敷の方が近い上、辺りは既にかなり暗い。カーレンが直接運ばなければ、まともに立てないティアが転んで雪まみれになる事は目に見えている。

「館に行くまでに冷えるだろう。このまま屋敷まで連れて行く」

 言うと、またしても別の意味で周囲が沸き立った。

 疲れた様子でエルニスがぱちんと指を鳴らすと、軽い爆発音があちこちで起こった。全く危機感のない悲鳴が上がるが、中には本当に吹っ飛ばされた者すらいたようだ。

 気を回してくれた幼馴染に感謝を覚えつつも、カーレンは尋ねた。

「それより良いのか?」

「何が?」

 顎で示してやると、エルニスはカーレンの視線の先を追って、げっと顔をしかめた。

「酔い潰れてる」

「あああ、だから飲み過ぎんなって日頃からっ……!」

 女たちが介抱しているベルと、彼女を回収に向かう副長の後姿は、今日も何やら滲むものがある。

「もう契ったらどうなんだ?」

 苦笑染みた吐息を漏らして、天地もひっくり返るような馬鹿騒ぎの中からカーレンは抜け出した。


 主役(ティア)がいなくなっても、あとは適当に盛り上がるだろう。



□■□■□



 宴の場とは打って変わって、屋敷はひっそりと静まり返っていた。

 酔い潰れたティアもいくらか寒さで酔いがさめてきたのか、カーレンの腕の中でおとなしくしている。

 いっそ不必要なほど巨大なドアを片手で押し開くと、蝶番が耳障りな音を立てて軋んだ。僅かに隙間を作る程度に開いた所で、静かに間へと身を滑り込ませた。

 そのまま、暗い中で夜目を利かせて、廊下を進む。

 養い親である夫婦は、現在は屋敷にはいない。養父が長の座をカーレンに譲ったのを良い事に、妻を連れ回して世界旅行へ出かけていた。ティアの来訪は全く予期していなかったため、館も使わなかった今、二人が居ない寝室が使えるのは幸運だっただろう。

「……寒いか」

 問いかけると、んー、と、返事ともつかぬ声が聞こえた。

「寒くない――けど、くらくらする」

「あんなきつい酒を呷るからだ……今度からは、ベルに勧められた酒は金輪際飲むな。おまえはただの人間だから、下手をすれば死ぬぞ」

「そんなに言わなくたって」

 本当に分かっているのだろうか。

 くすくすと笑った少女を覗き込むと、漆黒の目がカーレンを見上げた。

「なぁに? まだ、私が居ないと不安?」

「…………単に傍に居ないのと、生きて存在しないのとはまた別だ」

「意地張っちゃって」

「何を」


「お酒。ベルが飲めるのは樽二つって言ったのに、あなた、昼間三つって言ったわ」


「…………」

 虚を突かれた気がして、思わず立ち止まった。

「大丈夫?」

 ティアは静かに言う。

 酒精に浮かされているとは思えないほどに冷静な声に聞こえた。

「……あの時の事を夢に見る」

 辛うじて、そう返した。

 心臓を貫いた傷の跡が、ひどく疼いて、ざわついた。

 今でも思い出せる。左胸に冷たい鋼の刃が沈み込んだ、生々しい感触がまだ残っている気がする。

「世界が暗くて、寒くて、怖いから、必死に手を伸ばして、走る」

 ちらりと、そうして目の前に白い花弁が舞う。

「最後にはいつも目の前におまえの手が差し出されて――名前を呼ぶと救われて、そうして夢は終わる。何度も何度も、その瞬間だけを繰り返し夢に見た」

 そして、いつしか気付いた。

「ティア。私はあの時一度死んだ。おまえが『願い』を手繰り、叶える、覇王(ドラゴン)の特別な力を手にしていたから……たくさんの意志のおかげで、こうしてここでまた生きている」

 だが。

「あの死の瞬間から、この世界の境界を一つ踏み越えてしまったような気がずっとしている。それだけが三年前から気がかりだった」

 そこまで告げると、カーレンは溜息をつき、それから苦く笑った。

 歩き出して少し置いてから、言う。

「おまえには、昔以上に隠し事ができなくなったな」

「あなたのお父さんに鍛えられたのよ」

 あっさり実父の名を出して種明かしをした少女は、小さく舌を出しておどけてみせた。

「実ははったりだったって言ったら怒る?」

「さぁ」

 言いながら、全く怒る気はカーレンにはなかった。どこから鎌掛けが始まっていたのか、問い詰める事もない。

 やがて、両親の寝室に入った。火を飛ばして灯りをともすと、カーレンは二人寝の広いベッドの上に、自分の寵姫を注意して横たえた。

「服が皺になるかもしれないが、今日はもうこのまま寝ろ。明日、服は探してくる」

 包んでいたローブを直してやっていると、ぱちりと酒精で潤んだ少女の黒目が瞬く。

「今日はここで寝ないと駄目?」

 何を言い出すのかとカーレンは呆れた。

「おまえ、ここでなかったらどこで寝る気だ」

「それはそうなんだけど」

 全く、とカーレンはティアの前髪を掻き回す。

「いつまでも世話が焼ける子だな」

 ティアは「子……?」と絶句したようだった。

「……私、もう十七なんだけど」

「あいにく、酔い潰れて人に甘えた挙句、寝室まで運ばせる十七歳しか知らない」

「昔以上になんだか意地悪ね、カーレン」

「あのひねくれた実父(ロヴェ)の子供だからな」

 適当に答えて、カーレンはティアの頭まで毛布を引き被せた。


「子供はさっさと寝ろ。朝には二日酔いの薬ぐらいは持ってきてやる」


 少女が頬を膨らませたのか、それとも大人しく目を瞑ったのかは分からない。

 だが、おやすみ、という言葉だけは、部屋を出ようとしたカーレンの耳に届いた。





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