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Dragon Eye第二篇 星の音色と白の神話  作者: 星白明
序章 1.始まりの出会い
3/13

-2- 二人の護り手

「どうなってる?」

「よく分からない。たぶん、気絶しているだけだと思う」

 初めて見るわ、とルミナは眉を潜めた。

「両手と両足首。この銀の毛、衣服かと思ったらこの子の体から生えてるのよ。きっとさっきの動物の姿と関係があるんだと思う……それに、この耳よ」

 穴の底で横たわったまま、意識のない少女の耳にルミナは手を伸ばした。こちらは、髪よりも少し蒼が濃い。

「獣の耳だわ。……やっぱり本物。温かいもの」

「本当かよ」

 言って手を伸ばすと、ぱちん、と乾いた音でルミナにはたかれた。

「何者であっても女の子よ。無闇に乱暴に触ってはいけないわ」

「…………あ、そ」

 顔を逸らすと、フューを背負い直した。気絶した後、降りるまでに一度意識を回復したのだが、今度は眠気で潰れてしまっている。

 ルミナとは二つ、三つ程度しか歳が違わないはずだというのに、随分とその容姿や言動には幼い所が多い。よほど外から隔離されていたのだとしか思えないほどだった。

「それより、どうする。どこかの町に行くにしても、金目の物は捕まった時に全部奪われてるぞ」

「……その時は、」

 ルミナはクロッドを指差した。


「あなたに全員誘拐されたって事にしておくわ」

「おい」


 苦い顔で呻く。

「今すぐおまえをここで放置してもいいんだぞ」

「そもそも私とあなたって運命共同体だったかしら」

 言われて、クロッドは目を見開いた。

 どういう意味だと声を上げかけたところで、ルミナはふっと微笑む。

「冗談よ」

 ルミナの細い指が、すっと少女の蒼い髪を梳いた。とても先ほど魔術を振るって、人攫いの男を数人吹き飛ばしたとは思えない、たおやかな手だ。

「この状況ではあなたと私でどうにかするしかないものね。あなたの連れも、この子も捨て置けないし」

 クロッドは、ルミナの言葉にしばらく沈黙した。

 ややあって、訂正する。

「……魔術師」

「なぁに?」

「こいつは俺の連れじゃない。町で迷子になっていた。今もたぶん、町に本当の連れがいる」

 ぱっと見は愛くるしい顔が、音もなくクロッドに向けられる。

「なら、もとの町――イウェンに戻るより仕方ないじゃないの?」

「ああ。運が良ければ、人攫いの根城に戻って旅費も取り戻せるだろうしな」

「ちょうど良かった。私も杖を取り戻せたらと思っていたところよ」

 杖なしでも魔術が使えていたようだが。

 クロッドがその意味も込めて眉を上げると、ルミナはああ、と頷いた。

「あれだけではね。杖があればもう少し大きな術が扱えるわ。どの道、杖がなくちゃ魔術師なんてやっていけないし……」

「……おまえ、その格好はどうするんだ? まさか寝間着で旅をするとか言わないよな」

「お節介ねえ、あなた」

 呆れたように言われて、クロッドは鼻白んだ。またしても好々爺の「ふぉっふぉっ」と高笑いする声が幻聴のように耳に響く。

「なるようになるわよ。どうせ私、これがあるし。何とでも想像してもらうわ」

 首の鉄の環を示し、人形顔に似合わない、人間臭い笑みを彼女は浮かべた。

 きっと彼女ならそれすら武器にして何とかする。そんな気配がひしひしとクロッドには感ぜられた。

「それで? フューの連れはどんな人間なの?」

「どうもどっかの騎士みたいだ。こいつも見たところ、上流の方にいる人間だしな……」

 おまえはどうなのだか、とちらりとルミナをみやると、ルミナはふーん、と納得しながらも無表情だった。

 詮索する気はないが、こちらもどうもフューと同じ臭いがする。

 貴族の人間二人に挟まれ、謎の存在を前に困惑する異形が一人。

 想像して、クロッドは若干自分の目が据わるのを自覚した。入る町を一つ間違えただけでこれほどの面倒に巻き込まれるとは。

「さっさと連れに引き渡すかして、俺も早く元の旅に戻るよ」

「それが良いでしょうね。……にしても、騎士がつくなんて。いくら聖衣を纏っているからって、この子、どれだけ身分が高いのかしら?」

「……聖衣を纏う?」

「フューみたいに、黒髪で紫の瞳を持つ人間。有名なのは?」

 そういうことか、とクロッドは合点が行った。

 伝承では、かつて聖戦において世界を救ったとされる聖人も、黒髪、紫の瞳を持つ存在だ。しかも、ひどく人間離れした中性的な容姿をしているという。どこまで話が美化されているかは定かではないが。

 少女の髪を梳く手を止めて、ルミナはふと顔を上げた。

「でも、困ったわね。この女の子をどうやって運べばいいのかしら。そもそもフューについていた騎士は既に彼がいない事に気付いているはずだから、まずフューの方を探すべき……?」

 ぶつぶつと呟く彼女の声を聞き流しながら、クロッドは他の場所へと目をやった。

 いずれにしても、二人でフューと少女を一度に運ぶのは少々難しい。

 それでもあれほど派手な空の異変だ。光が落ちたことに気付いたイウェンの人間がやって来ているかもしれない。

 大穴の縁まで上ると、クロッドは、ん、と異変に気付いた。

「……魔術師。おい、魔術師!」

 何よ、と穴の底から声が返ってくる。


「周りに倒れていた人間が全員消えてる!」


「……何ですって?」

 ルミナが慌てて穴の縁へ上ってきた。クロッドが脇にずれて場所を譲ると、彼女は白い髪をさっと流して、素早く辺りを見回した。

 少女だった光が辺り一帯の木や岩を薙ぎ払い、丘を削り取ったため、視界は非常に開けている。

 上空から見下ろした時も点々と奴隷や人攫いの体が転がっていたはずだったが、いつの間にか、どこを探しても彼らの姿が見当たらない。

「どういうこと?」

「知るかよ。大体、動けないように見えた奴まで消えてる。聞きたいのはこっちの方――っ!」

 言いかけたクロッドの耳が、かさ、と草を踏む微かな異音を捉えた。

 何、と言いかけたルミナに目線で黙れと合図を送り、音の方向を捉えようとする。


 だが、その必要はなかった。気付いた時には、クロッドらの正面のやや遠くに、今までなかった人影が出現していたからだ。


「……何だ?」

「転移魔術よ。それで突然現れたように見えただけ」

 ルミナが、しっと低く鋭い囁きを漏らした。

「まさか、ここにいる全員を転移で送ったんじゃないでしょうね……そうとなれば、尋常じゃない魔力の持ち主だわ」

 確かに、とクロッドは思った。

 人影が現れた瞬間、身の毛がよだつような威圧感を感じた。あれは、強大な魔力の気配だ。

 クロッドが目を細めて何者かを見定めると、その人物は銀白色のマントを纏い、その上から同色のフードを目深に被っていた。体の線からは男か女かも判別がつかず、長身からやっと、男らしい、と分かる風体だ。

 男はクロッドらの姿を認めると、すっと足を踏み出した。静かにマントの裾を捌き、逃げる事も、前に出る事も許さない、ゆるりとした速度で近づいてくる。

 やがて、クロッドとルミナから十数歩といった場所まで近寄ってくると、男はそこで止まった。


「――無傷か?」


 フードの下から、確認するように声が響く。若い。

 ルミナが小さく息を呑んだ。

 クロッドは横目で一瞬彼女を見やった後、また男に視線を戻す。

「無事なのか? その子供」

 言われて、クロッドは男が気にしたのは、こちらが背負っているフューの事だと気付いた。

「……フューの連れか?」

「そうなる予定だった、と言っておこうか」

 ゆるりと男は首を振る。

「もう一人、イウェンで落ち合った男と共に宿を確かめたら、彼がいなくてね。調べたら人攫いが連れ去ったと知って、町で彼らの根城を潰したが、既に姿がない。そこに、外でこの騒ぎだ」

 肩を竦めると、男はすっと手を差し伸べた。

「君たちは? 見たところ、ずいぶんおかしな取り合わせだ」

「……私たちも一緒に人攫いに掴まっていたのよ。周りがこうなる直前に荷馬車の中でひと騒動を起こしたら、」

 ルミナが頭上の星を指す。

「あれが現れて、光が降ってきてこうなったのよ。ちなみに、私の隣にいる奴は最初にフューを拾ったらしいわ」

「穴の中にも一人居るようだ。そっちは?」

「……女の子よ。こっちも巻き込まれて……奇跡的に無傷。でも気絶してるわ」

 よくもまぁそこまで適当に言うものだ。

 そんな感想を抱きながらも、言っている陰で、ルミナがそっと体をずらしたことにクロッドは気付いた。

 それもそのはずか、と思い直す。

 男は、『町で根城を潰した』と発言した。つまり、一人、もしくはフューの連れだった騎士の男と二人で、その場を制圧したという事になる。

 もしも危害を加えるつもりなら、こちらは一たまりもなかったかもしれない。

 クロッドのそんな危惧を感じ取っていたかは不明だが、男はおもむろに、マントの下からやや大きい頭陀袋を取り出した。

 重い音をたてて地面に放り出された袋から、からりと、金属がはめられた細い木の先端が転がり出る。


「……まさかそれって」


 ルミナが小さな声で尋ねた。


「ご察しの通り、根城にあった荷物だ。君たちのも含まれているんじゃないのか?」

「信じられない……」

 ゆるゆる頭を振った後、ルミナは小走りに袋へと駆け寄った。木切れの端を掴んで引っ張り出すと、中から見事な装飾のついた魔術師の杖が現れた。

「やっぱり、私のものだわ。良かった……」

 ほっと安堵の表情を見せて杖を抱きしめたルミナを見下ろし、男はくす、と笑った様子だった。

「お役に立てたようで」

 ルミナは杖を傍らに置くと、袋の中を漁り始めた。ややあって、二つの小さな袋を中から取り出す。

 一つは見覚えはないが、ルミナのもののようだ。

 もう一つは――。

「ほら、クロッド」

 ばさっ、と飛んできた袋をとっさに受け止めて見れば、確かに自分の荷物だった。袋に残っていた魔力でも見分けたのだろうか。

 胸を張って小さく微笑んで見せたルミナに頷くと、クロッドは自分たちを見守ったままの男に向き直った。

「で? ここまで親切にしてくれたのは嬉しいが、あんたは何がしたいんだ?」

「……ふむ」

 男は顎に拳を当てると、口の端をほんの少し吊り上げた。

「そうだな。お礼がしたい、って言えば、その子供と一緒に来てくれるか?」

 言葉が終わるが早いか。


 景色が捩れ、変わった。


「っ!」

 有り得ない、と口の中で叫びそうになる。

 クロッドは若くともドラゴンだ。ルミナも魔術師。おまけにフューまで加えれば、男は同時に四つも存在を転移させた事になる。いや――五つか、とクロッドは、足元に転がる蒼い少女を見て思った。

 そして、負ぶっていたフューは男の手の中に収まっていた。

 これほど大きな魔力を持った存在を含む大人数を、簡単に転移させられる人間など見た事がない。

 動揺を隠し切れぬままに見回すと、そこはイウェンの町の中の通りだった。幸い夜中のためか、人気はほとんどない。忽然とその場に人間が現れても、騒ぐ人間はいなかった。

「ほら、こっちだ。この宿」

 男の声に導かれて、通りに面していた宿の一つに、ルミナが躊躇いがちに入って行く。

 自分も入るか、それとも立ち去るか。

 どちらにしても、フューの身柄は男に渡っている。

 クロッドもしばらくそこに突っ立ったままでいたが、やがて溜息を一つ吐くと、足元の少女を横抱きに抱え上げていた。


「…………ん、ぅ」


 抱き上げられると、無意識にか、少女は安定を求めるようにクロッドの服を掴んだ。頭も胸に擦り寄せられ、何やら小動物を相手にしているような心地になってくる。


「入らないのか?」


 声をかけられ、クロッドは顔を上げた。

 ドアからは宿の明かりが漏れている。

 フードの男の後ろには、なるほど確かに、フューが言った通り騎士風といった格好の男が、何事かと覗き込んでいた。帯剣している、というのもそうだが、どこかの騎士団の印なのか、かちりとした服の襟元に鈍く銀に輝くバッジがある。金髪碧眼、彫りの深い顔立ちもどこか気品が漂う。間違いなく貴族の一人だろう。坊ちゃん騎士ではないだろうとは、彼の鋭い雰囲気から容易に知れたが。

 ――ここまで揃えば、疑う必要もそれほどないか。

 考えて、クロッドは声を発する。


「…………あんたら、誰だ?」


 思ったよりも、声はずっと擦れて乾いたものしか出なかった。

 クロッドの質問に、マントの男はフードの下で少し驚いたように息を吸い、それから軽く笑った。

 最初に答えたのは、騎士の男の方だった。


「エリック・ヒュールス。ハルオマンド公国の騎士だ」


 遅れて、エリックの手前にいた男がフードを脱いだ。

 白い布の下から、見事な白銀の髪が零れ落ちる。

 伏せていた瞼を男が開くと、鮮やかな紫色の瞳が現れていた。


「こっちは騎士じゃないが、同じく、ハルオマンド公国の下で動いている。レイディエン・ラリアン――レダン、と呼んでくれ」


 ――北大陸のヒスラン人?


 ぽかんと口を開けたクロッドは、再び促され、呆然としたまま宿のドアを潜った。



□■□■□



 宿の一室に上がって程なくして、レダンがエリックと共に、湯気の立つカップを手に部屋に入ってきた。

「飲むといい。温まる」

 テーブルの上に置かれたそれを、クロッドはじっとねめつけるように見た。

「……別に毒は入れていないぞ」

「分かってるよ。変な匂いがしねぇもん」

 エリックの方に低く呟き返しながら、二人から聞いた言葉を元に考える。

 ハルオマンド公国とは、確か、中央大陸の北西部に位置する大国だったはずだ。イウェンの町があるこの辺りはその傘下の小国で、公国はここから大体南西に位置している。

 その下で動いているという二人は、少なくとも、間違ってもそこらのごろつきや傭兵などでは有り得ない。身綺麗な服装といい、明らかに身分の高い人間の下で動いているし、公国では相応の扱いを受けている事だろう。

 そして、とクロッドは思う。


 ベッドで蒼い少女と共に寝こけているフューは、それ以上の立場にいる子供、なのかもしれない。


 ルミナの方を窺うと、彼女は二人のいるベッドの近くで椅子に座りこみ、何かを考えている様子だった。

「……、いるか?」

「……あとで頂くわ」

「ふうん」

 カップに口をつけると、この辺りの香草を使った湯らしい。すっと通る香りと共に、温かいものが胃まで滑り落ちて、いくらかクロッドの気は緩まった。

 同時に、溜息をつく。

「火を起こさせるとはねぇ」

「別にここの薪を使わせてもらった訳じゃない。魔術だよ」

 目も伏せがちに、レダンがカップを傾けた。

「冬明けだからね。今の時期、一番物が少なくなっている。イウェンの彼らは公国民ではないのだから、余計にここで甘える訳にはいかない」

「……レダン」

 クロッドはぽつりと呼びかけた。


「あんた、人間じゃないだろ」


「……そういう君も、ドラゴンだろう?」

 隣にいるエリックは、どちらの言葉にも驚いた様子は見せていない。

 つまり、レダンが異形である事を知りながら共に行動している。クロッドのことは、階下にいた時にでも彼から聞いたのかもしれない。

「も? 『君も』ってことは、あなたはドラゴンなの?」

 ルミナがふと顔を上げて聞いた。

「まぁ、端くれではある……はぐれ者だよ」

 小さく笑う。何の気負いもなく、自分が変わり者だと自覚しながら、むしろそれを彼は誇っているようだった。

「だから、君たちみたいなのが混じっていても移動させる事ができたんだ」

 宿の小さな一室にドラゴンが二人――ぞっとしない話だ。

「……にしても異常だな。まだぴんぴんしてるなんて。例え一人だけとしても、ドラゴンを移動させるのにどれだけ消耗するか、知らない訳じゃないだろ」

 またしても、微笑んだままで彼は全てを語らない。

 話したくないのか、聞かせられないのか。それとも別に話す気がないのか。

 いずれにしても、強大だ、という事実は変わらない。

 これほどの力の持ち主がこの中央大陸に潜んでいながら、なぜ相互の結びつきが強いドラゴンたちの間で、話題にすら上らなかったのだろうか。

 カップ一つに口元と自分の邪推を隠しながら、クロッドは更に問う。

「ハルオマンドの下にいるのは」

「そこのエリックが仕えているのと同じ人間に頼まれてね。その子を安全に連れて来て欲しいって頼まれたんだ」

 頼まれた――命令される立場の者が使う言葉ではない。むしろほぼ対等。それでいて、ハルオマンドの配下であるという事を否定はしなかった。

(エリックとやらの方はともかく、このレダンを従えられる人間が、ハルオマンド公国に存在すると――恐ろしい話だな)

 口の中でそう独りごちる。

「ところで、君の好奇心はこれでもう満たされたのかな」

 尋ねられて、クロッドは目を瞬いた。

「まぁ、一応は」

「では、今度はこちらから聞こうか。というか、対面する上では一番大切なことだけどね」

 言いながら、彼はにっこりと笑う。


「君たち、名前は? ――ついでに、」


 そして、笑みと対照的に、少しも笑っていない目が鋭くベッドを見た。


「君の事も、少し、聞いてみようか?」


 問われて、思わずルミナと顔を見合わせてしまう。


 ベッドの上では、いつの間にか蒼い少女が起き上がって、眠そうに眼をこすっていた。

 レダンに問いかけられてきょとりとした後、困ったようにこちらを見つめてくる。

 見つめられた方は、顔を引きつらせた。


「……何で俺を見る?」

「何か関係があるのか?」


 どうなんだ、と。


 エリック、レダン、ルミナの三者から突き刺さる視線に、クロッドはカップを持ったまま硬直するしかなかった。


 ――因みに、このレダンことレイディエン・ラリアン。

 笑うと意外に美人だという事が、この時発覚した。



□■□■□



「……それで、どうなったんですか?」


 やはり、リスのように頬をぱんぱんにする事はない、か。


 少年フューの上品な食事風景を眺めながら、クロッドは溜息交じりに答えた。

「どうもこうも。隕石から現れたあの女、一体何者だったと思う。おまえの従者のレダンとエリックもそうだけどな、とんでもねぇ奴だったぞ」

 むっとフューは眉を寄せ、目を伏せてパン切れを口に押し込んだ。

 しばらく口を動かしていたが、飲み下して、少年は言う。

「あの二人は従者じゃありませんよ。僕を迎えに来てくれた人たちですから。お化けみたいに言わないで下さい」

「傭兵崩れまで雇ってた奴隷商の根城をたった二人で鎮圧したら、十分化け物だろうが……」

 まさかそこまで大規模なものがイウェンに存在しているとは思わなかったが、浮上した問題はそれだけでは済まなかったようだ。発覚するなり、今日の未明には早馬が町の門を出ていったという。

 今後イウェン周辺にも様々な噂が立つ事だろう、と、難を乗り越えたクロッドは、既に全く他人事として事態を捉えていた。

 ……それと、レダンまでもがドラゴンだったというのは、しばらくフューには黙っておいた方が良さそうである。


 『お化け』の二人は、現在フューとクロッドが遅い朝食を摂っている部屋にはいない。イウェンから出立する人数が急に増えたため、それの調整に動いている。昨夜意識を取り戻した蒼い少女とルミナは服を着替えると言って不在だった。


 がた、とテーブルに頬肘を付き、クロッドは嘆息する。

「寄り道したら、師匠は怒るかねぇ――?」


 何がどうであれ、確実に、面倒に巻き込まれつつあるのだけは確かだな、とクロッドは思った。



□■□■□



「初めまして、アウルフィアの方。(わたくし)、アストラ・シンシアフと申します」


 開口一番に、凶星から落ちてきた少女はそう告げた。


 彼女の外見は、夜空の下で見た時もそうだったが、獣のような耳を除けば普通の人間とはほとんど変わらなかった。

 淡い蒼の髪も特に妙ではない。蒼い髪を持つ人間は中央大陸の東方にも存在している。肌はどこぞの王国の姫君などよりも白そうだったが、決して不健康な色ではなかった。瞳は獣だった時に似てか、濃い蒼の中にいくつもの星が点々と瞬き、覗き込んだ者に不思議な世界を見せている。

 そして……フューと同じで、全体的にひょろっこい。


 じろじろと観察しながら、だが、とクロッドは首を傾げる。


 気が弱くてお人好しそうに感じさせる顔立ちだが、フューと違うのは、何やら少女の根幹の部分にしっかりと芯が通っていそうな事だ。

 一体何がどう違うのやら、と思いながら、少女の口にした言葉について、目を伏せがちに聞いた。


「ああ、こっちこそ初めまして……。アウルフィアってのは?」

「アウルフィアとは、あなた方の世界を指す言葉です。つまり、今私がいる世界の事ですね」

「……何だか、世界が別にあるみたいな言い方ね」

 クロッドの側らに座るルミナが、半目でそう言った。

「? はい、事実そうですが」

 しかし、少女はきょとんとしたのみで、事も無げにそう答える。

 しばらく思案顔になった後、アストラは手を窓の外へ差しのべた。

「あの星が見えますでしょうか?」

「……まぁ、ここからでも一応見えるね」

「随分と明るい星だが、あれは凶星の『蒼い矢』ではないのか?」

 レダンとエリックが好き勝手に相槌やら疑問を口にする。

「アウルフィアでは、そのように伝えられているようですが……実際は少し違いまして」

 アストラは困ったように微笑みながら、へた、と耳を垂れ下げた。

「あれは、私どもの世界のエマルフィアから、異なる世界であるアウルフィアへと通じている、今の所判明している唯一の道なのでございます。それと、私が降ってきた時の隕石ですが、あれは私が力任せに道を突破してきたせいで生じたものでして。本来なら、普通に通れば全くこのように被害を出す事無く、アウルフィアに降り立つ事ができるのですが――少しこちらで立て込んでいて、出る場所がずれてしまいました。それだけのために、アウルフィアの方々にはご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ないと思っています」

「……非常事態が起こってあんな事になったのか?」

 しかも、巨大な穴ぼこを平原のど真ん中に作るほどのものが、ただの余波。

 聞いてクロッドは呆けた。本体であった彼女の周りで起きていたのは、果たしてどれほどのものだったのやら。

 とはいえ、考えても詮無い事ではあるのだが。

「……この惨状云々は抜きにしても、つまり、貴女は異なる世界からやってきたと言いたい訳だ?」

 エリックの問いかけに、アストラは頷いた。

「はい」

 即答する少女を前に、クロッドは眉を寄せた。

 疑う余地は、ない。

 事実、隕石が星から降って来て、その中から彼女は出てきたのだから。

 だが。

「……なぁ、一ついいか?」

「はい、何でしょう?」

 ぽかん、と口を開けたまま、クロッドはアストラの耳を指差した。

「その耳は?」

「え?」

 ぴくん、と、ふわふわと毛に覆われた、大きな三角の耳が震える。

「ああ、これですか? アウルフィアの方には珍しいでしょうね。エマルフィアでは一般的なのですけど」

「……化けるのが下手って訳ではないのか」

「はい?」

「あ、いや。何でもない」

 否定しながら、これがドラゴンであれば腹を抱えて笑い転げられただろう、とクロッドは内心でぼやく。半人前以前に、四分の一人前にも満たないようなぼろの出し具合だった。

 自分の師の近くにいた幼いドラゴンは、クロッドの周りにいた幼年の者たちからすれば恐ろしいくらい、人間への擬態の完成度を誇っていたのだが。蛇足のように思い出し、遠い目をする。良くも悪くも、あの師がいた場所は異常だった。

(……師匠なら、こいつの言うことについても何か知っていたのかね)

 内心に呟きを落とすと、緩く頭を振る。

 師の知識とて、限界があるはずだ。そんなに何もかも知っているのは――そう、神といった、ドラゴンや人間を超越した存在だろう。

 考え込んだクロッドに代わり、ルミナがアストラに質問を投げかける。

「それで。あなたはまたどうして、ここにやってきたの?」

 少女ははっと表情を変えた。

「あ、はい。それはですね」

 彼女が耳を軽く震わせると、胸の前にほわんと小さな星色の光が灯った。

 質問したルミナだけでなく、クロッドもまた目を瞬かせて、しばらく光に見入る。

 やがて光が何かの形を成して、少女の手の中に収まった。

 覗き込むと、クロッドより一回り小さな手の平に、球を平たく楕円に延べたような形をした、金の首飾りが乗っていた。

「これは、私たちの間では“ヴァンリール=カンタ”――こちらに通じる言葉で言えば、王の証と呼ばれるものです。通称カンタと呼びますね」

「ヴァンリール=カンタ……」

 レダンが顎に拳を当て、考え込むように呟いた。

「王の証を持つって事は、君は王族か何かなのか」

「ええ、まぁ」

 少女はそこで手の中のカンタを見下ろして、ほろ苦い笑みを浮かべた。

「このカンタですが、本来はいくつかの力ある宝玉がはまっていて、将来王となる者を守り、王位まで導く力があるとされています。……しかし、見ての通り穴だらけで、今は宝玉は一つしかありません」

 少女の言う通り、中央に大きなもの、周りに点々とそれより小さい、五つの何かがはまりそうな空洞が環状に開いている。唯一埋まっている空洞は環の上方で、そこにあるのは星色の石だった――つまり、全部で六つの石がはまるのだ。


「ルータイルは星の如く、イオは淡き紫紺を流し、アウィンは宵の美しよ、ベリルは深き真理の賢者、クォンは淀みなき意志となり、王の血の紅きルベラを崇める」


 聖句のように唱え、少女は息を吐いた。


「古くから伝わる、カンタに収められたそれぞれの石を称える歌です。ここにあるのは『導き』を司る星色のルータイルのみ。残りの宝玉であるイオ、アウィン、ベリル、クォン、そしてルベラは、随分前にこの世界にやってきたヴァンリール――先達の王の一人が、戦乱に巻き込まれた際にアウルフィアに置いて来てしまったそうです。そして――」


 ここにきて、アストラの声がしぼむ。


「私がこのアウルフィアに来たのも、それらの石を集め、エマルフィアに戻って民を護るため――」



□■□■□



(『――私はそんな使命を携えて、この世界にやってきたのです』)

 アストラの静かな声が脳裏に響く。

「使命、ねぇ……」

 クロッドは頬杖を突いたまま、アストラの言葉の数々を反芻していた。

 昨夜はあの蒼い少女からは、彼女が抱える理由しか聞くことはできなかった。

 しかし、それを聞いたところでクロッドに何ができる訳でもない。五つの石のどれか一つについて行方を知っていたならば、話は別だったのだろうが――それもないのだ。


 ――王族の使命?


「そんな大層なもの抱えて、どう生きるつもりなんだか」

 溜息交じりに呟いたのを、フューがじっと見つめている。

「……何だよ?」

「クロッドさんは、アストラさんの使命には興味はないんですか?」

「ねぇよ。大体何だって俺がそんなものに首を突っ込む必要があるんだよ」

 クロッドの返答に、フューは眉を潜める。

「……僕は? 僕の時はどうだったんですか? 興味本位ではなかったんですか?」

「あれは、ただの迷子だと思ったんだよ。一体誰が、あんな面倒な奴らがおまえなんかに関わってると思うんだ? 誰だって親か連れかに引き渡して終わりだと思うだろ」


 それがどうすればここまで事態がこじれるのだ。

 イウェンで予定していた一泊は絶対にこんなはずではなかった。


「おまえはあれか? そういう星か何かの下にでも生まれてるのか?」

「違いますよっ! いくらなんでもひどいです、クロッドさん。僕はちゃんと星位聖の定めた日に――」

 がたん、と椅子が鳴った。

「――おい、おまえ」

 咄嗟にフューの口を塞いで、クロッドは低く囁いた。

 こちらの豹変に、フューは目を真ん丸にして、椅子から腰を浮かせた中途半端な姿勢で硬直した。

 少年が完全に黙ったのを見ると、クロッドは軽く殺気も含めた、どす混じりの声を喉の奥から絞り出す。


「……星位聖なんてのは、確か聖神教でも御大層な吉日とやらを定める星見の最高位だろ? ここは信仰に身を投げ打つ貴人ばかりがうろつく王都じゃない。無闇に大声で自分の出自を語るな。死ぬぞ」


「~~っ、」

 一気に血の気を失くす少年の口から手を離すと、クロッドは立ち上がった際に後ろへ倒れた椅子を引っ張り起こした。


「……ま、こいつは世間知らずみたいだから、たまにこれぐらい言って聞かせてもいいだろ?」


 問いかけは、フューに向けてではない。


「ああ、おかげで助かった」


 部屋の入口に立っていたエリックは、クロッドの後ろにいるフューに向けた目を、そっと注意するように柔らかく細めた。

「秘密は誰が聞いているか分かったものではない。知られて身の危険が生じる可能性があるならば、自分の事を無闇にばらすのはやめておけ。……ここは生家ではないのだから」

 言われて、フューは俯いた。


 ――叱られてもすぐにしょげる。


 少年のくるくるとしたつむじを眺め、クロッドは半目でしばらく椅子に座るかどうするかを決めあぐねていた。

 しかし、結局フューの頭に手を置いた。


 きょとんとする紫の瞳から顔を背け、フューの黒髪をぐちゃぐちゃにかき乱しながら、クロッドは内心で独りごちた。


(やっぱ関わるんじゃなかった)


 と。

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