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Dragon Eye第二篇 星の音色と白の神話  作者: 星白明
序章 1.始まりの出会い
2/13

-1- 零れ落ちた光

「――面倒くさ」

 ――そう呟いた青年の目の前には、町があった。



「……」

 先ほどからずっと見上げていた町の外壁から目を離して、疲れた首をさする。

「――面倒くさ」

 再び、呟いた。

 その一言が、実に的確にクロッドの心情を表してくれていた。

 自分に起こり得るあらゆる事を想像しただけで、とてつもなく気が重くなったのだった。


(『おまえ、ちょっと世界を見てきたらどうだ?』)


 思い返せば、そう師に言われたのはまだたった一週間前の話だった。

 「どうだ?」なぞ言われても困る。

 例え師が提案したつもりであっても、師事する自分にとってみれば絶対命令とさほど変わらないのだから。

 嫌もいいえもなく、もとからあるかどうか分からない荷物を最低限まとめて、鞄を肩から下げて出てきた。

 こうして旅に出てしまった今だから言えるのだとは思うが――今の師に鍛えてもらえと、住んでいた隠れ里で世話になった好々爺から紹介してもらい、彼に教えを乞うようになってから一年余り。基本からちょっとした応用までの体術、魔術をさらわれた。「できるだろう」「知っているだろう」の一言で文字通りさらっと流されたのには唖然とした覚えがある。確かにできるし知っていたが、まさかそれだけで済むと思わなかった。

 その後で始まったのがなぜか、処世術、荷物を小さくまとめる方法、求める情報の集め方、通貨の両替の計算、その他もろもろのやたらと選択肢が所帯じみた叩き込み。


 自慢でもないが、胸を張って言える。


 絶対に旅に出す気だった。


 師にしてみればとった事もない弟子などを押しつけられて迷惑だと思っていたのかもしれない。自分も初め、誰かの弟子になりたいと言った覚えもないのに師のもとに放り込まれ、少なからず思った事があるので、師の事をとやかくは言えないのだが。

 とはいえ、クロッドがいた隠れ里で教えられる事からしてみれば、ずいぶんとあの師の動きには目を瞠るものがあったし、きっちりと教えるべき事は教えていたと思う。好々爺の目は間違ってはいない。

 だが、それがまさか、さすがにたった一年で旅に出される事まで見越していたなんてないだろう。

 そういう訳で、師のもとに放りこんでくれた彼には極力恨みを抱かないことにはしていたのだ。


 ――して、いたのに。


「まず最初にジジイに報告とか、有り得ないだろ」


 あの鬱陶しい好々爺に会いに行けと?


 本格的な旅ではなくて、お試し、という事だろうか。

 最初に旅に出た時に、故郷に報告しに行けと言われるとは完全に想定外だ。

 重い溜息をついていると、あの、と、背後から幼い声がかかった。


「あの、すみませんが。ここで騎士風の男の人を見かけていませんか?」


 振り返ると、誰も居ない。


 首を傾げて少し目線を下にやると、クロッドのみぞおちほどの低い位置に、声の主か、子供の頭が見えた。

 紺のマントをすっぽり被って、フードのせいで顔はよく見えない。

 クロッドが眉を潜めると、子供は「あ、すみません」と小さな声で断って、フードを払いのけた。

 フードの下を見て、クロッドはあれ、と目を丸くした。

 声からして少年だろうとは予想していたが、まさかこの近辺で瞳が鮮やかな紫色をしている人間に会うとは思わなかった。

「珍しいな……ヒスラン人でもないのに紫色か」

「えっ、やっぱり変ですか?」

「え?」

「あ……いえ、何でもないです。忘れて下さい」

 言って、子供は稀な色の目を恥ずかしそうに伏せた。

 フードを脱いだ少年は、まだ背が低い事からして、おそらく十三ほどだろうか。

 緩く巻き気味の黒髪が、短くうなじの高さで切り揃えられている。支配層の人間か、とクロッドは思う。こうも綺麗に髪を刈り込んでいる人間は、今周りを行き交っている人々の中には一人も見当たらない。

 それにしても、なぜこんなところに良家の子供がいるのだろうか。

 改めてまじまじと見つめていると、少年はさらに縮こまる。

「あの……人を探しているんですが」

「あ? ああ、そうだったっけ。騎士風の男だったか?」

 はい、とこれまた小さく頷く少年の目を見つめ、首を傾げた。

「あいにくだが、見てねぇな」

「そうですか……」

 言うと、目に見えて少年が意気消沈した。

 そのまま立ち去るかと思っていたら、一向に動く気配がない。離れようかと踵を返しかけたところ、頻繁に周りから好奇の視線が少年に投げかけられていることに気付く。検問に立っている人間も、何やら面倒そうに少年を見つめている。

 ……危なっかしい。

 何だろうか。好々爺と同じで、構ってやらないと復活しそうにない気がひしひしと感じられる。あちらはわざとやる確信犯だが、こちらは本当にやっているのだから、余計性質が悪い。

 そのうち誰かにうまく言い包められて、それにほいほいついて行く少年の姿がちらりと脳裏を過ぎり、クロッドは顔をしかめた。さっさと別れて見なかった事にしたい。

「…………」

 一人にしてはいけない類の人間を置き去りにしようとしているのは分かっているのだが。

 哀れっぽく鳴く羊を、血に飢えた魔物の群れの中に放り込むのと同じだと分かっているのだが。

「どうしよう」

 小さな途方に暮れた呟きが耳をかすめ、ぴくんと肩が跳ねた。

 この強烈な後ろめたさ。間違ってもお人好しなんて柄ではないというのに。


 半ば条件反射のように、言葉が口から飛び出た。

「一緒に探してやろうか?」

 ああ。

 これで厄介事がなくなったとばかりに、先ほどからこちらを伺っていた検問が、クロッドが見ている前で興味がなさそうに顔をそらした。

 きょとんと、少年はクロッドを見上げてくる。

「……よろしいんですか?」

 こんな事を言われても、一度出てしまったものは仕方がない。好々爺と自分を恨みながら、クロッドは少年に引きつった微笑みを向けた。

「ああ。あ、名前を教えておいた方が良いな。クロッドだ」

 少年は少し間を置いてから、一礼した。

「フュー、と呼んでください。ありがとうございます、クロッドさん」

 全身がむずがゆい。

 知るかと叫びたかったが、もう遅い。



□■□■□



 町の中に入ると、二人は人混みをかき分けながら進んでいた。

 やけに人が多い上に皆浮き足立っているが、何か祭りでもあるのだろうか。

「おまえって、そもそも何であんなところにいたんだ?」

 クロッドがフューに尋ねると、少年は困ったように首を傾げた。

「はい、えっと、連れの方と一緒に旅をしていて、ここまで来たんですけど……この町でもう一人、合流する予定なんです。僕が探している人は、その人に会いに行くから戻ってくるまで待っていろって、宿の食堂に僕を残して出て行ったんです」

「はぁ? 宿にいたんなら、何でまた外に出たんだよ」

「掃除の邪魔だと追い出されて」

 それで宿の前でぽけっとしていたら、人の流れに呑まれて、あれよあれよと町の外に運ばれてしまったのだとフューは言った。

「……史上まれにみる鈍間だな、おまえ」

 気を遣おうとしていても、その間抜けさは言わずにいられないほど。

「やはりそうですか……」

 クロッドの物言いに、すぐさま少年が気の毒なほどに萎れた。『年下を泣かす大人気ない青年図』の完成である。

 周囲からちくちくと非難めいた視線を浴びて、クロッドはフューに見えない所で顔をしかめた。

(俺のせいなのか!?)

 それとも呆気なく流されていくフューが悪いのか。

 いや、間違いなく非はフューにある。そもそも宿まで戻ればいい話ではないか。

「宿に戻れば会えるだろ?」

「……………………あっ!?」

 今気付いたのか。

 思って振り向くと、視界からフューは消えていた。

 しょうがない子供だ。大方また人に流されたのだろう。

「おい、フュ……」

 呼ぼうとして、クロッドは見つけた。


 町の建物の間。

 細い路地を、男二人に引きずられていく小柄な体を。


 何を思う間もなく身体が動いて、彼らを追いかけていた。

 さっきの声、まさかあれで悲鳴だったのか。

 いや、その前に。

「こんな所で人攫いに遭うのか!?」

 事前に集めていた話では、少なくとも治安はそれほど悪くない上に、イウェンはその手の流通路から外れた町のはずだ。

 だというのに攫われるとは。

(あいつどれだけ運が悪いんだ!?)

 心の中で絶叫しながら、クロッドは追手に気付いて逃げ出す男らに向かって、更に速度を上げた。

 袋小路かどこかに追い込めれば、後はゆっくりと助け出す事もできる。焦るな。

 言い聞かせてはいたが、嫌な予感は当たった。

 頭上に突然気配を感じて、クロッドは息を呑んで立ち止まる。

 軽い音を響かせて目の前に降り立ったのは、細身の男だった。

「止まんな、坊主。渡す訳にはいかんよ」

 にや、と男が笑った。

 しかし、その顔は一瞬にして驚愕の色に染まり、次第に苦悶へと変わっていく。

 相手の腹にめり込ませた拳を引き抜くと、クロッドはふっと目を伏せ、半目で倒れ伏した男を見下ろした。

「俺の連れだよ。返してくれ」

 クロッドの細い見た目に騙されたのだろう。

 あいにく、人に化けた外見にはほとんど似合わぬ怪力揃いがドラゴンだ。師に改めて磨き直された体術も舐めてもらっては困る。

 ただ。

(……何で路上での喧嘩にまで通じんのか謎だよな)

 クロッドからしてみればずいぶんと危険そうなモノを仕込まれたはずなのだが、手加減次第でこんなに小回りが利くとは。

 思いながら転がった男を踏み越えて進むと、既に遅かったらしい。


 袋小路は袋小路だが、逆にこちらが追い込まれる形になっていた。


 どうやらクロッドもおびき寄せて捕らえようという算段だったようだ。

 待ち受けていた人攫いが少年の白く細い首に突き付けたナイフを見て、クロッドは眉間に皺を寄せた。

「逃げれば……分かってるよな?」

 フューの脇にいる男が、見下すようにクロッドに言った。


 たった数刻前に知り合ったばかりの人間だ。別に見捨てても問題はないだろうが……。


 それだけの時間で、フューがどういう人間かは嫌でも分かっていた。

 見捨てられても生き延びられるような、しぶとい子供ではない。



「性質悪いぜ、ったく」



 誰に向かって吐き捨てた言葉かは自分でも分からなかった。

 男の癖に、ふるふると情けなく震えるフューの丸い瞳は、今にも目から零れ落ちそうだ。さっきからナイフを突きつけられている首もやけになよなよしい。吹けば飛びそうな、枝のようにひょろい身体も気に入らない。

 師も痩身だが、あれは引き締まった肉食の獣を連想させる。こんな雛のような雰囲気など欠片もない。

 従順で素直で気も弱い。まさしく最弱。こんな人間の子供、ドラゴンとは対極の存在だ。

 だというのになぜ放っておけないのかがクロッドには理解し難かった。


 しかし、なぜかこの時、確かにあの好々爺の勝ち誇ったような顔が脳裏に浮かんだ。


 彼がほくほく顔で言うことには、曰く、

『これが庇護欲じゃ』


(……マジでウザッてぇ)

 とりあえず、遠慮なく脳内で爺の尻を蹴り飛ばす。

 ――結果として、クロッドは無抵抗のまま、人攫い共に捕まった。





 最後に見たのは、男たちの実に腹の立つ笑顔だった。


「ぐっ!」

「うわ!」

 二人して乱雑に檻に放り込まれ、クロッドは呻いた。

 がしゃん、と、身体に巻き付いた鎖が騒々しい音を立てる。先ほど男を軽くのしていたので予想はしていたが、この太さではいかな怪力といえど、人間の姿では千切るのはさすがに無理だろう。

 ちなみに、間抜けな声を上げたフューを縛っているのは、普通の細い縄である。

「……っはぁ、くそ、おまえいくらなんでも間が抜け過ぎだドアホ」

「な、何で……」

 ぱくぱくと少年が口を開閉する。魚か。

「あんなに優しかったのに……」

「おまえにいちいち合わせてたら誰でも疲れるわ!」

「ですがっ、連れの騎士様は合わせてくれました!」

「ああ、今ならそいつの根気を心から尊敬するね! お疲れさんと声をかけてやりたいぐらいだ!」

 くそっとクロッドは吐き捨てた。少年の瞳にはありありと怯えが浮かんでいる。

 八つ当たりだとは分かっていた。

 だが、この少年さえいなければ、こんな屈辱的な目に合わずに済んでいただろう。

「…………それぐらいにしておきなさい。いいえ、その口を閉じて黙れと言った方が良いのかしらね? やかましくてしょうがないわ」

 平たくて涼やかな女の声が耳に飛び込んできた。

 水を差されたクロッドが転がって背後を見やると、十五程度の外見の少女が座り込んでいた。じゃらり、と鉄の首輪から繋がる細い鎖が、彼女もまた囚われの身であることを仄めかしている。

「そんな子供に八つ当たり? 程度が知れるわね、下衆が」

「……誰だよ」

 少女は答えずに、つんと鼻を持ち上げた。

 クロッドはしばらく唇を噛んだ後で、舌で湿らせて口を開いた。

「俺はクロッドだ。後ろの子供はフュー。で、おまえは何だ」

「ふん……ルミナ・ルラスキィ。魔術師よ」

 その身形でか。

 思わず言いそうになった言葉をクロッドは飲み込んだ。

 いくらか汚れてはいるが、眩い白さのひらひらとした服は、明らかに――。

「寝間着姿で言われても説得力ねぇぞ。人攫い共が良心的な奴らで良かったな」

「ちょっとした事情があったのよ。ごちゃごちゃ言わないで欲しいわね。上客向けの良品で、手付けされていないものとして置いておくらしいわ。これでも今だけは自分の容姿に感謝してるのよ?」

 片眉を上げて、ルミナは言う。

 彼女の言う通り、確かに顔は整っている方だと言える。

 陶器と見紛うほどに細やかで真っ白な肌と、とろけるような蜂蜜色の瞳。さらりと長い純白の髪が、肩から流れ落ちて揺れる。表情がやや硬いためか、「人形のようだ」と形容させるような、緻密で無機質な美しさを少女は秘めていた。なるほど、性根が腐っていても貴族は見る目だけはある。いかにも彼らに好まれそうな容姿だ。

 その少女は、半目でクロッドを睨んだ。

「で? あなた、何。人間じゃないでしょ」

「え?」

 ぽかんとフューが後ろで呆ける。クロッドは舌打ちをしてルミナを見返した。

「どういう事ですか?」

「……説明が必要みたいね」

 言いながら、ルミナは腕をこまねいた。

「擬態は上手い方だから、それと注意して見ないと分からないかもしれないけど。こいつの目を良く見てみれば? ちょっと縦に切れ長の瞳孔、それに全体的にうっすらと白目が色づいてる。ひどい時は耳が尖ってるらしいけど、こいつにそれはないわね。若いドラゴンは基本的に、人に擬態するのがまだヘタクソなのよ。これが百年、二百年となってくるとほぼ擬態が完璧になるから見分け辛いらしいけれど……ってことは、へぇ、あなた、外見からしても百年以下ね。ざっと生まれて六十年ぐらいってとこかしら」

 ドラゴン? と目を瞠るフューを無視して、クロッドは低く舌打ちをする。

「……三十年だよ。人で言えば十五ぐらい」

「――あら、まさかの天才肌?」

 ルミナは目を丸くする。

「いいや。おまえの予想通り、普通だよ」

 ただ、師の居た場所で体験した事を思うと、嫌でも人への擬態は上手くなるのだ。あの場所の子供たちも、成獣した大人たちも、異常だ。いや、あれはあの場所に住んでいるからこそ、なのだろうか。

 クロッドは彼女を睨んだままで唸った。

「ばらすな。隠してる訳じゃないが、言うつもりもなかったんだ」

「そう。でもいつかはばれたはずよ? さっき行ったあいつら、めちゃくちゃな馬鹿力だってあなたのことを罵ってたわ。人じゃないと考えればすぐに分かるものよ」

 ルミナは目を細めた。

 再度舌打ちをして、クロッドは顔を背けた。

「他人の秘密を見抜いて勝手にばらす女なんてろくでもねぇよ」


「……あの、やめましょうよ。とにかくここから出ないと駄目でしょう? 僕たち、捕まってるのに」


 少年の声に、しん、と檻の中は静まり返った。


「あのね、この状況見て言ってる?」

 ルミナがこめかみを揉みながら呟いた。

「順に考えれば一番頼りになるはずのつっよそうなドラゴンが、こんなぶっとい鎖で巻かれてるのよ。魔術師の私だって魔力封じの縄を巻かれてるんだから動けないわ。あんたは何もできないし。どうしろっていうのよ」

 言葉無く隅に引っ込んだフューを見つめ、クロッドは無表情でルミナを振り返った。

「……おまえも大概ひどいぞ」

「あなたと一緒にしないで。事実を述べたまでよ」


 檻の中の空気は、ここに至って氷点下まで冷え切った。


 フューには悪いが、この険悪な空気を氷解させられる気がしない。ルミナにもその気がないようだった。

 しかし、数刻後に先ほどの人攫いが戻ってきた時にはさすがに三人とも辟易しており、クロッドは檻から出されただけで安堵の息を吐くことになった。


 外に連れ出されると、もう既に真夜中近い時刻のようだった。

 黒布を頭から被せられ、急き立てられた先で幌付きの荷馬車に放り込まれる。他にも数人ほど同じように捕まった人間がいたが、誰も口を利かなかった。

「これからどうなるんでしょう?」

「普通どっかに連れて行かれて、奴隷の競りにかけられるだろうな」

 皮肉交じりに呟いたクロッドの言葉に、フューは震え上がった。

「良くて鑑賞、玩具扱い、悪くて趣味の拷問用とかね。ま、私みたいなのは貴族行きになるんでしょうけど。あなたも珍しいからそうなるんじゃない? クロッドの方は……まぁ、顔からしてどっちとも言えないわね。見れないほどじゃないけど」

「そんなに珍しくなくて悪かったね」

 唇をひん曲げて笑うと、ルミナも蒼白の顔に酷薄な笑みを浮かべていた。憎まれ口を叩ける内が幸せだということだ。

 馬車が動き出すと、ルミナとフューは姿勢を崩してクロッドの方へ倒れ込んだ。

 子供とはいえ、勢いがなくとも二人分の重さは相当なものだ。御者の方に悪態を吐くと、クロッドは起きるに起きられない二人のために、ささくればかりの荷台に黙って横たわっていた。

 おそらく早朝まで馬車は動き続けるだろう。

 それまでにどうにかして逃げ出せはしないかと頭を回すが、やはりこの鎖が邪魔だ。

「……ねぇ、あんた魔術は使えないの?」

 胸の上に顔を乗せていたルミナが、ぼそぼそと囁きかけてきた。

 クロッドは眉を潜め、囁き返す。

「やってみないこともないが、見たところあっちも魔術師を雇ってる」

 ちら、と人攫いの一人を示す。腰に魔術を補助するための杖が差してあるのを見たのだから、間違いない。

「おまえら二人の縄を切る前に取り押さえられるのがオチだぜ」

「ドラゴンの姿に戻れば良いじゃない」

「簡単にできるか。おまえも言ったろ。人に擬態するのがヘタクソってことは、戻るのもヘタクソ。一苦労ってことなんだよ。ある程度時間がないと無理だ」

「役立たずね……まぁ魔術が使えるだけ良いわ。私の縄を切るだけでいいの。そうしたらどうにかしてみせる」

「……その言葉、信用できるか」

 ルミナは片眉を上げてそれに応えた。

 しばらく沈黙し、考える。

 何もせずに連れて行かれて競りにかけられるのが最悪の結末だろう。輸送の途中である今ならば人員も少ない。

 暴れて逃げ出せるか。少なくとも、この少女が優秀な魔術師ならば、どうにかできる。いざとなればドラゴンに戻って少女とフューを引っ掴んで逃げればいい。多少無理矢理の上におそらく足がつくだろうが、この際気にしてはいられない。

 クロッドは再度人攫い共の様子を窺い、問題がないと判断する。

 ルミナを縛る縄に、身をよじって手を押し当てた。

 深呼吸。

 一拍置いて、瞬時に藍色の淡い光が灯り、素早くうねってよじれると、小さな紋様を成した。

 ぷつっと小さな音がして縄が切れる。

 ルミナが素早く立ち上がり、気付いた人攫いが声を上げた。

 魔術師が慌てて杖を引き抜くが、ルミナが早い。

「這いつくばりなさい!」

 ろくに呪文らしきものも唱えず、手を横に薙ぎ払っただけで、人攫い共が荷馬車から放り出された。数人が地面へ声もなく叩きつけられる。

 残っているのは四人。

 ルミナが再び魔術を振るう。クロッドの鎖が耳障りな音を立てて割れた。フューの拘束も解かれている。

 クロッドはルミナへ飛びかかった四人の前へと躍り出ると、手前にいた男に素早く一撃を叩き込んだ。

 傍らで一人が少女の雷撃に吹き飛ばされる。まだ意識があったが、意外にもフューが飛びかかって押し倒し、おっかなびっくり、だがしっかりと頭を強打させて仕留めていった。

 思わず硬直して立ち止まったもう一人の胸ぐらを掴むと、脳天から叩き落として気絶させる。

 最後の一人に意識を向けた所で、クロッドは息を呑んだ。

 残った男が、泡を食って御者台の隅へと手を伸ばしている。薄っすらと荷馬車に配置された魔力の回路を見てとり、制止の声を上げた。

「よせっ――!」

 遅かった。

 御者台が爆発する。

「野郎……っ!」

 攻防に怯えていた近くの奴隷らから悲鳴が上がったが、一瞬でそれも炎に呑まれた。

 一泊遅れて、今度は馬車全体が爆発した。

 前方にいたクロッドらは爆破の衝撃で大きく放り出された。薄い草地の上に強かに身体を打ち付け、気付くと、先ほど放り出した人攫い共がこちらへ罵声を上げて向かってくる。

 近くに倒れていたフューへ駆け寄った男の手に、抜身の刃が光った。

「なろっ!」

 腕を振るい、風の刃で間一髪、男を吹き飛ばす。

 フューを引っ張り寄せてから辺りを見回すと、荷馬車が進んだ分だけ人攫い共からは距離があった。

 だが。

「魔術師!」

 フューに気を取られている間に、ルミナが捕まっていた。

「この……調子に乗りやがって……!」

「……っ!」

 男に腕を捩り上げられ、苦悶の表情が少女の顔に浮かぶ。

「ルミナさん!」

 フューが叫び、クロッドは舌打ちする。

 どうやって助ける、と思案した時――、


 頭上が突然、真昼のように明るくなった。


 タスケテ


「!?」

 脳裏に響いた声にはっと息を呑む。

 ルミナ?

「何だ!?」

 男たちが次々に異変に声を上げ、どよめいた。

 青白い光が草地を隈なく照らす。

 何かの魔術か、とクロッドは思った。

 しかし彼らの仲間がやった事ではない。ルミナもぽかんと明るくなった空を見上げているだけだ。

 では今の声は誰のものだ? この光は誰が放った?

「クロッドさん! あそこです! 魔術なんかじゃないですよ!」

 周りと同じように空を仰いでいたフューが、クロッドに促した。

「星が――」

 フューが指差した。

「星です、空の星を見て下さい!」

「星――?」

 相対している敵から意識を逸らす事は自殺行為にも思えた。だが、フューの切羽詰った声に抗えずに、言われるがままに空を見上げる。


 天を埋め尽くす星の中。

 そこに、今まで見た事もないような、蒼い光の筋が一つ、走っていた。


「――はぁっ!?」


 腹の底から素っ頓狂な声が出た。何だこれは。

 あまりの驚きに、その場の全員で乱闘を繰り広げていた事も忘れた。


 たった数瞬前まで、決してそこになかったはずの光の筋。まさか、こんなに明るい光がどこから現れたというのだろう。

 筋の先頭を突っ切る巨大な光の塊の周りには、屑のように光の欠片が付きまとっている。その眩さは、周囲の星が光に負けていくつか見えなくなってしまうほど。

 というより、あれは星と同じ場所にあるのではないか。

 星にしては並外れた大きさだが、クロッドにはそれが何なのか、心当たりがあった。


 じんわりと、師の言葉が記憶に蘇ってくる。


 師が幼い時にも、あんな光の筋が空に走った事があったらしい。

 先達のドラゴンらは言う。

 光の筋が現れる度に、世界は大きく揺れ動いた。ろくな動き方ではなかった、と。

 聖典でも『凶星は白い禍を呼び寄せる』と、謎の不吉な記録があるのだから、人間であれ、知らぬ者は恐らく少ないだろう。


「……凶星――『蒼い矢』か!?」


 忌まわしき異名を口走った時、その星から、


 ぼろっ、と、


 『光に包まれた何か』が、


 『落ちた』。


 ただでさえ恐れられている星の出現から、更に発生した異常事態。


 人知を超えた恐怖に震えた人攫い共は、ルミナを放り捨てて逃げ出し、奴隷らも必死に千切れた鎖や重りを引きずり、悲鳴を上げて方々へと散った。怪我をして動けない者もまた、その場にうずくまって嘆き、狂乱して神に救いを請うている。

 ここに至り、場はまさに混沌とした様相を呈していた。


「――クロッド、さん」

「……何だよ」

「何か、落ちたアレ……だんだん、大きくなってません?」

「……大きくなってる?」

 馬鹿か、とクロッドは腕の中の少年に吐き捨てた。

 隣におっかなびっくりやってきたルミナも、色を失くした顔で星から零れ落ちた光を眺めている。

「大きくなってるんじゃねぇ……あれは――」

「――こっちに落ちて来るわ!」

 ルミナがクロッドの言葉を引き継いで悲鳴を上げた。

 光が凄まじい速度で飛来している。

「走れ、死ぬぞ!」

 クロッドは咄嗟にフューの背中を押して踵を返した。

「死にたくないなら走れ!」

「まっぴらごめんです!?」

 死ぬという単語に反応したか、フューが半べそをかきながら先頭をきって走りだす。すぐにクロッドが追い付き、ルミナと彼の手を取って宙高くへと放り上げた。

「ちょっ!?」

「ひっ!?」

 抗議と恐怖の入り混じった悲鳴を聞きながら、

「――瞳よ!」

 クロッドは叫んだ。目頭が熱い。


 視える世界が、切り替わる。


 それと同時に、強靭な四肢が大地を掴んだ。

 宵闇色の翼を広げ、宙を掻き、駆ける。


 ドラゴンは、大地から空へと舞い上がった。


 前足の中に宙へ上げた二人を受け止めると、クロッドは光の軌道から必死に横へと逸れて旋回した。

『しっかり掴まってろっ!』

「ちょっ――冗談じゃない! 降ろしなさい!」

『今更この高さで降ろせるか! 死ぬぞ!』

「死んでもいいから降ろしなさい! さもないと殺すわよ!」

『訳の分からない事抜かしてんじゃねぇ!?』 

「馬鹿! 子供が気絶してるのよ! 気付け!」

『はぁあ!?』

 どこまで軟弱な精神だ。

 すっかり肝を潰して意識を手放したフューも、少年とはいえ重さはそれなりにある。彼を支えながらドラゴンにしがみつくなど、確かに少女には荷が重い。


 しかし、現実は残酷だ。

 喚き合っている間に光の塊はやってきた。


『マジでありえねぇ!』

 混乱の極致でクロッドは絶叫した。

『何だっていうんだよ!?』


 そして。


 巨大な質量がクロッドらの背後を通過し。

 光は大地への大激突を果たして、


 全ての感覚が吹き飛んだ。


 暴風と呼ぶのも生ぬるい風が吹き荒れた。

 鎌鼬(かまいたち)が生じたのと、生存本能のように全力で障壁を張ったのはほぼ同時。


『ぐぁああああああああっ!』

「――っ、」


 きりきり揉まれながらも、クロッドは死にもの狂いで手の中の二人を守る。

 衝撃波が障壁を割り、クロッドの鱗をずたずたに引き裂いた。


 地獄だ。

 薄らと思う。


(くそったれがっ――――!?)

 たった十数秒という、あまりにも過酷で長すぎた時間を、クロッドはどうにか耐え切った。





「…………、」

 一難去った後の空は、先ほど現れた光が急に弱まって、少し前よりも明るい程度に収まっていた。

 ぼろぼろの翼で、しばし呆然と飛翔を続ける。


 現実離れした体験に、ルミナも意識のないフューを抱え、どこか気が抜けている様子だった。


 平坦だったはずの大地には、大穴が開いていた。

 無理やり押しのけられた大量の土は穴の縁で盛り上がり、さらに遠い場所まで塊が飛び散っている。木々は衝撃で根こそぎ折られて、全てが綺麗に横倒しになっていた。辺りに吹き飛ばされてばらばらと倒れたままの奴隷はぴくりとも動かず、生死も見ただけでは分からない。


 しかし、そんな惨状の中、何よりも目を引いたものがあった。

 穴の中央、最も深く落ちくぼんだ場所で、未だに蒼白く光る塊があった。おそらく光の正体、本核だったのだろう。


 それが、



 もぞ



「………………ん?」



 もぞ、もぞ



「………………ぇ、」



 もぞり、と。



「――、……動いた」



 ゆっくりと光を集束させながら、塊――いや、その『生き物』は、頭をもたげる。


 一見、少し大きな犬とも猫ともとれる体躯は、妙に透けている。身体の奥は闇のよう。ともすれば吸い込まれそうな透明度のある黒の中で、ちかちかと蒼白い点が、星のように無数に瞬いていた。

 獣はふるふると眩暈を振り払うように頭を震わせてから、クロッドらに気付くと、首を傾げた。

 そして、再び全身を光で包み――


「……女?」


 一瞬の後に、その場には煤まみれの少女が出現し、こちらを見つめていた。


 ルミナやフューなら、辛うじて人型をした何かだという事しか分からないだろう。

 だが、クロッドの鋭い視力では、しっかりとその少女の姿が捉えられていた。


 少女の姿を確認した瞬間、クロッドは絶句した。


 藍の薄布で覆われた肢体はひどく白い。両手両足首には、ふわふわとした銀色の毛がついている。その手をついて、起き上がった少女の顔にかかっていた淡い蒼の髪が、剥き出しの白い肩に散るのも見えた。


 露わになった少女の顔を見て、さらに思考が停止する。


 少女は――銀の星を散らした蒼い瞳から、ぽろぽろと、やはり星を内包した涙の滴を零していた。

 淡い桃色をした、薄い唇が小さく動き。

 その動きさえ逐一追っていたクロッドは、少女の発した言葉の意味を、知る。


 少女は言っていた。


 ――助けて、下さい。と。


 そうして糸が切れたように、ふっつりとその場に倒れ伏した。

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