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Dragon Eye第二篇 星の音色と白の神話  作者: 星白明
一章 2.マールウェイ、動乱
13/13

-4- 星を詠むひと

「やー、やっぱセトラは速いですね……オリスヴィッカが目の前だ。早馬の倍の速さって世界違う」

「大丈夫か、テミス」

「無理っす」

 言うが早いか、馬型の魔獣の背から男が転げ落ちた。おえっと背後でえづく声がしたので、アラスタは「ミラ、止まれ」と並走していた騎獣の首を叩いて、自らの騎獣も立ち止まらせた。

 汚い光景を展開しているテミスを見下ろし、「参ったな」と呟いた。

「おまえ、騎士にしては体力なさすぎないか」

「一昼夜、この暴れ馬を御してかっ飛ばしていける隊長がおかしいから。マジで人間やめてますよね」

「人を化け物扱いするんじゃない」

「おや、体力お化けの呼び名をお知りでない。何時間走ってると思ってるんですか。一昼夜ろくに休みも取らなかったら、俺だってこんなもんですよ」

「…………五分休憩したらまた出発するからな」

「せめてあと十分ください」

「おまえに騎士の自覚はないのか」

「ありますが、それと体力は別物ですからー」

 技量で勝負がすぐ決まる騎士(こいつ)の弱点だな。アラスタは溜め息を吐いた。

「セトラを連れてきておいてよかったな。あの荷馬車、予想以上に速かった」

「どの世界にもいるんですねぇ、体力お化け。あんな馬鹿でかいランファー見たの、俺初めてですよ。……で、隊長、どうしても行くんですか?」

「何もなければ、直轄地侵入の責は私が取る。……あの少女、やはりパヤック人だと思うか」

「俺の見立てじゃ純血のパヤック人です。セイラック国の『悪魔の夜』の生き残りかどうかは、分かりませんがね」

「……あの子かもしれない。そんな予感がするんだ」

 ミラを呼び寄せて鞍によじ登る。手綱を握って見やれば、テミスは一瞬嫌そうに顔を歪めたが、口元を拭って素直に立ち上がった。




 ――十年前のことだ。

 北大陸の国が突然、瘴気と毒に覆われ亡国と化した事件があった。

 

 生存者、ゼロ。死者、全国民、およそ三百万人。この夥しい数の生命を平らげたのが何者なのか、未だに何も分かっていない。その場にいた人間は何かを見たはずだが、皆死んでいる。

 その国は冬になると深い雪に閉ざされてしまい、人の往来も途絶えてしまう。春になって外の人間がやってきて、そこで初めて国がいつの間にか滅んでいたことが明るみになった。

 敵に攻められたような痕跡は見受けられなかった。しかし、死体はある一点に集中していた。まるで全員が何かに吸い寄せられて死んだよう。残っていた躯の全ては触れば指が溶け落ちる毒で満ち、痛ましい姿に変わり果てていた。

 数年経ち、やっと自然に土地が浄化されてきたところで、人がまともに立ち入れるようになった。詳しく調査をしてみても、国が滅ぶ直前の異常を示すものは何もない。その日、その時が来るまで、普通の生活が営まれていたことが分かった。

 ――だが、アラスタは五年前に見つけたのだ。魔術師と共に奇妙な痕跡を見つけて辿り、そして、ある存在にたどり着いた。

 痕跡とは、過去に起こった大きな魔力の歪みの跡。そして、その近辺にあった、外から異様な力が加わりひしゃげた、小さな鉄の枷。その前に深く染み付いた血溜まりの染み。周囲にぽっかりとできた、死体の山の空白。――いや、これは正しくはない。何もなかった(・・・・・・)のだ。むき出しになった土の上に、パフィアの花が群れて咲いていただけだった。その鉄の枷の周りだけ、石畳も何もかも、そっくり残して、後は『全てを灰燼に帰した』とでも言わんばかりの、異様な破壊の跡があった。

 枷の大きさからして、おそらく人間の子供だ。枷には血の跡はついていなかったし、『丁寧に』壊されていた。だからきっと、子供は食い散らかされたり殺されたりした訳ではない。転移の魔術の発動があったという検知結果も出た。

 

 『何か』がいたのだ。そして、子供を助けようとしていた可能性が高い。それは、国が滅んだことに何か関わりがあるのではないか。

 

 その場所にいた『何か』は、その後どうなったのだろう。『何か』が流したと思われる血溜まりはあったが、死体はなかった。深手を負いはしたが、死ななかったのかもしれない。

 

「――あのお嬢さんが、助け出された『奇跡の子供』だ、って考えてるんですね? 隊長」

「……ああ」

「言っときますけど、あのひとの側にいた男、たぶんすげぇヤバイですよ。下手に関わったら殺されますよ」

「かもしれんな。あの人間の気迫には恐れ入った」

「隊長が後ずさった時、『マジか』って思いましたよ。千の魔物に囲まれたってちびらなかったのに――」

 その時、ミラの歩みをアラスタが止めた。

「テミス……」

 静かにアラスタは振り返って呼びかけた。声色に何か伝えたい事があると感じ取ってか、テミスはぴたりと何事かと尋ねかけた口を閉じた。アラスタは黙って前を指した。

「見えるか?」

 アラスタの影からひょいとテミスが首を出し、「お?」と声を上げた。


 オリスヴィッカの大門の周りには花祭りの市が広がっていた。その市の幌屋根の下を物色して歩く、見覚えのある背格好の男。昨日、あの少女の存在をテミスがアラスタに仄めかした時に威嚇してきた人間だ。

 それが、市の店の女将と談笑している。

 紅い髪・・・を揺らしながら笑う横顔を見て、部下は目を瞠った。


「……紅髪あかがみ。確か、奴の目の色は……!」

「琥珀だ――異端者と一致するとは、都合が良いな!」

 傲然と笑った。本当に、何という幸運だろう。

 懐から小さな黒い筒を取り出すと、アラスタはそれをありったけの力で空高くへ放り上げた。

 

 パァン――! と、耳をつんざく破裂音と共に、どす黒い色の煙が空へと昇った。

 

 大衆が驚きどよめいた。大門の衛士たちがぎょっとしてそれぞれに煙を指差す。笛の音が空高く鳴り響き――、一目散にこちらを目指して駆けてきた人間が、紅い髪の男を見るや、抜剣して怒声を上げる。

 

 異端者あり――聖教の剣よ、集え、と。

 

 

 弾かれたように振り向いた男は、素早く辺りに目を配ると、すぐにこちらに気づいた。ぞっとするほど美しい笑みを浮かべ、男が目を細めた。

「来たか。聖伝騎士団」

 悲鳴を上げた女将の背をやんわり押し、逃げていくに任せる。そのまま仁王立ちで、旅人に扮していた騎士団が切りかかってくるのを待ち構え――、

 

 彼と騎士たちの間に、白い影が割り込んだ。


「!?」


 紅い男にとっても予想外の事態だったらしい。面食らった顔で闖入者の背中を見つめている。白刃が閃いて瞬く間に二人が切り伏せられた。早朝の空に飛び散る鮮血に、民の間から悲鳴が上がった。

「何だあいつ!? うちの精鋭を一気に二人も!」

 テミスが驚く間に、白い闖入者――それは、長いぼさぼさの白髪に全身埋もれた謎の男だった――は、前が見えているかも怪しい髪を振り乱して剣を捌いた。さらに一人が草の上に沈んでいく。

 

「おいヴィニア! おまえっ」


 そこでやっと我に返ったか、焦りを隠さぬ顔で異端者がぼさぼさ髪の頭を掴んで引き倒した。

「俺はともかく、なんでおまえが――ぁ?」


 そして、そこで何かに気づいて男は停止する。背後には剣を振り上げた騎士が迫っていた。ヴィニアが顎を上げ、地面から跳ね起きた。素早く立ち上がりざまに紅髪の後ろの騎士を仕留め、そこで一連の流れに区切りがついた。

 手を出しあぐね、囲むだけ囲い込んだ騎士たちを一瞥して、ヴィニアが唾を吐き捨てた。


「……」


「……あぁ?」

 暴挙に唖然としたアラスタの後ろで、テミスが低い声を発した。その次の瞬間に事態は動いた。

 異端者が無言のまま、目にも留まらぬ速さでヴィニアの脇をすくう。

「ぉっ?」

 きょとんとする彼に構わず、そのまま驚異の脚力で隔壁を駆け上がって、男は町の中へと消えてしまった。

「おい!」

 怒声を上げてテミスが踏み出そうとして、

 

「待たれよ! 聖伝騎士団とお見受けする!」


 衛士が止めた。

「何の謂れがあってこの都に足を踏み入れんとするか! ここは聖衣の袖振る地! 許可なく立ち入る事は禁じられているはずだ!」

「今そこを異端者が入ってっただろうが! 聖騎士を四人斬り倒した大罪人だぞ!」

 罵声が飛び交い、一気にその場は混沌と化した。

 アラスタは素早く目線を巡らせ、押し寄せる野次馬が固まる前に走り出した。おい、と衛士が止める間もなく、隔壁の壁に足をつける。あの男のように駆け上がるとはいかなかったが、伸ばした手は壁から生えた旗の鉄棒を掴んだ。

 

 そのまま一、二、三回転。空へ飛び上がって、壁を超えた。

 

「げっ――隊長!?」

 テミスが下で叫ぶ。

「無茶がすぎますっ! 隊長!」

 背中をいくつも声が追いかけてきた。だが、止まらない。

「隊長、ちょ……セトラまで置いて、どうする気ですかぁ――っ!」

 テミスの悲鳴が急速に頭上へ遠のく。壁から飛び降りたアラスタは、近くの家の屋根の上に降り、そのまま猛然と走り出す。駆けつつ路地を見下ろせば、ちらりと紅い色が角に消える。

「逃さん!」

 抜剣、跳躍。一躍、二躍、追いすがる。壁を蹴って強襲をかけ――

「――しゃらくせぇンだよっ!」

 振り向きざまに男が剣を一閃した。受け止めた瞬間、アラスタは背後に吹き飛んだ。華奢な体の癖に、手に伝わる衝撃は予想の数倍重かったのだ。

「くっ――!?」

 すぐさま宙で体を捻り起こすと、男の顔が間近にある。

「しつこい男は嫌われるって――」

 ふわりと声が、追いかけてきた。

「てめぇのかかァに言われなかったか!?」

 ガンッと馬鹿力が振り下ろされる。手甲で受け流した拍子に、めりっと腕の骨が軋むのをアラスタは感じた。そのままたたらを踏み、着地する。

「下品な男だ……!」

「悪かったなァ」はすっぱな声が降り立った。「生まれも育ちも、下品でね」

 上目遣いに視線を合わせ、にやっと華々しい微笑みが返ってきた。初めて顔を合わせた時も思ったが、この男はどんな仕草も絵になってしまう。

「顔に合わせた振る舞いをすればどうだ」

「したら最後は娼館行きかね。ま、全員のケツ蹴り飛ばしてきたけどよ」

 からりと笑ったまま、流すように刃が迫り、慌てて受け流す。やはり重い。

 この男は。アラスタの背筋に冷たいものが流れる。――強すぎる。どこの手練れだ。今まで鍛錬も兼ねて様々な武闘祭に顔を出したが、どこにもこんなでたらめな強さの男はいなかった。

「……何者だ、貴様」

「知らないほうが良いことがいろいろあるんだぜ、お坊ちゃん」

 茶目っ気たっぷりに片目を瞑ると、男の頬にけぶる睫毛の影が落ちた。

「……ま、知っても幻想イメージ崩れるだけだから、精神衛生に良くないんだよな。ことほか聖騎士パラディンは」

 ぼそっと呟かれた言葉の意味を、アラスタが知る由もない。しかし、争いに僅かに生じた間隙の中、気がついた。あの白い男がいない。どこぞに潜んでいるのだろうか。

「……あの娘を守っているのはなぜだ。セイラックのことと関係があるのか」

「そりゃ親が子供を守るのはフツーだろ。セイラックってっと、ちっと前になくなった国だよな。俺は何も知らねぇ」

「そうか。ではやはり何か知っているのだな」

「は?」

 男の眉が不快げに寄った。

「『知らねぇ』っつってんだろ」

「いいや。貴様は確実に何かを知っている・・・・・・・・。答えてもらうぞ」

 アラスタは剣を構え直した。その手元に何気なく目を落とした異端者は、「っ!」と驚きに息を詰めた。次第にじわじわと理解の色が顔に広がっていく。

「……なるほどなぁ。こりゃ大した鬼札切られたもんだ」

 アラスタも思わぬ反応に目を瞠った。

「ほう? 驚いたな、『これ』が何か知っているのか。ますます貴様が何者かに興味が湧いたな」

「あー、まぁいろいろあって物知りでね」

「『これ』の本来の役割まで知る者は代々我が家の直系のみと決まっている。――貴様、どこで知った?」

「――んー、」

 考えるように視線を巡らせ。次の瞬間、大輪の薔薇も恥じらうほど艶やかに、にやっと男が笑った。何か良からぬことを思いついたらしい。

「じゃあ面白いこと教えてやるよ。おまえなら分かるだろ」

「何?」

 警戒して眉を潜めた次の瞬間、アラスタは言葉を失った。

 

「――あの異端話・・・・・嘘じゃねぇよ・・・・・・俺が・・この目で・・・・見てるからな・・・・・・


 それが全て真実・・・・だと、分かってしまったからだった。

 そして、驚愕に動きを止めたその隙を見逃す男ではない。

 凄絶な殺気に背が凍る。流れるような白刃の閃きが視界を埋めた。その影から無感情な琥珀がこちらを見据える。そこに微塵の躊躇いもない。

 

 ああこれは死んだ。

 

 ――そう思った次の瞬間、肩を掴まれ、男によって勢いよく地面に引き倒された。

「!?」

 肩のあたりの服が引き攣れたような感触がする。マントごと、馬鹿力に任せて剣で地面に釘付けされていた。唖然とすると同時に、顔から血の気が引いた。間違いなく死んだ、そう感じさせたあの冷たい琥珀の目が、ただのはったりだったのか。

「ははは、ま、俺のほうが一枚上手だったってことで勘弁な」

 当の本人は殺意など知らぬとばかりに、数歩離れた場所でひらひらと手を振っていた。周囲には騒ぎを聞きつけたか、いつのまにか野次馬が湧いている。

「……なぜ殺さない」

「往来で殺しは遠慮してぇなァ。一応善良な旅人のつもりなんだぞー」

 んー、と少し男は難しい事でも考えるように目を伏せた。

「……気分、って言っちゃあなんかおまえが収まらなさそうだな。じゃあ、」

 アラスタが鼻白む気配を察してか、男はさらりと言い換えた。

「チンピラに絡まれていちいちぶっ殺してたら、娘に顔向けできねぇからってことにしとくよ。俺は大人なんでね」

 さらににこりと、彼は華やかに笑い――べーっと舌を出して尻を叩いた。ぺんぺんぺん! と小気味よい音が鳴り響く。

「じゃーな、ガキ」

 ぶちっと耳元で何かが切れた。

「貴様、どこが大人だぁ!」

 思わず全て忘れてアラスタは怒鳴った。見ていた野次馬がどっと腹を抱えて笑い出す。

「待て! くそっ、待て、この、――っ!」

 あまりの怒りに二の句が継げない。どうにかマントを外して追いすがろうともがく間に、紅髪の男(悪い大人)は口笛混じりにさっさとその場から退散していく。

「さーてと、一段落したとこで、どういうことかきっちりアイツには問い詰めねぇといけねぇな。参ったねぇ……」

 何やらぶつぶつ言いながらフードを被り、灰褐色の地味な髪色になった麗人の姿はすぐに民衆の中に紛れ、分からなくなってしまった。



□■□■□



「やれやれ……まさか誰も、出てきて早々に『当たり』を引くなんて思わないわよねぇ」

 花蜜と爽やかな当たりの味わいが優しい。ハーブティを出かけた先で啜りながら、ルミナは一人呟いた。

「今なんと、姫」

「別になーんにもないわよ。ただの独り言」

「左様ですか。ところで、お味はいかがでございますか」

 傍らに佇む騎士――エリックが、木のカップに二杯目を注ぎながら穏やかに尋ねてきた。

「悪くはないわね。急ごしらえで作ったのにこの味なの? 称賛に値すると思うけど……というか、アンタのその態度、嫌味か何かなの? 昨日までの尊大馬鹿みたいな態度はどこに行ったの?」

「ありがとう存じます。――いえ、これはこれで意味があるので。お構いなく」

 すっと頭を下げた彼は、くすりと笑ってみせた。



「おや、ルミナ・ルラスキィ。どこかへ出かけるのか」

 屋敷の門に向けて歩いていたルミナを、エリックが呼び止めたのは少し前の時間のことだ。隣に居る使用人と何かを話していたが、ルミナに気がついて声をかけてきたのだった。

「ちょっと朝の散歩でもと思ってね。――まさか駄目とは言わないわよね?」

「構わないが……私が随伴になろう。今は花祭りの時期だ。浮かれて妙な真似をする輩も出るやもしれん」

「……あなたが?」

 エリックは悪戯を思いついたようににやりと笑った。

「お嫌ならば、このままお送りするわけには参りません、姫。私は役に立ちますよ。こう見えて、大公をお守りする一の騎士ですから」

 ルミナは盛大に顔をしかめた。

「……分かったわよ。エリック・ヒュールスとはそういえば、中央北西では有名な剣の名手だったわね」

「ご承知いただけて何より。しかし、剣はこの近辺なら我が主やオリフィアの騎士王が名人として頭一つ抜けていますよ。オリフィア王は、私も打ち合ったことがあるが、あれは良い使い手だとよく分かりました。では、少しばかり準備をして参りますのでお待ち下さい」

 そう言って、すぐに身なりを整え、もう一人女性も連れてやってきた彼の手際の良さに少し驚きつつ――ルミナはラーニシェス公爵邸の外に出たのだ。

 それからずっと『悪戯』は継続している。何のつもりなのだろう、この男。思いながらルミナはエリックを半眼で眺めていた。

「ところで、あの子の『子守』はしてなくていいわけ?」

 カップを揺らして香気を楽しみつつ、フューのことを仄めかすと、エリックは溜め息を吐いた。

「寝かせてあります。部屋の前に世話係を幾人か置いて。昨夜から急に発熱されて――旅の疲れからお風邪を召されたようだ」

「あらまぁ」

「そう仰る姫の方こそ如何です。あの『商い人』の住んでいた町はあまり良いところではなかったでしょう」

 肝心のところはそれとなくぼかされつつ、会話は続く。

「何ともないわよ。旅の間中、誰かさんと誰かさんがこっそり女性陣のお世話をしてくれていたお陰でね。……ずいぶんと女性の身の回りの世話に慣れてる気がするのだけど、あなたって妻帯者だったかしら?」

「いえ。以前、さる貴婦人のお世話を偶々していただけです」

「なんでまた? 女性はいなかったの?」

「少しややこしい事情をお持ちの方で。口外は固く止められていたので私が行ったのです。信頼のおける者が少なかったのもありますが」

 ルミナは少し眉をひそめたが、溜め息を吐いて抱いた疑念は流してしまった。

「まぁいいわ」

「……ルミナ嬢」エリックの視線がじっと横顔に注がれているのを感じた。固い声音が低く地に落とされる。「一つお聞きしても?」

「……なーに、騎士様」

「拐かされたか、騙されたのか。あなたがいずれの理由で『あの場所』にいらっしゃったのかは、存じ上げておりません。ですが、あなたの行動を見聞きして思ったことがある。……あなたの行動は無節操のようですが、実は意味があったのではないかと」

「ふぅん?」ルミナはちらりと騎士に横目を流し、微笑んだ。なんだ、馬鹿かと思えば、さすが一の騎士。やはりいい勘・・・をしているではないか。

「聖殿騎士のテミス・クレスを覚えていますか。聖殿騎士団にテッタから出た馬車の上に居た時に出くわした。あそこでリアノルト卿が見つかっていれば、交戦や逃走は避けられなかった。……しかし、あなたが彼とかの『晶剣将』の目を引きつけて、僅かに時間稼ぎをしたことで運命は変わった。私達を大公が見つけたからです」

「……」

「聖教の『星の塔』に籠る代々の星位聖は、『星見』ではなく本当は『先見』なのだと聞きます。つい先日、その後継者の娘が行方不明になったと聖都で耳にしました。ルミナ・ルラスキィ。その若さで多彩な魔術を操るあなたは、もしや――「呆れたわ。まさかそれだけで気がついたの? ただの脳筋と侮っていたら。勘が良すぎよ、騎士エリック」

 話を遮り、くるりとルミナは振り向いた。やはりとエリックが息を呑む。

「ええ、認めます。別に特にあなた方に隠し続ける理由もないし。でもあなたの仕入れた情報はちょっと古いわ。先代星位聖は先日亡くなったのよ。聖君フュエルトラストルの星が誤魔化されていたのに気づいて誅殺されてね」

「……何ですって?」

「だから、今はわたくし・・・・が、『星位聖』ルミナ・ルラスキィよ。……いろいろ聞きたいことは分かるけど、仕事ができたわよ」

 唖然とする騎士に対し、ルミナは空を指差した。

「まずはあれを受け止めてくださらない? 私はあの『馬鹿者』の回収に来たのよ」

「――あれ?」

 鸚鵡おうむのように繰り返し、騎士は空を見上げた。日が登ったばかりの空に――小さくできた人型の染み。

 まさか。

 呟いて走り出した騎士の背を見送り、ルミナは再度溜め息を吐いた。

「本当に……いろいろ空を飛びすぎよ。騒々しいわねぇ、今朝のオリスヴィッカは」



□■□■□



 あらん限りの速さで地を駆けた。いかなる理由かは不明だが、空を放物線を描いて落ちてくるのは確かに人間だった。いったいどんな非常識な事が起こったというのだろう。

「っ!」

 衝撃を殺さなければ。思いきり地を踏みきり、その人物に体当たりするようにしがみつき、エリックは錐揉きりもみするように宙を舞った。だめだ、足りない、と歯噛みしたその時。

 

 ふわり、と風が追いついてエリックの体を巻きとり――さらに乱暴に回し切った。

 

「うぉおおおおおお!? ――だはっ!?」

 勢いよく地面の上に転がり、叩きつけられた衝撃に肺から空気が吐き出された。咳き込みつつも腕の中を見下ろせば、抱きとめた人間はしっかり腕の中に確保されていた。どうにかお互い無事に済んだようだ。安堵の息をはくと、ぱちぱちと気のない拍手の音がして、ルミナの声が耳に入った。声色から察するに、彼女はわずかに笑っていたようだ。

「お見事。さすがはハルオマンドの誉れ高き騎士、身体能力も高いのね」

「――っ、光栄、です。しかし……この、人間は」

 エリックが身を起こして人物の正体を確かめると、それは若い男だった。足首まで伸びた白い髪の間からわずかに覗く口元はひどく端正だ。頬に走る赤い線はひきつれた古傷の跡だろうか。手を伸ばして邪魔な髪をどけ、顔を露わにした瞬間――エリックの中で時が止まった。

 

 ――嘘だろう。

 

「――――、」

「あら?」

 横から覗き込んだルミナが目を丸くする。

「あら、大公? いつの間にこんな傷をこさえて髪まで白くしたの?」

「――いや。それは違う、ルミナ嬢」

 驚きに掠れた声でエリックは返した。

「これは……私の目に間違いがなければ」

 ルヴァンザム・ルーベム・エル・ラーニシェス。

「当代の御父上です。三年前、死んだはずなのですが」


 ――なぜ、生きているのか。殺されたはずでは、なかったのか。


 三年前、森の奥地で、あの城で体を失った。そして北の大陸で残りかすのような意識すら消え去った、と、主人から聞いている。生きているはずがない。混乱する頭は、とりあえずこの男を拘束し、早く主人に報告しなければと、その思い一つで塗りつぶされていた。


 カーレン・クェンシードというドラゴンに、かつてすり潰されたはずの男の肉体が、顔に走る傷跡以外はなにも変わらずにそこにあったのだから。

 

 そっと男の体を抱え起こそうとした時、睫毛でけぶるように飾られた瞼が開き、そこからまれなる紫の光が零れ落ちてきた。

「……」

 思わず目が合って固まってしまったエリックを、彼はしげしげと眺めていたが、次の瞬間、ふわりとその顔が花のごとく綻んだ。

 ――笑った。

 そのあまりにも邪気のない様子に、一瞬ルミナも呆気に取られたようだ。

「……あの腹黒そうな青年の父親は、随分と純真なのね?」

「そんなはずがない」

 即座に否定した途端、む、と睨まれる。抗議の色を含む目にエリックはさらにたじろいだ。引き結ばれていた桜色の唇が、ふと解けて再び笑みを結ぶ。

 ここまでで、流石にエリックも気がついた。

「もしや……喋れないのですか?」

 彼は目を伏せて嘆息し、首肯してみせた。ぐいぐいと手を引っ張られ、戸惑うしかないエリックの手の甲に、彼はひたりと指を当てて何かの図を描き出した。始め警戒したが、エリックはすぐにそれが文字だと分かった。そして、紡がれた言葉の内容に、驚きのあまり仰天することになった。


 ――初めに感謝を。どこのどなたかは知らないが、おかげで助かった。ところでちょっとばかり人を斬ってきたいので、剣を貸してもらえないだろうか。

 

「――何ですって」

 絶句する。一体どういうことだ、これは。

「あなた、ご自分の名前は」

 するすると手のひらに文字が綴られていく。

 ――ヴィニアとあだ名で呼ばれているけれど、名前は思い出せない。気がついたらどこぞの森のなかにいた。護衛していた男が襲われたので護ろうと思ったら、当の本人に投げ飛ばされてね。 

「投げ飛ばされた?」

 およそ人の膂力の成した業とは思えない。何者だろうか。

 ――紅髪の美しい男だ。なんだか懐かしい一方でやけにくびり殺してやりたいような気もするが、そいつもオレの顔を見て仰天していてね。オレはどうも怯えられるようだと思ったから顔を隠しているんだ。それにしてもひどいと思わないか。いきなり細腕で投げ飛ばされたからこっちも大変驚いた。

 そう書き終えると、思い出したかのようにヴィニアは白い髪をわすわすとかき回して、もとの鳥の巣頭で自分の顔を覆い隠してしまった。

「その男は、護衛だからというだけで聖殿騎士団の騎士を五人近く切り伏せた大馬鹿者よ」

 ルミナが溜め息混じりに告げた内容に、ぎょっとエリックは目を瞠った。もし事実なら、彼をかくまえば異端の罪は免れない。ただでさえ危ない橋を渡っているというのに。

 どうする、と頭を回転させ出したエリックと見下ろすルミナのところに近づく影があった。

「おー、懐かしい面だなぁ。エリック・ヒュールスか?」

「その声……ロヴェ・ラリアンか」

 軽い調子でかけられた声に聞き覚えがある。紅い髪の美男とヴィニアがいうからもしやと思ったが。エリックが振り向けば、かつての同僚だった男の姿があった。ただし、深くかぶったフードから覗いているのは、灰褐色の髪だったが。

「悪い。大門の方で騒ぎになっちまった。そいつが無茶をやってくれたもんで、ただじゃ済まなそうだ」

 開口一番に謝罪され、エリックは軽く目を瞠った。ロヴェというのはエリックからすれば、一言目には皮肉が飛び出し、売り言葉に買い言葉の応酬をしだすような仲だったのだが、この男も三年見ない間に随分丸くなったようだ。

「……どうする気だ。オリスヴィッカでこんな騒動を起こされては、主人のあいつが一番困る」

「俺も驚いてるんだぞ。驚天動地の勢いだ」

「その割に冷静ではないか!」

「驚きすぎて一周回ってどうしようもなくなったんだよ……聖殿騎士に追っかけ回されてそれどころじゃなかったしな」

「おい」

「大丈夫だ、一応釘付けにして撒いてきてあるから、すぐには居場所が知れることはない」

 ふむ、とロヴェは唇に親指を添えた。琥珀の目が艷麗に細められる。 

「で、だ。偶々一緒にしばらく行動していて、ついさっきそう・・だと気がついだんだが、どうもコイツは俺を覚えていないように見えるんだよな」

「私のことも覚えていらっしゃらないようだ。おまえのことは護衛対象だと言っている」

「あん?」ロヴェは意外だ、とでも言いたそうに片眉を上げた。「喋れたのか、そいつ」

「声はないが、筆談ならできるようだ」

 言うと、何やら非常に物言いたげな目でロヴェはヴィニアを見つめていた。

「………………ふーん」

 見つめられた方は首を傾げてじっとしているが、また流麗な手つきでエリックの手のひらに文字を書き出した。

 ――それで、貸してくれるのか、剣。

 エリックは静かに首を振った。

「お言葉だが、あなたにこれ以上剣を握らせるわけにはいかない。人を斬ったと聞いている。ここオリスヴィッカの治安を守るものとして、あなたを現行犯で捕縛させていただく」

「うん、それが一番穏当だろう。俺も直接やりあった訳じゃねぇし」

 後ろで頷いているロヴェの言葉を捉えて、振り向いて確認する。

「おまえは誰も斬っていないな?」

「怪我一つさせてねぇ。市場で囲まれてすぐに隔壁飛び越えて抜け出してきたんだ。町中まで追っかけてきた隊長格ですらマントを駄目にしたぐらいで済んでるからな」

「賢明な判断だったな。聞くにおまえが手を出していないと証言してくれる人間も多そうだ。とりあえずこの碌でもない御仁を突き出しておけば、それだけで事は済むが……」

「たぶん突き出すと面倒なことになるぞ。何せその顔だ。大公の腹を探られるのもまずいんだろ」

「その通りだ。厄介なことになった」

 ただでさえ厄介事をいくつも抱え込んだところにコレだ。どうしたものか、とエリックは眉間を揉み込んだ。

 それを半眼で見つめている、真っ白な少女が一人。

「あなたたち、この白いのの扱いが大概ひどいわね」

「あのな、行方不明・死んだことになってるはずの人間が三人も四人もここに集まるとな、どうしたって一人ぐらいはそういう扱いの人間が出てくるもんなんだよ、おじょーさん」

「出てこないに決まってるでしょう」

「…………」

 ヴィニアはルミナを見て、そっとエリックに預けていた手を抜くと、ルミナに手を差し出した。

「? なあに、お兄さん。私に何をご所望かしら」

 微笑んで頭を傾けたルミナの肩から、するりと絹のような銀の髪が滑り落ちる。白い手をそっと取ると、ヴィニアはそこに何かしらの文字を綴った。文字を贈られた少女は、ひゅ、と息を飲み、不意を突かれたような顔になった。おやとエリックは内心で首を傾げた。思ってもみなかったことを聞いたという顔なのに、痛みを堪えるようにも見えたのはなぜだろうか。

「……どうして分かったの?」

 ヴィニアは満足そうに頷いて、茫然とした様子の少女から手を離した。

「分かるって、何が」

「――ヘンね。あなたは何も分からないのに」

「あん?」

 ロヴェが怪訝な顔をするも、ルミナはふいと顔を背け――そして、何かに気がついたようにまた元の位置に戻した。

「自己紹介がまだだったわね。私はルミナ・ルラスキィ。当代の『星位聖』よ」

「……なんでまた聖教の秘中の秘がこんなところに」

 苦虫を噛み潰した顔になった男に鼻を鳴らし、ルミナはにやりと、人形のような顔に似合わぬ笑みを浮かべた。

「なぜって。そりゃあ、にっちもさっちもいかない聖君をお救いするために決まってるじゃない。ねぇ? 神獣様」

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